2036年 7月19日 堀井 存、路時 紗亜那

第6話 発露 その1

「路時さん! 走って!」

「……ッ! 待てよ、てめぇら!」


 存は紗亜那の手を引いて走った。

 土曜日の夜、駅前は人が多い。

 上手くいけば撒けると、そう思っていた。

 だが、男たちは素早く、二人が走るよりも先に男たちの手が伸びていた。


「痛っ」

「路時さん!」


 振り返った存は、しっかりと捕まえられてしまった紗亜那を見た。


「てめぇ、何逃げてんだよ」


 すぐに囲まれて、もはや逃走は不可能となった。

 存の腕が掴まれ、握っていた紗亜那の手も強引に引きはがされる。


「……ぼ、僕たちが、何をしたって言うんですか。その人を離してください」


 それを聞いた男の一人が、紗亜那の白くて細い喉をグッと掴んで、それから笑った。


「なめんなよ、ガキ。離すわけねーだろが」


 少年の頬をぺちぺちと叩いた男は続けた。


「俺たち、キレると何すっかわかんねぇからな? 一回ボコられてるお前ならわかるだろ? ちょっとお話ししようぜって、それだけだよ。ここじゃちょっと人目に付きそうだからさ、ついて来いよ」


 もはや絶体絶命だった。

 囲まれて、言われるがままに歩かされ、駅から少し離れたビルとビルの間、入り組んだ細い通りを進んだ先にある、袋小路の場所に連れていかれてしまった。


「着いたぜ」


 複雑な道のりだった。

 たどり着くまでに一体どこをどう歩かされたのか、存にはわからなくなっていた。

 曲がり角を何度も曲がり、ずいぶんと長く歩かされた気もした。


「しっかし、驚いたわ。何で一緒にいんの? お前ら」


 男たちは残酷さを隠しもしないで笑う。

 最悪だと存は思った。

 あの河原にいた3人以外にも仲間がいるらしく、人数が増えている。

 数えると6人もいて、退路は完全に塞がれていた。


 後ろから拘束されている紗亜那は、暗い表情をしたままピクリとも動かない。

 が、背後の男が動いたのは、すぐだった。


「俺、もう、我慢できねぇや。なぁ、最初は俺がヤっても良いよな? な?」


 紗亜那が着ているワンピースに、男の手がかかる。


「やめろ! その人に……」


 触るなと言おうとしたが、続きは言えなかった。

 殴り飛ばされたのだ。

 地面に思いっきり転げた存はそれでも立ち上がり、紗亜那の元へ歩こうとした。


 だが、男は、存より頭ひとつ分も高いだろう身長でその前に立ちふさがる。


「何をやめろって? もう一度、言ってみろよ。でかい声を出しても良いぜ? どうせここには誰も来ないからな」


 ……誰も来ない?

 果たしてそうだろうか。


 少年には助けを叫ぶ価値があるようにも思えたが、周囲の様子に異様な雰囲気があることに気づいた。

 街灯はあるようだが不自然に薄暗く、周囲のビルの壁面には、窓も、ドアも無い。

 見れば見るほど、そびえ立つだけの壁だった。


「違和感あるだろ? こんな変なビル、あるわけないもんな。この上星市って町は、こう言う良くわかんない場所がいっぱいあるんだ。空、見てみろよ」


 見上げるた存は、空の異常な黒さに気づいた。

 星も無ければ月も無い。

 先ほどいた駅前の夜空とは全く違う、真っ暗な闇が広がっていた。

 男は大きな声で笑って、言う。


「ほら! こんな声を出しても通りに届かない! すげぇだろ! 誰が見つけたかは知らないが、この場所は昔っからここにあるらしいぜ? 閉鎖空間だ! って知ってなきゃ来れない上に、正確な曲がり角で進まないと大通りに戻されちまう変な場所だ。ここは地図にも載ってないし、誰の声も届かない。だから、ここまで連れてきちまえばヤリタイ放題ってわけだ! ……この意味、わかるか? ここで死んでも、死体なんて見つからないんだぜ? 知ってる奴しか来れないんだからな!」


 ひとしきり笑った後、男は存の肩を叩く。


「……どうした? 怖いのかよ。足が震えてるぜ?」


 存は、グッと歯を噛みしめた。

 怖くてたまらなかった。

 場所自体も不気味だったし、何よりも男がチラつかせている暴力が恐ろしかった。

 力の差は圧倒的だったし、下手に動けば、またすぐに殴られるだろう。

 殺すと言うのも、脅しじゃない気がした。


 とは言え、紗亜那を助けなければならない。

 しかし、取れる手段が何もないのだ。


「……ゃ」


 声を押し殺した少女の息づかいが存に届いた時、彼は涙を浮かべながら頭を下げた。

 その場に膝をつき、頭を地面に擦りつける。


 土下座だった。

 この方法で許されたことが一度もないことは存にもわかっていたが、彼にはもう、これしかなかった。


「お、おねがいします! やめてください! その人に酷い事をしないでください! 僕は、何をされても良いです。だから、お願いします。何でもします。だから、お願いします! お願いします……!」


 次第に泣き声になり、涙を流し始めた存を見て、男たちは一斉に笑った。

 爆笑だった。


「なんなの、お前。マジ笑えるし。って言うか、その言い方、何か勘違いしてないか?」

「な、何を……ッ……」


 先ほど殴られた時に口の中が切れていたらしい。

 血の味が口の中に広がっていくのを確かめて、存は戦慄しながらも男の顔を見上げた。


「いやいや、マジでこの女のこと知らねぇのか? どういう冗談だ、そりゃ?」


 意味が分からなかった。

 男は何を言おうとしているのか。

 そして、男は左手の指でわっかを作るとそこに右手の指をれて、決定的な言葉を吐いた。


「この女さ、頼めば簡単にヤらせてくれるってんで有名なんだぜ? しかもゴム付けなくて良いって。俺ら以外にもこいつとパコパコしてる奴はいっぱいいるしよ。こいつが裏でなんて呼ばれてるかわかるか? 便だぜ? お前もそれ目的で一緒にいたんだろ?」


 言葉は聞いたが、やはり意味が分からなかった。

 ……いや、わかりたくなかった。


「どういう意味、ですか……!」


 存は痛みにおびえながらも、男に言っていた。

 我慢できなかった。


「どういう意味って、わかんだろ?」

「違う! その人は、そんな人じゃない。その人は……!」

「は? 何? もしかしてと思ったけど、お前、まだヤらせてもらってないの? バカじゃねーの? なぁ、紗亜那ちゃん、こいつボコった日、通報しないように自分が言い聞かせるって言うから任せたけどさ、なんでその後も一緒にいんの? 何でヤらせてあげてないの? 自分がどういう人間なのか、この童貞君に教えてやってよ」

「……」


 前を塞いでいた男が横にどける。

 紗亜那は、後ろから抱きつかれていた男に服の中をまさぐられていた。

 ワンピースの肩紐はもう、ほとんど外れかかっている。


「……ッ」


 紗亜那は目を伏せて、「見ないで、堀位君」と小さく言った。

 呼吸は深く、不安定で、体は汗ばんでいる。

 まさぐりながら紗亜那の首元をペチャペチャと舐めていた男は、興奮した様子で存に言った。


「言いたくないみたいだから、見て察してやれよ。へへ、普段は能面みたいな顔してるのに、ヤってる時は反応良いんだぜ? おっぱいも小ぶりだけど柔らかくってさぁ。ほら、もう固くなってるし、

「や、やめろ! ……ぐっ」


 立ち上がって飛び掛かろうとした存の腹に、男のつま先が突き刺さる。

 強烈な蹴りだった。

 胃の中身が、全て出てきてしまいそうで、存は口に手を当てて堪える。


「何するつもりだよ、雑魚。このお便所は好きでこう言うことヤッてるって、まだわかんねぇのか? 変態のエロ女なんだよ、こいつは」

「そ、そんなの、嘘だ……! 好きなわけ、ないじゃないか……」


 存は喘ぎながら言い、手を伸ばした。


「路時さん。こんなの、嫌だろ? 嫌なら、嫌って言ってくれよ。こんなこと、君が望むわけないだろ?」

「……」

「路時さん……!」

「嫌、じゃ、ない」


 紗亜那の声は震えていた。


「これは、私が好きでやってるの。もう、わかったでしょ? 私がどれだけ汚れてるのか。どれだけ関わらない方が良い人間だったのか。堀位君はもう、帰って。もう、二度と私に近づかないで。……他の人も、もう良いでしょ? この人を帰してあげて」

「う、嘘だ! そんなの、嘘だよ」


 どんなに否定されても、存は必死だった。

 そんなことがあるはずがない。

 証拠は、存のすぐ目の前にあった。


「好きでやってるって、そんなの嘘に決まってるじゃないか! だったら、その顔は何なんだよ!」

「……っ」


 紗亜那の顔は少しも楽しそうじゃなかった。

 自分と出会う前にいつもしていた、あの無表情な顔で、むしろ辛さを隠しているようにも見えた。


「水族館が好きかもって言った時の顔は、そんな顔じゃなかったろ? 海に行った時も。公園に行った時だって、ずっと……楽しそうに笑ってたじゃないか」


 男たちの笑い声が響いた。


「笑う? こいつが? そんなわけねーだろ」

「だよな。こいつが反応するのって、ヤってる時と痛めつけてる時だけだし」

「って言うか、マジ純情ボーイじゃん。真面目な顔してそんなダセーこと言う奴、今時いるのかよ。しかもこんな女に」

「ヤってるところ見たらショック死すんじゃね?」

「って言うか、こんなのと一緒にいて楽しいんか? セックスもしねーで、こんなクソつまんねー女と何してたんだか。時間の無駄だろ、絶対」


 存は怒りで震えた。

 涙がボロボロとこぼれて、地面に落ちる。

 許せなかった。

 紗亜那と過ごした時間は、存にとっては何よりも大切な物なのだ。


「路時さん……! お願いだよ、路時さん……!」


 男の手が、紗亜那のスカートの中に入った。

 紗亜那は息を荒くしながら、目を閉じる。


「路時さん!」


 瞬間、存はまた殴られていた。


「いい加減うるせぇんだよ、クソ童貞野郎が。話の分かる奴だったら、一回くらいお前にもヤらせてやろうと思ったけど、やっぱぶっ殺すわ。……お前らも手を貸せよ。黙らせてやろうぜ」


 つかつかと近寄る足音たち。

 存は噴き出た鼻血を手で押さえながらも身構えたが、横から蹴りが飛んできたのでそれも叶わなかった。


「う、ぐ、路時さん、ろ、ろじ、さ」


 倒れ込んだ後、踏みつけられ、蹴られ……存は身を丸めて守る以外、何も出来なくなっていた。

 そのうち、男の一人が近くに落ちていた金属パイプを手に取る。


「いつ持って来た奴だか忘れたけど、良いもん見つけたぜ。これなら靴も汚れねーしな。おい、童貞。最後に言いたいことはあるか?」


 存の言いたいことは、一つしかなかった。


「路時さんを、離して」

「チッ、何でそこまで……こいつ、まだ信じてねぇのか?」

「そんなの、どうでも良い。約束したんだよ、僕は……!」


 存は、涙きながら言った。


「何があっても、絶対に嫌いにならないって。離れないって、約束したんだ。だから、僕は……!」


 ゆっくりと立ち上がり、紗亜那へと手を伸ばした存は、男に蹴飛ばされる。

 何の抵抗も出来ずに存は地面に転げた。


「気持ちわりーな! 近寄って来るんじゃねーよ! ……ちょっと本気でやっちまおうかなぁ」


 男が握っているパイプが、風を切った。

 素振りだ。


「千本ノックって知ってるか? 野球だよ。良くは知らねーが、バットで千回、ボールを打つ練習らしいぜ? お前は今からボールだからな」


 存には、もう、逃げる力はなかった。

 立ち上がる力も残って無かった。

 鼻血と、涙と、汗が地面に落ちる。


「路時、さん……」


 それでも、存が想うのは紗亜那だけだった。

 声はカラカラでほとんど出せていなかったし、これが最後の言葉になるかもしれないという感覚はあったけれど、それでも存は紗亜那の名を呼んだ。


「路時さん、抵抗して……! 逃げて……! 路時さん……!」


 自分なんてどうなっても良い。

 ずっと、ただ、一人の少女を見ていた。


「死んだら、それはお前の責任だぞ? 俺たちを怒らせたお前が悪いってことだ。じゃあ、一発目、行くぞ」

「っ……!」


 存が身構えて、男が大きく振りかぶる。

 そして……


「やめて!」


 鋭い叫びだった。

 一瞬、誰もが声の主を探し、そして見た。

 声を上げたのは、紗亜那だった。


「……やめて。殺さないで! もう、やめてください。嫌です。もう、嫌! その人を傷つけないで!」


 普段、滅多に姿を現さない紗亜那の感情が、目から涙をこぼれさせていた。


 ……同時に、酷く不気味な気配が紗亜那の近くに現れていた。


 おぞましい、この世ならざる物の気配だ。

 男たちは、誰もそれに気づかない。

 いや、この場所に、に気づいた人間が一人だけいた。


 存だった。


「路時、さん……?」


 紗亜那の体の輪郭が、微妙にズレて、重なって見えた気がした。

 仄かに、暗い光を放っていたようにも見えた。


 ただ、やはり存以外の男たちは誰もに気づいていないようだった。

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