32

「これがヒヨコ、これがニワトリ。」

 一つ一つ、木片を手に取っては少女の目の前で見せては声に出して教えてみた。

 言葉を少しは理解してくれているのか、少々声を出して反応を見せてくれるようになってきた。

「がぁ、うぅ。」

 反応を示してくれるだけで、言葉を復唱してくれる様子は全くなかった。

「流石にまだだめか…。」

 単語から興味を持ってもらい、真似をする事で言葉を覚えてもらう。

 そんなことを思いながらしばらく続けてみているが、一向に喋ってくれる気配はない。

 少女の無垢な表情のまま、思ったままの声を発しているだけであった。

「はっは!

苦労しているみたいだね。」

 唐突に後ろから大声が響く。毛むくじゃらが大口を開けて高笑いをしていた。

 嫌味に聞こえていたが為に眉間にしわを寄せながら振り向いてみると、家主の毛深い手には折り畳まれた服が収まっていた。

 見るからに年季の入った古い子供服。しっぽ穴以外にも穴を塞ぐ小さい布切れがいくつもあるが、今の少女には十分すぎるものだ。

「大きさは合うと思うよ。あとで着せてやりな。」

「あぁ、助かるよ。」

 立ち上がり直に感謝を述べて服を受け取る。

「しかし、自分で着れる様になってほしいもんだが…。この調子じゃな。」

 言葉も満足に理解してくれない今の状況をみると、先の自身の不機嫌さはもどかしさの裏返しからくるものだったのだろう。

 進まない苛立ちが、家主の何の変哲のない冷やかしに対して露わになってしまったのだろうと思う。

 …この先、本当に不安だ。

そうかい?」

 自己評価を改め自己嫌悪にさいなまれている時に、家主から力の抜けた声で答えてきた。

 上を向いてみると家主は腕を組み、鋭い牙をむき出しにしていた。口角が上がっている事から笑っていると察しはつくが、獣人の表情は本当に分かりにくい。

「私には意外とすんなり成長していきそうに見えるよ。ほれ。」

 家主の長く鋭い爪が私の後ろを指さした。何の事かと指し示す先を振り向いてみる。

 少女が私の背中に隠れ、私の服の端を握り締めていた。

(そういや、撫でられてから苦手そうにしていたもんな。)

 不安と警戒に満ちた顔で少しだけ歯をむき出したまま、少女は家主を睨み付けていた。

 ただ、それだけなら良いが、少しずつ腰が引けて後退している。それにつられ、私もゆっくりと後ろへと引きずられていっていた。

「なんだかんだ、懐かれているじゃないか。私は嫌われちまったようだが。」

 軽快な笑い方をして意に介さない様にふるまっているが、気にしてはいる様だ。

 いつもはパタパタと左右に揺れている黒く長い尻尾が、しなりと垂れ下がったままだった。

「…その様だな。」

 気遣うべきかと考えたが、自業自得なところもあった為、私は素知らぬ顔でやり過ごすことにした。

「…あとあまりこの状況は羨ましくはないと思うぞ。」

「ん?どういう…、あぁそういう。」

 家主は察し良くうなずいた。

 無意識なのだろう、獣人の家主に怯えるあまりに少女はその小さい頭を私の背中に押し付けていた。

 当然、少女のもって生まれた尖った角が私の背中に刺さる。これはすごく痛い。

(少しだけ、丸く削った方がいいかな…。)

 嫌がりそうだが、背中が傷だらけになるよりはましか。

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