29

 ザザァー…。

 水瓶の水をくみ、私は忠告一つせず、泡だらけの少女の頭めがけた水を流した。

「…ブルブルブル!」

 小さな身体が左右に振れ震えた。犬の様な仕草で頭を大きく振り回し、あっちこっちに流し損ねた泡を吹き飛ばす。

 当然だが、近くにいた私もその水しぶきに引っ掛かり、水浸しになってしまった。

「……。」

 私は顔についた泡をぬぐう。

「まぁ…、うん。今後は気を付けるとしようか…。」

「がぅ?」

 少女はとぼけた声を上げて振り返り、こちらを見上げた。

 その目は一点の曇りもなく、一切の悪気も無い様子がよくわかる、純粋な赤い瞳をしていた。



    §



 流し場の外に置いておいたタオルをもって、少女の身体を拭こうとした。だが…。

「ぐるる…!」

 綿の目が荒くごわごわしたタオルは気に入ってもらえないらしく、激しく抵抗され、身体は生半可に濡れ、髪もほとんど乾かぬままに廊下の隅へと逃げられてしまった。

「やれやれ…。」

 抵抗された時に強く噛まれた腕をさすりつつ、少女に着せる予定のシャツを手にしていた。

 家主が服を持ってくるまでの仮の服。大人用の大きなシャツだから、小柄な少女なら全身を覆うくらいには十分な大きさだ。

 正直、今のままでは目のやり場にも困るから着てもらいたいところなんだが…。

「ほれ、もう拭かないから、戻っといで。」

 手招きをしてみるが、当然ながら歯ぎしりをして威嚇。

 その雰囲気こそ小さな子供の動物の真似事に見えるが、迫力が段違いだ。

(落ち着かせるにはどうしたものか。)

 今までの経緯で考えると正直食べ物ぐらいでしか落ち着かせる方法が思い浮かばない。

 まだ会って間もない事もあり、少女の好みも分からない。

 時間をおいてから服を着せるか…。

「…そう言えば、泡を舐めても不機嫌にはならなかったな。」

 ふいに先ほど泡を舐めてしまった後に暴れる事がなかった。

 苦そうにした後に唾を飛ばすだけだった。

「……興味か。」

 自分で口にした興味が学びに対して大事と言う事。今あるもので興味を持たせれば落ち着くのでは?

 手に持っているのは古いごわごわのタオルと着せるためのシャツ。

 そこで私はふと思いついた。

 シャツを丸めてその上から更にタオルを巻きつけて、小さく丸く整えていく。

「ふむ、これならいけそうだな。」

 即席の手作りの球だ。タオルが苦手と言うのならば、まずは興味を持たせる事から始めてみるか。

 早速と出来上がった球を持って少女の目の前にまでゆっくりと慎重に歩み寄る。この時、私は腰を低くして出来るだけ少女との目線を合わせていた。

(腰に負担がかかるな…。)

 今更だが少女と会った時からずっとこんな調子な気がするな…。

「ぐぐぅ…る?」

 差し出したタオルの球に興味を示した少女。

 干し肉の時や泡の時と同様にまずは顔を近づけ、臭いを嗅ぎ舌を伸ばして舐める。

「食い物ではない。

遊び道具…、みたいなものだ。」

 私は少女の足元にタオルで出来た球を下に落として見せた。

 球体ではあるが、歪んだ球は一度だけ床を跳ねてゆっくりと少女の足元へと転がっていった。

「がぐぐ。」

 籠った声を上げつつ、足元に転がった球をおもむろに手ではじく。

 ゆるく縛っただけだった為か、タオルの球は少しほつれてしまった。

「ぐぅがぁ!」

 しかし、気に入ったみたく何度もはじいて遊び始めた。

 楽しげにも見える少女の遊び姿に、私は初めてこう思った。

(思った以上に、教育が難しそうだな…。)

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