17

「まったく…、話を聞いてくれない様だな…。」

 なだめる為にと、敵意が無いことを示すために両手を上げていたが、どうにも逆効果な様子。

 うねり声を上げたままに少女は少しずつたじろぐ。警戒は一層険しく、華奢な印象のある少女からは伺い知れない程の剣幕した表情で睨み付けてきていた。

 いつ襲いかかってきても不思議ではない状況だ。

「なぁ、話を…。」

「ぐぁああ!」

 苦笑いながら一歩だけ歩み寄った瞬間だった。

 突如として飛びかかってきた。長椅子を蹴り倒し、真っ直ぐに飛び付いてくる。その身のこなしは猫を彷彿とさせていた。

「おぉっと!」

 男は身をよじらせた。襲いかかってくる事がわかっている以上、避けることは差程難解なことではなかった。

 しかし、運動不足からなる体力の衰えのせいか、そのまま尻餅を着くだらしの無い着地となってしまった。

「あだっ!」

 そして、少女はと言えば、着地と同時に長椅子を蹴散らかす有り様。元々荒れた礼拝堂だったが、少し暴れただけで瞬く間に荒廃した廃墟へと変貌させていった。

「あだだ…。」

 腰を押さえつつ立ち上がる男は少女の正体に気付かされた。

 この子は野生児だ。自然に動物に育てられた子供だ。

 ならば話は早い。野生しか知らないと言うのなら、それ相応の方法で宥めるだけだ。

「っと言っても、こいつを与えるだけだがね…。」

 腰を強打し軽く痛めつつも、幸いにも手に持っていた干し肉と水のうは手放していなかった。

 散乱する長椅子の上に少女はまた同じ体勢を取っていた。爪で長椅子の座面を掻き、腰を上げてまたいつでも飛びかかれる様にしていた。

「そう怒るなって…。」

 男はゆっくりと右手の水のうを地面に置き、そっともう片手の干し肉を少女に見せつけた。

 生肉と違い、薫製してある干し肉は匂いが強く前に突き出しただけで少女の鼻孔に匂いが入り込んでいった。

 当然と少女の興味は干し肉へと移る。じっと見つめる先は干し肉しか映らなくなっていた。

「腹、空かしてただけだろ。

ほれやるよ。」

 一枚の干し肉を男は少女目掛けて投げつけた。ゆっくりと下投げで、少女が空中でも取ることが出来るように。

「がぁあ!」

 まるで曲芸の様だった。

 空中を舞う干し肉に少女は飛び掛かりそのまま口で噛み付いた。

 男の目の前に降り立つと、一心不乱に干し肉を貪る。少し堅いはずの干し肉だが、少女の小さい牙によって瞬く間に削り減っていった。

「…とりあえずって感じか…。」

 緊張の糸が途切れた。それと同時に操り人形のピンと張られた糸が切れた様に男はその場に崩れた。

 まだあどけない少女と言えど、運動神経の低いこの男では、組み敷かれれば少女を引き剥がす事も難しく、首筋でも噛み千切られたならば、男とて助からなかっただろう。

「がぁあう。」

 項垂れている男に向かって、少女は顔を起こしていた。何かを訴えていたが、男はすぐにそれが何かを理解していた。

「ん?あぁ…。ほれ。」

 もう一枚、自分用にと持ってきていた干し肉をもう一度少女の目の前に投げた。

 そしてまた少女は器用にも口で取るなり、そのまま貪り始めた。

「なんだ…、うん。

厄介なもんを拾っちまったなぁ…これは…。」

 この時ばかりは後悔をしていた。

 先ほどよりも、より悲惨に散る礼拝堂の長椅子や大食らいの少女に目を背け、ただ暴れまわられたが故に、もくもくと中を舞うホコリをぼんやりと男は眺めるのであった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る