10
幌は焼け、すでに黒く焼け焦げ始めた。
馬車を支え続けていた柱も燃え始め、大きな火の手へとなり、焦げ付く肉の臭いもし始めていた。
彼女にはその炎を消す術も手立てもない。かの炎が自身に襲いかかれば、この折れた足では逃げることも叶わない。
そんな中に自ら望んで入ろうとしている。正気の沙汰でないことを、妖精人は十二分に承知していた。
しかし、それでもと自身に掛けた呪いの如く、「檻を見つける」っと使命をうわ言に炎を眼前に捉え、怯えすくむ心を振り払い這いずり進む。
「…無事だった様ね。」
途端、木の上から声をかけられた。
燃え盛る炎が強く辺りを照らし、高い木々の隙間にも光りが届き、うっすらと人影が見えていた。
枝を伝いながら木を降り、膝をつき妖精人の前に降り立ったのは、蒼い瞳のもう一人の奴隷だった。
左肩を押さえ、露出する肌にはいくつかの大きな切り傷や打撲があるが、軽傷ですんだ様だった。
「なんのつもりか知らないけど…。
そっちはダメよ。焼け死んでしまうわ。」
地べたに横たわる妖精人を抱き抱え、ゆっくりと起こし上げる。蒼い瞳の奴隷が肩を貸して身体を預けさせた。
その時に気付いた。
彼女の容態。深刻さに。
「貴女、その傷…。」
「お願い…。檻を探して…。
あの子も救われる必要があるわ…。」
妖精人は体を預けながらも、炎の方へと歩もうと折れた右足を前に出した。
皮膚だけでぶら下がっているだけの右足。
素足の爪先は炎の端に触れ、赤くただれてしまうも、彼女はその一歩をやめようとはしなかった。
「…善人、いえ聖人か何かのつもり?」
すぐに蒼い瞳の奴隷は炎から体を反転。
籠からぶら下がった草花の様に妖精人は力無く振り回されるだけであった。
「逃げるのよ。今なら誰も見ていないわ。」
蒼い瞳の奴隷にもこの状況は良くわかっていた。
事故による逃亡。奴隷の証とも言える足枷も首輪もそもそも付けられていない。
何よりその奴隷と言う事を証明する商人がもう居ない。きっと落下の最中であの炎で焼け死んでいるはず。
千載一遇だ。今逃げるしかない。
「それにあの中に檻があるのなら…。
可哀想だけど、諦めるしかないわ。」
蒼い瞳の奴隷はただ単にこれ以上の荷物を持つ事を良しとしない一心からの言葉だった。
慈愛…、きっとこの妖精人はそんな心から、助けたいと願った。
ただそれだけの事だと、蒼い瞳の奴隷は思っていた。
「…なら、離して下さい。」
しかし、それは彼女の逆鱗に触れる事には十二分に足りる言葉だった。
「私は、檻の中を見ました…。
あの子は救われるべきです…。
何としても救うべきなんです…!」
かすれ声を上げる妖精人。
呼吸もか細く、喋る事も精一杯の身体。
しかし、炎から背いたと言うはずなのに、彼女の瞳は爛々と赤く輝いて見えた。
「………わかったわ。」
少し悩み、蒼い瞳の奴隷は従う事を選んだ。
彼女には選択する余地があったはずだった。
妖精人を見捨てるか否か。その二択が常に付いていた。
折れている右足。血だらけの身体。
いつ…、いえすぐに事切れても何らおかしくはない。この深い森を抜けて人の集まる場所に着いたとしても、助かる見込みはない。医者でなくともわかる容態だ。
それがわかている上で、蒼い瞳の奴隷は従うことを選んだ。
「少し周りを見るだけにしましょう…。
それ以上は待たないわ。」
選んだ理由、それは純粋に蒼い瞳の奴隷が彼女を羨んでいたからだった。
奴隷となり、同じ虚ろな目で商人に従っていたはずだと言うのに、今はこうもはっきりと強い意思をもっている。
逃げる事、その一点にのみ執着している事を恥ずかしく感じる程に、妖精人へと羨み…。
そして、嫉妬してしまっていた。
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