9

 荷馬車は崖下へと無抵抗のままに転がり落ちていく。

 傾斜のある崖の上からは笑い声とも取れる、汚ならしい音が響いていた。

 山を知り尽くす彼等の強襲方法は硬く重く、そして転がり落ちれば、どんなに頑強な馬車であれ破壊しつくす、白い岩を二つ程落とすだけの単純なものだった。

 一つは必死に荷馬車を運ぶ馬に。

 そして、もう一つは荷馬車本体に。

 彼等の思惑通りに大岩は当たり、そして荷馬車を崖下へと突き落とした。

 作戦通りの結果だ。あとは残骸から物資を奪うだけだ。

 抵抗する人など、大岩で潰されているはずだ。

 不快な笑い声を上げ、洞穴人(ドワーフ)達は手に持つ各々の武器を掲げ、急斜面を下り戦果の確認へと意気揚々と歩み始めた。



§



 轟音を立て、木々を薙ぎ倒しながら、荷馬車は深い森の中へと落ちた。

 荷馬車は白い大岩に潰され、見るにも堪えない有り様に。原形を保てなくなり地面に落ちるなり崩壊した。白い大岩には赤い血がベッタリと塗られ、大岩と地面の間には商人のものであっただろう腕が無惨にも転がっていた。

 荷馬車に続き、木々の隙間からは岩と一緒に馬が落ち、地面に叩きつけられた。

 落ちた馬は足の一本も、瞬きすらもせずに力なくぐったりと横たわったまま。胴体や足からは、馬の分厚い皮膚を骨が貫き飛び出してしまい、即死とみてとれる有り様だった。

 次第にぼうっと荷馬車にくくりつけていた角灯の炎が幌へと燃え移る。

 しかし、湿り気の強い湿地の森故にか、炎は燃え広がりにくく、ゆっくりと暗い森の中を徐々に辺りを明るく明確に照らしていった。

「うぅ…。」

 崩壊した荷馬車の中から、瓦礫を掻き分けて這い出てくる者がいた。

「何が…あった…?」

 血と湿り気のある苔で満たされた地面に顔を擦り付けながら、妖精人はゆっくりと這い出てきた。

 息も絶え絶えしく、傷だらけの身体。もっとも酷く損傷しているのは右足であった。

 本来の曲がるべき方向とは逆を向き、骨がへし折れ這いずり出て様と言うのに、足先は全く動いていなかった。

 すでに痛みを感じていない為か、不敏となった右足を迷惑そうに見つめながら、明るく燃え始める瓦礫と血の中からどうにかと這い出て、木の根を掴み体勢を整え、幹にしがみつきどうにか座った。

 自身の体を見える範囲で見渡し、それと同時に妖精人は死を悟った。

 腕がほとんど上がらない。右足と同じ状況かもしれない。所々切り傷や打撲を負ってしまい、血が止まる様子がない。すでに放っておけば死に体となるのは目に見えていた。

 

 ただ、諦めるしかなかった。

 奴隷になってまで生にしがみつき、必死にもがきながら生き延びたが、もう生にすがる事はできない。

 ただひっそり、目を閉じれば楽になれる…。

 

「…あの子、は…。どこに…!」

 だが、一つ。

 この命を「今」諦め捨てる事はまだ出来ない。

 一瞬だけ、あの時一瞬だけ、角灯の炎に揺られて見えた、檻の中でうずくまる、あの姿を探さなくてはならない。

 「あの子」を探し、自由にさせる。

 彼女は急転直下に自身に下したその使命によって奮起した。

 唇を力が出る限り噛み締めて意識を保ち、手放し掛けた生命にしがみついた。

 彼女は力の入らない体を奮い立たせ、今一度這いつくばりながらも、火の手が上がり始めた荷馬車へと向かい始めた。

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