夏空の花火と祭りの彼女

チクチクネズミ

祭りの後の静けさ

 毎年この時期になると、自然とワクワクする。

 湿気がむわっとする河川敷に屋台が組み上げられて、その中からソースと砂糖と醤油がまぜこぜになって焼け焦げる匂いが狼煙となって赤提灯が灯される。

 地元の花火大会は、中間テストが終わる日と重なるので疲れ切った頭と腕の休息日にしている。それがいつの日か恒例行事となっている。

 同じ学校の生徒も同じようにテストから羽を伸ばそうとカップルや友人達と共に屋台を回る。けど僕は一人だけで特別な色合いの中を夜店で買ったラムネ瓶をあおりながら通っていくだけで満足だ。


 今年も同じように会場に一番近くのコンビニに自転車を停めると、屋台のすぐそばに立っている柳の木の下に、彼女が今年も空を仰ぐように佇んでいる。

 夏の夜に溶け込むような黒をベースにした水玉の浴衣を着こみ、白い肌が良く映える。履物は高下駄と本格的な浴衣の格好だ。

 彼女は毎年のように柳の木の下で誰かを待っている。だが彼女の連れが友達か、それとも彼氏か見たことはない。いつも誰かを待っている謎の少女と僕は勝手に命名している。これもまた恒例行事だ。

 途端、後ろから人の波がドッと押し寄せてきて、僕は押し流されるように側道の押し飛ばされてしまった。

 やれやれ、今年は人が多い、夜店回れるだろうか。年々増えてくる人の多さに辟易していると彼女と目があった。


「ねえ、私と一緒に花火見に行かない?」


 一瞬後ろを振り向いたが、僕以外誰も彼女に顔を向けていない。まさか、僕? これはもしや……逆ナンというやつか?


「ここで待ち合わせている人がいるんじゃ」

「君としたいの!」


 さっきまで人形のように立っていた彼女とは思えないほどの押しの強さに毎年恒例一人花火大会の夏は終了した。


 赤提灯と蛍光灯がひしめく夜店道の間には人の黒い頭が埋め尽くされている。去年よりも人が多い。年々この祭りにやってくる人の数が増えてきて、小学生のころは会場である河川敷に座れるほどのスペースを確保できたが、最近では座れないほどの人でごった返している。

 そんな中でもコロンコロン彼女の下駄が鳴る音が聞こえる。


「ねえ、あれほしい」


 彼女がヨーヨー釣りにある飴細工のような赤い水玉のヨーヨーを指した。

 こういう遊戯系の屋台は避けるようにしたのだが、彼女が押し付けるようにせがむので仕方なしに挑戦した。三回もすぐに千切れる釣り糸に苦戦して、ようやく彼女のお望みのヨーヨーをゲットした。


「あの釣り糸が悪い。なんでヨーヨー一つに九百円も費やさないといけないんだ」

「ごめんね。私がわがまま言ったから」

「別に、君が悪いわけじゃないし。取らせないあの店が悪い」

「君ってつんけんしているようで優しいね」


 と僕が先ほど取ったヨーヨーを提げて完全装備。こうしてみると完全装備の彼女とジーンズと襟元がよれている白いシャツとちぐはぐだ。周りのカップルと見比べても、みんな浴衣を着こんで手をつないでいる。

 今更ながら自分の格好に後悔する。


「どうせなら浴衣でも着てくればよかった。なんか男女二人別の服着ていると浮いているように見える」

「気にしすぎ気にしすぎ。他の人だって普段着ているし」


 彼女が手を口に当てて平気と言わんばかりに小さく笑った。

 彼女の言うように普段着で着ている人だっている。だがやはり気にするのはするものだ。


 ゆっくりと歩きながら花火会場に到達すると、河川敷は人々の黒い頭で埋め尽くされていた。観覧場所とあってカップルや家族連れが多く密集して、少しでも人の波がうごめきだしたらあっという間に呑み込まれてしまいそうだ。

 少しでも見える位置に立とうと人の波を泳ぐようにかきわける。


「ねえ、ラムネ買わなくていいの? いつも祭りの帰りに飲んでいるのに」

「なんで僕の習慣を知ってる」

「深淵をのぞく時深淵もまたこちらをのぞいているのだ。なんてね、毎年祭りでラムネを買っていく君を見ていたんだよ」


 彼女はいたずらっ気に誤魔化した。


「ここまで来たら終わるまで買えそうにないから、今年はいい」

「ごめんごめん。あとで私が持ってきてあげるから、ね」


 花火が見えるいいポジションにたどり着くと会場に設置しているスピーカーから花火開始の声が鳴り響くと、川の向こうから赤い火が上がった。


ドン。パンッ。


 赤い花が咲いた。続いて黄色の菊の花の百花繚乱。今年も同じ内容の花火が打ち上げられていく。ふと彼女の白い顔を見ると、キャンバスのように青に、赤にと花火の絵の具が塗られていく。


「きれいだ」


 思わず出てしまった言葉を彼女に聞こえてしまったようで、にっこりと笑った。


「なんでみんな花火を見に行くか知っている?」

「ん~、思い出作り? ひと夏の恋とかもあるし」

「ヒントは花火の花言葉」


 花言葉? 僕は花言葉に詳しいわけでもないが、花火に花言葉があるなんて初耳だ。だからすぐに降参の手を上げた。彼女はちょっと面白くなさそうにぶぅと風船のように片頬が膨れた。


「花言葉は口実。誰かと一緒にいたいから、誰かがいつもの木の下でいるのが楽しみだからとかね」


 どうも彼女は何もかも見透かされているような感じだ。

 僕は、彼女が好きだ。けど誰かを待っているのにその邪魔をしてはいけないと声をかけずらかった。毎年、毎年、彼女は誰かを待っていた。でもその人は現れない。歯がゆい思いでいっぱいだった。

 そしていつしかいつまで経っても来ないその人にいらだった。僕に勇気があれば、彼女の手を取って花火を見に行きたい。

 けど僕は臆病だった。


「そうだよ。君と花火を見に行きたかった」

「よかった。私もだよ。だから私の口実も教えてあげるね」


 彼女が僕の耳にそっとささやいた。だが破裂音が鳴りやまない中では何を言ったのかよく聞き取れなかった。

 その時だった。突然人の波が動き押し流されていく。夜の闇より深い人ごみの闇が僕等を引き離す。

 どいてくれ、どいてくれと。人の迷惑を顧みずに押し分ける。そうでなければ、彼女はもういなくなってしまうような気がした。

 そして彼女が着ていた黒い水玉の浴衣姿が見えると手を伸ばす。

 すると彼女はにっこりと笑って――


「見つけてくれてありがとう」


 最後の花火が打ち上げられると、周りを闇が包んだ。

 あとには彼女はいなくなった。

 打ち上げ花火のあとのように。



 翌日の朝、僕は会場の河川敷にいた。はぐれてしまった彼女がもしかしたら僕を探しにここに戻っているかもしれないと思った。


 会場は祭りの後の静けさとはよくいい、鳥の鳴き声一つもしないほどの静かさだ。もう屋台は取り払われて、あとに残っているのは人々が捨てていった紙皿や箸とゴミが散乱されていた。

 河川敷を歩いて彼女の名前を呼び続ける。返事はない。歩いていくと小さな石碑に僕が彼女にあげた水玉のヨーヨーが下がっていた。その前には一本のラムネ瓶がお供え物のように置かれていた。


『江戸時代、少女が男を待っている間突然襲った水害に巻き込まれた。その魂を慰めるために建立する』


 彼女はここの霊だったのだろうか。それとも……

 また来年、会えるだろうか。この恒例行事はまだ続けたい。


 そうして口につけたラムネは甘酸っぱく弾けて、涙のような味だった。

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夏空の花火と祭りの彼女 チクチクネズミ @tikutikumouse

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