第36話

 サーリアは、しばし無言で、じっとヴェルニーナを見下ろしていたが、やがてそっと手ぬぐいの上からヴェルニーナの頭をなでた。そのなで方は、ヴェルニーナがシンにいつもしているものとよく似ていた。彼女がサーリアのもとに来たころに、寂しがって泣いている彼女を慰める時にしてくれたものだった。


 しばらくそれを繰り返し、サーリアはそっと両手で彼女の顔にかけられた手ぬぐいをはずした。ヴェルニーナは天井を向いて、まるで子供のようにめそめそと涙を流していた。


「腕と足をだしな」


 ヴェルニーナの様子を視線を向けずに確認すると、サーリアはやさしく命令した。ヴェルニーナも素直に包帯のまかれた腕と足をサーリアに向けて差し出した。


「まったくこの子は………無茶しすぎだよ」


 包帯をはずし怪我の状態を確認すると、サーリアはあきれてため息をついた。肩にかけていた鞄をあいている椅子の上におき、その中から手のひらに乗せられるくらいのつぼををとり出す。そして、サーリアは、つぼの中のものを二本の指ですくって、彼女の足の傷に塗りこんでいく。


 痛みにヴェルニーナが苦痛の声をあげると、サーリアは短く、がまんしなと言い、おかまいなしに続けた。足の傷が終わると同じように腕の傷に塗りこんで、それも終わると今度は清潔な包帯をとりだして、手馴れた様子で丁寧に巻いていく。


「痛かった」


 いつの間にか泣き止んでいたヴェルニーナが、涙の跡もそのままに、鼻にかかった声で文句をいった。サーリアは手の動きをとめ、彼女の頭を一回なでてから、そうかい、とちいさく苦笑して答えた。


「はじめてあったとき、あの子は私に向かってわらってくれたの」


 サーリアに無防備に腕を差し出し、天井に目を向けながら、彼女はぽつりといった。目の焦点はあっておらず、どこか遠いところを見ているようだった。


 サーリアは包帯を巻きながら、しずかに聞いている。


「それが、すごくかわいくて………そのあともずっと私をみても目をそらさないで、手を握っても逃げたり、嫌がったりしないで、そのまま同じままで………」


 サーリアは返事をしない。

 ヴェルニーナは、かつての、まだ少女だったころの口調のまま、黒髪の少年との出来事を報告する。まるでちいさな子供が、大切な自分だけの宝物を自分の親に見せるように楽しそうに。やがて、ヴェルニーナの報告は言葉につまるように、とまった。


 包帯を巻き終えたサーリアは、鞄から、金属のような布のような、薄い光沢のあるものをとりだして、包帯の上から巻いていく。それを終わらせるとヴェルニーナに向かって尋ねた。


「何があったんだい?」


 ヴェルニーナはシンの笑顔に仮面を見つけたのだという。

 そして、それを見落としたことに気づき、自分の目が信じられなくなったのだと。


 あの子だけは違うと思ったのに、最初からそうだったのではないか。すべて自分の願望で、本当はあの子も、いままでの他の人と同じように、心の中では自分を哀れんで、かわいそうだと思って、笑いかけているだけではないのか――――


「ヴェル、ヴェル」


 きらきらと、ちいさく照明の光を反射する布に魔力を流し込みながら、サーリアは、ヴェルニーナを二度呼んだ。かつて彼女によくしていた懐かしい呼び方だった。彼女に大切なことを教えるとき、そうするのがサーリアの癖だった。


「その子の隠しているものを見たのかい?」


 ヴェルニーナはそれを聞き、小さく首を二度ふって、サーリアの言いたいことを理解はする。

 だけれども、頭の中では理解できても、心の中ではそうはいかなかった。


「でも、でも、だから怖いの」


 あの子が何を隠したのか、わからない、でも、だからこそ恐ろしい

 もしも……もしも、やっぱりみんなとおなじだったら

 だって……だって、私はこんなに――――


 かつてサーリアは、このあわれな竜にかけられた呪いを解こうとしてみたが、ヴェルニーナにかけられたものは、やっかいで簡単にはとけず、うかつな手出しもしにくかった。


 なぜならば、その呪いは嘘を塗り固めたわけでなく、事実と彼女の経験で出来上がってしまっていたからだ。また、なぜならば、彼女の両目は、小手先のやさしさを並べた嘘などは、簡単にみやぶってしまうからだった。解呪の呪文は真実だけで出来ていて、そしてサーリアはその呪文をもっておらず、唱えることもできなかった。


 しかしいま、どうやらその時がきたようだ。銀竜の呪いをとくものが、ようやく彼女の前にあらわれた。ヴェルニーナの話を聞いて、この賢者はそう判断し、自分の役割をはたし始める。


「ヴェル、ヴェル」

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