第37話

「ヴェル、ヴェル」


 サーリアは、ヴェルニーナの背中にそっと手を差し込んで上体を起こす。そして彼女の両ほほに分厚いての平をあてて、青い目を覗き込むようにしてじっと見つめた。彼女のすこしうるんだ目は、呪いにとらわれて、不安と恐怖に揺れていた。


「むかし言ったことを覚えているかい?」


 お前のこの目は、真実を見抜く青い石だ。サーリアは彼女の頭をやさしくなでながら言う。


 それはかつて、ある絵本のおとぎ話に出てくる姫の持つ美しい青い石になぞらえて、サーリアが彼女に言った言葉だった。サーリアの太い親指が、彼女の目の下をそっと縁取るようになでる。


「お前のこの目は強すぎて、見たくないものも見なくていいものも、なんでもかんでも暴いていしまう。それはお前が一番知っているだろう?」


 サーリアがやさしくそう言うと、ヴェルニーナはうなずくように、一つゆっくりまばたきをする。そのことは、彼女が身に染みて知っていた。彼女の目の鋭さは成長するにつれ力を増し、しかしそれゆえ持ち主を傷つけ続け、今また彼女を閉じ込めている。


「お前はそれでさんざん苦しんできた。でもね、だからこそ、お前がずっと見ていたのなら、きっと大丈夫だ。お前はきちんと知っているはずだよ」


 サーリアの深い森に響くような、低くてゆっくりとした声に、ヴェルニーナは少し沈黙した。だがやがて、師の片手に自分の手のひらをそえて、でもそれでもと抵抗をはじめる。


 私は一度見落とした

 最初に間違っていたかもしれない

 あの人たちと同じものを隠していたら

 だって私はこんな姿だ


 同じ呪いの呪文を繰り返し、自らそれに縛られて水の底へ沈んでいこうとするヴェルニーナを、サーリアの声が響いて、押しとどめ、みなもへと引き上げる。


「ヴェル、ヴェル、落ち着きな。一度間違ったからって、全部がうそにはならないだろう?それに、その子が後ろに隠しているものは、みんなとはきっと違うものだ」


 どうして、どうして、そんなことがわかるの、会ったこともないじゃない


「だって同じものならば、その子がどんなに隠していたってお前にわからないわけがない。何度も何度も見てきただろう?」


 ヴェルニーナは師の体によりそうように自分の体をよりかけて、黙ってその言葉を聞いている。


「だからね、お前にまだわかっていないなら、その子が隠しているものは、お前が怖がっているものとは違うものなのさ」


 だから、お前は目をしっかりひらいて、それを見てきなさい、そうサーリアはいった。ヴェルニーナはいつの間にか、サーリアの太い幹のような体に抱きつくように体を寄せていた。


「でも……でも……」

「ヴェル、ヴェル、お前にあと必要なのは勇気だけだ」


 ヴェルニーナは、身を寄せたまま、いまだ不安げな青い目でサーリアの顔を見上げた。


「…………勇気」

「その子がきっと勇気をくれる。いままでずっとそうだったんだろう?」


 だからしっかり見てくるんだと再び言うサーリアの穏やかな声に、ヴェルニーナは押し黙る。しばらくするとサーリアはゆっくり彼女の手から身をはずし立ち上がった。そして手と足の怪我の様子を確認すると、もう動けるだろ、と言いながら彼女をベッドから立たせた。


「もうこんな時間だね。早く帰ってやりな、いつまで一人にしておくんだい?」


 ヴェルニーナはそれを聞くと、暗くなっていた外の景色を見て、甘えさせてくれる時間は終わったと理解する。彼女のやさしくも厳しい師は、昔からただ泣いて逃げることを許してはくれないのだ。ヴェルニーナは黙ってもう一度サーリアの胸に顔をうずめ、こすりつけるようにしてから、帰ると短くいい部屋を出る。サーリアは彼女の頭を二度なでて無言で見送った。


 部屋を出ると、廊下にディーネが心配げに待っており、開けた窓に両肘をつけて外を見ているジェイクと何か話していた。


「ヴェル……」


 ヴェルニーナの様子にほっとしつつ、ディーネは名前を呼び、預かっていた彼女の上着をそっと手渡した。ヴェルニーナは小さい声で礼を言って受け取った。ジェイクは黙って、もう日の落ちた外の景色を眺めたままだった。だが、それ以上の会話はなく、家へと向かうヴェルニーナの背中をディーネは見えなくなるまで見つめていた。

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