第2話
ヴェルニーナはいつになく緊張していた。強大な獣に対しても平常心で立ち向かい、およそ緊張や不安という感情から程遠い存在である彼女には、とても珍しいことであった。
が、いつまでも迷っている時間はない。彼女はいまとある奴隷商の商館の前にいた。このようなところでいつまでも立っていては、あらぬ誤解を招きかねない。
いや、彼女がここに来た目的は、まさに奴隷の購入であるのだから、誤解というのはおかしいわけだが、いずれにせよ外聞というものがある。竜騎士としての立場的にはもちろん、ヴェルニーナの容姿からもあまり望ましくなかった。
ヴェルニーナの容姿は美しいとは言いかねるものだった。端的に言うと醜い。また、ヴェルニーナの持つ力ゆえに彼女は他者、とくに異性から極めて好かれにくい存在だった。いまだかつて彼女にいいよった男はおらず、必然、恋人などいるはずもなかった。
とはいうものの、ヴェルニーナとて一人の女性であり、女性として人並みの欲求はもっていた。 パートナーとなる男性にあこがれてもいた。
要するに男がほしい、というわけである。
しかしながら、ほしいといって、そうですかでは俺が、ということにはならなかった。何人かにアプローチを試みたが、まず近づくところから難しかった。彼女は生まれつき強大な力を有しており、それゆえ人は彼女におそれを抱いた。現在はある程度力を隠す術を身に着けたものの、それは彼女にとってそれなりに難しいことであって、気を抜けば人は彼女を恐れ離れていくのだった。
まずもってそういった事情があり、親しくなるのは推して知るべし、である。
彼女と普通に会話できる異性という存在がそもそも貴重ではあった。
また、そういった男性は大きな力をもっているがゆえ、彼女と普通につきあえるのであるが、今度は逆にそういった男性は女性からも好まれやすい。そうすると今度は彼女の容姿の問題で、彼らが彼女を選ぶことはあまりありそうもない。というかなかった。
彼女は多感な時期からそういったことを思い知らされてきたので、一時期あきらめを抱き、力を磨くことに打ち込んだ。だが修行を終え、一定の評価を得た今、彼女はまた男性を欲するようになったのだった。
しかし現実は非情だった。まず穏やかな気質が好みな彼女はある男性にアプローチをかけたのだが、気弱なその男性は、ヴェルニーナに好意をもたれている、という現実に耐えられずに俗世を捨て宗教に逃げた。
最後に見た恐怖に引きつった彼の表情にヴェルニーナは傷つき、普通の恋は無理だとあきらめた。
だが、今から長い人生を一人恋も知らずにいきていく、ということまで許容することはできなかった。そこでヴェルニーナは、かつて依頼で知り合った奴隷商に頼み込み、奴隷を購入したのだった。
しかし現実は非情であった。奴隷であれば、身分上ある程度の我慢を期待し、またそういった約束で購入したのであるが、いざことに及ぶ段になって、その奴隷は耐え切れずに逃げ出した。
奴隷が逃亡するのは契約違反であり、重罪とされていた。法的にはある程度、人道的な保護がなされているのであるが、逃亡はもっとも重い罪とされ男は契約違反により重労働を強いる犯罪奴隷へと身分を落とされた。
ヴェルニーナはまたしても深く傷ついた。その男を愛していた、というわけでもないので、振られたのはそこまでこたえたわけではない。お互いそういう約束だったと割り切っていたし、彼女としては約束が果たされていればそれで満足だった。
しかしながら、男は逃げた。緊張した彼女が、うっかり気をもらしてしまい、男は恐怖から逃げ出したのだった。逃亡は重罪である、と知っていたにもかかわらず。
そこまで嫌なのか……
だれもが知っている常識を一瞬わすれさせるほど、他者に、異性に嫌われる自分という存在をヴェルニーナは激しくのろい、またしても大きく傷ついたのだった。
さすがに万策つきたと思った彼女は、将来は尼にでもなるべきか、もしくは孤児院でも開こうか、いやでも子供に怖がれるので無理だなあ、と益体もないことを考えながら日々を鬱々と送っていた。
そこにかつての奴隷商から使いの者が来たのだった。
いい奴隷が見つかったので、顔あわせに来てもらえないだろうか―――
ヴェルニーナは半信半疑であったが、駄目で元々だろうと思い直し申し出をうけ、奴隷商の営む商館に訪れたのだった。
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