奴隷はご主人さまに好かれたい
たかくん
第一章
第1話
その日、僕は世界から零れ落ちた。比ゆ的にドロップアウトした、という意味ではなく。
いつものように部活を終えて帰宅途中、突然目の前が暗くなった。高いところから落ちるような、それでいてふわふわ浮いているような、一瞬かそれとも長い時間だったかもわからない。
気づいたら見知らぬ場所に立っていた。
突然のことに混乱し、右も左もわからずにさまよった。疲れきって、空腹でたおれているところに通りかかったのが、よく言って人さらい、という見た目の男たちだった。抵抗する気力も体力も、もっと言うと意思も持てなかったので、あっさりと捕まった。そして首尾よく身ぐるみはがれたあげく、これまた怪しげな男に引き渡された。
粗末なボロを着せられて、檻つきの荷馬車に乗せられた。乱暴者たちだったようで、ずいぶん手荒に扱われた。制服を脱がされるときだけ妙に丁寧だったのを覚えている。檻にいた先客の人たちは、みんな同じような粗末な服を着て暗い顔をしていた。どうやら人身売買されたらしいということは嫌でも察することができた。
乗せられている馬車は、頑丈には見えたけれど、近代的というよりは時代劇でみるようなつくりだった。大柄な女たちが馬に乗って一緒に走っていたが、彼女たちは剣を腰や背中に下げていて、その様子は時代劇というよりは昔見たファンタジー映画に近いかもしれない。
今いる街は、途中の村よりは立派で、石造りの高い壁に囲まれていたし、道も舗装されていた。
人の数もかなり多かった。ガラガラと舗装された道を抜けて大きな建物についたところで降ろされた。
檻から出るのは入れられてから初めてだったので、久しぶりに解放感を少し感じたけれど、建物の中の別の部屋に詰め込まれるまでだった。
入れられた部屋は窓のない殺風景な部屋だった。薄暗い照明が入口から遠い奥の二隅の壁に灯っていた。
一緒に連れられてきたのは僕を含めて八人で、それなりに広い部屋には茶色い布が人数分用意されていた。どうやら僕たちの寝床らしいと気づいた。
僕たちを連れてきたのは3人の大柄な男達だった。そのうち二人に促されるままに適当に布に座りこむと、何かいいながら出ていった。何をいっているのかはわからなかったけれど、話ぶりから何か説明をしていたような気がする。でも、言葉がわからない僕には意味はないと思った。
用意されていた布はそれなりに清潔だった。おもったより丁寧な扱いから、自分が高額な商品である、ということを意識させられてしまう。寝床が清潔だからといって気分がよくなるものでもなかった。特にすることもないので周りに目を向けてみたが、皆同じように暗い表情で座っているように見えてしまう。ながめていてもさらに気がめいるだけだったので、毛布をかぶってうずくまった。
どうしてこうなったのか。わけがわからず整理もできなかったけれど、逃げるという選択はできなかった。
まず言葉が通じない。あてもなく逃げ出してもどうしたらいいのかわからなった。
それに、途中で一度獣の群れに襲われたことがあった。みたこともない大きな狼のような獣で、あんなのが普通に存在するのならば一人で生きて行く自信は到底持てなかった。
とりあえず大人しくしていれば、危害を加えられることもなく、食事も与えられてもいた。
おそらく、ここはもとの世界とは違うところなんだろうと思った。夢であってほしいとも思ったけれど、すごした日数とリアルな感覚から、現実なのだろうというのは理解できてしまった。家に帰りたいという気持ちはあったけれど、だからといって泣き叫んでもどうにもならないのだろうな、と諦めた。
この状況が夢でなく現実だとして、じゃあ自分はこの先どうなるのか、というのを考えた。まず間違いなく、人身売買されようとしているのだろう。この世界だと奴隷はいるのだろうか。男の自分だと肉体労働させられるのだろうか。言葉もわからない僕にはその程度の使い道しかないだろうと思う。厳しい仕事だと耐えられるだろうか。
帰る、という選択はできそうもなく前向きに考えようとしけれど、特に明るい要素も見つけられず、かえってもっと落ち込みそうだったので、僕は考えるのを拒否することにした。
それから数日の間、同部屋の何人かが呼ばれてそのまま戻ってこなかったり、戻ってきたり、また呼ばれたり。そういうことが何度か繰り返されて三人が減り、いまは五人になっていた。呼ばれた人の表情はとくに悲壮感あふれる、というほどでもなかったので僕は少し安心した。
そして今日はどうやら僕の番だったようで、男が二人入ってきて部屋から連れ出された。まず、風呂にいれられた。いままでは時々水浴びはさせてくれたことはあった。けれど、風呂は初めてで、男二人がかりで念入りに洗われた。風呂にはいったというよりは、洗濯された気分だったけど、それでもさっぱりして気持ちがよかった。
そのあと小奇麗なシャツとズボンを着せられて、隣の建物に移動させられた。もといた建物よりも立派なもので、中は絨毯が敷かれていた。靴も渡されて履いていた。その靴越しでもふわふわと歩きごこちがよく上等なものだとわかった。
男二人に挟まれて、きょろきょろしながら歩いていると、前の男がひとつの扉の前で立ち止まった。男がコンコンとはっきりした音で二回ノックすると、中からこたえる声がした。扉を開ける前にもかかわらず、男の態度が明らかに丁寧なものに変わっていたので、中にいるのが身分の高い人なのだろうと予想がついた。
うながされて中に入ると、派手な身なりの女がいた。でも、その女の顔を見てびっくりした。金髪の髪をなびかせている女の顔は、非常にアクが強かった。二本の眉は太く力強いもので、鼻は彫刻のように形よく立派だった。唇は分厚く、けれど艶やかで真っ赤な口紅が塗られていた。顔のパーツそれぞれは、形よいものではあったが、どれもこれもが大きなものだった。全体の印象は昔見た劇画調なマンガの登場人物みたいだった。
女は右手を腰にあてて立っていて、真っ赤な唇の両端はグっとつりあげる笑顔は迫力があった。全身から自信と活力がみなぎっていて、正直に言うと少し怖い。でも怖いと思っているのを知られるのが怖かったので、できるだけ冷静にして静かにしていた。
部屋にはもう一人いて、そちらも身なりからして女性のようだったが、女と向かい合うようにして立っていたので、後ろ姿しかみえなかった。
そうしてゆっくりと振り返った彼女をみて、僕は文字通り息をのんだ。
銀色の美しい髪は少しウェーブがかかっている。薄く細い眉は髪と同じ銀色で、切れ長の美しい目は青い宝石のようにきれいだった。鼻筋はまっすぐ通って薄くかわいらしい唇は、小さな花びらのようでそれでいてとても柔らかそうで、小ぶりの美しい顔にきれいに配置されていて……
なんてきれいな人なんだろう……
月並みな表現しかでてこないほどにきれいな人だった。年齢は二十は超えているのだろうか。僕はしばし呼吸を忘れたように見蕩れていた。
二言三言、やり取りの後、彼女は僕の目をじっと見つめてきた。
僕はというと、いまだに見蕩れていたのでそのままじっと見返して、しばし二人で見詰め合っていた。奥の女がまた何か声をかけると、彼女はゆっくりと僕に手を伸ばしてきた。
惚けていた僕の頭に手を置いて、しばらく固まったようにこちらを見た。何か意味があるのだろうか、と少し不思議に思った。けれど、この人に触れられているのは嫌ではない、というよりはとても嬉しかったのでそのまま大人しくしていた。
彼女は僕の頭をしばらくなでていた。そして、その手を下にすべらて、手の甲で僕のほほをなで始めた。あやすようなやさしい動きで、ひんやりとしてするりとした手の感触が気持ちよくて。何より、彼女の美しさに魅せられて。僕は、気づいたら目を閉じて、彼女のぬくもりを堪能してしまっていた。
どれくらいそうしていただろうか。コホン、と咳払いの声が聞こえた。
僕はびくりとしてわれにかえると、彼女もまた手を放し、奥の女と話始めた。彼女の視線がはずれてしまったのが残念で、女に不満を抱いたが視線を向けるのも怖かったのでそのまま静かに彼女の手の感触を反芻した。目線は彼女に釘付けだったけれど、とくにはずす必要も感じなかったので、彼女が後ろを向いているのをいいことにただじっと見つめてしまっていた。
しばらくして、女が僕に目をやりながら何か言うと、彼女はびっくりしたようにこちらに振り返った。ちょうど僕と目があう形になると、驚いたような顔をして何か話しかけてくれた。
当然意味もわからなかったけれど、心地よい、きれいな声で話しかけてくれたのがとてもうれしかった。でも何もこたえられないのが嫌だったかもしれない、反射的に笑顔だけ返していた。僕にしては珍しく、本当に自然に笑顔が出てしまったと思う。
すると突然、彼女が固まったように動かなくなった。なんだ?何かまずいことをしたのだろうか。彼女の態度の急変に不安になった僕は、わけもわからず同じく固まってしまっていた。
突然、ぱんぱんと、手のひらをうつ音がした。女が大きな声を出しながら男を呼んだようだった。すぐに扉がノックされ、男が入ってきて連れだされてしまった。もといた部屋に戻されて、元いた場所に座り込み、僕はだめだったことを知ったのだった。
こちらにきてからいいことはなかったけれど、僕ははじめて露骨に大きく落ち込んだ。
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