そして私は叫んだ 下

「はい、すいません。お邪魔いたしました」

 ディレクターは頭を下げ、ドアを閉めると、すぐに俺に小声で聞いてきた。

「全部屋見たか? 子供は?」

 俺は首を振って小声で返す。

「いないっすよ。盗聴器の捜査って名目ですからクローゼットの奥やキッチンの下、トイレのタンクまで全部開けて覗きましたけど、音を出すような物すら無いです。まだ、声続いてるんですよね?」

 俺の後ろにいた業者の男はゆっくりと頷く。

「ええ。まだ聞こえます。でも、僕達の足音やチャイムの音が聞こえないんですよ」

 ディレクターは腕を組む。

「このアパート、防音がしっかりしてそうだからなあ……。こういう時、安普請のとこは良いよな。隣の音が筒抜けだから犯罪率が下がる。ははは」

 俺は酷い冗談だと秘かに顔を顰める。

 ディレクターは、じゃあ――アパートの裏の家に行ってみますか、と言いだした。

 俺の背筋に悪寒が走った。

 しまった。

 この人、飽きている。もう、この探索に飽き始めているのだ。

 それはまずい。

 もしかしたら声の主には、時間があまり残されていないのかもしれない。とするなら、ここでの取りこぼしは、声の主にとって致命的な事に繋がるかもしれない。

 俺はディレクターの腕を掴むと、残る一部屋、二階の一番奥のドアを指差し、何故か愛想笑いを浮かべて声を潜めた。

「とりあえず、後一部屋だけですし、物は試しで――ね?」



 チャイムの音がはっきりと聞こえた。

 たすけだ!

 誰かが来てくれた!

 信じられない事かもしれないが、私の声が届いたのだ。

 ドアの開く音がする。

 家主の声がする。

 私はここ!

 早く! 早くたすけて!



「……テレビの盗聴器探し、ですか? ああ、観たことありますよ……え? もしかしてうちに? うっそ!?」

 おっとりとした顔の女性は、目を大きくして驚いているようだった。俺は頭を下げ、取材をさせてもらっていいでしょうか? 家の中をプロが捜索し、放送の際にはプライバシーの判らないようにモザイクを云々と言いながら、部屋の中に目を走らせる。

 他と間取りは同じで、玄関を入るとすぐに台所で、左側にトイレと風呂場。そして隣にクローゼットが壁に埋め込まれた部屋が一つだ。

 あれ? と俺は声が出る。

 台所の収納は全て開けられており、そこには皿の一枚すら入っていなかった。床にはバケツと雑巾。よく見れば女性は腕をまくってゴム手袋をしている。

「お掃除中……でしたか」

 ディレクターが俺の横から顔を中に入れると、ん? と声を出す。

「っていうより、引っ越しの前みたいな……」

 女性はにっこり笑った。 

「はい。家財道具は新居に移して今日は最後の大掃除です。寝袋を持ってきたんですけど、多分オールになっちゃうかな、って」

 ああ、と俺は納得する。女性は溜息をついた。

「明日の朝、ゴミ出ししたら、ようやく引っ越し完了です。燃えるゴミの日ですから丁度いいんですけど、結局いつもギリギリになっちゃって……」

 ディレクターがニヤニヤ笑いながら、律儀ですねぇと言う。

「業者さんに頼むとかすればいいのに……それとも他に理由があったりするんですか?」

 女性はちょっとムッとしたような顔をした。

「……まあ、性分なんです。自分で汚したものは自分で綺麗にしないと気が済まなくって」

 業者の男性が玄関に体を押し込んできた。

「すいません、お聞きしたいのですが、コンセントに刺さりっぱなしのタップなどは有りませんか?」

「はい、無いですね。全部新居に持って行っちゃいました。テレビとかの家電も無いですよ、ほら……」

 女性は横にどいてくれた。

 俺が頭を小さく下げる間に、ディレクターはどうもと言いながらすたすたと隣の部屋まで歩いていく。カメラマンが女性にお辞儀をすると、ディレクターに続く。

「ホントだ……何にもありませんねえ。でもコンセントの中に仕掛けられているという事も――あ、この荷物は?」

 女性も隣の部屋に向かうと、入口で腕を組んだ。

「そこにあるのは、明日捨てるゴミです。もう古いガラクタですよ。あ、掃除が終わってないんで、部屋の隅に埃が――あそこって撮らないようにしてもらえませんか? コンセント周りも拭いてないし……」

 その時、俺は肩を叩かれた。

 振り向くと、業者の男が顔を歪めている。

「……なんですか? もしかしたら、僕らの声が聞こえ――」

 業者の男は首を振った。

「そうじゃない、そうじゃないんです。そもそも――根本がおかしいんですよ」

「……は?」

「あの音声は、その――クリアすぎるんです。生活音の類が一切入っていないうえに、何の干渉も受けていない……まるで、あの機器の中で喋っているみたいにクリアなんですよ。

 だ、大体近づいたら音が大きくなっていくのだって変で――」

「ちょ、ちょっと待ってください。何の話をしているんですか?」

 業者の男は額の汗を拭った。

「……あるんですよ、そういう噂が。大きな声じゃ言えないんですけど、本当に稀に、『そういう声』を拾っちゃうことがあるって――」

 その時、隣の部屋から女性の悲鳴が聞こえた。



 男の人二人が私を見下ろしている。

 部屋の入り口には、あの家主が口を抑え立っている。

 そいつが――そいつが、明日私を捨てるって言ってるんだ!


 そして私は叫んだ。

 全ての力を振り絞り、声を上げた。

 たすけて、と叫んだ。



 俺は女性を押しのけ、部屋を覗きこんだ。

 おそらく女性が言っていたゴミの山の中、黄色いクッションの横に置かれた薄汚れた人形が、両手をぎこちなく動かしながら叫んでいた。

『たすけてぇ! たすけてぇ! そいつに捨てられる! たすけてぇ!!』

 カメラマンがどすっと音を立てて壁に寄りかかる。

 この声――探知機から聞こえていたのと同じ女の子の声。

「……その、で、電池、抜き忘れた――――とかですよね?」

 ディレクターの擦れた声に、女性は脂汗を流しながら首を振り、いきなり俺を押しのけると、外に駆けだしていってしまった。

『あなた達、私をたすけに来てくれたんでしょ! ありがとう! ありがとう!』

 人形はがたがたと揺れながら叫び続ける。業者の男が呻き声を上げ、トイレに駆け込む。

 立ち尽くす俺の横で、そのまま撮ってろ、とディレクターはカメラマンに言うと、部屋を出てスマホを取り出した。

「あ、あの――ど、どこに――」

 俺の質問に振り返ったディレクターは、目をギラギラさせながら笑顔を浮かべた。

「は、ははは、お、俺が前、手がけた番組で、その、そういうのをお炊き上げしてくれる寺があるんだよ。護摩木と一緒にぼーぼー燃やすんだ! そこに、あ、あいつを持っていって、それを撮れば、ほら! 心霊特番で、すげぇ視聴率に――」

 真っ白になっていく俺の頭に、人形の感謝の言葉が木霊していた。


 了

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