一章一話『いざダンジョン!金を稼ぐために!』

 暗い地面の下。無数の咆哮、無数の雄たけびが上がる。誰も彼もが命がけ、命のやり取りがそこかしこで行われる。凶刃に倒れるもの、勝利の雄たけびを上げるもの。千差万別の物語が、この地で繰り広げられていた。

 暗い地面の下。無数に伸びる道をひたひたと歩く者がいた。

 見る人が見れば場違いなほどの軽装。胸当てに、東の地方特有の『和服』なるものの中の『着流し』と分類されるものに身を包む少年は、しかし、そんなことはお構いなしにすたすたと歩いていく。

時折響く声は根源的な恐怖を駆り立て、音の発生源は異物を排除しようと得物を探し求めて歩く。そんな一般的な世界とはかけ離れたその地で、少年は小剣片手にぶらりぶらりと歩き回る。

 やがて、一体の怪物が、少年の歩く道へとふらりと現れた。しわがれた肌に奇怪な叫び声をあげて、小さな体躯の怪物が少年に襲い掛かる。それと同時に一斉にひび割れる地面や壁や天井。少年の背後に潜んでいた別の怪物たちが、同胞の行動に合わせて得物を狙って飛び出した。

 それを見た少年はしかし、悠然と――――――


◇◆◇◆


 晴れ渡る蒼穹、それを眺めながら少年は空腹を訴える己の腹をさする。

 はぁ、金が欲しい。できれば可愛い女の子も。それと暖かい飯にふかふかのベットもほしいなぁ、などと現状を顧みない大層な願いが少年の頭の中を占める。

 絶賛空腹中の、夜空のような深い藍色の髪の少年―――レンリ・レンリスは人々があくせく働く真昼間からいつもの寝床で仰向けになっていた。


「いやーしかし、稼ぐために来たのに稼がせてくれないなんて困った街だぁ。」


 大陸の東端から馬車を乗り継いで半年。ようやくたどり着いた街のとある場所で働こうとした矢先、お金がないなら働かせられないと門前払いを受けたのだ。頼る親戚などいるわけもなく、当然野宿となって一週間。レンリは何をするわけでもなく、育ての親からもらった護身用の小剣を売って得た少額の金で日々の空腹を凌いでいた。住所不定無職の出来上がりである。

 この一週間のことを思い出し、仰向けなのに肩を落として項垂れるという器用なダメ人間を演じ―――演じるのではなく実際にそうなのだが―――レンリは人を待っていた。

 こんな見るからにダメ人間感を出している人間に声をかえ、あまつさえ金をやろうなどという変な輩の言うことなど、常識を携えた者なら聞く耳も持たないだろう。だがレンリは金をくれるという一言だけを信じ、ここで待てと言う指示まで素直に聞いて待っていた。お人好し、ではなくただの馬鹿である。さらに待っている間、頭の中は貰った金の使い道ばかり考えている。本物の馬鹿である。


「お待たせ!いやぁ道が混んでいてねぇ。ほら約束のお金だよ。悪いんだけど残りの半分を渡すには少しばかり頼みごとを聞いてほしいんだ。いやいや、悪い話じゃない、住むところと日々の食事を与えてやろうという心優しい提案だよ。ね?来てくれるよね?」


 体の中心線から左が淡い橙色、右が真っ白の外套という奇妙な外套で体をすっぽりと覆い、長く伸びた神を後頭部で綺麗に纏め上げた淑女。件の怪しい輩が、下卑た笑みを浮かべ、外套の隙間からほっそりとした肘まで覆う長い手袋をはめる腕を伸ばし、重たそうな袋を差し出してレンリに話しかけた。


「あぁ、それくらいなら全然いいですよ。やることもないですし。」


 ひょいっと立ち上がりそう答えるレンリ。普通、このような怪しさ満点の提案をされれば、どんな馬鹿でも怪しむし、ついていくことは絶対しないだろう。つまりレンリは類稀なる馬鹿だった。そんなレンリを少し呆れた表情で眺め、ることはなく淑女は下卑た笑顔をより一層深め、ついてきてと言って歩き出した。後ろを振り返ることもなくすいすいと歩く女の後ろを、やはり一切疑うこともせずについて行くレンリ。活気あふれる大通りを抜け、客を呼び込む店が並ぶ小さな商店街を横切り、生活感あふれる住宅街の通りの途中で細い路地に入っていく。そうしてたどり着いたそこには、小さなみすぼらしい一軒の家があった。


「ここが我が家だ。なに少し話をするスペースくらいあるさ。ほら、どうぞ。」


木の囲いについた建付けが悪い木製の低い扉を片手で開き、その状態のままレンリに先を譲る女。なるほど、建物も粗悪なら囲いの扉まで粗悪らしい。そんなことを一切気にしないレンリは、軽い調子でどうもと言って家までのアプローチを歩いていく。女も幾度かレンリにしたようなことを行ってきたのだろう、自身の怪しさやこの家のぼろさを見てなんの反応も示さず言われた通りにするレンリに少し戸惑っていた。そんなことはお構いなしに、レンリは家の扉の前で律儀に女を待つ。


「・・・君は、疑ったりしないのかな?」


「?・・・何をですか?」


「いや、その、いくらなんでも怪しいだろう?ただでお金を渡して、こんなところに連れてきて、その上こちらには一切得の無い提案をしているんだ。自分で言うのもなんだが、もう少しこう、疑うとかしないのかと聞いているんだ。」


 女は後ろめたさがあるのか、何を考えているのかわからない少年に対し、そう聞いてしまう。これから大事な話をしようというときに己は何をしているのだと心の内で自身に叱責を飛ばしていると、レンリがしばし黙考してから口を開いた。


「別に。あなたからは悪意を感じないので、疑うことはないんじゃないですか?といっても、は何を考えているかわからないこともあるのであながち正しい想像というわけでもないですが。」


 あっけらかんとしてそう述べた少年の瞳を見て、女は呆気に取られてしまう。存外なにも考えていないわけではなかった、むしろ早々に女の品定めを終えていた。まだ年若い、せいぜい18かそこらの年齢だろう少年は、見かけによらず鋭い思考の持ち主かもしれない、などと見当違いの考えを抱いた。無論、レンリは何も考えていなかった。そういえば確かに怪しいな、まぁでも別にまだなにもされてないし、その程度の考えしか持ち合わせていなかった。ともかく、そんなことを思いつつも、女はすぐに表情を切り替え、不敵に笑うと、歓迎の言葉を連ねる。


「ふふ、では、ようこそ。ここが私のホームだ。」


◇◆◇◆


「なるほど。そういうわけですか。」


 簡素な室内。レンガを積み上げた壁、隙間風が入りまくりの木組みの屋根、意外に整えられている水回りに、一人用の今にも崩れ落ちそうな木製のベット。魔石灯はないのか、ところどころに蝋燭台と半ばまで溶けた蝋燭が設置されている。家具らしい家具は二人掛けのソファーとテーブル、そして今レンリが座っている独特な形の―――四本の鉄柱が中央で交差しその先が猫の手をかたどっている―――スツールのみで、その他は周囲の壁を埋め尽くす本棚のみだった。

 女の話を聞いて、レンリは返答をどうするか考える。

 女の提案は、この家に住んでも良い、日々の食事も作ってあげよう。その代わり『ダンジョン』でお金を稼いできてくれないか。要約するとこんな内容だった。もちろん、彼女から『』を降ろしてもらうことも条件に含まれていた。


「つまり、あなたと契約者になると。契約内容はダンジョン活動。至極真っ当な、ありがちな話ですね。」


「そうだろうそうだろう!私の真摯な誘いに乗ってくれたのは君が初めてなんだ!命の危険はそりゃある!だけど君も夢を見たいだろ!?一攫千金!酒、女、富、名誉!なんだって手に入るんだぜ?ちょっとやそっとの危険なんて・・・」


「いいですよ。」


「・・・そういわずに、危険に見合う対価があ・る・・・ん・・・んん!?」


「いいですよ。ダンジョン行くつもりだったんで。他に何かできるわけでもないからあそこで困ってたわけですし。」


「・・・本当?嘘じゃない?」


 今にも泣き出しそうな顔で、女は、は確かめるように問いを投げかける。これまで幾度の失敗を経て、らしくもない詐欺師まがいの方法まで使ってこの話し合いの場までたどり着いた。それらの事情を知らないレンリでも、さすがにその声音から切実さを感じ取った。レンリ自身はそんなことはあまり関係ないのだが、あえてそれを言う必要もないことくらいは分かる。


「本当ですよ。貴方の眷属になりましょう。それでいっぱい稼いで一杯豪遊しましょう。それに、あの場で僕に話しかけてきた神様は、あなたしかいませんでした。困ってる僕を見て優しく手を差し伸べてきたのはあなただけです。割と困っていたので、すごく助かりました。」


一旦言葉を区切ると、さっとスツールから腰を上げて、対面のソファーに腰かける涙目の女神に向かって手を差し出した。


「契約、成立ですね。おめでとうございます、神様。」


「・・・うむ!そなたはこれより私の眷属、契約者だ。」


 涙をごしごしと拭って、女神は差し出された手を取り、強く両の手で握った。


「我は郷愁と慈愛の神アモル。末永くよろしくな。」


「こちらこそ。レンリ・レンリスです。末永くよろしくお願いします。」


 とんとん拍子で進む話ではあったが、後にレンリはこの日のことをよく仲間たちに語るようになる。運命の日だったのだと熱く語る様は、またいつの日か。ちなみにアモルはうれしさのあまりまた泣き出したのだった。

 しばらくうれし泣きが止まらなかったアモルを宥め、落ち着く頃合いを見計らってから今後の話をした。とりあえず契約内容通りこの家にレンリが移り住み、稼ぎ頭としてレンリがダンジョンへと潜ることは確定した。その他の家事全般はアモルが担当することになったが、改めて己の主人となった神様にそういったことをやらせるのは失礼かもしれないということに思い至ったレンリは休日の料理は自身が担当すると提案。しかしそれはアモルの強い押しにより拒否され、その代わり名一杯ダンジョンで稼ぎますと約束したのだった。武器は適当に売ってしまった小剣の代わりを買うために昼間渡された金を使っていいことになり、当座の武器の心配はなくなる。となると自然的に一番大事なことについての話になる。


「それで、『神秘』はいつ?」


「そうだね。僕と君の間にはそこまで深い決め事があるわけでもないし、今やっちゃおう。」


 そそくさとソファーの上から立ち上がったアモル。意味を察してレンリがソファー側まで移動すると、背中でいいかい?とアモルが聞いてくる。それにはい、と頷きソファーの上にうつ伏せで寝そべる。

 何が始まるか。

 それはダンジョンで金を稼ぐうえで、最も重要な行為。

『神秘降ろし』だ。

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