第67夜 クミちゃんの声
幻聴ではないんです。
決して幻聴では……精神疾患といわれればそうかもしれないし、病院に行ったらそれなりの病名をつけられて、薬を出されるんでしょう。
でも、その声は私以外の人も聞こえることがあるんです。それって幻聴とはいわないでしょう?
声の主は、小学校の頃の同級生です。クミちゃんといって、五年生にあがるとき同じクラスになったんです。いつのまにか仲良くなって、それから六年生の卒業間際まで、いつもいっしょにいたんです。
目がくりくりしていて、ちょっと縮れてはいましたが、きれいな髪をしていました。優等生で、ずっと学級委員長でしたから、私とはぜんぜん違うタイプなのですが、なぜか仲良くなったんです。
子供のことですから仲良くなったり、仲違いしたりはよくあることで、あんなことがなければ私だって、もしかしたらクミちゃんとも何かのきっかけで、疎遠になったかもしれません。あくまで仮定の話で、今となってはわかりませんが……。
忘れもしない、二月の二十日のことです。
放課後、いつものようにいっしょに下校中、クミちゃんは急に立ち止まって、
「あたし、忘れ物したから取りに帰る」といいました。
裁縫セットを忘れたのです。つぎの家庭科の授業までにエプロンを仕上げることになっていましたが、確かまだ二、三日は余裕があったはずです。それに、おうちにも針や糸があるのに、使い慣れているからといって聞きませんでした。
珍しいこともあるもんだ、クミちゃんが忘れものをするなんて……とそのときは思ったのですが、実は裁縫セットを忘れたのは、わざとだったのです。
私は結局そこで別れて帰宅しましたが、クミちゃんはその後、行方不明になりました。
警察の人に、何度も話を聞かれました。クミちゃんのお父さん、お母さんが私のうちまできて、知ってることを教えて、と泣きそうな顔でお願いされました。でも私には、いまいったくらいのことしか、わかりませんでしたので、そのとおり答えるしかなかったのです。
クミちゃんは学校に、確かにもどっていました。職員室にいた先生に忘れ物をしたと伝えてから、校舎に入っているのがわかっています。
それ以上、手がかりのないまま一週間ほどたって、卒業式で歌う合唱の練習を何度もしたり、卒業文集の原稿を書いたりと忙しくしていた頃、手紙がきました。
ええ、クミちゃんからの手紙でした。
差出人は書いていませんでしたが、確かに、クミちゃんの字でした。いつも宿題を見せてもらったり、漢字テストの採点をしあったりしていたんですから、見間違えるはずはありません。
笑わないで聞いて欲しいんですが、クミちゃんはあの日、二月二十日の午後四時四十四分に、階段の踊り場にかかっている大鏡で合わせ鏡をして、鏡の世界に閉じ込められたというのです。
そして、鏡の中の世界で、この手紙を書いているんだ、お父さんやお母さんに手紙を何回も書いたが、届かずにもどってきた。もし届いたなら、何とかして助けてほしい……。
でも、小学校六年生の私には結局、何もできなかったんです。
さすがに十二歳ともなれば、鏡の中に閉じ込められたなんて信じられませんでした。いまでこそ、クミちゃんは誘拐されてどこかに監禁されていた、「鏡の中」は何かの暗号で、監禁された場所のことじゃないかって思いますが、当時はそこまでの知恵は働きませんでした。
逆に、私が誘拐されていて同じ内容の手紙を書いたなら、クミちゃんはきっと私を救う手立てを思いついたはず……そう考えると、後悔はします。後悔はしますけれども、私はクミちゃんじゃないのだから、とどこか冷めた自分がいることも、否定できないのです。
手紙はまず両親に見せたのですけれど、同級生の誰かの悪質ないたずら、と思われたようです。内容からいっても、無理はないでしょう。
それから、クミちゃんのご両親に見せようと家まで何度も行ったのですが、どちらも働きながら、クミちゃんの行方を追うのに必死になっていたようで、会うことができませんでした。電話をしても、いつも留守でしたし、留守電にいちおう用件を録音したのですが、向こうからかかってくることはありませんでした。
そうこうしているうちに、私は小学校を卒業し、中学校に入学。子供なりに忙しくしているうちに、手紙のことも、クミちゃんのことも、しだいに忘れていきました。
次にクミちゃんのことを思い出したのは、中学二年の夏休みの近づいたある日のことです。
たまたま友達と放課後、部下中に怪談をしていて、三面鏡が怖い、合わせ鏡が怖い……という話を聞いたんです。
その場では、ふとクミちゃんのことが頭に浮かんだのですが、それもわずかの間のことで、よくあるような怖い話をしたり、聞いたりしているうちに、薄情なことに忘れてしまいました。
でも、またすぐにクミちゃんを思い出すことになったのです。部活が終わって下校中に、友達と別れて歩きだしたところで、
「あたし、忘れ物したから取りに帰る」という声がしました。
はい。そうです。クミちゃんの声でした。
あたりをキョロキョロ見回してみましたが、声の主はいません。
「まだ鏡の中にいるの。助けて」
私はほとんど半狂乱になりながら走って家に帰り、部屋に閉じこもりました。
その間も、クミちゃんの声が私を責めたてました。
「どうして何もしてくれないの?」
「寒い。怖い」
「ここには誰もいない。寂しい」
その日はもう、ごはんを食べる気にもなれず、お風呂にも入らず、布団をかぶって震えていました。お父さんやお母さんは、ずいぶん心配したようでした。
翌日、眠かったけど何とか学校に行ったんです。
見るからに具合の悪そうな顔をしていたんでしょう、友達に理由を聞かれたのですが、私にはぜんぶ話すことなんて、とてもできませんでした。人の声が一晩中聞こえて寝られなかった、ともいえませんでした。
授業中にも、休み時間や給食の間も、部活をしていてもクミちゃんの声は聞こえてきました。私はグッタリしてしまい、ただ聞き流すままの状態でした。それでもクミちゃんの声を無視しつづけて、ふだんどおりの一日を過ごすことで聞こえなくなるかもしれない、と思ったので、早退しろと友達や先生に勧められても聞きませんでした。
でも、これがもしずっと続くなら耐えられません。その日の夜、お母さんには打ち明けたんです。
クミちゃんの声が聞こえて、怖いと。
私はクミちゃんの声がするたび、ぜんぶではありませんがスマホで録音してたんです。
それをお母さんに聞かせたところ、確かにクミちゃんの声みたいだ、といいました。
これって、幻聴じゃないですよね?
病院に行ったら精神疾患てことになるんでしょうけど、私だけならともかく、お母さんにも聞こえたんですよ。
集団催眠のようなもの……確かに、そうかもしれませんね。お母さんはクミちゃんを知っているし、行方不明になったのももちろん憶えている。そういう予断があるから、私がそういったときの雰囲気でそう聞こえてしまった、とか何とか……。
他に、まちがいなくクミちゃんの声だ、という音源があるなら、専門の機関か何かに比較、分析してもらったらいいと思うんですけど。
いまも私にはクミちゃんの声が、聞こえていますけど、あなたはどうですか?
聞こえますか? ずっとクミちゃん、しゃべっていたじゃないですか。ほら、いまも。
「トラツグミが鳴いてる。トラツグミが鳴いてる」って。どうですか?
そう……そうだったんですか。それは残念。じゃあ、こっちの方。
スマホの方。音を大きくしたら、よく聞こえるんです。
どうですか?
クミちゃんの声、聞こえますか?
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