最終話 約束②

「セイ君! わぁっ?!」


 抱き着かれたリアは何とかセイの事を受け止めると、その体に手を回して姿勢を安定させた。

 衝撃を受けて椅子が傾き、ガタリと揺れる。


 一柱の神が少女の肩に手を置くと、すっかりと様変わりしてしまったリアの事をまじまじと見た。


「髪切ったんだねぇ……。ごめんね。髪の傷みは怪我にカウントされなかったみたいでさ……。風の奇跡で治らなかったんだ……」


「ううん……大丈夫。私は気にしてないから……。これね、シンシア先生が切ってくれたんだ」


「シンシア先生……? あぁ……」


 二人の世界からセイが戻ってくると、首を振り名前の出た女教師を探した。

 シンシアは魔法で集めた髪をゴミ箱の中に入れているところであった。


 振り返った女教師と、セイの目と目が合う。


「………………」「………………」


 しばらく沈黙が続いた。


 リアが戸惑いながらも両者の事を交互に見ている。


 何か、この二人の間には抜き差しならない事情でもあるのであろうか。

 お互いに見つめ合ったまま一向に何も言おうとはしない。

 自分が眠っている間に何かあったのだろうか。


 少女がそう思い、疑問に首をひねっていると、式神のハコが虚空から現れ声を発した。


「セイ様。慣れない相手に緊張するのは結構ですが、何か言っていただかないと話が進みません」


 ハコのその言葉にセイはびくりとすると、リアから離れてハコへと食いかかった。


「違うよ! 緊張なんてしてない! ただちょっとなんて話しかけたらいいか分からなかっただけだもん! 緊張なんかしてないもん!」


「それを緊張しているというのです」


「違うってば!」


「ははぁ……。それならそれでいいですから、何か言いたいことがあるなら早くおっしゃってください」


「いいともさ! そこで見ててよ、ハコさん」


 セイはそう言うと、シンシアへと近づき、改めて口を開いた。


「あの、どうも! ちょっとぶりですね、アメノセイです! こう見えて神様です。元気ですか? きょ、きょうはいい天気ですね! えーと、それから……あの……」


 出だしこそよかったが、後半になるにつれて声が小さくなっていき、最終的にセイは口をつぐんだ。

 少しして絞り出すようにして声をひねり出した。


「あ、あがめてくれても、いいんですよ……?」


「はぁ? あの、崇めるですか……?」


 シンシアが顔を引きつらせながら声を返す。

 ハコがセイの後ろによると、描かれた鳥が羽でバツ印を作りながら、主へと告げた。


「ブブー。セイ様、残念賞でございましょう。崇めろなどと、そのようなこと言ってはひかれるだけです」


「ち、違うんだ。これは言葉の綾で……」


「まぁまぁ、ここはこの万能応答対話型式神ハコにおまかせください」


「ハコさん?!」


「不甲斐ない主に手本と言うものを見せて差し上げましょう」


 ハコはそう言うと、シンシアへと近づき声をかけた。


「おはようございます。ご機嫌はいかがでございましょうか?」


 空を飛ぶ筆箱型の式神を前に、つっかえながらもシンシアが声を返す。


「お、おはようございます。悪くはないですが……」


「それは結構なことです。貴方がた人間と言うのは脆く、弱く、儚い生き物ですので、今と言う一瞬に存在しているという奇跡に感謝しつつ、涙を流して神々を崇めたてまつるがいいむぎゅ!」


「ハコさん、駄目だよ! 結局、喧嘩売ってるみたいになってるじゃないか!」


 セイはハコを掴むと胸に抱きこんで言葉を止めた。

 

 リアがその様子を見て口から小さく笑い声を漏らす。

 主従の会話に慣れていないシンシアは、珍しくもオドオドとしながら、辺りを見渡した。


 それに対して、布を小脇に抱えたバングが助け舟を出す。


「シンシア。何遊んでんだ。こいつを広げるから場所を作れ」


「は、はい! バング先生!」


 声を受けて、シンシアは恩師の指示通りに、部屋の中心部にある家具を隅へと動かし始めた。


 それを見て、リアもまた自分が座っていた椅子から立ち上がると、それを壁の近くへと運んでいく。


 少しして十分な空間が出来上がった。


 そこにバングは丸めていた布を大きく広げる。


 幾何学模様の魔法陣が描かれたそれが、シンシアの私室に広がった。


 ハコを胸に抱え込んだセイが、その魔法陣をやるせなさそうな顔で見る。


 『記述』の神であるセイには、そこに何が書かれているかはっきりと読むことが出来た。

 それどころか、この魔法陣を書くのをセイは手伝っていたのだ。


 内容など見るまでもなく分かっている。


 リアが答えを半ば確信しながらも、バングへと尋ねた。


「先生……これは……?」


 鬼教師が答える。


「召喚術の対となる送還術の魔法陣だ。『使い魔召喚の儀式』を解説する教科書に書いてあったろ。読んでねぇのかてめぇ」


 バングの言葉を聞いて、少女が記憶を掘り返した。

 確かに今床に敷かれた布と同じような陣を見たような記憶がある。


 リアは召喚の儀式の項目ばかり見ていたため、うろ覚えであったが確かに教科書にはこの陣についての記載があった。


 召喚した使い魔を、元の居場所へ戻すための魔法陣についての記載が確かにあった。


「セイとか言ったな……。てめぇの力も借りるぞ。どこから呼び出されたか知らねぇが、この小娘一人で送り返そうとしたら、ぶっ倒れちまうのが落ちだろうからな」


 バングの言葉に、セイは頷いた。


「うん。分かってる」


 そう分かっている。


 自分は元の世界に帰らなければならない。


 元の世界の事も気になるし、あまり長居してしまっては、この世界によくない影響を与えてしまうだろうということも、良く分かっている。


 バングが魔法陣を確認しながら、リアへと声をかけた。


「小娘……。てめぇには説明してなかったな。今、この学校に向かって王都の騎士団が向かってきている。ついでに役立たずの我らが校長先生もな。今日の昼頃にはここに着くだろう」


 リアはその言葉に驚き、バングの事を見た。

 それを見返すと、鬼教師がは言葉を続ける。


「何驚いてやがる。昨日の朝に、あんだけでけぇ力を行使したんだ。王都の連中の目も節穴じゃねぇ。準備が出来次第、飛んでくるに決まってんだろ。それにどうもシンシアがあのクソカスにぶっ倒される前に色々仕込んでたみたいでな。向こうもゴタゴタしたみたいだが、それでも向かってきていることに間違いはねぇ」


 リアの目が、シンシアへと向く。

 その視線を受けて、女教師が説明を始めた。


「私がなんの策も持っていなかったと思っていたのですか? あの男が私の事を見つけ出すことなど織り込み済みです。私自身が囮となって、使い魔のエイジアにこっそりと王都への緊急連絡を行わせていたのですよ。どのような力を持っているのかとか、どう対処すべきかなどを詳しく説明させておいたのです」


「対処法が分からなきゃあの力は脅威だが、筆で命令文を書かれなきゃ隷属させられないとわかりゃ、やりようは幾らでもある。あの糞は身に過ぎた力を手に入れて調子に乗ってやがったみたいだな……。結界魔法と支配した人間の壁で無敵になったと勘違いしてやがったか」


 その調子に乗ったディートフリートに、いいようにやられたバングが苦虫をかみつぶしたような顔でそう告げる。


「だから、貴方に隠れていろと言ったのです。あの場でどうにかしなくても、あの男が倒されるのは時間の問題でしたから……」


 シンシアがそう言い、暗にリアの事を非難した。


 小序が所在なさげにうつむくと、それを見たセイがリアへと近寄り、その隣に立つと、教師たち二人を見た。


「でも、その言うことを聞かなかったリアちゃんの頑張りのお陰で、ボクは消えずに済んだし! 君たちもトイレ掃除とか下種な男の下の世話とか、無理やりやらされずに済んだわけじゃない! 違う?」


「それは……」


「ふん……」


 その言葉にバングもシンシアも、不承不承と言った様子であったが頷き、肯定した。


 セイが自慢げにリアへと笑いかけ、少女もまたそれに笑い返す。


 一つ咳をして、気を取り直すとバングが言葉を続けた。


「だが、まだ問題はある。そこの自称神様とやらについてだ」


「自称とは何様でございましょうか! ここにおわすむぎゅ!」


「ハコさん、話がややこしくなるからちょっと黙ってて!」


 胸から飛び出しバングに食って掛かろうとするハコを、セイは再度捕まえた。


 鬼教師はその様子に眉をひそめたが、ため息をついた後、更に言葉を続ける。


「はっきり言うが、こいつの力は人間には過ぎた力だ。いい影響だろうが、悪い影響だろうが、でかすぎる力は人の世界に混乱をもたらす。必要もない、いらねぇ混乱をな」


 ジロリ、とバングはセイの事を見た。


「神だがなんだか知らねぇが、人の世界は人のもんだ。神の出る幕はねぇ」


 セイは鬼教師の視線を受け止めるとそれに頷いた。


「うん、その通りだと思う。まぁ、もう既に結構、悪影響を与えちゃったかもしれないけどさ……」


「あぁ、その通りだ。だからこれ以上ややこしくなる前に、てめぇには帰ってもらわにゃならん。今ならまだ、今回の事件を実験中の神遺物の暴走とそれを悪用した糞の乱心って事で片をつけることが出来る。……それもかなり苦しい言い訳だが、神様の降臨だとか、厄介な連中が目を光らせそうな話よりはマシだ」


 バングはそこまで言い切って、肩にかけるようにして持っていた長い棒をセイに投げ渡した。


 一柱の神がそれをアタフタとしながらも受け取る。


 バングが今回の魔法陣を書くために使った長い筆だ。

 筆先は特殊な材質で出来てるらしく、今は存在しないが、使用者の魔力を込めると姿を現すようになっているらしい。


 受け取ったセイを見てバングが告げる。


「陣の用意は済んでる。後はてめぇらの名前を書くだけだ。まぁ言われんでもてめぇは分かってるだろうが」


「……うん、分かってる」


 セイは自分の身長を超えるほどに長い棒をじいと見て、バングの声に虚ろな声を返した。


 その様子を、そしてその横に立つリアの何か口にしようとして結局何も言えない様子を見た後、バングは足を引きずりながら部屋の外へ向かって歩き出した。


「まぁ、少しは時間をやる。俺は便所に行ってくるからその間話でもしてろ。シンシア、お前も来い。ついでにあの遺物の封印をもう一度確認しに行くぞ」


「え、あ、はい……! 承知いたしました」


 二人の教師が部屋の外へと向かい、その場にはセイとリアとハコだけが残された。



――――――



「よろしかったのですか、バング先生」


 教員棟の廊下、自分の後ろを歩くシンシアの声に、バングは視線を向けずに答えた。


「何がだ?」


 女教師はぶっきらぼうなその言葉にむっとすると、問いただすかのような口調で言葉を続けた。


「あの自称神についてです。あのような得体の知れない存在と密室で二人っきりにするなど、何かあったらどうするおつもりですか?」


「……相変わらず正論が好きな奴だ」


 バングはため息を吐くと立ち止まりシンシアの事を見た。

 小男で背の曲がってしまったバングより、シンシアの方が背が高い。

 自分を見上げてくる視線を受けて、女教師もまた足を止めて恩師を見た。


「野郎によこしまな考えがないなんて事、奴が書いた字を見りゃ分かる。ついでにルーンの一つでもやり合えば、万の言葉に勝る会話になる。てめぇの疑惑は見当外れだ」


 そう言ってバングはまた前を向き直り、歩き出してしまった。


 この鬼教師はどうもセイの事を随分と信頼しているらしい。

 まだ出会ってから半日ほどしかたっていないというのにだ。


 昨夜、セイ達が放った風の奇跡の影響を受け、ディートフリートの洗脳が解けたバングは、目を覚ましトイレの便器に突っ伏した自分の体を起こすと、すぐさま学校中を駆け回ってディートフリートを探し始めた。

 見つけ次第、手持ち最大威力のルーンをぶち込むためにだ。


 だが、見つけてみればなんとも異様な光景が広がっていた。


 何人もの生徒と教師が倒れた中庭で、口を必死に擦り声を発しようとするディートフリートと、リアに抱き着かれて倒れこんでいるセイがいた。


 何が何やらと言ったところだったが、とりあえずバングは倒れているディートフリートに近づくと、その頭を不自由な足で思いっきり蹴飛ばして意識を失わせた。


 その後、セイの事を見る。


 筆を手に持ち、リアを抱きかかえるようにしている一柱の神もまたバングの事を見返した。


 鬼教師の視線がまた別の影を見つける。


 シンシアだ。

 彼女が固い地面に突っ伏すようにして倒れこんでいるのをバングは見出みいだした。


 鬼教師はその次の瞬間には、ローブからごく弱いルーンを選びセイに向かって打ち込んでいた!


 呪文を唱えると、水球が幾つか浮かび、一柱の神に向かって飛んでいく!


「ちょっとなに急に!」


 セイは向かってくる魔法の疾走に、筆を一振りすることで答えた。


 手に持った神遺物の筆で中空に文字を刻み込むと、風の壁が現れ、水球を全て地面へと叩き落とす!


 バングは続けざまにルーンを放ち、足を引きずりながらも何とかシンシアの元へとたどり着いた。


 一瞬だけその目が元教え子の事を確認する。

 胸が小さくだが上下しているのが分かった。


 一つ息を吐くと、そこでようやくこの鬼教師はセイへと話しかけた。


「誰だてめぇ……。こんなところで何してやがる」


 一柱の神はバングに向かって叫び返した。


「それ! もっと早く聞いてくれても良かったんじゃないかな?!」


 二人の出会いはそのような調子であったが、意外と馬が合うようであった。


 短い会話をして何とはなしにバングは物事の全体像をつかむと、二人は協力してシンシアとリアの介抱、そしてディートフリートの束縛などを行い始めた。


 その間、バングはずっとセイの事を視界の隅で確認し続けていた。


 リアを抱えて移動する時の情に満ちた表情も、倒れた生徒たちを見た時の痛まし気な表情も、バングは油断せず全てを見ていた。


 故にシンシアの考えている懸念が、全くの見当外れであるということを、この鬼教師はよく理解していたのだ。


 バングが前へと歩きながらシンシアへと告げる。


「てめぇはもうちょいと他人を見る癖をつけろ」


「他人を? そう言われましても、一応は見ているつもりですが……」


「言葉の上っ面だけ聞くな。そいつが何を考えているか、その奥の奥までしっかり見ろって言ってるんだ……」


 非難された女教師は、珍しくも口を尖らせて拗ねたような表情を取ると恩師へと言い返した。


「なら先生はそれが出来ているって言うんですか? いつも人の事なんて知ったことじゃないって態度を取っている癖に」


「まぁな……」


 バングは含み笑いをすると、シンシアの言葉へと返答する。


「……昔、生意気で無表情な小娘の教師だったことがあるんだ。その辺は慣れたもんよ」


 シンシアは顔を赤く染めると、照れ隠しをするようにバングの肩を叩いた。


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