最終話 約束①


 リアが暴走し、学園が崩壊しかけ、アメノセイが力を取り戻してから、一夜があけた。


 教員棟の女教師シンシアの私室に、部屋の主のシンシアとリアがいる。


 綺麗に整頓され、一目で一級品と分かる家具が並んだ部屋だ。

 朝日が漏れこんできていた。

 昨日の騒々しさとは裏腹に、穏やかな朝のひと時が流れている。


 シンシアがリアの後ろに立ち、椅子に座る少女の髪をクシでといた。

 座ったリアの体は大きな白い布で覆われていて、その体は足先さえも見えない。


 女教師がクシとは逆の手に持つハサミで、といた髪の毛先を切った。

 その後またクシを通し、残った毛を落として、髪を整える。


 それを繰り返しながら、いつものようなお小言を女教師はリアへと口にしていた。


「何故、あの『アメノセイ』とかいう人物に関して、私に相談しなかったのですか? 何度でも言いますが、私は貴方の教師で、貴方は私の生徒です。そして授業で行われた内容は、良きにしろ悪きにしろ教師に報告するのが生徒の義務です! 知らなかったとは言わせませんよ?!」


「ご、ごめんなさい……」


 そう言いながらリアが縮こまる。

 すると女教師はその丸まった肩を、ハサミとクシが当たらないように気を付けながら握り、無理やり胸を張らせた。


「危ないから動かないでください。まったくこんなに髪を痛めて……」


 そうぼやきながら、また毛先を切る。


 セイの胸の中で眠りに落ちてしまった後、少女は気が付くと、シンシアの私室のベットに横になっていた。

 

 寝ぼけまなこで体を起こし、辺りを見渡してみると、机について何か書き物をしているシンシアと目があった。


 女教師は瞳を見開きすぐさま少女の側に駆け寄った。

 その後、リアの両頬を両手で勢いよく包み込み、声を発する。


「リアさん! この馬鹿! 隠れていろと言ったのを聞いていなかったんですか?! わざわざ出て来てあんな危険な真似を! 信じられません! この大馬鹿!」


 そういうシンシアの目には涙が浮かんでいた。

 

 当時の状況をシンシアは覚えている。

 魔力を使い果たし倒れこんでいたが、意識はしっかりとあった。


 だから、自分のすぐそばでルーン魔法で炎を放ち、あまつさえその中に入って行った少女の行動を間近で彼女は見ていた。


 よく覚えている。

 ルーンによって放たれた熱気も、覚悟を決めた少女の瞳も。

 殴られ、それでもなお抗ったその勇気も。そしてあの偉大な風の奇跡も。


「本当に、本当に……もう!」


「せ、先生……い、痛いです……」


 頬をつぶされたリアが、シンシアへモゴモゴと告げる。

 その言葉に、慌てた様子で女教師は少女の体を手で確認し始めた。


「痛いですって?! ど、どこですか?! ああもう! 傷は全部直したって言った癖に……!」


「いや、あの……体は大丈夫なんです」


「はぁ?! じゃ、どこが痛いって言うんですか?!」


「あの……」


 リアが頬を撫でながら、女教師へと返した。


「さっきびたーんってされて、頬が……」


「はぁ……?!」


 しばし、シンシアはあっけにとられたように、目を見開き動きを止めた。

 その後、一度大きく息を吸い、それを吐くと冷静さを取り戻し、少女へと告げる。


「……体は大丈夫なのですね?」


「あ、はい……。大丈夫です。シンシア先生……あの」


「……何ですか?」


 いつも通り眉間にシワを寄せた厳しい表情で、シンシアがリアへと問い返す。

 少女はまっすぐに前を見ると、女教師のその瞳を見返して言葉を発した。


「心配してくださって、ありがとうございます」


「………………」


 またシンシアは何も言えなくなってしまった。


 リアらしくない、とでも言えばいいのだろうか。


 この臆病者の少女が自分の目を見て、言葉をつむぐことが出来るとは、シンシアは思ってもみなかったのだ。

 いつもであれば、礼を告げるにしても、下か横か、どこか別の方向を向いて言うはずである。

 だか今回に限っては、リアはまっすぐにシンシアの事を見返して礼を告げた。

 おかしい。ほんの少しの間にまるで別人になってしまったかのようではないか。


 と、そこまで思ったところで、女教師は首を振り、思考に囚われそうになった自我を呼び起こした。


 いや、予想も出来ない出来事なら、昨日だけでいくらでも起きている。

 今更それが一つ二つ増えた所で何であろうか。


 気を取り直すと、シンシアはリアの言葉に答えた。


「いいのです。私は教師ですから。貴方の事を心配するなんて当然です」


 その言葉を聞いて、リアは少し泣き出しそうな顔をした後、口を笑みの形に変えた。


 それを確認して、女教師が一つ頷く。

 そして、立ち上がりきびすを返した。

 その後、また少女へと言葉を告げる。


「何か口にした方がいいでしょう。頂き物ですが、クッキーと紅茶程度ならすぐに準備できます。貴方、昨日はろくに何も食べてないのでは?」


 少女がその言葉に、頷くとも頷かないとも何ともいえない微妙な態度を返した。


 リアのお腹は確かにすっからかんだ。

 空腹は自覚が出来るほどで、クッキーという言葉を聞いた瞬間、寝起きだというのに、ジワリとツバが出るほどであった。


 だが、それ以上に気になることが、少女にはあったのだ。


 その問いをリアはシンシアへと問いかけた。


「あの……先生。セイ君は……私と一緒にいた男の子みたいな、女の子みたいな人は……?」


 振り返ると、女教師はその問いに答えた。


「バング先生と一緒に、私の研究室にいます。準備があるとかなんとかで……」


「そう、ですか……」


 ほんの少しの寂しさが少女の胸に宿る。

 しかしそれ以上に別の疑問がリアの脳に浮かび上がった。


 準備とは何であろうか。


 一瞬考えて、その後すぐに答えを導き出す。


 セイの言う準備など、もう一つしかないではないか。


 帰る準備だ。


 先ほどまでとは違う種類の痛みに、少女は胸の辺りを押さえた。


 うつむき、呼吸を整える。

 そうしてしばらくしていると、何か豊かな香りがし始めた。


 シンシアが淹れる紅茶の香りだ。


 見てみれば、女教師は空中に生み出した火を消し、ティーポッドにケトルからお湯を注いでいるところであった。


 慣れた手つきで、行われるその動作をリアはただただ見た。

 一連の動きには淀みがまるでなく、踊っているようにさえ見える。


 そうやって、ただお茶が淹れられるのを見ていた少女の瞳が、何か別のものを捉えた。


 前髪に違和感がある。

 普段であれば、長く伸ばした髪が自分の視線を隠していたはずだが、その隠され方がどうもおかしい。


 確認しようと自身の前髪を触り、すいてみると髪の毛が抵抗せずに抜けた。


「ピェッ!」


 思わず変な声をリアが上げてしまう。


 シンシアはその声を聞いて驚くとポッドを置き、すぐさま少女の元へと駆け寄った。


「どうしました?! やっぱりどこか痛い所でも?!」


「ち、違うんです……その、髪が……?!」


「髪……?! 髪ですって?! ……あぁ」


 女教師が痛まし気な顔つきをすると、少女の耳の横の辺りの髪をその細い指ですいた。


 また抵抗なく髪が抜ける。

 いや、抜けるというよりは、傷んでいた毛が千切れてしまったというべきか。


「覚えているでしょう? 貴方、炎の中に飛び込んだではないですか。すっかり傷んでしまったようですね……」


 毛先の方のほとんどの部分が、傷んで縮れてしまっている。


 セイの力で体の傷は治ったが、髪の毛までは治らなかったらしい。


 リアは少し考え、シンシアを見ると言葉を発した。


「先生……あの、ハサミを貸していただけませんか?」



――――――



「ですから、私を信頼してすぐに相談していれば、このような大げさな事態にはならなかったわけです」


「……は、はい。その通りです、先生」


 シンシアがお小言を言いながら、またハサミを使う。


 少女にハサミをねだられた女教師は、一瞬疑問気な表所を浮かべたが、すぐにその思うところを理解した。

 髪を切るつもりなのだ。


 だが、彼女の部屋にあるハサミは大概大人用の物で、体も手も小さな少女に使わすには危ないと言わざるを得ない。

 それに自分で髪を切らせるというのは、昨日あれだけの事があったリアには少々酷な気もした。


 炎で焼かれた髪を切るというのは、当時の記憶を呼び起こさせることに繋がりかねないだろう。

 もしかしたら、精神によくない影響を及ぼしてしまうかもしれない。


 故に、シンシアは髪を切るなら自分に切らせろ、と少女に言った。

 リアは特に何も考えずにそれに頷いた。


 その結果が今の状況だ。


 女教師は当時の事を思い出させないように、少女へと小言を繰り返し、リアはこんな事ならやはり自分で切った方がよかっただろうか、とそう過去の行動を悔いていた。


 シンシアがハサミを使うのをやめる。

 クシで全体を整えた後、リアを覆った白い布を、上に残った髪の毛が散らないように取り、その後机の上の鏡を取ると、それを少女へと渡した。


 受け取った鏡をリアが覗き込む。


「随分と短くなってしまいましたが……。前の野暮ったい髪型よりはましでしょう……」


 シンシアの言葉の通り、本当に短くなってしまっている。

 傷んだ毛を全て切り落とし、その短さに合わせて他の部分も短くしたせいだ。


 肩を越えて伸びていた髪の毛は、もう首の辺りまでもない。

 耳も完全に出ているし、両目を隠していた前髪も、眉の上辺りまで綺麗にカットされている。


「ありがとうございます、先生……。多分、前より良くなったと思います」


「それはそうでしょう。前が前でしたから。自分で切っていたんじゃないですか? 長さも不揃いで、酷い髪型でしたから……」


「はい……。ほんとに……そうだと思います」


 別人のようになった自分を見ながら、シンシアの言葉にリアは空返事を返した。 


 ふと、床を見る。

 少なくはない髪が散らばっていた。

 シンシアが精霊魔法を行使して風を使って掃除をし始めている。


 鏡を見て、昨日とは変わってしまった自分を見つめて、心の中に言葉が浮かび上がった。


 これもまた一歩だ。

 昨日までの自分から一歩前に。

 うつむき下ばかり見ていた自分から、ほんの少しだけ前に。


 瞳を閉じ、そう心の中で思った後、リアは目を開けもう一度鏡を覗き込んだ。


 鏡に映る顔は何故か笑いかけているように見えた。


 ふと、少女の背後で扉をたたく音が鳴る。ゴンゴンと言う力強く固い音だ。


 その後、太く低いだみ声が響いた。


「シンシア。俺だ。中に入れろ」


 バングの声であった。

 リアが鏡から顔を上げると、シンシアが扉を開けて、バングを中に迎え入れるところであった。

 足を引きずりながら中に入ってきた鬼教師は、脇に何か大きな布ようなものを抱え、手には彼の身長よりも長い棒を持っていた。


 バングのその後ろを、リアにとって見覚えのある顔が歩いる。

 その人物が少女の方を見ると、目を見開き、笑顔を浮かべながらリアへと向かってきた。


「リアちゃん! 起きたんだ! よかったぁ!!」


 アメノセイが椅子に座ったリアへ向かって勢いよく抱き着いた。

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