第23話 風の奇跡

 土煙と爆炎が晴れる。


 聞き覚えのある声を聞いて、私は慌てて辺りを見渡した。


 魔法陣の中に彼は立っていなかった。右横だ。私のすぐそば、そこに彼は立っていた。


 銀に輝く筆をその手に持って、私の傍に彼は立っていた。


 彼がこっちを見て私の顔を覗き込んでくる。


 黒色の髪の青い瞳を持つ彼が、私の事を見つめてきた。


 私は思わず、泣きそうになりながら、彼の名を呼んだ。


「セイ君……」


「うん。ちょっとぶりだね、リアちゃん」


「セイ君……!」


「うんうん。アメノセイ君だよ。頑張ったね、リアちゃん」


「うう、うううう……」


「あぁ、ちょっとちょっと、泣かないでよぉ。君が泣くと、ボク困っちゃうから……」


「でも……でも……」


「あ~もう、ほらそこまでにして、まだ全部終わったわけじゃないんだから」


 セイ君が改めて生徒達の方を見る。


 正確には多分その向こうにいるであろうディートフリート先生の事を見た。

 私も涙を拭ってセイ君と同じように前を見る。


 先生は生徒達の間から顔をのぞかせて、呆然としながら私たちの事を見ていた。


「ああ、あああああああ! 私の、私の力を! お前! 奪った! 奪ったなあ! その力で魔法を消したのか!」


「君のじゃなくて元々ボクの力なんだけどなぁ……」


 セイ君が頭を掻きながらそう答える。


 でも先生にはその声が聞こえなかったみたいだ。取り乱すようにうろたえながら先生は奴隷たちに再度命令を飛ばす。


「撃て! 撃て! なんでもいい! 連中をさっさと殺せ! 殺して私の力を取り戻せ! 早くしろ!」


 その命令を聞いて再度奴隷たちが魔法の詠唱に入った。


「セイ君……!」


「大丈夫大丈夫。ほらボクの筆を構えて」


「え……いや、なんで?!」


 セイ君が呑気に笑みを浮かべながら言い、私はそれに問い返す。


「これはボクの勝ちじゃなくて、ボク達の勝ちだからね。美味しいとこどりしちゃ悪いでしょ?」


「ええっと……」


「ほら、筆を前に。ルーンを描いて」


「ルーンを?」


「そう。二人であの悪い奴をやっつけちゃおう!」


 その言葉にセイ君の顔をまじまじと私はみつめてしまう。

 セイ君はそんな私の事を見るとにっこりと笑って見せてくれた。


 また彼へと問い返す。


「二人で?」


「そう。二人で」


「私に……出来るかな……?」


「出来るさ! ボク達なら、一緒なら楽勝だよ!」


「そっか……。そうかな……?」


 悪い癖だ。思わず後ろ向きな言葉が口から突いて出ようとする。


 私は首を振って、意識的に口を笑顔の形にすると、彼に向かって言いきった。


「ううん……そうだね!」 


 前を向く。生徒達の手に様々な属性の魔法の光が色めいていた。


 でも、もう私は恐れなかった。


 隣に彼がいた。それだけで、体中の痛みを忘れてしまうくらいに頼もしくて、勇気の力が体の奥底から湧いてきた。


 右手が動く。緊張なんて感じない。

 そうするのが当然かのように、筆がそう動きたがるのに任せるように、私はルーンを中空に刻む。


 吹き荒れる風のルーンだ。


 セイ君が一番初めに見てくれたルーンを私はそこに記した。


「いいねえ。風のルーン。風はいいよぉ」


 私のルーンを見たセイ君がそういう。


 だけど、生徒達の間から私のルーンを見ていたディートフリート先生はそうは思わなかったようだ。


「ばぁぁかめ! この人数の魔法の一斉行使に、その小娘のルーン魔法如きがかなうものか! 貴様らは死ぬんだよ! ここでぇ! 跡形もなくぅ!」


 セイ君が肩を回しながら筆を構えなおすとその声に反論した。


「いいや。勝つのはボクらさ。君にしてもリアちゃんにしても人の力を勝手に使い過ぎだね。ボクはこの力『神々の歴史書』を記す程度の権能だと思ってたんだけど、どうもそれだけじゃないみたいじゃないか」


 笑みを浮かべると続けて先生に告げる。


「それにこの世界のルーン魔法。これも面白いよね。もしこれをボクみたいな神が自由に記したら一体どうなっちゃうのかな……?」


 一瞬でディートフリート先生の顔が蒼白に染まった。


「それは……! ええい! お前たちぐずぐずするな! 早く魔法を使え! 早くしろ!」


「ちょーと遅いんだよねぇ!」


 セイ君の筆が目にも止まらない速さで動く。

 私が書いたルーンの周りをとてつもない速さで筆が動き、次々と言葉を刻んでいく。

 まるで洗練された魔法陣のように、言葉と言葉が折り重なり、私のルーンを彩っていく。


「それそれそれそれ! 『南方より来たりし風が、北方に来たりて雨となり! 雨は天より降りて大地を潤す! 大地は潤いて人を癒す! 人は癒されて世に風を巻き起こす! 全てはこれ、風の奇跡なり! 全ては是、かくあるべき理なり!』っと、ところでリアちゃん、好きな生き物っている?」 


 高速で手を動かしながらセイ君が私に聞いてくる。

 少し面食らったが、どもりながらも私は何とかそれに答えた。


「好きな生き物? え、いや、あの……鳥とか結構好き……かな」


「鳥ぃ? なんで?」


「あの……自由に飛んで、周りの目も気にせずにあっちに行ったり、こっちに行ったりするのって……なんだか、自分の事を信じてるって感じがするから……」


「なるほどぉ、詩人だねぇ」


「良く分かっているではありませんか」


 ハコさんが私の頭の上に降り立って言う。

 多分だけど、描かれている鳥も自慢げな顔をしているだろうと思う。


 それを笑顔で見た後、セイ君は最後の言葉を私のルーンの周りに刻み込んだ。


「『自由な鳥は天空にあるべし! 風の奇跡は自信に満ち満ち、天空を舞う気高き鳥と共にあるべし! 我がルーンはここに成る!』よし、オッケー!」


 セイ君は書き終えると、私に左手を差し伸べてくる。私はキョトンとした目でそれを見返した。


「言ったでしょ、一緒にって」


「一緒に……。うん、一緒に!」


 筆を持ち替え、右手でセイ君の手を取って握り締める。その手を彼はそっと握り返してくれた。


 少しだけ痛みが走る。傷ついた手が少しだけ痛みを伝えてくる。

 でもそれ以上にどうしようもなく嬉しくて、私の目にまた涙が浮いた。


 生徒達の魔法が行使される。いくつもの光が私たちに向かって飛んでくる。


 でも、私の胸には一抹の不安さえ湧いてこなかった。

 隣にセイ君の温かさがあったから。私はもう一人ではなかったから。


 私たちは呼吸を合わせると、ルーン起動の呪文を口を揃えてさけんだ!


「「『ラ・ヴィエナ・フゥ』! 風よ吹き荒れよ!」」


 ルーンの魔法陣が割れるようにして爆発して、そこから一気に風が吹き出した!

 生徒達が放った魔法を吹き飛ばし、中庭をもの凄い突風が襲う!

 しかもその力の奔流の効果はそれだけに留まらない!


 一瞬で学校中に吹き荒れた風が私たちの上空に集い始める!

 風と風が折り重なり、形を取り、薄緑色の巨大な鳥の姿をかたどり始めた!


「なんだ……! こんな、こんなルーン魔法! 聞いたこともないぞ?!」


 ディートフリート先生が取り乱したようにそういうのが聞こえる。


「そうでございましょうとも。これはまさしく神技でございます故」


 ハコさんが私の頭の上で自慢げに語る。


 完全に形をなした巨鳥がくちばしを開き、甲高い叫び声をあげると同時に羽を羽ばたかせた!


 また風が吹く。しかし、これは先ほどとは違う種類の風だ。

 強く、強烈に吹いてはいるが、同時に暖かく胸のつかえを取るようなそんな風。


 数度、その温かい風が、羽ばたきと鳴き声と共に学校中に吹き渡る。


 一番に影響が出たのは、近くにいた私だった。体についた無数の傷が、風に拭いさらわれるようにして消えていく。

 痛みが、血が、ゆっくりと温かな風に吹かれて消し飛んでいく。


 その次は私たちの目の前にいた生徒達だ。彼らの体から、黒いシミのような何かが風に吹き飛ばされるようにして抜け落ちていく。

 それは連鎖するように幾人にも広がり、それが抜けきると、彼らは力尽きたかのようにその場に倒れ伏していった。


 先生の姿を隠していた人の生垣が風が吹くたびに、徐々に徐々に消えていく。


 ついには先生だけが、立ってそこに残った。


 巨鳥が一際高く鳴き、一際長く風を吹かせると、その体は空気に溶けてゆっくりと消えていった。


 呆然とする先生と私たちがそこに残される。


「そ、そんな。この私が……。このか、神が……」


「あのねぇ……君は神様なんて柄じゃないよ。神様がどれだけ大変かしらないでしょ!」


 隣に立つセイ君がそう言う。

 先生はその声が聞こえなかったのか、またつぶやくようにして言葉を続けた。


「こんな、小娘に……。無能で、愚図で、どうしようもない屑に……」


「もう……!」


 セイ君が手に持つ筆を振るう。

 黒いインクのようなものが飛び、先生の口もとを覆った。


 先生はその衝撃に倒れ伏すと、もがきながら必死にそれを取ろうとする。

 だけど、どうもそれはうまくいかないようだ。

 その様子を見ながら、セイ君は怒ったように告げた。


「ボクの友達の事! あんまりひどく言わないでくれないかな!」


 びっくりして私はセイ君の事を見た。

 彼は私のその様子に慌てたように問いかけてくる。


「え、いや……その、嫌だった? 友達って、あのボクと……」


 そんなことはない。

 私は急いでその言葉を否定した。


「そんな、そんなことない! でも私、セイ君には迷惑かけてばっかりだし、こんな私じゃ、セイ君とつり合いが……」


「そんなことないよ! むしろボクだって、リアちゃんには迷惑かけてるし、ボクの力のせいで、怪我させちゃったし!」


「違うよ! これは私がそうしたかったからで、セイ君は悪くない! それにもっと早く召喚の事に気付いてればこんな事件自体起こらなかったし……! そんな私が、友達なんて――」


「いや、だからそれは……ああ、もう!」


「むぎゅ!」


 セイ君がその人差し指を私の唇に押し当てて、それ以上の言葉を止めた。

 その後照れを隠すかのように明後日の方向を向くと私に言う。


「リアちゃんもボクの友達の事、あんまりひどく言うと許さないんだからね!」


 その言葉で私は、胸が詰まって本当に何も言えなくなってしまった。


 言葉を、何か言葉を彼に伝えなければと思う。


 でも、それが漏れ出す前に、私の体は彼に向かって抱きついていた。


「わわぁ!」


 突然の事に驚いた声を上げ、堪えられなかったのか、セイ君は抱き着いた私と一緒に地面に倒れこんだ。


「ちょ、ちょっと何さ急に!」


「ごめん……。ごめん……。でも、少し。少しだけ、こうさせて」


 私の声は多分酷い涙声になってしまっていると思う。

 多分、顔も酷い顔になってしまっていると思う。


 それを隠すように、彼の服に自分の顔を押し付けて隠れて泣いた。


 セイ君が少し戸惑うような、そんな雰囲気で私の事を見ているのが分かる。

 それでも、一つ息を吐くと、彼は私の頭を撫でながらこう言ってくれた。


「あぁもう、ちょっとだけだよ……?」


「うん……ちょっとだけ……ちょっとだけだから……」


 子供をあやすような手つきだったが、それが無性にうれしくて、無性に安心した。


 彼の胸の中で、体中の水分が全て流れてしまうのではないかと思うほど、私は泣き続けた。


 セイ君が私の事を優しくあやしながら声をかけてくる。


「リアちゃん……。よく頑張ったね……」


「うん……。うん……」


「ありがとね。助かっちゃった……」


「ううん。私も助けられたから……」


「ほんとによく頑張ったよ……」


「うん。私、結構がんばった。頑張ったと思う……」


「うん。そうだね! 一等賞だよ!」


「ふふふっ……」


 そう彼と話をしていると、強張っていた体からゆっくりと力が抜けていった。


 涙と一緒に、今までの苦しみや淀みが流れ落ちて行っているような、そんな気がする。


 そうして私の意識はゆっくりと眠りの中に落ちて行った。


 夢ならば覚めないでほしいと願いながら。

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