第19話 振るわれる悪意
バングが太陽が照り付ける廊下を、足を引きずりながら、急ぎ足で歩いている。
その顔はけわしく歪められていた。
ただでさえ傷だらけで恐ろしい顔だというのに、今は見る者全てが目を背けるほどの形相となっている。
彼が歩いているのは魔法学校の授業棟の廊下であったが、普段のように生徒達の姿はなかった。
朝に起こったリアの暴走事件の収拾をはかるため、生徒達には自室待機が命じられていたのだ。
誰もいない廊下を歩きながら、朝に見た黒球の事をバングは考えていた。
脳裏で複数の疑問が行きかう。
長年の無理がたたって目が曇ったわけでなければ、あの時校庭に浮かんでいたのはリア・パンテンのはずだ。
自分が少しだけ目をかけていたあの小娘のはずだ。
だがらこそ疑問が尽きることなく脳裏に浮かびあがり続けた。
あの黒い力は何だ。
リアが通り過ぎた後に残ったぽっかりと穴が開いた謎の空間は何だ。
あの異様な力の発露は一体何なのだ。
どれもこれも、劣等生のリアが起こせるような事態ではない。
あまりにも分からないことが多すぎる。
どのような魔法が行使されたかさえも分からない。
長年魔法使いとして生きてきたバングにとって、久しぶりの事態であった。
驚くような事など、もうすべて体験してしまったと思っていたが、どうもそうではなかったらしい。
何かが起こっている。
そして、もしかするとそれは、自分の研究室から消えていたシンシアの遺物が関係しているのかもしれない。
鍵をかけ、魔法によって封印をかけたはずの部屋から、いつの間にか消えてしまっていたあの遺物が。
「ちぃ……」
忌々し気に舌がなる。
頼ってきた元教え子の所持物をなくしてしまうとは、とんでもない失態だ。
手がかりを得ようと探し回ってみたが、ろくな情報は得られなかった。
だが、だからこそ今回の事件と、あの消えた遺物が関係しているのでは、とバングは推測していた。
自分が見たことさえない魔法、そして自分の想像もつかない方法で、感じ取れないほど唐突に盗み出された遺物。
二つの点は一つの糸でつながっているように思われた。
だが、この推測はあくまで推測であり、どれも確定した事実ではない。
バングは苛立たし気に唾を吐いた。
「糞がぁ……」
しかし、それを知るすべならある。あの魔法を使っていたリア本人だ。
少女に何が起こったのか聞くことが出来れば、少しは事態を把握することが出来るだろう。
故に、問いたださなければならない。何が起きているか知るためにも、あの小娘を問いただし、事情を聴かなければ。
バングはルーン魔法の使い手だ。
あらかじめルーンを書き、それを行使することで物事に対応する。
ルーン魔法は書けさえすれば、安定性のある魔法であったが、あらかじめルーンを準備しなければならない分だけ、柔軟性に欠けた魔法であった。
それを誰よりも深く自覚していただけに、彼は誰よりもどん欲に今回の事件の全容を知ろうと動いていた。
だが、どうもうまくいかない。
初動で後手に回ってしまったのがまずかった。足の古傷のせいで、リアの確保という絶好の機会を逃してしまったのだ。
「小憎たらしいエーデルクロスの糞ガキがぁ……。出しゃばりやがって……どこにあいつを連れて行った」
キザったらしい男性教員の事を重い浮かべて、バングが更に顔を歪めた。
そのまま辺りを見回しながら廊下を進んでいると、前方から廊下を曲がり目当ての人物がやってきた。
白衣を身にまとった魔法学校の男性教員ディートフリート・エーデルクロスだ。
「エーデルクロス……! てめぇどこに行ってやがった! この俺を探し回らせやがって!」
苛立ちを声に込めて爆発させる。
ディートフリートはそれを笑みを浮かべながらかわすと、バングに向かって丁寧に礼をした。
「申し訳ございません、バング先生。何せ朝にあのような大事件が起こったものですから、色々と私もやることがございまして……」
「そんなこたぁどうでもいい! あの小娘をどこにやった!」
バングが肩を怒らせながらディートフリートに近づくと、彼の目の前を陣取り睨みつけた。
ディートフリートが顔を上げ、背筋を正す。
頭一つ分は優に彼の方が背が高い。
上から見下ろすかのようなその視線を受けて、バングの怒りが更に募った。
「小娘? リア・パンテンの事でしょうか?」
「そうだ! 何とぼけてやがる! あの小娘に聞きてぇ事があるからさっさとどこに連れて行ったか吐きやがれ!」
口の悪いバングに対してディートフリートは眉一つ動かさない。
感情の見えない瞳でバングの事を見た後、彼は視線をずらし、鬼教師の背後へと目を向けた。
「……あれは」
ディートフリートがそうつぶやき顎を指で撫でる。
バングの後方で誰かが歩いてくる音が鳴っていた。
バングは振り向かない。
ディートフリートを睨みつけたまま鬼教師は微動だにしない。
「あら? 気になりませんか、バング先生? 今あなたの後ろに誰が歩いてきているか」
動かないバングに向かってディートフリートがそう声をかける。
「もしかしたら、あなたが今探しているリア・パンテンかもしれませんよ?」
違う。
バングの長年魔法使いとして生きてきた勘がそうつぶやいた。
後ろに誰かがいるのは間違いない。もしかしたらそれが本当にリアなのかもしれない。
だが、それよりも今この男から目を離してはならない。
体に傷と共に刻み込まれた経験に基づく勘が、そうささやきかける。
にこやかな顔で自分を見る瞳のその奥底に、うかがい知れない闇が蠢いているのが見えた。
危険だ。策を弄する小物というこれまでの印象から全く変わってしまっている。
判断を誤れば自分とて危ないかもしれない。
そう感じる。
だが、バングはその闇の中にあえて一歩踏み込んだ。
その変化が何に起因するものなのか探るために。
「てめぇ俺とやろうってのか? 糞ったれの小便たれ風情が……」
「……やる? 何のことです? 私たちは同僚。仲間ではありませんか? 何を急に気色ばんでいるのです?」
「耳障りなキザったらしい言葉を吐くんじゃねぇ。ドブよりくせぇ臭いがプンプンするじゃねぇか……」
「はは……、これは失礼。口臭には気を付けているのですが……」
「意味がちげぇよこの間抜け。てめぇの心の醜さが口から漏れ出してるからさっさと口を閉じろって言ったんだ理解できなかったのかこの愚図……!」
「………………」
その言葉を受けて、ディートフリートの顔から表情が消えた。
凍えるほど冷たい顔が表に出てくる。
彼はバングを見下ろすと、先ほどとは打って変わった黒い声で話しかけてきた。
「もし……私がやると言ったらどうするつもりなんです?」
バングは引きつった顔を笑顔に歪めると言い返した。
「この距離で俺に勝てると思ってるのか? 俺のルーンは早ぇぞ。てめぇが得意としている精霊魔法じゃ追い付けねぇ……」
「さて、それはどうでしょう?」
足音がゆっくりと近づいてくる。その音の主は、バングの背後十歩の位置まで近づいてきていた。
バングからしてみれば、敵か味方か、もしくは全く関係のない人間か。何も分からない謎の人物だ。
だが備えなければならないのは間違いないだろう。意識を集中すると、彼はローブの袖に隠した、ルーンの書かれた羊皮紙を指で挟んで両手に持った。
ディートフリートの様子は変わらない。
彼が得意とする精霊魔法は精霊がいるのであれば、魔力を放ち呪文を唱えれば行使できる魔法だ。ルーン魔法ほど準備に時間はかからない。
だが、その表情にあまりにも余裕がありすぎる。
魔法使いとしての経験は、バングの方が圧倒的に高いというのに、それに臆す素振りも見せていない。
少しそれが気にかかる。
しかし、何にしてもやることは変わらない。
バングは唇を舌で濡らし、指に力を込めた。
足音が残り五歩の位置まで近づいた時だ。
その足音が一際大きく鳴る。
後方から近付いてきた誰かがバングに向かって飛びかかったのだ!
それを感じ取った瞬間、歴戦のルーン教師の体はすぐさま動いていた!
「『レグディエナ・グロゥ・フゥラ』! 螺旋風よ吹き荒べ!」
体を半回転させ、手に持ったルーンを前に立つディートフリートと後方から来る誰かに向けると、起動用の呪文を唱える!
ルーンが行使される!
渦巻く風の力が羊皮紙から解放され、飛びかかってきた誰かを吹き飛ばした!
バングが横目で確認してみれば、白髪交じりの妙齢の女性だ。
魔法植物の授業を受け持つ学校の教師の一人であった。
何故この女が自分を。
思考にとらわれそうになる意識を引きはがすと、バングはもう一人の敵、ディートフリートの事を見た。
風のルーンは完全に行使されている。螺旋を描く風が間違いなくディートフリートを捉えていた。
だが、彼はそれを意に介することもなくそこに立っていた。
彼の体の前に光り輝く壁が現れ、魔法の攻撃を防いでいる!
結界魔法!
バングが心中で唸り声を上げると、手に持った羊皮紙を投げ捨て、更なるルーンを放つために、ローブを手で探った。
一枚、羊皮紙を取り出す。
まず間違いなく結界を破れるほどの威力を持ったルーンを構え、ディートフリートへとそれを向け、魔法を行使しようと口を開く。
だがその動きより、ディートフリートが懐から灰色の筆を取り出し、バングの体へとそれを動かす方が速かった!
「レグディエナ・フエア――」
『貴様はもう喋れない』
ペンが閃き、バングの顔にディートフリートがそう記す。
バングの声が止まった。
起動用の呪文を唱えることが出来ず、ルーン魔法が不発に終わる!
喉を押さえ何が起こったか分からない様子のバングを、ディートフリートが蹴り飛ばした。
元々古傷のせいで体が不自由なバングは、それに耐えることが出来なかった。
床に勢いよく倒れ伏し、体を強く打ち付けてしまう。
しかし、そんな状態であっても、バングの口からは一言も言葉が発されなかった。
「どうしました、バング先生? 得意の悪態の一つでも付いてみたらいかがですか?」
ディートフリートがバングをあざ笑いながら、倒れ伏す彼の元へと近づいてくる。
仰向けになり、なおも何かを喋ろうと喉に手を当てて足掻くバングをディートフリートは踏みつけた。
「良いざまですねぇ。先生?」
キザな男性教師の顔が笑顔に歪む。
これまで見せていたような紳士ぶった表情ではない。
獲物を前にした野獣のように、歯をむき出しにしてバングを見下ろし彼は笑った。
「見下していた私に負けた気分はどうですか? 隠居生活が長くなって魔法使いとしての勘が鈍ったんじゃないですかぁ?」
バングの事を馬鹿にするような声が、誰もいない廊下に響く。
なおもディートフリートが声を続けた。
「何か喋ったらどうですか? 黙っていたら何も分かりませんよ? ああ! 今は喋れなかったんですねぇ、先生!」
バングを踏みにじるようにディートフリートは足を動かす。
怒りに顔を恐ろしく歪めたバングが、その太い腕を動かし、踏みつけている足をどかそうとする。
その腕に向かって、ディートフリートはまたペンを走らせた。
『貴様の腕はもう動かない』
書かれた通りに、バングの腕が全く動かなくなった。
一瞬で力が抜けると、重力に従い倒れ伏す体の上に落ちてしまう。
「フハ、フハハハハ! すごい、素晴らしいぞ! この力! これならなんにでもなれる。こそこそと出世など考えずとも王にでも! 神にだって! ハハ、ハハハハハハハ!!!!」
高笑いを上げた後、バングの事をディートフリートが改めて見下ろす。
「先生、私は貴方の事を大っ嫌いでした。貴方はあまりに醜い! はっきり言って目に写すのも嫌でした。ですが、そんなあなたですが、私の役に立つ名誉を与えてあげましょう。私は優しいですから……フフフ……」
手に持つペンをバングへと近づけると、それを振るい彼の体へと文字を書き込んだ。
『貴様は私の奴隷となる』
書かれた途端バングの顔が一瞬で弛緩した。
体から力が抜け、目の焦点が合わず、口を半開きの間の抜けた顔へとかわってしまう。
ディートフリートが踏みつけていた足をどけると、バングへと命令した。
「さぁ立て、バング。そうだな。お前には明日の朝までトイレ掃除でもしていてもらおうか」
バングが足をかばいながら立ち上がり、どこかに向かって無言で歩き始めた。
「ハハハ、アハハハハハハハハハアアアアア!」
ディートフリートが笑い声を上げる。
誰もいない廊下に声が響く。その声を誰も聞いてはいなかった。ただ地面を這いずる白い蛇を除いては。
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