第18話 天空にて世界は
緩やかに吹く風を頬に受けて、私は目を覚ました。
温かな、確かに温かな熱を感じて目を開く。
「おはよう、リアちゃん。気分はどうだい?」
セイ君が私を見下ろしてそういう。
脳がまだ起き切っていない。現在の状況に頭が追い付いていない。
なんとなく右の頬だけが熱をもっているのが分かる。痛みも少しする。
ただそのことよりも、彼の顔が手を伸ばせば触れられそうな程に近くにあったので、私は思わず目を逸らし顔をうつむけた。
そこでようやく自分の体がどうなってるのか、はっきりと理解した。
「きゃっ……!」
セイ君に抱きかかえられている。お姫様抱っこと言うやつだ。
声を上げ体を揺らしてしまうと、セイ君もまた驚いたような声を出して私に言ってきた。
「わわっ! ちょっと駄目だよ動いたら! 危ないんだから!」
そういう彼の声を聞いて私は体の動きを止めると、ようやく自分が今どこにいるのか理解した。
上空だ。空高く、今までいたことがないほどの高さに私はいた。
巨大な魔法学校のその一番高い所よりもずっと高くに浮かんでいる。
「セ、セイ君! 飛んでる! 飛んでるよ⁉」
「うーん、そうだねぇ。飛んでるねぇ。さっきまで君も空を飛び回ってたんだよ? 覚えてない?」
「えっ……」
セイ君のその声を聞いて私は今まで自分が何をしていたのか思い出した。
怒りに飲み込まれてしまっていたからか、うすぼんやりとした記憶だが、確かに覚えている。
バング先生の部屋から取ってきた棒を、いや筆を、セイ君の力がこもったそれを振り回して、多くの人を傷つけようとしたことを。
「ああっ……私、私……」
思わず震えてしまう。筆は小さな姿となって私の手の中にあった。
この手に持った漆黒の力を使って自分が何をしようとしていたか覚えている。
世の中の全てが憎くて、苦しくて、どうでもよくなってしまって、消してしまいたくなった。
筆の力がそれに反応した。
全てを塗りつぶす力として私はそれを振り回した。ただただ全てを終わらせてしまいたかったから。その中にはセイ君も混ざっていたのに。
「私、とんでもないことを……」
「そうだねぇ……。学校一つとそこにいる百人以上の人間をすっかり消しちゃいそうだったね」
「…………」
自分のしでかしそうになったことを理解して無言になる。
涙が目に浮かんだ。罪悪感で胸が苦しくなる。体が震えて、息が詰まる。
セイ君がそんな私を見た後目を細めると、遠くを見つめて話しかけてきた。
「ねぇ、リアちゃん。『実際世界なんてどうでもいいし、なくなっちゃった方がすっきりするってそう思わない?』」
「え……?」
彼が言った言葉にも驚いたが、その声が二重に聞こえたことにも驚き、セイ君の事を見る。
うすぼんやりとした人影が、彼と重なるようにしてそこにいた。黒髪のものすごい美人だ。
左目の下に泣きボクロがあって、それがその女性の美しさを際立たせているように見えた。よく見てみれば、どこかセイ君に似ているようだ。
その二人が声を揃えて私に話しかけてくる。
『そうでしょ? ああだこうだ面倒な事言う奴多いし。あることないこと吹聴する奴とか、クソったれな性格の奴とかもいる。目の敵にする奴とか、足引っ張ろうとする奴とかもね。そんな連中ばっかり相手にしてると疲れちゃうわよね。そうやって馬鹿どもの相手して、苦しい思いするぐらいならさっさと世界なんて滅んじゃった方がマシだって。そうは思わない?』
セイ君達が遠くを見ながらそう語りかけてくる。
私はそれを聞いてうつむき、ちょっと考えた後頷いた。
「そうかも……」
『んなわけないでしょ、この馬鹿!』
突然、彼らに否定されて驚き、顔を見上げる。
言葉尻とは逆に、セイ君達は優し気な表情を浮かべてこちらを見ていた。その彼らが薄く笑みを浮かべると私に言ってくる。
『本当にどうしようもない子ねまったく。陰気な夜を司ってるからかしら? 見なさいよ、ホラ』
セイ君が顎を使って前を指し示す。だがここは上空だ。誰かがいるとも、何かがあるとも思えない。
『見て見なさい。自分に閉じこもって下ばっかり見てるから、あんたは色んなもんを見逃しちゃってるのよ』
セイ君の口も開いているが、これはどうも彼に重なっている女性の方が主に話しているらしい。
その女性が私にどこかを見るように誘導している。
それに乗る様な形で私は、彼らが顎で指し示す方向を見た。
「………………………ぅぁ」
今まで見たことない光景がそこに広がっていた。大空から、天空から望むその光景は私の短い人生の中で一度も見たことないほど綺麗な世界だった。
薄い霧が立ち込めた山が見える。
白い衣をまとった巨人のようなそれが、どっしりと、ただただそこに横たわっている。
ふと霧が動き、姿を変える。太陽の光が反射して、キラキラと輝き、小さな小人達が躍っているような動きが見える。
学園近くの町が見える。
人が動いているのがぼんやりと見える。騒がしく、賑やかな人の営みが見える。
その近くで豊かな川が堂々たる様子で、下流へと流れていく。船が浮いていた。船頭が舵を巧みに操って、川を渡ろうとしている。
雲が動く。風の色が見える。髪が揺れて流れていく。西へ。太陽と同じ方向へ。歩みを止めることなく、風に流され進んでいく。
草原には道が続き、その上を馬車が走る。それに驚いてか、草陰から鳥の群れが飛び立った。集団で空に弧を描いた後、別の草むらの中へと消えていく。草むらが騒がしくまた揺れる。楽し気に。どこか誇らしげに。
地平線の境界は見えない。だけど、きっとその先にも世界は続いていて、きっと今私が見ているのと同じか、それ以上に綺麗な光景が広がっているのだ。そう思う。
太陽に照らされてキラキラと輝く美しい世界が。きっと続いていると、そう思える。
「『どう? 案外綺麗でしょ? 私、嫌いな奴もいるけど結構好きよ、この世界。見るたびに色が変わる様子を見てるとね、なんだか嬉しくなっちゃって、もっともっとそれを見たくなるの』 ねぇリアちゃん、君はこの世界嫌いかい?」
重なった声が途切れる。セイ君だけの声が響いて、彼が私に問いかけてくる。
遠くの景色を見ながら、私は考え、答えを口にする。
「嫌い……。私を虐める人もいるし、無視する人も、きっと私の事を嫌いなんだろうなって思う人も一杯いるし、いっそなくなっちゃった方がすっきりするって、そう思う」
「そう?」
「うん……でも」
そこで言葉を区切る。私自身その続きを探していた。『でも』に続くその言葉を。それを言葉にしたいけど、喉のところで引っ掛かって口から出てこない。
きっとそれはこれまでの私自身を否定することに繋がるからだ。
今までうつむいて、それでも生きてきた私自身を。この世界を見ようともしなかった私自身を。セイ君に出会う前の自分を。
だから口に出せなかった。口に出すのが怖かった。
そうやって悩んでいると、セイ君の胸元から何かがゆっくりと飛び出してきた。いや、正確にはセイ君と重なる美人の女性からだ。
それは蝶のように見えた。でも飛び方が変だ。右の羽と左の羽がまるであべこべに動いている。生き物ではない。どうも紙で蝶を模して作られた何かのようだ。
「これ、ボクの姉さんが作ったんだ」
「お姉さん?」
「うん、お姉さん。これね、姉さんが一番初めに作った式神なんだ。酷い出来でしょ? あの人ぶきっちょだから……」
「式神って、ハコさんみたいな?」
「そうそう! これに比べたら、ハコさんってほんとによくできてるでしょ?」
そういうセイ君の顔を見てみると、どこか懐かしそうに、楽しそうに語っているのが分かった。
彼に重なる人影が言葉を続ける。
『あんたの仕事の手助けになればって思って作ったんだけど、やっぱ私には無理ね。簡単な作業ぐらい出来るのを作れればよかったんだけど、こんなのが精いっぱい。後は自分でどうにかしなさい』
「……なにそれ。結局ボクに押し付けちゃうの?」
セイ君が自分の姉が言った言葉に問い返す。
お姉さんが私の方を見ると言葉を続けた。
多分、今私のいる場所、彼に抱きかかえられているこの場所に、セイ君はいたんだ。
『被害者ぶった言い回しはやめなさい! 大体ねぇ、あんたはいつだってそんな調子で鬱々鬱々してるから、沢山の大切な物を見落としちゃってるのよ。こんな綺麗な景色があるって事とか、あんたの事を思ってる奴がいるって事とか、嫌なものを見ないように気を遣うせいで一杯いーっぱい見逃しちゃってるの。もったいないったらありゃしないわよ!』
「はは……。これ結構酷い言い草だと思わない? こっちがどんな気持ちでそうしてたとかも知らずにさ」
セイ君が眉をしかめると、自分の姉に対して文句を言う。その様子が私の弟が自分に昔よく取っていた態度に似ていて思わず笑ってしまった。
「ふふっ……。そうかも」
「でしょ? ほんと勝手なんだよ、この人」
唇を尖らせてそういった後、前を、遠くに浮かぶ世界の景色を改めて見直して、彼が続ける。
「でもさ、姉さんが教えてくれなかったら、きっとボクは知らないままだったんだ。うつむいて自分の殻の中にこもったままだったら、世界って案外綺麗なんだって、姉さんがこんなにボクのこと思ってたんだって。ずっと、ずっと知らないままだった」
「……そっか」
私もきっとそうだ。
セイ君にここに連れてこられるまで、世界がこんなに綺麗だったなんて知らなかった。
いや、知ろうともしなかった。目に写そうともしなかったから。もしくは写していても気づいていなかったから。
彼と同じ方向を私も見る。遠く続く世界を目に写すと、思わず言葉が口から漏れ出した。
「綺麗だね……」
その声に彼が答える。
「うん。綺麗だね……」
そんな簡単な会話だけで、何故か私の胸は一杯になってしまった。満たされていなかった心の器が、ただこれだけの事で一杯に満ちてしまった。
涙が目に浮かぶ。それを瞬きをして何とか消すと、私は口を開いた。
「ねぇセイ君。私、私ね……あの……」
何か大切な決意を口にしようとして言葉が止まる。その先を口にするのが怖い。
口にすれば、それを誰かに言えば、それは私だけの考えじゃなくなる。
私が口にしたという事実は、きっと重いくさびとなって私自身を縛り付ける。
そうしなければならない、そうならなければならないという強迫観念に似た想いに私は駆られてしまう。
だから、私は今まで出来る限り決断を避けてきた。何かを言うということは、その言葉に責任を持つということだ。
私には、弱い私にはとてもじゃないけどそんな責任なんて背負えるわけがない。
でも、今私はその言葉を口にしようと懸命に力を振り絞っていた。
セイ君が優し気な表情で私の事を見ている。せかすわけでもなく、ただ私の事を見て、言葉を口にするのを待っている。
右手に持った灰色の筆を握りこむ。
忌々しい失敗の象徴だけど、これを振るっていた時私は確かに素直だった。
自分がしようと思ったことを驚くべき程純粋に行動に移していた。
あの時程とは言えなくても、ほんの少しだけでいいから、あの大胆さが欲しかった。
「………………!」
そうやって考え込んでいると、徐々に何かが消えて行っていることにようやく私は気が付いた。
「あぁ……もう時間かぁ……」
セイ君がそう呟くと、上空から地面に向かってゆっくりと降下し始めた。
その体を見る。今まではっきりと実体を伴っていた彼の体が、うすぼんやりと消えて行っている。
私の体を支えている彼の体が緩やかにその存在を消し始めていた。
同時に彼と重なっていた女性の姿もブレる様な動きを見せながら消える。
「セイ君……!」
びっくりして私は彼に問いかける。彼は笑いながら、それに答えた。
「いやー、ちょーと力を使い過ぎちゃってさ。体を維持するのが難しくなっちゃってね……」
「それって、それって私の……」
「別にリアちゃんのせいじゃないよ」
私の言葉を首を振って彼が否定する。
「ぜーんぶボクが悪いんだ。自分で厄介ごとの種をまいて、それを回収しただけだもん。誰かのせいじゃないんだ。全部、ボクのせい」
「でも、私が、私が……こんなことしなければ」
「うーん。まぁそういう見方も出来るけどね」
「私のせいだよ……私が、私が……」
そう言いながら自分を責める私を見て、セイ君が苦笑する。そしてまた言う。
「そう思うなら、ボクの事助けてくれると嬉しいな」
「助ける?」
「そう、その筆の中にボクの力が残っちゃってて取り出せないって話はしたよね。なんとかそれを取り出して、それを返してくれれば多分消えなくて済むからさ」
「でもどうすれば……」
「そうだね。ボクも分かんない。無責任だけど何とか方法を探し出してくれると嬉しいな」
セイ君の足が地面に着く。そのころには彼の体は随分薄くなってしまっていて、私を支えているの腕の熱も、ほとんど感じられないほどになってしまっていた。
彼が私の事を地面に降ろす。ふらつきながらも何とか私はそこに立った。
セイ君の隣に中空からハコさんが姿を現す。今まで邪魔にならないように姿を消していたらしい。
「セイ様、私が考えますに……」
「うん。後は任せるよ。ごめんね、ハコさん」
「はい……。では……」
二人の間だけで通じる会話をして、ハコさんに描かれた金色の鳥が翼を大きく開くと、嘴を開いた。
スゥ、と音はしなかったけどそう聞こえた気がした。
セイ君の消えかけの体がハコさんへと吸い込まれるようにして粒子と化して消えていく。同時に金色だった鳥の姿が、黒色へと変わり始めた。
すっかり彼の事を吸い込み終わった後、真っ黒になったハコさんが口を開く。
「ケフッ……。消えかけとは言え、流石は神……。この絶大容量収納型式神ハコを持ってしても限界ギリギリ胃もたれフィーバーと言ったところでございますか……」
「ハコさん……何をしたの?」
私が問いかけるとハコさんはジロリと私の事を睨みつけてから、その問いに答えた。
「セイ様を私の中へと保管しました。あのままでしたら後五分程で消えておりましたので。私の中に入り、世界との干渉をほぼ完全に絶つことで、その時間を約24時間へと延ばすことに成功いたしました」
「24時間……?」
「そうです。あと丸一日の間に何とかせねば、セイ様は死にます。そしておそらくそのままワタシも……」
「この筆からセイ君の力を取り出さないと、死んじゃう……」
手に握った棒を見る。
「不承不承ではございますが貴方の手伝いをいたします。その筆からセイ様の力を抜き出す方法を何とかして探し出しましょう」
私はその声に頷く。
何とかしなければ、セイ君は消えてしまう。優しい彼が、温かい彼が。そう考えると自分も何かをしなければと、そう思う。
助けてくれた彼のために、私がどうにかしなければ、と。
そう考える私の耳にどこからか声が聞こえてきた。
「柔軟なる土に
精霊魔法の行使だ! そう思った次の瞬間には、私の右足が柔らかく蠢く土によって地面に巻き込まれるようにして束縛されていた。
「おっと……」
別の土の渦が中空を浮かぶハコさんにも向かっていく。
ハコさんはその姿を消して土からの捕縛を回避した。
私はそれを横目で確認しながら、声が聞こえた方向を見た。
誰かが、私に向かって魔法を放った誰かが、こちらに向かって歩いてきている。
白衣を身にまとった大人の男性だ。その人が私に向かって精霊魔法を行使しながらこちらに近づいてくる。
「動かないでくださいね、リア・パンテン。私は別に貴方の事を傷つけたいわけではないのです」
一歩一歩近づいてくる。その顔が見える。
ディートフリート先生だ。にこやかな顔で私の事を見ているが、その目は一切笑っていなかった。
先生が私に近づき、その手を伸ばしてくる。右手に持ったセイ君の力がこもった棒に触れ、それを私から奪おうとしてくる。
「駄目っ!」
思わず、私はその手を振り払うような動きを取ってそれを守ろうとした。
でも、大人と子供の力の差だ。肩を掴まれ無理やり先生の方を向かせると、顔を思いっきり殴られてしまう。
衝撃に頭が真っ白になる。私はその場に方膝をついて倒れこんだ
「抵抗しないでください……」
そういうと先生は私の手から灰色の筆を奪い取った。顔に怪しい笑みを浮かべてディートフリート先生が笑う。
「ふふふ……、あの力。ふふはははは……!」
またよくない何かが起ころうとしている。私は確かにそう感じた。
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