第17話 光之利剣
学校をはるかに
ペン先に黒い力が溜まっていく。セイの『記述』の神としての力が。
その力で何かを
学校の教室の中にいた人間達が、校庭に飛ぶその異様な黒を見つけ騒ぎ始めた。
教師の中にもそれに気づいた人間がいる。
だがそれが何か理解するにも、少女を止めるにしても時間が足りない。
何か対応するにしても、魔法を唱えリアを止めるだけの猶予は既に彼らに残されていなかった。
もはやリアを止めることが出来る人間はその場に誰もいなかった。
この絶望の黒を止めることが出来る人間は、ただ一人としてそこにいなかった。
校庭で少女を見上げる一柱の神を除いては。
「ボクのせいだ……」
セイが空を見上げながら手を握り締める。力がこもった手からは血の気が引いて白く染まってしまっていた。
そんな主の横を飛ぶハコがセイに声をかけてきた。
「セイ様。流石にあの力、神である貴方とは言え受けきることは不可能です。早く逃げるべきだと思われますが?」
「逃げる? 馬鹿言わないでよ」
セイはハコを睨むようにして一瞥した後、空を見上げなおす。
「あの子がああなっちゃったのはボクの責任だよ! その責任をほっぽり出して逃げ出すなんて、できるわけないでしょ!」
その言葉をハコが更に否定した。
「いいえ。貴方は逃げなければなりません。逃げると言わなければなりません」
「何言ってんのさ、ハコさん!」
いつになく自分に逆らおうとする式神を、セイは苛立たし気に見た。
描かれた鳥が主を見返すと式神が言う。
「権能を使うおつもりでしょう?」
セイは口をつぐみ、その問いに答えなかった。
眉根を寄せ視線をそらしてしまう。だが、その行動は暗にハコの言葉を肯定していた。
「おやめください。貴方に残された神の力は多くありません。あの小娘から離れ、ただでさえ不安定な状態を、力で無理やりこの世界につなぎとめているのです。そんな状態で権能の力を使うなど自殺行為です。第一、力の行使はもう一度しか出来ないのでしょう? 今、全て吐き出してしまうおつもりですか? 力を使い果たすということは、すなわちセイ様自身の死を意味するのですよ? そしてそれは単純に貴方の死だけを意味するものではありません」
ハコがセイににじり寄ると言葉を続ける。
「残してきた貴方の世界はどうするおつもりですか? 魂の管理者である貴方を失えば、あの世界間違いなくいずれ滅びますよ。神としての責任を全て放棄してしまうおつもりですか?」
その言葉にセイは答えない。
ハコは詰問するように、まっすぐ主の事を見続けている。
一柱の神は、自分が生み出した式神を
筆先に宿った黒い球状の力は、徐々に大きくなっていっている。
あれはセイの力だ。
世界の歴史を『記述』するために、創造神から賜った神威の力だ。
それが物の歴史を塗りつぶすような使われ方をするとは、そしてそれが出来るとはセイ自身思ってもみなかった。
おそらくその力を引き出したのは、少女の絶望に原因があるのだろうと、そう思う。
孤独に苦しみ、もがき、懸命に生きて、ただただ生きることにのみ全力を尽くしてきた。
誰にも迷惑をかけず、己の不出来を自覚しながらも、それでも何とか這いずってでも前に進もうとしていた。
だというのに心無いものに自らの大切な物を踏みにじられ、少女の心が絶望の黒にすっかり染まり切ってしまったのだ。
そのリアの絶望があの塗りつぶす漆黒の力にこもっている。
セイは一度瞳を閉じ、ゆっくりとそれを開くと心を決めた。
助けよう。
それが出来なければ何が神だ。
悲しみの淵にいる少女を助けることが出来なくて、何が友達だ。
絶対に、何としても、この身を削ってでも。
救おう。
セイはそう決めた後、両手を左右に大きく開くと勢いよく胸の前で打ち合わせた!
そして校庭中に響けとばかりに高らかに叫ぶ!
「我が『神々の歴史書』よ! ここにあれ!」
セイの背後に、虚空より一巻の巨大な巻物が現れる。
セイの身長を優に超す大きさだ。その巻物が一柱の神の後ろで広がる。
神の意志の力を受けてか、以前より巨大化した歴史書がそこに出現した。
「セイ様?!」
主の突然の行動に焦った声でハコがセイの名を呼ぶ。一柱の神はその声に答えた。
「ごめん、ハコさん」
「ごめんではありません! 権能の行使はしてはいけないと言ったではありませんか! それをなぜ!」
「ごめん、でも」
セイが天を見る。
今にも放たれようとしている黒の力のそのもとには一人の少女がいた。
巨大な、学校全てを包んでしまいそうな程にまで膨れ上がった大きな力に比べて、少女はあまりにも小さかった。
誰が信じようか。
使いようによっては世界を滅ぼしかねない力を行使しようとしているのが、ただの小さな子供だということを。
ただの泣いているだけの少女だということを。
誰が信じるだろうか。
「助けなきゃ……ボクが、ボクがやらなきゃ!」
「助けなきゃですって?! 馬鹿なことをお言いになるのはやめてください! 今の状況の最適解は一旦退避して、あの小娘が落ち着いてから力を取り戻すことです! 助けるですって?! 放っておきなさい! 優先順位を間違ってはいけません!」
「一番優先すべきなのはリアちゃんだよ! ボク達が、いやボクが巻き込んだんだ!」
「だから放っておけと言っているのです! 学校が一つ歴史から消え去るでしょうがその程度どうでもよろしいではございませんか?! 御身をまず第一に考えてください!」
「放っておけるもんか! 今、あの子は混乱してるんだ!
「それがどうかしましたか?!」
「今助けなきゃ、あの子もう戻ってこれないよ! ここにいた人間全てを消してしまったと知ったら、あの子もう正気じゃいられない!」
「だから! 小娘のことなど放っておけと言っているのです! 何故それほどまでにあの娘にこだわるのですか! 巻き込んでしまった罪悪感からですか!」
「違う!」
一際強くセイが声を上げる。
背後の巻物が動き出した。神の力の行使が始まっている。
巻物が左から右へと巻き取られ、セイが望む歴史を探し始める。
「今のあの子は昔のボクだ……。周りの人が皆敵に見えて、世界に絶望して、自分の殻に閉じこもって、近づくもの全てを傷つけようとしているんだ……!」
巻物の動きが止まった。
一つの歴史が記された部分だ。
数十行の文とその横に暗黒の中に浮かぶ人影、更にそれと対峙する輝く女性の挿絵が描かれている。
「でもそれじゃ駄目なんだ。誰かがあの子の目を、覚まさせてあげなきゃいけないんだ! 助けてあげなきゃいけないんだ! 伝えてあげなきゃいけないんだよ! 君は一人じゃないんだって! ボクが姉さんにそうされたように!」
「
力を行使しようとするセイを押しとどめるように、ハコが自らの体を主の顔の前に浮かせた。
「それで貴方が死んでしまっては、意味がないではありませんか!」
「それでもやらなきゃいけないんだよ! これはボクにしか! 今ここにいるボクにしか出来ない事なんだ! それにさっきから死ぬ死ぬ言ってるけど、死ぬ気なんてこれっぽっちもないよ!」
「なんですって?!」
「あの子の目をちょーと覚まさせて、その後すぐに力を回収すれば、それで問題なしじゃん?! 違う?!」
「馬鹿ですか、貴方は……! それが出来ればこんな苦労は……! ああもう!」
ハコが振り返ると裏面をセイに向け、拗ねてしまったような態度を取った。
「ご勝手になさればよろしいでしょう! この敏腕優秀秘書型式神ハコの言うことを聞けないというのであれば、えぇえぇどうぞご勝手になさってください!」
セイはヒステリックに告げたハコの大声に目を剥いたあと、申し訳なさそうに告げた。
「あの、えっと。ごめん。ハコさん……」
「………………」
ハコは答えない。セイは自らが生み出した式神を覗き込むと再度言葉を続けた。
「悪いんだけど……後の事は頼んでいいいかな?」
「知りません……! もうワタシは本当に知りませんから!」
「ハコさん拗ねないでよ。これはハコさんにしか頼めない事なんだ」
「知ったことじゃありません……!」
「あ~、ハコさん……? ねぇってば……」
「…………知りません。そんな……勝手にすればいいでしょう……」
ハコがセイへと向き直り、怒ったような、やるせなさそうなそんな声色で式神が主に答える。
「後の事は私に任せて勝手になさればよろしいでしょう……! ええ、もう勝手に!」
ハコがついに根負けしてそう答える。
その後邪魔にならないように姿を虚空へと消した。
それに心底申し訳なさそうな顔をするとセイが告げる。
「ごめんねハコさん。ありがとね……」
そう言った後、改めて一柱の神は空を見上げた。
黒の力は極大点に達しようとしている。それが落ちてくるときは近い。
その前にやらなければならない。
「でも、見捨てるなんて出来ないよ……。あの子は本当に、本当に頑張ってきたんだから……。だから……!」
体中に神の力を溢れさせるとセイは言葉を発した。
「助けてみせるよ! 絶対に! さぁ、世界よ! 想起せよ! 創世の暦より736年! デンジョウインヒルメとアメノセイの歴史! 『昼夜大戦争
巻物が光を放ち、世界への干渉を始める。
同時に塗りつぶしの黒球も動き始めた。少女が上空で声を上げている。
「もう、もう、もう……!」
筆を両手で持ち、それを全身の力を込めて真下に向かって振り下ろす!
「全部消えちゃえぇぇぇぇぇぇ!」
歴史を消す暗黒の力が、マギアフィリア魔法学校に向かって降り注ぐ。
巨大な塗りつぶす黒が、あらゆる存在を消し去ろうとにじり寄る。
全ての人間がそれを見ていることしか出来ない。
あまりにも強大な神が振るうべき力を前に、身動き一つ出来ずそれをただ見ていることしか出来ない。
ただセイだけが、『夜と記述』の神であるアメノセイだけが、その中で抗おうとしていた。
黒衣に身を包んだ一柱の神の周りに光が現れる。
見てみれば、セイと重なるようにして長い黒髪の和装の女性が、薄く姿を現していた。
歴史が想起されている。
天上界を闇で閉ざした悪なる神を、太陽の神が打ち負かした時の歴史が、時を越え、世界を越えて、今ここに再現され始めていた。
セイの声とその女神の声が折り重なって響く。
『光よ。我が光よ! あまねく照らす神光よ! 満ちよ! 重なり、別れ! 生まれ、そして消えつつも! 光よ! 今、ここにあれ!』
光がまた現れる。
セイ達を中心に幾つも幾つも。神が祝福する光明がその場に広がる。
それを感じながら、セイが自嘲するようにつぶやいた。
「まさか、夜の神のボクが光の力を使う事になるなんてねぇ……」
そう言うセイの周りに光が満ち、それは校庭中を、学校中を染めるほどに増えていった。
セイと重なる女神が、空を見上げて語りかける
『この馬鹿! 目を覚まさせてあげるからありがたく思いなさい!』
「……ひどい言い方。でも……」
この姉もきっと、今の自分と同じような気持ちだったのだ。
迷子の子供に手を差し伸べるような、泣いてる子供の手を引くような、そんな気持ち。きっと。だから。
セイもまた自身の姉と同じように上空を見上げる。
「助けるよ……リアちゃん……! こんどこそ、ちゃんと!」
重なる二柱の神が合わせていた右手を横に振る。
その手の先に、刃が剣先に向かって七つに分岐する剣が現れた。
それを握ると同時に左手を上空に掲げて声を上げる!
『行け! 光よ!』
既に学校中のいたるところに広がっていた光が、一斉に上空に向かって飛び立った!
それは時に一つになり、時に無数に別れつつ、落ちてくる黒球に次々にぶつかるとその落下速度を減速させた。光が抵抗し、闇の落下を防ぐ。
その間に重なり合う神々は、七支の剣を胸の前に掲げ、瞳を閉じ力を込めた。
『この手に握るは未来を生み出す
そう言い目を見開き、足に力を込めると、二柱の神は天空に黒く輝く球体へ向かって怒涛の勢いで飛び上がった!
勢いもそのままに、手に持つ剣を振り上げると黒球に向かって振り下ろす!
神の力と力がぶつかり合い、衝撃が広がった!
疾風が大地にまで伝わり、木々が揺れ、教室の窓ガラスが悲鳴を上げる!
それでも黒球の力を抑え込むに至ってはいない!
じわりじわりと押し込むようにして、塗りつぶす黒の力が地表に向かって落ちてくる!
体全体を押し付けるようにして、黒球を押し返そうとするセイが更に声を張り上げた。
『光よ! 我が千光よ! 集え! この手の
黒球を抑え込んでいた光がセイの元へ、その手の剣の元へと集まり始める。
抑止の力が弱まり、淀んだ塗りつぶしの黒の落下速度が急激に増加した! セイ達が押され始め、大地に近づいていく!
それにも構わず重なり合う二柱の神は声を張り上げ、さらに剣へと力を集中させた。
『千の光は一つの巨光となる! 集いし光は万物を照らしだす太陽の具現と化す! 万魔を祓う無敵の
光が集まっていく。
しかし、それが全て集いきる前に、黒球の中へとセイは飲み込まれた!
黒球を押しとどめていた光の力が手に持つ剣一点に集中してしまったせいだ。塗りつぶしの黒の中に、重なり合う二柱の神が吸い込まれるように消えていく。
黒球の動きが更に加速した!
地表に向かって、歴史を、過去を塗りつぶす漆黒の悪意が突き進む!
影が落ち、陽の光を遮り、それが落ちてくる! 動きが止まらない!
学校の一部が黒球に触れ、その一部が跡形もなく消えさった! 歴史が消える。そこにあったという事実が、世界から消え果て消失する!
しかし、黒球がさらに学校を飲み込もうと進んだその次の瞬間! 黒球の中心から声が響いた!
『世界よ! さぁ刮目せよ! 千光集結! 光之利剣よ! ここにあれ!』
黒球の中から外に向けて剣閃が煌めく!
落ちる黒球の速度よりずっと速く、塗りつぶす黒のその中から、外界へ向けて光り輝く剣が幾度も振るわれる!
万魔を払い、光をもたらす神光が黒球を細切れに切り裂いていく!
『はあああああああああああああ!』
漆黒の球体の中、セイが叫びをあげるとともに、幾十、幾百、幾千の剣閃が輝き、黒球の中で暴れまわる!
黒球の動きが止まった! その悪意の力が、光の剣の力により切り裂かれ、力を失っていく。
切り刻まれ、分断された黒球の中に剣を構えるセイ達の姿が見えた。
巨光と化した七支の剣を高く両手で掲げると、彼らは漆黒の球体の中で叫んだ!
『光明よ! 世に満ちよ!』
その声と供に、剣に込められた神光の力を重なり合う二柱の神は爆散させた!
黒球はその退魔の奔流に耐えられなかった! 塗りつぶす漆黒の力が、光の瀑布に散らされるようにして、黒煙となり空気に溶け消えていく!
消え果てる! 世界を塗りつぶそうとした神の力が、太陽の神のその神威を受けて、跡形もなく消失していく!
しばらくすると巨大な黒の球体は完全に消えさり、ただそこに重なり合う二柱の神の姿だけが残った。
神々が上空を見上げる。
リアが呆然とした顔でその様子を見ていた。
「嫌……なんで……なんで……」
心ここにあらずと言った様子で、ただ口を開きそうつぶやく。
セイが剣を構えるとそのリアに向かって猛烈な勢いで飛び上がった! 一瞬でリアの目の前までやってくると、鬼のような形相で少女を見る。
「ひっ……!」
そのセイを前にして、リアが小さな悲鳴を上げる。
少女を前に、二柱の神は手を振り上げると声を揃えて叫んだ。
『この大馬鹿ぁ!!』
リアの小さな頬を神は渾身の力を込めて張った。
少女の意識が衝撃で一瞬で落ちる。
自らの放った黒い塗りつぶしの力と同じような、空虚な暗黒の中へと意識が落ちて行く。
神の力を振り回した少女は、重なり合う二柱の神に支えられ眠りに落ちてしまった。
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