第16話 終わる日常①


 翌朝、太陽が昇りしばらく経ってから、リアの部屋の扉が開いた。


 セイは自分の体を通り抜けていった木製の扉を見て、慌てて立ち上がると振り返る。

 そこにリアがいた。


 酷い顔をしている。

 目は充血して真っ赤になり、あまり眠れなかったのか、目の下は黒く染まっていた。

 少女が小さな声で、誰の姿も見えない廊下へ話しかける。


「セイ君……。いる……? 昨日はごめん……。中に入って……」


 セイは辺りを見渡して、人影が見えないことを確認すると、現実世界に干渉して姿を現した。

 そうした後、一柱の神は眉を寄せうつむきながら、少女へと意味を持たない言葉を告げる。


「リアちゃん……。その……ボク……」


「ごめんなさい……。私……私……」


 ドアの前でそう言い合い、二の句を告げれず固まってしまった二人を見て、ため息をつきながらハコが現れると促した。


「いつまでそうしているおつもりですか? 人が来る前に早く部屋の中に入ってください」


「あ、そうだね……。リアちゃん、いいかな?」


「うん……」


 リアが頷き、誘導されるように一柱の神とその式神は、少女の部屋の中へと舞い戻った。


 音を立てずにドアが閉められる。

 そうして少し間があった後、リアが口を開いた。


「セイ君……。昨日はごめん……。私、本当に酷いことを……」


 セイは首を振ると、少女の言葉を否定した。


「そんなことないよ。リアちゃんは昨日、あんなひどい事されたんだもん……。全然気にしてないから。むしろボクの方こそごめん……」


「だけど……」


 またリアがうつむいてしまう。

 セイはそれを見て、ゆっくりと少女へ近づくと、その頬をそっと両手で包み込んだ。


 リアの泣きはらし火照った顔にセイの冷たい手が感覚が、染み渡るように広がる。


 顔を覗き込むと、セイは努めて穏やかな口調で、少女へと話しかけた。


「ほんとに、ボクは気にしてないからさ。それより、リアちゃんこそ大丈夫? 昨日殴られたところはもう痛くない? 目もこんなに真っ赤にしちゃって……」


 セイの細い指がリアの目の下の辺りを撫でる。

 下を見ていた視線が、長い前髪の間から、自分の事を慰めてくれる神の顔を見た。

 整った顔の青い瞳が、自分の事を心配気に見ている。


 その顔から思わず、リアは視線を逸らした。

 自分をまっすぐに見てくるその瞳に耐え切れず、少女は目線をずらした。


 昨日からずっと考え続けていたことが、また頭をもたげる。

 その不確定な不安に耐えることが出来ず、リアはセイへと問いかけた。


「ねぇセイ君……。聞いてもいいかな?」


「何、リアちゃん」


「もし、力を……。セイ君が神の力を取り戻すことが出来たら、セイ君はどうするの?」


「それは……」


 セイが少し逡巡するように言葉切って、その問いに答えた。


「元の世界に戻らないと……。向こうの世界のことが心配だし、ボクがいないとあっちの世界は滅んじゃうかもしれないから……」


 少女はその言葉を聞いて、ピクリと一瞬だけ震え、その後儚げなぎこちない笑みをセイへと返した。

 手が一柱の神の手を握る。


「そうだよね……。セイ君にはセイ君の都合があるもんね……」


 セイは慌てて言葉をつけたした。


「で、でもまだ帰る方法も分からないし、力の取り戻し方が分かるまでは帰りようがないし、それに戻ったとしても、リアちゃんのとこにまた来るよ!」


「大丈夫、気にしてないよ……。大丈夫だから……」


 分かっていたことだ。また少女の奥底で声がする。


 彼は神様で、自分はただの人間。

 彼には彼の生活があって、自分はその邪魔にしかならない。

 そう、少し考えれば分かったことなのだ。


 独りぼっちだということは。

 虐められているという現実は。

 講義にまともについていけていないという実力は。

 何も、何も、何も、何も、何も、何も、何も何も何も何も何も。


 変わってなどいなかったのだ。


 

 リアがセイの手をそっと引きはがす。

 少女がまた薄い笑みを浮かべると一柱の神に言った。


「講義に行かなきゃ……。着替えるから一回外に出てもらってもいい?」


「えっ、あ、うん……」


 リアの顔は昨日とは違い穏やかなものになっている。

 だが、その心の距離が昨日よりずっと開いてしまったように、セイは感じた。



――――――



「どうしよう、ハコさん!」


「このやり取り何度目ですか……」


 寮から授業棟に向かう渡り廊下を、リアの後ろについてセイとハコが歩きながら話をしている。


「いや、今回はほんとに深刻だよ! どうするの?! リアちゃんのあの顔見た?! 笑ってたけど、もう何も信じられないって顔してたよ! どうしよう!」


「どうしようも何もないでしょう。我々が元の世界に帰るというのは決定事項です。小娘には納得してもらうほかありません」


「そうだけどぉ! でも、もっとうまいやり方があると思うんだ、きっとさぁ!」


「結論は変わらないでしょう? 元の世界には帰る。この娘は説得する。それ以外の結論がおありですか?」


「うあ~……。ほんともうっ! ハコさんとの会話って、考えを整理するのには向くけど、解決策を編み出すのには向かないよね……」


「当然でしょう。私が口にしている考えは、貴方がそう言うように仕込んだものです。これ以上の解決策を求めるなら、ご自身で何とか思いついていただくほかございません」


「それは、そうなんだけどぉ……」


 そう言われて考えつけるのであれば、こんなに苦労はしていない。


 結局、ハコとの会話は一人で思考を口にしながら、どうするべきか確認しているのと変わりはないのだ。

 有効的な解決策がハコの口から出るのは期待出来ない。


「う~ん。時間……時間かぁ……」


 夜にハコが口にした言葉を思い浮かべる。


 長くはないが、確かにある。

 体に残った神の力は、もう最初の三分の一まで減っていたが、それでも確かにある。


 何とか円満に解決する方法を探さなければならない。


 折角仲良くなったというのに、今のようにギクシャクとしたまま終わるというのは、あまりにも無常だ。


「今のままが嫌ならば、何とか考えてください。貴方がそうするしか、現状を変えようがありません」


「そうだねぇ……。そうなんだよねぇ……。考えてみるよ。時間ならまだあるし」

 

 ため息をつきながら、一柱の神がそう締めた。


 しかし、その時間はセイが考えているほど長くは残されていないようであった。


「えっ?」


 半透明の神の足元を黒い影が通り過ぎる。

 何か、と目線を下げてみれば、小さな影がリアに向かって飛びかかるところであった。


「きゃあっ!」


 悲鳴を上げて飛びつかれた少女が体勢を崩す。

 影の正体はいつか見た尻尾の長い狐のような生き物だ。


 リアを虐めるギリアムの使い魔に相違ないだろう。

 その使い魔が少女のローブの中に潜り込むと、その中を不躾に探り始めた。


「いや、駄目! やめて……!」


 リアの慌てふためく様子を廊下を行きかう生徒たちが見た。

 だが、誰もそれを気にもとめず歩き去っていく。

 下々の出自である少女の事を、気に掛ける人間はその場にいないらしい。


 セイも半透明な姿のまま、あたふたとそれを見ていることしか出来ない。

 そうしていると、ローブの裾から使い魔が抜け出してきた。


 その口には灰色に鈍く光る棒が咥えられている。


 セイとリアが同時に息を飲んだ。


 口に咥えられていたのは、セイの力がこもった遺物であったからだ。


 使い魔がそれを咥えたまま渡り廊下の外の、人気のない中庭に向かって走り去っていく。


「いや! ちょっと! 待って!」


 奪われた力を追いかけてリアが走る。


「あ、ちょっと!」


「セイ様、我々も追いませんと!」


 そのあとを追うようにして、セイとハコも続いた。


 しばらく鬼ごっこを続けた後、使い魔は大きな木の影へと走りこんでいった。


 リアもその小さな体を見失ってしまわないように、急いで大木へと近づいてく。


「リアちゃん! ちょっと待った!」


 何かに気が付いたセイが、木へと走り寄るリアへ制止の声をかけた。


 だが、一柱の神はその時、顕現して実体を持っていなかった。

 当然、少女に声が届くこともなく、大木の影へとリアは歩みを止めずに近づいていく。


 すっ、と影から腕が伸び、リアの細い腕をつかむと小さな体を思いっきり木に向かって叩きつけた!


「ひぐっ!」


 小さな悲鳴をリアがあげ、突然の事に混乱しながらも、自分を叩きつけた相手を見た。


「……よう」


 数人の少年たちがそこにいた。

 先ほどの使い魔の主であるギリアムとその取り巻きたちだ。


 彼らが一様にいやらしい笑みを浮かべると、木に叩きつけられたリアを見た。


 背中から思いっきり木にぶつかり、痛みに顔を歪めたリアが、その少年たちを長い前髪の間から確認する。

 逃げ場をなくすかのように、自分を囲む少年たちを見て、少女は恐怖した。


 ギリアムが一歩近づき、リアの後ろの木を殴りつける。


 少女の顔のすぐ横の部分だ。鈍い音が響いて、リアはまた震えあがった。


「どうした? 震えてるのか? この僕を虚仮にしたんだ。文句は言うなよ?」


 少女がその言葉を否定しようと口を開く。


「虚仮になんて……」


「したろ!! お前!! 僕が廊下でこけた時も、こっち見て笑ってた! あの教師に叱られた時も笑ってたんだろ! 声が聞こえたんだよ!」 


 完全な言いがかりだ。セイに足を引っかけられてこけてしまった時、リアは振り向いてはいたが笑ってはいなかった。

 バングに叱られた時にしてもそうだ。完全に記憶をねつ造してしまっている。


「お前のせいだ。お前が……お前が僕を……!」


 ギリアムが端正なその顔を歪めて少女に迫る。

 あの日、バングに自身の不正をあばかれた時から、少年の生活は一変していた。


 これまで少年の周りには、数えきれないほどの人間が集まり、対応に苦労するほどであったのだが今は違う。

 不正を犯し、バングに叱り飛ばされた少年に失望してか、距離を取り始める人間が増え始めていた。徐々に徐々に、周りにいる人間が消えていき、気付けば周囲にいるのはほんの数人になっていた。


 その数人もギリアムの事を見ているわけではない。彼の背後の、国家の中枢に確固たる席を持っているクルーソー家に媚びているだけなのだ。

 それに気づき、少年のプライドはズタズタに切り裂かれていた。


 ギリアムは今不満の塊であった。そしてその不満を誰でもいいからぶつけてしまいたかった。

 その対象に選ばれたのがリアだ。孤立しているリアをストレス発散の道具に選んだのだ。


 少年が手に魔力を込めると呪文の詠唱を始める。

 精霊魔法の行使を行うつもりだ。


「揺蕩う水に流れる精霊よ……! 我は望むその力の行使を! わが手に水球を生み出せ! 『ウォーターボール』!」


 精霊達が少年の声を聞き、彼の右手に水の塊を生み出した。手のひらよりも大きい、人の頭ほどの大きさの水球だ。

 その彼の肩に使い魔の魔獣が飛び乗る。口元には少女から奪った灰色の棒が咥えられていた。


「ゲームをしようぜ、クソ女……。これからこの水球でお前の顔をすっぽり覆う。僕が十数える間お前が耐えきれれば、お前から取ったこの棒を返してやるよ。我慢できなかったら……そうだな。裸にひん剥いてその辺に捨ててやる……この棒もどっか適当なとこに投げ捨ててやる」


 少女は顔を青ざめさせながら、その言葉を聞いていた。思わず逃げようと足先を動かすが、腕を掴まれ逃げることも出来ない。


「さぁ、始めるぞ……」


 嗜虐に満ちた笑顔をギリアムが浮かべ、水球をリアへと近づける。その顔に蠢く水の水面が触れた。

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