第15話 変わらない私は①
「びっくりしたよ……。ほんとに……ほんとにびっくりしたんだから……!」
少女が胸に手を当てて呼吸を整えながら、セイに対してそう文句を口にする。
あの後、リアまで急いで追いついたセイは、歴史の想起を終わらせると、眠っている警備の魔獣の横を通り抜け、何とか誰にもバレずに学生寮のリアの部屋まで戻ってきていた。
服装も着物から元の服に戻っている。
リアの体にも、もう黒ずくめの神の姿は見えなかった。
戻ってきてからからしばらく経っていたが、少女の動悸はまだ収まってはいないようだ。
さもありなん。通常の人間では経験もできないような出来事を一晩のうちに何度も体験したのだから。
部屋の灯りはついていない。
既に消灯時間はとっくに過ぎていた。窓からこぼれる月明りだけを頼りにベットに座って二人は会話をしている。
リアの言葉にセイがアワアワと焦るようにして声を返した。
「ご、ごめん……。その急がなきゃって思ってて、慌ててたから……説明足りなかったよね……ごめんね」
「いや、そんな……謝ってほしいわけじゃなくて、その、びっくりしただけだから……こっちこそごめんなさい」
謝り合う二人の様子を見ていたハコが嘆息しながら姿を現すと、主へ向かって告げた。
「はぁ……たわむれ合うのもその辺りにしてください。結果だけを見れば、権能の力を取り戻し、無事にここまで戻ってきたわけです。目標は完遂、最上の結果と言ってもいいでしょう」
「それは……そうだよね。……これでセイ君達は消えなくて済むんだよね?」
「そう! そうだよ! ほんとに助かっちゃった! いやー、リアちゃんの協力がなかったらこんなに上手くはいかなかったよ!」
セイがリアの両手を手に取ると満面の笑みを浮かべてそう礼を告げる。
少女は一柱の神の突然の行動にサッと顔を赤く染めると、視線を逸らした。
「そ、そうかな……そうなら私もうれしいけど……」
「いやいや、もっと自信持っていいんだよ? ほんと、ありがとね!」
手をブンブンと降りながら、セイが礼を告げる。
そのまま会話を続けようとする二人の顔の間に、ハコは自分の体を押し込むと、主へと声を投げた。
「セイ様。いい加減にしてください。言うまでもないと思いますが、今はすぐにでも
「そっか。確かにそうだね。よし……!」
ハコの声に答え、セイは袖の中に入れていたくすんだ銀色の棒を手に取りだすとそれをマジマジと見つめ始めた。
眉をぎゅっと寄せてそれを見て、裏返し、角度を変え、回し、月光を当て、それをただただ見る。
その後難し気な表情を作ると一柱の神は口を開いた。
「ところで、どうやってこれからボクの力取り戻せばいいの?」
沈黙がその場を支配した。
「「えぇ…………」」
ハコとリアの声が揃ってその場に響き、夜は更けていった。
――――――
朝、私は目を擦りながら授業棟へと向かう渡り廊下を歩いていた。
昨日の出来事が尾を引いている。
少しは眠ろうと横になったが、学園中を飛んだり跳ねたりして心が高ぶってしまっていたらしい。
どうにも眠りにつくことが出来ず、まんじりともせず朝を迎えていた。
制服のローブについた胸の内ポケットの辺りを、何とはなしに手で触る。
固い金属のような感触が布越しに感じられた。
夜中に盗んできた遺物がそのままの姿でそこにあった。
セイ君は自分の力を結局、取り戻すことが出来ずにいた。
まず間違いなく盗ってきた灰色の棒にセイ君の神の力は宿っていると、確かにそう言っていた。
だけどその力は染みついてしまったように、この棒にこびりつき、取り出すことが出来ないみたいだった。
彼は遺物を持ったまま、太陽が昇るまでひっくり返したり、擦ったり、噛みついてみたりしていたみたいだが、どれも効果はなかったようだ。
そうしているうちに、気づけば私が講義に出る時間になった。
私はセイ君の事を思って、仮病を使って講義を休もうかと問いかけたが、私にこれ以上迷惑をかけるわけにはいかないから、とセイ君はその申し出を辞退した。
別にそんなこと気にしなくていいと言ったのに、彼は頑として聞き入れてはくれなかった。
部屋の中にほったらかしにして置いておくわけにもいかないので、今は私のローブの中にあの遺物はしまってある。
彼の本当に申し訳なさそうな顔思い出して、顔が難し気に歪んでしまう。
あんな顔しなくていいのに、とそう思う。
悪いのは私なのだ。
セイ君を無理に召喚してしまったせいで、彼の生活を無茶苦茶にしてしまった。
それだけじゃない。力を失わしてしまったり、消滅させかけてしまったり。
彼には本当に申し訳ない事ばかりしてしまっている。
だと言うのに、セイ君はずっと私の事を助けてくれているのだ。
そう思うから、こっちを気遣うような顔はしてほしくない。
悪いのは私で、彼はその被害者なのだから。
でも――
「…………ふふっ」
その優しさに胸が包まれるような思いがして、口が知らず笑みの形を作った。
こんな思いは故郷の村にいた時以来、感じた覚えがない。
誰かが側にいて、その誰かと通じ合っている。
そう思えるだけで嘘みたいに嬉しくて、胸が温かくなった。
何とかして私も彼の助けになりたい。
側にいて私の事を手伝ってくれたセイ君のように、私自身も彼の助けになりたい。
そうすれば、こんな私でも何か変われるような気がするから。
一歩だけ前に進める気がするから。
だから、彼の事をちゃんと手助けしてあげないと。
そこまで考えた所で、別の考えが脳裏によぎった。
彼は力を取り戻した後、一体どうするのだろうか。
想像して呼吸が止まる。
今まで通り私と一緒にいてくれるのだろうか。
側にいて、これからもずっと手助けをしてくれるだろうか。
彼は異世界の神だと言っていた。そしてそれは間違いないだろう。昨日の出来事を思い返す限り、嘘とは思えない。
そんな彼が私の事をこれまで通り助けてくれるだろうか。
こんなただの人間の私を。
力を取り戻しても、それでも助けてくれるだろうか。
まさか、いやでもそんな――
暗い考えが胸に去来して、一瞬でさっきまであった温かさが凍り付いた。
いや、そんなことは起きないはずだ。
セイ君は優しくて、頼もしくて、こんな私を大事にしてくれて、だから力を取り戻してもきっと側にいてくれる。
そうだ。そうに違いない。そのはずだ。きっとそう。
私から離れてどこかに行ってしまうなんて、そんなこと起きるはずがない。
きっと寝不足のせいだ。
そういえば準備が遅れてしまって、朝ごはんも食べ損ねてしまっていた。
だからこんな暗い思いが頭の中に入り込んで、外に出て行こうとしないのだ。
そう思い、悪い考えを消そうとするが、胸にこびり付いてしまったように疼き続け、中々消えそうになかった。
そうやって考え事をしながら、うつむきがちに歩いていたせいで、私は目の前から迫ってくる人影に気が付かなかった。
ドンと音を立てて、誰かの胸にぶつかる。
私は慌てて謝罪の言葉を告げた。
「ご、ごめんなさい……!」
前を向く。背が高い男性のようだ。魔法学校の学生服を着ている。
上を見上げる。前髪が邪魔になって顔までよく見えない。
「お前、誰にぶつかったと思っているんだ」
息を飲む。
この声は私が最も恐れていると言っても過言ではない人物の声だ。
「このギリアム・クルーソーにぶつかっておいて、ただごめんなさいだと……?」
ローブの襟をつかまれる。突然の事に恐怖と恐れで手先の感覚が消えた。
体格が全然違う。
そのまま引っ張られると抵抗も出来ず、私は渡り廊下の柱に叩きつけられた。
ドン、と鈍い音と共に、背中に衝撃が走る。
石造りの固い柱だ。
首をすくませて頭だけは守ったが、背に走った衝撃のせいで息が漏れ、呼吸が止まる。
「最近、お前調子に乗ってるだろ……」
クルーソー君が私に顔を近づけてそう言ってくる。
襟筋を掴まれて上に持ち上げられた。
自然、顔が上を向いて彼の顔が見えるようになる。
苦しさに濁った頭と目で私は彼の事を見た。
血走った目が、苛立ちにゆがんだ瞳が私の事を見ている。
周りを囲まれる。彼の取り巻き達が私の事を囲って外から見えなくする。
「あの
バング先生の事だ。
でも、どこでその話を聞いたのか。
私には友達なんていない。誰にも話してなんかいないのに、一体どこからそんな話が……。
何はともあれ状況を変えるため、私は言葉をきれぎれに口にする。
「そ、そんな……ことは……」
「うるさい! この平民がっ!」
そう言うと彼は固めた拳を私のお腹に向かって叩きつけた!
先ほどとは質が違う衝撃が体の中心をえぐる様にして響く。
肺に残された空気が全て吐き出され、鈍い痛みが腹部に走る。
くの字に曲がって私の体は地面に倒れていった。
クルーソー君が握っていた襟から手を離す。
私の体がそのまま地面に倒れ伏した。
呼吸さえままならない。
痛みに呻くことも出来ず、殴られた場所を両手で押さえて、丸くなっていることしか出来ない。
そうしていると今度は頭部に衝撃が走った。
「平民が! 貴族に謝るときはな! こうやって頭を地面にこすりつけて、惨めに許しを請いながら詫びるんだよ! 分かったか?!」
地面に頭をこすりつけられる。
彼の足が私の頭を踏みつけ、踏みにじっているのだ。
私が、私が何を。現実から逃れようとする気持ちがそうつぶやく。
抵抗しなきゃ。心の奥底で私自身がそう叫んでいる。
でも震える体は、萎えた想いは、停止した思考は、痛みに縮こまる体は、その声に答えようとはしなかった。
何もできず、私は嵐が過ぎ去るのを待つように、その場に丸くなっていることしか出来ない。
「ちっ! 糞が!」
クルーソー君がそう吐き捨て、私の頭から足をどかすと踵を返してどこかへと去っていった。
取り巻きの男子生徒達も消える。
地面に限りなく近い視点で私はそれを確認した。
それでも体は動かせない。苦しさに耐えるようにして、そこで体を小さくしているほか、何もできない。
しばらくそうやって地面に突っ伏して、何とか痛みをやり過ごし、私は呼吸を落ち着かせていた。
慣れたものだ。この学校に来てから何度もしてきた行動だ。
どこかで誰かが笑うような声が聞こえる。
気にしてはいけない。耳を貸せば、心が折れ果ててしまう。
耐えねば。耐えねばどうしようもない。
しばらくそうして、ようやく呼吸が整った。
殴られたお腹は、まだうずくように痛みを放っているが、動けないほどではない。
顔をゆっくりと上げてみた。
渡り廊下を歩く生徒達は、私の事を気にする素振りを一切見せず、足早に前に進んでいっている。
誰も立ち止まらず、誰も気にもかけず、まるで私がここにいないかのように、彼らは前に進んでいく。
ただ私一人だけが、そこに横たわっていた。
「なんだ……。結局、何も……変わってなんか……」
何を勘違いしていたんだろう。
世界がそんな簡単に私に優しくなるはずがない。
私は理解していたはずだ。
この世界で、私が独りぼっちで。
私にとって都合がいい事なんて、そう続くはずがない。
私が小さな幸せを感じれば感じるほど、より大きな絶望にそれは打ち壊されるということを。
私は知っていたはずなのに。
そう私は知っていたはずなのに。
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