第12話 動き始める物語
混沌とした部屋に入ったシンシアは紙と本の山をすり抜け、羊皮紙を眺めるバングを見つけた。
「バング先生」
「シンシアか……早かったな」
二人が親し気に挨拶をかわす。
バングの声はこの男にしては珍しいほどに、棘がない口調であった。
女教師が足元に気をつけながら、バングの机の前に立つ。
シンシアとバングは十年以上前に生徒と教師の間柄だった仲だ。
まだバングの顔に傷が少なく、髪の毛もずっと豊かだった時に、ルーン魔法を教える家庭教師として、シンシアの実家に彼は雇われていた。
それもあってか、シンシアはこの強面の鬼教師を年上の親戚のように身近に感じていたのだ。
そのバングにシンシアが丁寧な口調で語り掛ける。
「お時間を頂いてしまって申し訳ございません。ですが、少し厄介な事が……」
「あぁいい……。前置きはなしにしろ。本題に入れ」
「それでは……これを」
シンシアはローブの中から細長い入れ物を取り出すと、バングの机の上に置いた。
それを開き、中身を彼に見せる。
バングは歪んだ顔をさらに歪めてそれを見た。
所々が黒く変色した銀色の棒が、緩衝材として入れられた布の上に鎮座していた。
見覚えがある。
シンシアの実家で家宝として保管されていた遺物のはずだ。
彼女の父親が一度だけ自慢げにそれを見せてくれたことを、バングは覚えていた。
しかし過去に見たそれとは違い、くすんだ黒に変色してしまっている。
詰問するような口調でバングがシンシアへ問いかける。
「こいつぁ……。てめぇ何をした?」
「聞かないでいただけると、嬉しいのですが……」
「あぁ? ……まぁいい。大体分かった。誰にもバレずにこいつを元通りに戻したいってところか……」
「ご明察です……」
リアの使い魔召喚の儀式において触媒として使用したそれは、なんの理由からか黒く変色して元に戻らなかった。
一人で何とか元に戻そうと努力してみたが、どうしても上手く行かない。最後の手段としてバングのところまで、シンシアは持ってきたのだ。
バングがその棒を手に取りジロリと眺める。十五センチほどの長さのそれは細かな装飾が施された見事な一品だ。
装飾を指で撫でながら鬼教師が確認するように声をかける。
「ただの汚れでもねぇ。普通の魔法的な汚れでもねぇ。何かの触媒にしたときについたもんだな、そうだろ?」
シンシアが黙して答えない。
先ほど同じ場所に立っていたリアと同じようにだ。
バングはため息をつくと、立ち上がり足を引きずりながら部屋に積み上げられた紙の束のうちのひとつへと向かった。
山を崩しながらそこから一冊の本を抜き出すと、それを開きページをめくる。
そうして少ししてから、指と目の動きが止まった。目当ての箇所を見つけ出したのだ。
鬼教師がページを読みながら、自分の席へと戻っていく。
「中に何かがこびり付いちまってるんだ。召喚やら転移やら、何か別の物をよそから持ってくる時に起きる。今は完璧な術式が完成されたから起こらんようになったが、数百年前にゃよくあった事象だぞ、勉強不足だな小娘」
「すみません……」
肩を落としてシンシアがそう告げる。
バングはその様子を気に留めることもなく、机の棚から大きめの羊皮紙を取り出すと、筆を手に持ち魔力を込めながら、本に書かれた魔法陣を書き写し始めた。
まるでページをそのままコピーしているのかと疑うほど、綺麗な陣が描かれ始める。
バングが手を動かしながら、シンシアへと問いかけた。
「わざわざ俺のところに来たってことは、他の野郎には知られたくねぇってことだ……。例えばエーデルクロスのキザ野郎とかにな……」
内心でドキリとしながらもシンシアは沈黙を貫いた。
金髪の男性教員ディートフリート・エーデルクロス。
彼女たちの同僚でもあるこの男は、つい最近も自分の事を貶め勢力を広げようと何やら工作をしている様子であった。
そのような行動を取る人間がいる以上、今持ってきた家宝の事は知られるわけにはいかない。
これは出来の悪い生徒であるリアをこっそりと手助けするためだけに、シンシアが取り寄せた物であったからだ。
あのキザな男性教員がこの家宝の事を知れば、彼女の立場を悪くする材料に使う事はまず間違いないだろう。
そうして脅しをかけてから何を交換条件に出すか。考えるだけでもおぞましい。
一層顔をしかめさせたシンシアへ、バングが言葉を続けた。
「あの野郎この前、俺のとこにも来やがったぞ。貴族の糞ガキを叱り飛ばしてやったんだがな。そしたら『このままでは先生の立場が危うい。私が仲を取り持って差し上げましょうか?』だとよ。有力貴族に取り入りたいだけの癖に綺麗ごとをよく思いつけるもんだ……」
「……その提案、お受けになったのですか?」
シンシアは答えが分かっていたが、バングにそう問いかけた。
「受けるわけねぇだろ。サッサと失せろと怒鳴り返してやったわ。グフフッ……」
濁った笑い声を上げながらバングが顔を歪める。
「あの糞には力がねぇ。俺が従うのは俺より強ぇ奴だけだ」
その言葉を聞いて、嘘だ、とシンシアは心中でそう思った。
彼女はバングの事を他の誰よりもよく理解していると、そう自負していた。
そのため、むしろこの男が自分より強い人間の言う事をこそ聞かない天邪鬼のような人間であると、彼女はよく知っていた。
シンシアの顔が少し緩む。
その変化を受けてか、部屋の中の空気が少し弛緩した。
手を動かすバングへ、シンシアが声をかける。
「紅茶のお味はいかがでしょうか?」
「さぁな。色が付いた水ってところだ……」
「一応、王都で流行っている良い茶葉を分けてもらったのですが……」
「あぁやめろ。俺がそんな細かいことに気が付く性質(たち)じゃないのは知ってるだろ」
「今度、私が淹れてみましょうか? それなら少しは――」
「いや、いい。口を濡らす程度の役にしかたたん。そこまでする必要はない」
続くシンシアの言葉を遮るようにしてバングが筆を置く。
羊皮紙には魔法陣が出来上がっていた。
その上に箱から取り出した棒を置くと、魔法陣へと魔力を送り込み、陣に込められた力を行使し始める。
「こびりついちまってるからな、一度溜まった汚れを励起させてその後洗い流す。古臭い手だが、こいつが確実だ」
魔法陣が光を放ち、それを受けて遺物の棒が輝き始める。
黒く変色した部分が浮き上がり全体に広がり始めた。
「ちょいとばかし時間がかかるぞ。明日には終わるが……ここで待つか?」
「いえ……。ご迷惑になりますし、今日はもう帰ります。ここにずっといてはそれこそ変な疑いを持たれかねません」
ディートフリートにバングと何か企んでいるとでも思われては、そちらの方が厄介だ。
シンシアが部屋の外へ向かって歩き出す。
ちらりと後ろを振り返ると、魔法陣の上では家宝の棒が黒く鈍い光を明滅させているところであった。
怪しく光るそれを見た後、女教師は扉を開け外へと出る。
魔法陣の中で棒が輝く。
その身に召喚の際にため込んだ何かを巡らせながら、黒く明滅しながら光る。
力を放ち、遺物の中を何かが満ちていく。
遠く離れた場所で、一柱の神がビクリと体を震わせて、後ろを振り返った。
そして一言思わずといったように口を開く。
「ボクの権能……!」
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