第9話 少女の第一歩

 リアとセイが本当の意味で邂逅を果たしてから、三日の時間が経った。


 昼。太陽がさんさんと照り付ける魔法学校のその教室の一室で、女教師シンシア・ギグラシアムが熱弁をふるっている。


 彼女は結界魔法、障壁魔法や防衛術について生徒達に教える教師であった。

 シンシアが、教材を片手に口を開く。


「結界魔法とは文字通り、障壁を創り出し魔法的な攻撃から対象を守る魔法です。ジギー・トゥエンティさん。以前の講義でも説明しましたね。この魔法の弱点を三つ答えなさい」


 答えを問われた女生徒が立ち上がると、それにこたえる。


「はい! 一つは結界の維持には常に魔力を放出する必要があること。二つ目は魔法的な攻撃は防げるけれども、物理的な攻撃は防げないこと。最後の一つはあまりに強力な魔法は防ぐことは出来ないことです!」


 その答えにシンシアは頷きながら拍手をした。


「よろしい。よく復習できていますね。その通りです。ですが実はもう一つ弱点があります。それは至近距離での魔法の行使は防ぐことが出来ないと言う点です。動きを妨げないよう行使された結界魔法は対象を緩く覆うような形で展開されます。そのため、触れ合える程の近距離では障壁自体が役に立たないのです。まぁ至近距離で呪文の詠唱など始めたら顔を引っぱたいてやればいいだけなので、これは参考程度に覚えておいてください」


 生徒達のうちの数人が生唾を飲み込む。

 課題の未提出や度を越えた夜遊びなどが理由で、シンシアから実際に平手打ちを食らっていた者たちであった。

 彼女の言葉を聞いて過去の場景が思い起こされたらしい。


 それも気にせず、女教師が教壇を歩きながら生徒達へと言葉を続ける。


「何事にも完璧はないという訳です。さてそろそろ時間ですね。講義はここまでにしましょう。今日は課題はなしです」


 その言葉に歓声にも似たどよめきが教室をこだまする。


 シンシアはこの学校の教員の中でも厳しい人間として知られており、そのシンシアが課題を出さないことなど今まで一度もなかったからだ。


「その代わり、五日後の講義で小テストを行います。各自、歴史上において結界魔法が実際に行使された記録を調べておいてください。テストでは調べた情報を元にレポートを書いてもらいます。詳しい内容は当日まで伏せますので、気を抜かないように」


 教室中を見渡すシンシアの目が光る。教室の後方の席でうつらうつらとしている生徒を彼女は見た。

 リアだ。すかさず注意の声が飛ぶ。


「リア・パンテン!」


 突如名前を呼ばれたリアはびっくりして、体をビクつかせると目を見開いて前を見る。


「まさか貴方のような生徒が、私の講義で居眠りをするとは思ってもみませんでした。自分の学業の成績をもう一度鑑みた方がいいでしょう! 手心は加えません! 次のテストが楽しみですね!」


「す、すみません……」


 リアは女教師のその剣幕に何はともあれそう謝り、体を小さく丸めた。


 シンシアはそれを睨みつけた後、手に持った教科書をたたむと教室の外に向かって歩き始めた。


「それでは本日の講義はこれで終わりです。各自遅くならないうちに寮に戻るように。以上」


 シンシアが外に出る。

 それを受けて生徒達が伸びをしたり、隣り合う人と話したり、思い思いに行動し始めた。


 その中でリアは荷物をまとめると足早に教室を飛び出していく。

 廊下をうつむいたまま小走りに駆け抜け、生徒達の人通りのない所まで一気に走りぬけた。


 教員棟と生徒達が講義を受ける授業棟の間の中庭までやってくる。

 木がそこかしこに生えた閑散とした場所だ。

 辺りに人影はない。そこまで来てようやく少女は息をついた。


 辺りの様子を半透明な姿でうかがった後、セイが虚空から姿を現す。


「大丈夫、リアちゃん? やっぱ昨日はもっと早く寝た方が……」


「大丈夫。出来がよくない私が悪いんだもん……」


 少女の寝不足の原因は、バングに出された課題にあった。

 課題自体は早々に終わらせることが出来たのだが、リアが何度もセイに字を見直すように迫り、やり直し続けていたのだ。


 そのせいで寝不足になってしまったが、何とかセイとリア両者が納得できる物が出来上がっていた。

 それは今、少女が持つカバンの中に入っている。


「良く書けてたよ。これならあの先生も褒めてくれるはずさ」


「そうかな……? そうならいいけど……」


「大丈夫! 自信を持って!」


 自分を信頼できない少女が俯きながら答え、セイがそれを励ますように声をかける。


 教員棟が近づいてきた。一柱の神が再び姿を消す。

 その入口の前でリアは立ち止まり、息を一つ吐いた。


「側にいてくれてるんだよね……?」


 そうつぶやく。


 リアはセイからあまり人目につきたくないと言われていた。


 神の力を持つセイだ。

 その存在が知られれば、そしてその神の力をどこかに落としてしまっていると知られでもすれば、悪用しようと考える人間がいてもおかしくはない。

 そのような事情もあって、セイはあまり大っぴらに自分の存在を知られたくはないと、リアに説明していた。


 全ての事情をリアへと話したわけではないが、リアは持ち前の素直さから、姿を出したくないというセイの言葉をすんなりと頷いて受け入れた。


 ただ一言少女とセイは約束していた。

 姿を消していても側にいると。

 これには離れると存在が消えてしまうという現実的な問題もあったが、言っている言葉自体に嘘はなかった。

 現に今も実体を消しつつもセイは少女の側に立っている。


「よし……」


 気合を言葉と共に込めると、リアは教員棟の中へと入って行った。


 教員棟は魔法学校の教師の研究室と私室を兼ねた部屋がある施設だ。


 人数が多い学生用の寮よりずっと大きい。

 魔法学校の教師になる特典とでも言えばいいのだろうか。講義さえきちんと行えば、研究に打ち込んでいても文句が言われない。


 しかも必要なものは全て国が用意してくれる。まさに学者としては垂涎の環境が整っているのだ。


 その教員棟の一角にバングの研究室はあった。


 リアがドアの前に立ち、その扉をノックする。


「入れ。ドアは開いている」


 部屋の中から腹に響くだみ声が聞こえてきた。

 もう一度息を整えた後、リアが扉を開けて中へと入って行く。


 バングの研究室は紙や本が床にうず高く積み上げられ、混沌とした様相を呈していた。

 その山が幾つも幾つもあり、歩くにも一苦労するありさまだ。


 それを避けながら、リアが部屋の中へ進む。


「あの……先生……?」


 声をかけながら進むと部屋の奥の机に座り、筆を手に羊皮紙へと何かを書いているバングの姿が見えた。

 恐ろしい見た目とは裏腹に繊細な手つきで紙に文字を刻み込んでいる。


 リアは一瞬その姿に見とれた。

 その動きがまるで、セイが自分に手本を見せてくれた時のように美しく見えたからだ。


「リア・パンテンか……。課題を持ってきたのか? さっさと出せ」


 文字を書き終わり、筆を筆置きに置くとバングがそう声をかけてくる。


 見とれていたリアは強面の教師の声により一瞬で現実に引き戻されると、カバンの中に手を入れ、課題の書かれた羊皮紙の束をバングへと渡した。

 その後二、三歩鬼教師から逃げるようにして後ろに下がる。


 バングがそれを受け取るとペラペラとめくって内容を確認し始めた。

 数枚確認したところで手が止まる。爛れたその顔が怪訝そうに歪んだ。

 その後立ち上がると、羊皮紙を見ながらリアの前へと足を引きずりながら歩き始めた。


「こいつぁ、お前が書いたもんで間違いないか?」


 先日、この場で教師に問いかけられた時と同じ言葉がバングの口から発される。

 あの時は恐れが邪魔をしてその言葉に答える事が出来なかった。

 そして今も、威容を誇るバングを前にしてリアは息を詰めると、その問いに答える事が出来なくなってしまう。


 答える事自体は簡単だ。

 ほんの少し首を縦に振ればいい。

 ただ、その結果何が起こるか分からない。


 そんなわけがないと否定されるかもしれない。嘘を吐くなと罵倒されるかもしれない。

 もしくはあの時のギリアムのように誰かに書いてもらったと疑われるかもしれない。

 悪い考えが頭の中でグルグルと渦巻き、その考えが少女の体を縛り付ける。

 リアは答えを口にすることが出来ないでいた。


「口がきけんのかお前は……。なら、こうしても文句は垂れるなよ……?」


 突然、バングがリアが提出した羊皮紙のうちの一枚を抜き取ると、それを両手で持ち力を込めて真っ二つに破り去った。

 音を立ててリアが書き上げた課題が二つに別たれる。


 少女は顔を上げ、それを見て息を飲んだ。


 また一枚バングが羊皮紙を破り捨てる。破られた紙が床に落ちる。もう一枚バングが羊皮紙を両手で握った。

 それもまた破り捨てるためにだ。


 リアはその様子を見て思わず、体をぶつけるようにして鬼教師の腕に組みついた。


「やめて……! やめて下さい!」


 少女にしては信じられないほどの大きな声を上げて、恐ろしい教師の腕につかまりその行動を止めようとする。


「ああ?」


 バングが腕を振ると、リアの小さな体は簡単に宙を舞った。

 足が地面から離れ左右に振り回される。


 床に積まれた本や紙が少女の足に当たって雪崩を起こした。

 鈍い痛みがぶつかった場所から発生する。

 それでも、リアはその手を離さなかった。


 この課題は彼女だけの力で作り上げたものではなかったからだ。

 セイに教えられ、導かれて作り上げた物なのだ。


 自分だけならともかくセイが手伝ってくれた物を破られて、リアは普段にない勇気を発揮してバングに食いかかっていた。


 バングが腕を振り回すのをやめる。

 リアはたたらを踏みながらもなんとか床の上に両足で立った。

 しかし、足の力が抜けてしまっている。

 半場バングに寄りかかる様な形になってしまっていた。


 それでも、腕を握る力は弱まっていない。

 震えながらも、息を荒げながらも少女がバングへともう一度告げる。


 普段のリアからは信じられないほどの勇気の力を発揮して、鬼教師へと言葉を続ける。


「やめてください……お願いします」


 バングはその太い指で少女の手を無理やり引きはがすと、再度リアへと問いかけた。


「なら答えやがれ! このルーンは誰が書いた?! てめぇか?! それともどこか別の誰かか?!」


「わ……わた……」


 恫喝するような質のバングの声を聞き、震えあがるリアが何とか答えようとするが、それは上手く口から出てこなかった。

 そうやって口ごもりうつむいて下を向いていると、バングが右手の人差し指を顎の下に突き入れ無理やり自分の方を向かせて怒鳴り散らした。


「こっちを向きやがれ糞ガキが! 何か言いてぇことがあるなら目を見て話しやがれ!」


 バングの傷だらけの恐ろしい顔を見て、少女の勇気の心は一気にしぼんでしまった。

 恐ろしさに震え、喉が意図せず上下するようになると、呼吸さえままならないほどに委縮してしまう。


 違う、私が書いた物ではない。

 その言葉が思わず口から漏れ出そうになる。

 心が逃げようとしてしまう。


 真実を言って成功している自分の姿がまるで想像できない。


 嘘つきと罵倒されるか、そんなわけないと否定されるか、はたまた駄目なルーンだとけなされるか。


 悪い考えばかりが脳裏を行き来し、そう考えると会話を続けること自体があまりにも辛すぎるように思えた。


 こんな状態が続くくらいなら、嘘をついた方が楽だ。

 少なくともこの恐ろしい教師に課題の再提出を迫られるだろうが、今の状態がずっと続くよりはずっとましだ。そう思える。


 脳裏によぎった甘い誘惑に逆らえず、思わず少女がそうしようと口を開きかけた時。


 少女の指先に暖かい誰かの手が触れた気がした。


 バングの物ではない。この強面の教師のごつくて太い指の感覚ではない。

 細く柔らかい小さな手の感触が手によみがえる。


 少女がルーン文字を書いた時に、触れ合った温かな手の、あの手の感触が今優しく自分の手を包んでいる。


 セイの手だ。

 昨夜手を取って教わった時に残っていた熱の残滓が、少女の心に一滴の勇気の欠片をもたらした。

 その熱が指先をめぐり、体を駆け抜け、心を満たしていく。

 空っぽに消え果てたはずの勇気の器が満たされ、体に力が戻る。

 今まで感じたことのないほどの克己の力が、体の奥底からあふれ出し、少女の恐れを消し飛ばす。


 その力を支えにリアがバングを見返し声を出した。


「私が……書きました……」


「聞こえねぇぞ! なんつった今?!」


 同じ言葉をもう一度少女は叫んだ。


「私が書きました!」


 深緑色の瞳が見開かれると、長い前髪の間からバングの事をまっすぐに見た。


 その目を爛れた顔の教師が見返す。

 しばらくそうやって見合った後、バングは指を引くと自分の机に向かって、足を引きずりながら戻り始めた。

 歩きながらリアへと言う。


「初めからそう言いやがれ愚図が。無駄な労力を使わせやがって……。これだからガキは嫌いなんだ」


 バングがドカリと音を立てて椅子に座ると、机の棚を空けそこから数十枚の紐でくくられた羊皮紙の束を取り出した。

 それを机の上に投げ置くとリアへと告げる。


「次の課題だ。教科書の十五ページ目にある『爆裂する炎』のルーンを二十枚。五日後までにこの羊皮紙に書いてこい。分かったか?」


「えっ……?」


 何を言われたのか分からないリアがバングを見返す。

 バングはその少女を睨みつけると言葉を続けた。


「ルーンは一日にしてならずだ。追加の課題をくれてやる。文句を言わずにやってこい。あとな、てめぇ今使ってる羊皮紙は全部捨てろ。質が悪すぎるぞ。どこでこんな安物掴まされやがった。余分にくれてやるから今日からはこの紙を使え」


 リアが絶望に近い顔を浮かべながら、机の上に置かれた羊皮紙の束を手に取る。


 結局駄目だったのだ。

 頑張ってはみたが、この恐ろしい顔の教師を納得させることが出来なかったらしい。その結果として別の課題を山のように出されてしまった。

 そう思い、胸の辺りが暗く落ち込んでしまう。


 リアが涙ぐみそうになりながら、部屋の外へ向かって歩き出す。

 失意に染まる少女の、その背後からバングが声をかける。


 先ほどまでと変わらないぶっきらぼうな口調で彼が告げる。


「……てめぇが書いたルーン。悪かねぇぞ。このまま励め」


 信じられないような言葉が耳に飛び込んできた。

 振り向くとそう言った本人は再び筆を握って羊皮紙へと何かを書き始めている。

 リアの事はもうすでに眼中にないようだ。


 それでもリアは自分を見向きもしない鬼教師に向かって一度大きく礼をすると、床の本を避けながら部屋の外へと出ていった。


 扉を越えて、音を立てないようにそれを締める。

 その後、何かを堪えるように唇を噛みしめながら、少女は廊下のその隅まで歩いた。


 観賞用の大きな壺が置かれている。


 その影に少女は駆け寄ると小声で虚空に向かって話しかけた。


「セイ君……セイ君……」


 セイがその声に答えて少女の前に、壺の側に体を隠しながら姿を現す。

 それを見てリアは言葉を続けた。


「セイ君……!  あんな、あんなこと、私、この学校で誰かに褒められるなんて……初めてで……」


「ふふーん。まぁ当然さ。神様のボクが付いてるんだからね。でも、よく頑張ったよ、リアちゃん!」


「うん……うん……!」


 少女は泣き笑いのような表情をしてセイへと頷いた。

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