第7話 威容で異様な教師

「全員とっとと課題を出せ……」


 翌日の昼、マギアフィリア魔法学校の授業が、教室の一室で行われていた。


 教壇に立つ男が、しわがれた声で制服を纏い席に座る生徒たちにそう告げる。

 声を受け生徒達はカバンの中から課題の書かれた羊皮紙を取り出すと、後ろから順にそれを回し、教壇の教師へと運んでいった。


「うわ~、こっわー……。見てよハコさん。凄い傷跡だよ、あの人」


 教室の最も後ろの席にリアが座っている。

 その背後に立つセイが教壇に立つ男を見てそうつぶやいた。


 男の顔左半分は火傷のような跡で引きつってしまっている。

 さらに左目の辺りから右頬に向かって三本の深い傷跡が残っていた。

 喋るにしても顔の左半分はほとんど動いていない。ほぼ完全にマヒしてしまっているようだ。

 その跡のせいで歳の頃は分かりづらいが、四十代半ばといったところだろうか。

 体つきはいいが身長は低い。酷い猫背で背中が曲がってしまっていることもそれに拍車をかけていた。


 白髪交じりの灰色の髪は、伸ばしっぱなしになっていて肩を超すほどに長い。額は広く、頭頂部の辺りまである。

 目に見えるだけの傷跡でも数多くあるが、動きを見る限り全身その調子らしい。

 教壇の上で彼は右足を引きずるようにして歩いていた。

 言うことを聞かない関節も一つや二つではないのだろう。


 王立マギアフィリア魔法学校の教員、バング・ゴーラム。

 この傷だらけの男が、魔法学校における魔法文字、ルーン魔法の教師であった。


 一番前の生徒達がまとめた課題を教壇の上に立つバングへと運ぶ。

 何も言わずにそれを受け取ると、バングは歩きながら、それをめくって確認し始めた。


「ルーン魔法ってやつは古い魔法だ。分かるか坊主ども? 意味を持つ魔法文字、ルーンを、媒体となる物に術者の魔力を込めて書き、起動用の呪文を唱えることで行使する。一説によれば、今より2千年以上前にはそのひな形が、研究されていたらしい……」


 束になっている課題の紙から二枚抜き取り、それを教壇端にある教卓に置くと、ジロリと教室をねめつけながらバングが言った。


「アンダーソン・グルーガー。ルーン魔法の行使の際に最も気を付けるべきことは何だ?」


 突然名前を呼ばれた赤毛の生徒がびっくりしながら立ち上がると、バングの問いに答える。


「えっと、起動用の呪文を間違えない事ですか?」


「違う……馬鹿が……」


 しゃがれた声で生徒の答えを否定すると、教壇を降りその生徒の元へ向かう。

 バングは手に持った課題の紙の束から赤毛の生徒の提出したものを取り出し彼に向かって示して見せた。


「正解は正しくルーンを書けているかどうか確認することだこの間抜けぇ……。これで課題のルーンを書いたつもりか? 老いぼれの下痢糞にも劣るこの字は何だ? お前の手はネズミの手か? 線がブレにブレているぞ。よくもまぁこんなひでぇルーンをこの俺に提出しようとしたもんだな。こんなルーン、行使したところで出てくるのは犬の欠伸ぐらいなもんだ……。受け取れ」


 バングがそれを生徒へと手渡すと言葉を続けた。


「行使してみろ」


「えっ?」


「お前が書いたルーン魔法を発動させてみろと言ったんだこの間抜け! 二度も言わせるな!」


「は、はいぃ!」


 大喝を受けて、生徒は焦った様子で手に魔力を込めると呪文を叫んだ。


「『ラ・ヴィエナ・フゥ』! 風よ吹き荒れよ!」


 パフッ、と情けない音を立ててルーンが弾け紙から風が出る。

 バングはそれを見ながら生徒に言った。


「見ろ……。俺の屁の方がもっと勢いがあるぞ……」


 赤毛の生徒が恥ずかし気にうつむき、それを見て教室の中からクスクスという笑い声がそこかしこから響いた。

 それを気にも留めず、バングは課題の束をめくり教壇へと戻りながら言葉を続けた。


「エメリ・ミラー、ジョージィ・ヘラル、マノン・ホーキンス。お前らも同じだ。糞にも劣るゲロルーンを、よく恥ずかしげもなくこの俺に提出したものだな……。貴様らは再提出だ。明後日の講義までにこの風のルーンを羊皮紙に十枚書いて持ってこい。分かったな? また同じような出来なら更に倍に増やすぞ?」


 名前を上げられた生徒達の顔が歪む。

 魔法学校の講義はただでさえどの講義も多くの課題が出されるのだ。

 これが更に増えるというのは学生たちにとって最も忌避したいことの一つであった。


「良かった……」


 最後方の席に座るリアが一人そうつぶやく。

 少女自身この課題をちゃんと提出出来たことを半場奇跡のように感じていた。


 昨夜はいつ眠りについたか記憶にない。

 しかし、課題だけは寝る前に終わらすことが出来ていた。


 夢うつつに誰かに教えてもらったような気もするが、どうにも上手く思い出せない。

 でも無事にあの恐ろしい教師の課題を提出出来て、しかもそれが再提出にならずに済んで本当によかった。

 少女はそう思い、胸をなでおろした。


 バングが教卓に課題の束を投げ置く。

 その後、分けておいた二枚の課題用紙を手に取ると、再び教壇真ん中に立った。


「名前を呼ばれなかった連中も安心するなよ……。貴様らはまだまだひよっ子だ。書いてきやがったルーンも精々そよ風程度の効果しかねぇ。俺は『吹き荒れる風』のルーンを書いてこいと言ったはずなんだがなぁ……」


 それを聞きながら一人の生徒が小声で隣の生徒と内緒話を始めた。


「つってもよ。やる気でねぇよな実際。今時、ルーン魔法なんて時代遅れだしよ?」


「まぁな。古臭い魔法だよ、ルーン魔法ってやつはさ。精霊魔法が発見されてからはそっちの方が主流だし」


「だよなぁ……。精霊魔法は呪文さえ間違わなければ、あとは魔力を渡した精霊達が魔法を行使してくれるし……。そっちの方が楽で手っ取り早いよな?」


「マジでそれ……。ルーン魔法は時代遅れだよ」


 バングが声のする方を向くと、脅しつけるように生徒達に向かって声を放った。


「聞こえてるぞ、糞ガキ共! ルーン魔法が時代遅れだとぉ? そういう生意気な口を利くのは股の間の毛が生え揃ってからにしやがれ! 貴様らも課題追加だ! 再提出の連中と同じように羊皮紙十枚書いてこい!」


 注意された生徒達が首をすくめると、教科書で顔を隠す。


 その様子に舌打ちをした後、バングは手に持った二枚の紙に書かれた生徒の名前を読み上げた。


「ギリアム・クルーソー! リア・パンテン! 教壇まで出てこい!」


 突然名前を呼ばれたリアが背筋を震わせて前を向く。


 恐ろしい顔の教師が教室をねめ回し、立ち上がる人間を待っていた。


 思わず少女は首をすくめて、体を小さくする。

 前の席の人間の影に隠れて、魔物じみた顔の教師から姿を隠す。


 体を隠したリアとは対照的に、教室の中央の辺りに座っていた金髪の生徒が一人立ち上がった。


 ギリアム・クルーソーだ。

 綺麗にカットされた金髪を指で払うと、教壇に向かって歩き出す。

 そういったキザったらしい行動がよく似合う美男子であった。

 女子生徒からの人気も高い。切れ長な青の瞳は透き通る海の色で、見た者を魅了する魔法がかかっていると噂されていた。


 ギリアムが教壇の下に立つ。

 年の割に成長の早い彼は、教壇の下に立っていても、小男のバングとそう身長が変わらなかった。


「ギリアム・クルーソーだな?」


「はい、バング先生」


 ギリアムがそう言うと礼儀正しく頭を垂れた。

 その様子を歪んだ顔で見ながら、バングが言葉を続ける。


「提出されたこのルーン。お前が書いた物で間違いないか?」


 にこりと歯を見せずに笑うとギリアムは答えた。


「はい。そうです」


「そうか……。全員見ろ!」


 バングが羊皮紙を掲げると教室にいる全員に書かれたルーンを見せた。


「線の太さ、角度、はね、とめ、はらい、文字のバランス! ほぼほぼ理想のルーンだ! 全員参考にしていいぞ!」


 強面の教師のその声を聞いて、生徒達がざわめく。


「うぉお……マジか……」「あの先生、誰かを褒めること出来たんだ……」「すげぇなギリアム……」「かっこいい……」


 そのような声が教室中を響き渡る。

 バングは生徒達の間では、鬼のように厳しく口が悪い教師として有名であった。

 その彼が生徒を手放しで褒めるなど、彼らは噂話程度でも聞いたことがなかった。


「…………ふふん」


 褒められたギリアムが自慢げに鼻を鳴らす。


 その顔をジロリとバングが見ると歪んだ顔をさらにゆがめながら、言葉を発した。


「発情した雌犬みてぇな顔しやがって何を勘違いしてやがる……」


 突然の暴言にギリアムは驚くと、バングの事を見た。傷だらけの醜い顔が恐ろしい形相で彼を見ている。


「こいつを行使してみろ……」


「えっ……」


「てめぇが書いたこのルーンを行使してみろっていったんだ聞こえなかったのかこの糞が⁉」


 バングがぶっきらぼうにルーンの書かれた羊皮紙をギリアムに投げ渡す。

 金髪の生徒はそれを受け取ると、生唾を飲み込んだ後バングの事を見た。


「どうした、出来ねぇのか? てめぇが書いたルーンだろう? やってみろ。それとも呪文を忘れたか? 『ラ・ヴィエナ・フゥ』だ。思い出しただろう? やれ、ほらさっさとやってみろ」


 ギリアムは動かない。

 その目は渡された羊皮紙と教壇に立つ教師を忙しなく行き来していた。


「できねぇ理由があるのか?」


「……いえ! 出来ます! やればいいんでしょ!」


 緊張に耐えられなくなったかのように、ギリアムがそう言うと羊皮紙に魔力を流し込みながら呪文を唱え、それを天井に向かって投げた。


「『ラ・ヴィエナ・フゥ』! 風よ吹き荒れよ!」


 紙が舞い上がり、そして重力に従ってそのまま落ちてくる。

 魔法は行使されない。その紙はそのままギリアムの足元に音もなく落ちた。


「愚図≪ぐず≫が……」


「…………ッ!」


 暴言を吐いた教師をギリアムが睨みつける。


「なんだその目は。てめぇこの俺に嘘をついておいて、よくそんな目が出来たもんだな! ルーンは完璧! だが行使には失敗した! 何故かわかるか?! ああ?! どうだ! 分かるやついるか!」


 教室を見渡しながらバングが生徒たちに問いかける。しかし、全員が目を逸らしてその問いに答えようとはしなかった。


 バングが舌打ちをして自身でその答えを言う。


「てめぇが書いたルーンじゃねぇからだ! いいか小僧! 俺ほどの魔法使いになりゃこの程度のルーン、赤の他人ものでも何の問題もなく行使できる。だがな貴様らひよっ子にゃ無理だ! ルーンが何故この形をとっているかさえ理解せず、教科書通りに写すことしか考えてねぇお前らにゃ、他人が書いたルーンを行使するだなんて真似できやしねぇ! 自分の魔力の波長を書かれたルーンに合わせて、行使するだなんてそんな芸当できやしねぇ! 俺が何を言ってるか理解できるか?!」


「………………」


 ギリアムがそっぽを向いて問いに答えない。

 バングはその顔を野太い指で捉えると無理やり自分の方を向かせた。


「誰に書かせたかしらねぇが、赤の他人にルーンを書かせたな?! この俺を騙し通せると思ったか?! いいかよく聞けクソガキ! 俺は嘘がでぇっ嫌いなんだ! 今度でたらめぶっこいたらそのバカ舌引き抜くぞ! 分かったか!」


 掴んだ手を揺らしながら、恫喝するようにそういった後、手を放す。

 恐ろしいほどの力で掴まれていたらしい。ギリアムの顔には赤い指の形のアザが残っていた。


 金髪の生徒が掴まれていた場所をさすりながら、怒り狂う教師に向かって告げる。


「僕に、この僕に! こんな真似してただで済むと思ってるんですか……?! 僕の実家はあのクルーソー家ですよ! 過去に三人も宰相を輩出した王国有数の」


「黙れ糞ガキ!」


 野太い指がギリアムの喉元に突き付けられる。

 指に力が込められると、金髪の生徒のあごが上がり、まともに声を紡ぐことが出来なくなった。

 それどころか、バングの威容に当てられてか呼吸さえままならなくなっているようだ。


「てめぇが誰の股ぐらから生まれた糞かなんて俺にゃ興味ねぇ。今重要なのは、てめぇが俺の課題をまともにこなせなかったって言う点だ。分かったか? 分かったなら頷け」


 苦し気に呻きながら、ギリアムが何度も頷く。

 プライドよりも自分の命を優先したような形だ。

 それを爛れた顔で確認した後、突如バングは興味を失ったかのように指を戻し、手に持つもう一枚の羊皮紙へと目を向けた。


 指を離され、喉元を抑えるギリアムにバングが目も向けずに告げる。


「糞ガキ、お前も課題追加だ。羊皮紙に二十枚ルーンを書いてこい。分かったか?」


「………………」


 ギリアムはしぶしぶ頷くと、逃げるようにしてその場を離れ、自分の席へと戻っていった。


 それを確認もせず、課題で提出された羊皮紙を見ながらバングが声を出す。


「リア・パンテン! てめぇまだ母親の腹の中から出てきてねぇのか?! 早く俺の前まで来い!」


 呼ばれたリアが体を震わせながら立ち上がる。

 クラス中からあざける様な視線がとんだ。


「この目、嫌いでございます。人間と言うのは本当に……」


「そうだねぇ……。ボクも好きじゃないねぇ」


 リアの後ろでセイとハコがそのような会話をする。

 少女が教室中の視線を集めながら、おぼつかない足取りでバングのもとまで歩いていった。

 その後ろを、少女から離れるわけにはいかないセイ達が追いかける。


 リアがバングの目の前に立つ。教壇から恐ろしい形相の鬼教師が少女の事を見下ろしている。

 その視線を受けて、リアは一段とうつむき、体を縮こまらせた。


「提出されたこのルーン、てめぇが書いたものか?」


 バングがそう問いかける。リアが頷いた。


「そ、そうです……」


「そうか。なら行使してみろ」


 バングがリアが書いたルーンを渡してくる。少女はそれを震えながら受け取った。


 教室の中に、先ほどとは違うあざ笑うような空気が流れる。


 この会話の流れは先ほどとまったく同じだ。

 しかし今度は晒されている相手が違った。


 先ほどは貴族の中の貴族であるギリアムが怒られていたため、生徒達もそれを皮肉ったり、笑ったりなど出来なかったが、今度はリアだ。

 誰はばかることなく笑い、けなすことが出来る。一部の生徒達の表情がいつの間にか嗜虐的な期待に興奮する顔へと変わっていた。


 少女の背中に、その視線が投げかけられる。痛いほどにそれを感じる。


 恐ろしい形相の教師の前に立ち、緊張のせいで体が震える。

 いや、それだけではない。

 少女が感じているのは恐怖にも似た感情であった。

 目の前に立つ教師によるものか、はたまた背後の生徒達によるものか。もしくは未来を自分で決める事への決断への恐怖か。


 怯える少女が自分で選べる選択肢はただ一つであったようだ。


 リアが口を開く。


「で、出来ません……」


 バングが眉間にシワを寄せて、リアを睨みつけた。


「できねぇだぁ?」


 少女が更に縮こまって答える。


「は、はい。出来ないです……」


 バングがリアを見続けている。

 その時、教室のどこからか少女のその様子を見て誰かが噴き出す声が聞こえた。


 バングが目線をずらしてそちらを見る。席に座る生徒達を一通り睨みつけてみるが、誰のものかは分からなかった。

 誰がそうしてもおかしくなかったからだ。


「もういい。さっさと席に戻れ」


「…………はい」


 バングが苛立たし気にリアへと告げた。

 少女がうつむき自分の席へと戻っていく。その背中にバングが更に声を続けた。


「授業が終わったら教員棟の俺の研究室まで来い」


 少女が止まり、振り向かずに頷いて、自分の席への道を急いだ。

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