第3話 力はどこへ、これからどこへ①


「ハッ……!」


 セイが目を開けるとそこはどこかも分からない暗室の中であった。

 意識を保っていた時にいた、自室ではないことは確かだ。


 背中に冷たい地面の感覚がある。


 どことも知れない場所に横たわっている、とそうセイは自覚した。


 結局、召喚を阻止することは出来ず、どこかへ連れ去られてしまったのだ。

 体を起こし辺りを見渡した後でそう判断する。


「ていうか今ボク気を失ってた? 神であるこのボクが?」


 生まれて初めての出来事であった。

 神として生を受けてかなり長い年月が経過していたが、眠ったこともなければ、意識を失ったことなど経験したこともない。


「うわー、こんな感じなんだぁ……新鮮だなぁ」


 そう感慨深げに頷く。

 その後セイはようやく自分の前方にいる二人の人間に気が付いた。


 一人は青のローブを着た金髪の女性、もう一人は黒いローブに藍色の髪色をした少女だ。

 教師であるシンシア・ギグラシアムと彼女の教え子であるリア・パンテンであった。


 その少女とセイの目と目が合う。


 少女の藍色の髪は肩を超えて伸びていた。

 自分で切ったのだろうか、所々変に短い所が目につく。


 しかし、それ以上に目が向くのはその長い前髪だ。

 両目を完全に隠すほどに長いその髪は、彼女の顔の半分を隠してしまっていた。

 年の頃は14か15ぐらいであろうか。まだ少女と言っていい年齢なのは間違いなさそうだ。


 そのリアの長い前髪からうっすらと見える目と、セイの目とが確かに交差した。

 少なくともセイにはそう見えた。


 だが、少女はその後顔を俯けると肩を震わせて、何かに耐えるようにしてじっと身を固めてしまった。


「リアさん……。残念ですがここまでです。分かりますね?」


 シンシアが体を支えるリアに声をかける。

 少女はその声に答えない。


「リアさん」


 少しきつめの口調で名前を呼ばれ、ようやく少女は力なく頷くことで返答した。


「よろしい。少し横になっていなさい。撤収の準備をしてこの地下室を出ます。その後医務室に向かいましょう。あなたは魔力の過剰放出で体の感覚がほとんどないでしょうし、頭がはっきりしないでしょうがいい機会です。いずれ授業で模擬体験する予定でした。私が肩を貸すので今実習してしまいましょう。分かりましたか? 返事を」


「……はい……せんせい」


「よろしい。さぁ、体を横たえますよ……」


 ゆっくりとシンシアがリアの体を横にしたあと、立ち上がりセイの方を見ると足音を鳴らして一柱の神へ向かって歩き出した。


「え、ちょっなに!」


 声を上げ驚くセイを尻目に、女教師は一柱の神の体を通り抜け歩を進める。


「もう何なのさ……」


 自分の体を通り抜けて行ったシンシアを、セイは振り返って目で追う。


 彼女は陣の端に落ちていた細長い棒を手に取っていた。

 細かい装飾が施された銀色の棒だ。


 今回の儀式において、召喚の行使を円滑に行うための触媒として利用されたそれは、元は綺麗な銀色の物であったが、儀式の失敗のせいか所々黒く変色してしまっている。


 彼女はそれを何度か拭って黒い色を落とそうと試みていたが、落ちそうにないことを確認しため息を吐いた後、ローブの内ポケットへとしまい込んだ。


 そこまで確認した後、セイはようやく自身の体に起った異変に気が付いた。


「ちょっと待って、ナニコレ!」


 手や体を色々な角度から確認する。

 全体的に色が薄い。

 というより体が透けてその向こう側の様子が見えている。


 存在が希薄化してしまい、空気と同じような目に見えない何かに変化してしまっているようだ。

 自分自身ではここにいるということが把握できるが、世界に対する干渉能力が著しく低くなってしまっていると、セイはそう感じ取った。


「嘘でしょ……。あ、そうだ。ハコさん! ハコさん!」


 思い出したかのように、セイが自分の式神に声をかける。

 その声を聞いてか、セイの胸元が動き、首筋から筆箱型の式神、ハコが姿を現した。

 ふわふわと浮かんで辺りの様子を確認した後、意識をはっきりさせるように体を震わせた後、セイへと向き直り声を返してくる。


「おはようございますセイ様。少しばかり気を失っていたようです。あら、ちょっと見ないうちに随分と印象が変わりましたね。イメチェン、というやつでございましょうか?」


 ハコに描かれた金色の鳥が首を傾げて聞いてきた。

 そう告げるハコの姿も半透明な姿になっており、黒く美しく輝いていたころの面影はまるでない。


「そういうハコさんも大分印象が変わったよ……」


「左様ですか。いかんせんワタシは鏡がないと自分の姿が見れないもので」


「ああそっか。今の今まで気づかなかったなぁ。今度そういうこと出来るようにしてあげるよ」


「お待ちしております。さて、挨拶はここまでにしておきましょう。現状を見るにどうやら召喚の回避には失敗してしまったようですね」


「そうだね……しかもそれだけじゃないかも……」


 セイは暗がりの中で自分の体を確認する。


 地下室の中を照らしているのは、シンシアが魔法で手の平に灯している光球だ。


 その光球が何かを拾おうとしゃがみ込むシンシアの体で隠れた。

 セイ達の体に影が走る。


 暗くなった自分の体を見たあと、セイが辺りを見渡した。

 石造りの地下室、一枚岩の地面には魔法陣が刻み込まれていて、それは大きさこそ違うが、召喚前に自分の執務室で見た物と同じもののように見えた。

 自室で見たそれよりも二回り以上は大きいものだ。

 その中心にセイ達はいた。


 座ったままの状態でセイが地面の魔法陣へと目線を向ける。

 しかしあの時と同じように目を凝らしてみても、何と書かれているかまでははっきりとは分からなかった。


 暗すぎて文字が読めないのだ。


「ハコさん……暗いよ……ここ」


「……は? 何を仰られているのですか? あなたは夜の神ではございませんか。暗闇などは得意中の得意のはずでは?」


「そうは言われても、暗いもんは暗いんだもん……」


「冗談を言っているような場合では……」


 そこまで言って、何かに気づいたように描かれた鳥が羽ばたくと、前のめりになってハコは問いかけた。


「セイ様、あなたまさか力が……」


 セイがハコを見ると苦笑いを浮かべながら、それに頷く。


「うん。どっか行っちゃったみたい。へへへ~……」


「笑ってる場合ですか!」


 ハコは浮かびあがると辺りを見渡すようにして地下室中を飛び回り始めた。


「あぁ、もう何処に落としてしまったのですか! 神を神たらしめる力をなくすなんて聞いたことありませんよ!」


「ボクも聞いたことないなぁ。多分儀式に無理やり干渉しちゃったのが原因だと思うけど」


「冷静に原因究明している場合ですか?!」


「だって焦ってもしょうがないじゃん……。ここに召喚される途中の出来事だから、この世界のどこかに落としちゃったんだと思うんだけどなぁ……」


 目を閉じて、力を感じてみようとするが上手く行かない。

 自身の力が弱くなってしまったせいか、もしくは近くにないからか。

 現状ではなにが理由なのかは分からなかった。


「まぁでも、少しは力が残ってるからさ。大丈夫大丈夫」


「ほほぉ……少しは?」


 ハコが狭い室内を調べつくし、セイの前まで戻って来て疑問を浮かべる。


「全部なくなってたらボク、ここに存在してないでしょ? ボク個人を定義付けているのは神としての力、母なる創造神から貰った権能の力その物なんだから。全部じゃないけど、少しは残ってるよ」


「……それでは創世の神より賜った神の御力、今どれほど残っているのですか?」


「そうだねぇ……」


 ハコの声を聞いてセイ自身の体の中へと意識を集中させる。残っている神の力は少ない。その力を口にしてみる。


「え~と、記述の神として持ってた『想起する歴史』の権能とそれに付随する神の力は残ってるかなぁ」


「他は?」


「ないよ」


「……ない? それでは『夜の神』の権能は? 『記述』の神として持っていた歴史を記す御力は? 『死者の国』の管理者としてのは権限は?」


「全部ないよ」


「………………」


 ハコがセイの顔の前まで移動すると、描かれた鳥が頭を下げて告げた。


「セイ様、長らくお世話になりました。この超絶有能補佐型式神ハコ、今日にてあなた様の補佐の任を降りさせていただきます」


「ちょっと!」


「無能な神に付き従うほどこのハコ、お人好しではございません」


「無能って! そこまで言うことないでしょ! ちょっと力をなくしちゃっただけじゃん!」


「ちょっと? 大半の間違いでしょう? 沈み行く船に相乗りするわけにはいきません」


「何さその言い草! ハコさんだって、こうなったらもう一蓮托生なんだからね! その半透明な状態で、主であるボクから離れたらどうなるか分からないんだから! 逃がしたりしないんだから!」


「ははぁ……同舟共済≪どうしゅうきょうさい≫と言ったところでございましょうか……」


「文句ばっかり言ってもしょうがないでしょ! 現実問題、ボクは力を失っちゃってるんだから……」


「このような現実、知りたくもありませんでしたが…………」


 ハコが顔を上げるとため息をついた後、主人であるセイを見た。


「まぁ冗談はここまでにしましょう。セイ様、つまりあなたは『想起する歴史』以外の、その全ての御力をなくしてしまったわけですね?」


「うん……。夜の神としての力なくしちゃったから、暗闇で目が利かないんだと思うんだ。この半端な体もきっと力がなくなっちゃったからだと思う」


 半透明な自身の体を見ながら、セイがそう告げる。

 ハコは主のその様子を見ながら、嘆息するように言葉を続けた。


「創造の神から賜った世界の至宝ともいえる神の力をなくしてしまうとは、他の神に知れたら大目玉ですよ……」


「まぁ他の神はみーんな眠っちゃってるし、バレようがないからいいじゃん」


「良くはないでしょう……」


 そこまで会話を続けたところで、撤収の準備が終わったのかシンシアがリアの側まで行き、少女に肩を貸して立ち上がらせた。


 リアがよろめき、足元をふらつかせる。

 しかし、それでも少女は何とか両の足で立った。


 それを見て、ハコが主人に聞く。


「あの人間誰ですか?」


「状況的に見ると、どっちかがボクを召喚した人間だろうね」


「あぁ……この二人のうちのどちらかが元凶ですか……。いかがいたしましょう? 処しますか?」


「処さないよ。ていうか処せないし……」


 半透明な今の体では直接的な手段は取れない。

 神の力を使うにしても、使い過ぎたら自分が消滅してしまうかもしれない。


 この体は今、非常に不安定な状態にある、とセイはそう思った。


 恐らくここは元いた世界とは別の世界だ。

 セイの世界では、魔法などと言った非科学的なシロモノは淘汰され見なくなって数千年以上経っている。

 召喚などという魔法が行使されている以上、自分のいた世界ではないと考えて間違いないだろう。

 

 しかも元いた世界とは離れた場所にいるというのに、今は力のその大半をなくしてしまっている。

 ここに存在出来ているだけで奇跡のようなものだ。


「お体の調子はいかがでしょうか?」


 ハコが自身の主に問いかける。

 セイは首を振りながらそれに答えた。


「良くないね。残った神の力も少ないし……。このまま存在するだけなら一年ぐらいは大丈夫だと思うけど……。でも神としての権能を使おうとすると……」


 自分の体に残る神の力の残滓を確認して告げる。


「三回……かな? 多分それですっからかん。もしかするとそこで存在自体消えちゃうかも」


 今のセイには力がない。

 普段であれば、無限に湧く泉のように神としての力がこんこんと湧き出て、幾らでも力を行使出来たが、今は精々小さな蛇口を申し訳程度に回した程度しか回復する様子はない。

 存在するだけでも力の貯蓄はマイナス方向に振れている。こんな体で権能を行使しようものなら、干からびてしまうのは間違いないだろう。


 そう考えてみると、この体も悪いものではないようであった。

 現実の世界に干渉こそできないが、その分力の損失は抑えられている。


 意識のない体が勝手に取った防衛機能と言ったところだろうか。


「最悪に近いけど、最悪ではないってことで……」


「ご自身がそれで納得できるならそれでよろしいでしょうが……。セイ様、あの人間ども、外に出ますよ。いかがいたしましょう?」


「あっ、ついていこう。ここに閉じ込められでもしたら大変だよ」


 ゆっくりと部屋の外へと向かい始めたシンシアとリアの後ろに続いて、セイとハコも地下室の分厚いドアを超えて外に出た。

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