第2話 召喚
これがきっと最後のチャンスなのだと、そう思った。
暗く湿気た石造りの地下室で、私は魔法陣の前に立つ。
窓が一つもない暗い部屋。
魔力が供給された魔法陣から漏れる、薄く白い光だけがこの部屋の中を照らしている。
授業で習ったことだ。召喚魔法などの複雑な魔法を使う時は、出来るだけ不純物を排除して行使しなければならない。
ホコリやゴミ、汚れで魔法陣が変わってしまうと予想もつかない事故が起こりかねない。
だから場所はここ。なんの邪魔も入らない地下室。万難を排して召喚魔法の行使は行われる。
今日その召喚を行うのが、私のようなまだまだ未熟な魔法学校の生徒ならなおさらだ。
「それではリア・パンテン。今回が最後です。あなたは既に五回も使い魔の召喚に失敗しています。これ以上は時間と魔力と触媒の無駄であると学校側は判断しています。理解できますね?」
円形の魔法陣、それを挟んだ向こう側に立つシンシア先生が私の名前を呼んでそう言う。
先生は私のクラスの担任教師だ。
シンシア・ギグラシアム先生。
先生はいつも通り、金色の長い髪を綺麗な髪留めで頭の後ろでまとめていて、よく似合う青いローブを身に着けている。
背も高くてスタイルもいい。
遠目から見ればものすごい美人なのだが、問題はその目だ。
いつも鋭く吊り上がった緑色の目は、見るもの全てを怖がらせる魔眼のようにさえ思える。
性格もきつくて、常にどこか怒っているような喋り方をする。
それもあってか、先生は生徒たちから怖がられがちであった。
かくいう私もそう感じている生徒のうちの一人だ。
緊張で胃がすくみ上るような感覚を覚えながら、私は声を返す。
「は、はい。わかっていましゅ」
噛んでしまった。恥ずかしくて口元を押さえ、うつむき目線を逸らす。
緊張するな、緊張するな。心の中で何度も言葉を繰り返し、落ち着こうとしてみるけど、それはあまり役には立っていないようだ。
シンシア先生はそうしている私のことを一切気にせずに言葉を続けた。
「よろしい。なら使い魔召喚の儀式を始めてください」
「……はい」
落ち着け。今はちょっとした失敗を反省しているような場合じゃない。
使い魔の召喚、これを上手くやること、それだけを考えるのだ。
私は気を取り直すと前を向き、右手の平を魔法陣へと向けそこに魔力を込めた。
教科書で何度も何度も予習した。
だから出来る。今度こそ絶対に出来る。大丈夫。出来ないなんてことはない。
だってこれは本当に誰だって出来ることなのだから。魔力があるなら誰にだってできる。
クラスで二番目に成績の悪いマノン君も、三番目に悪いテウィーさんにだって出来たんだ。
だからクラスで一番成績が悪い私にだってきっと出来る。
すぅ、と息を吸う。胸の七分まで息を貯める。何度も自室で練習した。
詠唱のために必要な空気の量、もう体が覚えている。
「刻む時に輝く精霊よ。我が名はリア・パンテン。古より続く盟約の、召喚の門を今ここに……」
もう一つ息を吸う。緊張しているのが分かる。予定より息がすぐに切れた。喉が渇いてひりつき始める。
でも今変な声を出すわけにはいかない。精霊たちはもう私の事を値踏みし始めているのだ。
どこにいるかもわからない、目に見ることもできない『精霊』。
でもこの精霊たちは世界のそこら中に確かにいる。
そして、その精霊が私のこれから共に歩むべきパートナーを連れて来てくれるのだ。
だから噛んだり、言い間違えたりなんてしちゃいけない。
精霊たちにそっぽを向かれたら、この召喚の儀は絶対にうまくいきっこないのだから。
気を入れなおして、前に出した右手から魔法陣に向けて自分の魔力を放出していく。
陣がそれに反応して色を変えた。
私の魔力の色は深い藍色、手のひらからこぼれるその魔力の色と同じ色に、白い陣の色もまた変わる。
「我が魔力を糧に新たなる誓約を……。今より果ての、命尽きるその時までの、魂の密約をここに記さん」
魔法陣が光る。手ごたえが違う。
今までとは確かに何かが違う。
歯車がかみ合ったような、ここではないどこかと繋がった感触が、魔法陣と繋がる自身の魔力から伝わってくる。
魔法陣から薄く風が吹く。
ここではないどこかへと続く扉が確かに今、開いているんだ!
興奮するのを何とか抑え込みながら、私は詠唱を続けた。
「精霊よ、創生の神よ! 我らが契りはここに成る! 遥かなるかの地より! 呼びかけに答えよ! 魂の徒≪ともがら≫よ!」
魔法陣の光が更に強くなる!
それどころか電のようにも見える魔力の奔流が陣の端からこぼれ始め、辺り一面を強く照らし出した!
「えっ……!」
思わず声が出る。
魔力を放っていた右手に違和感が走ったからだ。
手が意図せず震え始めていた。
始めは緊張からかと思ったが、それだけではない。
まるで魔法陣に向かって引き込まれるような感覚がする。
震えが強くなるにつれて自然と、手からこぼれ落ちて行く魔力の量が増えていく。
一瞬何が起きているか分からなくて呆然としてしまった。
けど何が起こっているのかすぐに理解できた。
私の魔力が自分の意志とは関係なく、魔法陣に向かって吸い上げられているんだ!
「リアさん?! 魔法陣から離れなさい! 儀式は中止です!」
対面に立つシンシア先生が、魔法陣から出る光を手で遮りながらそう言う。
普段冷静な先生が声を荒げていた。
それだけ、今の状態がまずいということだ。
その声を聞いてハッとなった私は、左手で右手を抑え込み魔法陣から距離を取ろうと後ずさった。
けど――。
「…………っ!」
「リアさん?! リア・パンテン!」
先生の焦ったような声が聞こえる。
それに構わず、私は左手で右手を支え、魔法陣に向かってさらに魔力を放出した。
自分の中にある魔力を全て吐き出すほどの勢いで私は力を解き放つ。
そうだ。こうするしかないんだ。
だってもう失敗は出来ないんだから。
これが最後のチャンスだから。
だから、だからここで引くわけにはいかない。
繋がっている。契約の門は確かにつながっているんだから。
「我が……呼びかけに……!」
魔法陣から黒く輝く球体がゆっくりと出現する。放たれている私の魔力はこの漆黒の球体へと吸い込まれているようだ。
私の全てを吸い込もうとするかのように、球体は魔力をどん欲に吸収している。
それでもかまわない。欲しいならいくらでもあげるから。だから、だから。
「――答えよ! 魂の徒よ!」
叫ぶような詠唱の声に合わせて、体の奥底から絞り出すようにして魔力を解き放つ!
もう無理だ。これ以上は逆立ちしたって力を出せない。
球体との間に結ばれていた魔力の繋がりが途切れる。同時に手が吸い込まれるような感覚もなくなった。
両手を膝につき息を荒げながら前を見る。
私の魔力を全て吸いきった球体は確かにそこにあった。
安堵の息が思わず漏れ出す。
よかった。きっと成功だ。
この球体が何かは分からないけど、精霊が選んだ私のパートナーは確かにこの場に召喚されたのだ。
泣きそうになりながら、私の顔はほんの少しだけ笑みの顔を浮かべていたと思う。
でも忘れるべきではなかったのだ。
私の人生では――
「…………っ! 駄目……! 駄目!」
――上手く行ってると思ってる時ほど良くないことが起こるのだから。
漆黒の球体がほんの少しだけ脈打つ。
小さな変化だったそれは徐々に徐々に大きくなっていって、何度も何度も跳ね返り球体の表面の形を変えていく。
それが幾つも幾つも起こって、綺麗だった球体が原型を留めなくなるほど形を変えるのに時間はかからなかった。
息がつまる。
私は直感した。これはよくないことだ。
教科書に載っていた訳じゃない。先生に習ったわけでもない。
でもこれはきっと起っちゃダメなことなのだと、頭の奥底で誰かが叫んでいるのが分かった。
きっとついさっきまで魔力で繋がっていたからこそ分かったことだ。
思わず球体に近づこうと足を前に出そうとする。
でも、動かそうとした足はまるで誰かから借りてきた物のように、私の言うことを聞こうとはしなかった。
その間にも球体は体をのたうち回らせるかのようにその形を変えていく。
不規則に膨張し不規則に収縮する。
と、突然、それは前触れもなく爆発した!
ヒビが一瞬走ったと思った瞬間、音を立ってて破裂しその内部に溜まっていた黒い気体が地下室中に吹き荒れる!
「イヤッ……!」
強い衝撃が体を襲った。
その力に逆らうことも出来ず私の体は後ろに向かって吹き飛ばさる。
突然の事で受け身も取れず、背中と頭を強く地面に打ち付けてしまった。
衝撃に呼吸が止まる。
一瞬頭が真っ白になり、視界がぼやけた。
ショックに呻くこともできない。
「くっ……! リアさん! リア・パンテン?! 無事なら返事をしなさい!」
シンシア先生の声が聞こえる。
それに反応しようと、何とか体を起こそうとするが、全身から力が抜けていてどうしても立ち上がることが出来そうにない。
体が自分の物とは思えない。
手を動かそうとして、実際に動いているはずだが、その感覚がほとんどない。
授業で習った典型的な魔力欠乏症の症状だ。
こういう時は大人しくして動かない。
近くに先生がいる。助けてくれる人がいるのだから無理に動いてはいけない。
そう、習った。だからそうした。
薄目をあけて呼吸だけに専念する。
何も考えず、今はそれだけに注力する。
徐々に視界が開けて行っているのが分かった。
部屋中を覆っていた黒い霧が、あの謎の黒い球体から出てきた何かが消えていく。
「リアさん!!」
手の先に魔法で光を灯した先生が、倒れこんだ私に気が付いて近づいてくる。
普段とはまるで違う。
いつもギロリと尖っている切れ長な目も、今ばかりは私を心配してか少しだけ不安げな形になっているようであった。
先生が小走りで近づいてくると私の側に膝をつき、こちらの呼吸と目の動きを確認してくる。
その後肩を抱かれ先生に寄りかかるような形で体を起こされた。
「だいじょうぶです。せんせい」
小さくて今にも消えてしまいそうな声だったが、何とか返事をすることが出来た。
シンシア先生は私が無事なことが分かって一瞬だけほっとした顔をしたけど、その後すぐにいつものように眉根をしかめさせて口を開いた。
「あなた、私の声が聞こえなかったのですか? 儀式は中止だと、そういったはずです! 私はあなたの教師であなたは私の生徒。未熟なあなたは私の指示に従わなければならない! 分かってなかったんですか?! 私の声、聞こえなかったんですか! ええ?! どうなんですか!」
「……きこえました」
「なら何故、私の言葉を無視したんですか?! いいですか! 召喚の儀は確かに非常に完成された術式で危険はほとんどないものです。ですが万が一というのは――」
「あの、せんせい、せんせい……?」
「なんですか! 人が話しているのを遮って!」
「わたし……わたし、うまく、できた?」
声が震えているのはきっと魔力が足りない事だけが理由じゃないと思う。
緊張から解き放たれて心が緩んでしまっている。
体を打ち付けた痛みも徐々に酷くなってきた。
痛い。強く打った所が、脈打つようにして何度も痛みを訴えかけてくる。痛くて、辛くて、涙が瞳に溜まり始めているのが分かる。
「リアさん……あなた……」
先生はどこか痛ましいものを見るような目で私を見た。
何故そんな目で私の事を見るのだろう。
儀式は成功したはずだ。
今までやってきた五回の中で今回は一番手ごたえがあった。
ここではないどこかに繋がって、そのどこかから何かを連れてくることが出来たはずだ。
それは間違いないはずなのだ。
だって魔法陣の上にはあの黒い球体が現れたではないか。
あれこそが自分の召喚成功の証だ。失敗していたら、精霊たちに見限られていたら、あんなもの出てくるわけがない。
現に今まで失敗した儀式ではあんなもの出てきさえしなかった。
だから何故、先生が私を可哀そうな目で見るのか分からない。
いや、きっとこれは分かりたくないだけだ。
あの球体の動きとその後の破裂。これが意味することは、ちょっと考えれば本当は分かることだから。
私がただ、だだをこねる子供のように分かりたくないと思っているだけだ。
そんな私を見てか、シンシア先生が背中に回した腕に力を込めて、私の体を起こし魔法陣の方を見えるようにしてくれる。
有難いことだ。今の私は自分の意志で動くことさえままならないのだから。
「リアさん……落ち込まないように」
「………………」
先生の慰めの言葉が何か聞こえてくるような気がする。だけど頭の中にその声はさっぱり入ってこなかった。
目の前の何もない、誰もいない空間と同じように、私の心も黒くがらんどうになってしまったのだ。
「ああ……やっぱり……」
結局、私には何もできないのだ。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます