第1話 運命はむこうからやってくる②



「……ハコさん、ただいまぁ……」


 数時間後、意気消沈したセイが天上界の執務室に帰ってきた。

 声をかけられたハコが浮かび上がると主へ向かって声を返す。


「おかえりなさいませ、セイ様」


 ジロリ、とセイは目を細めるとハコを見た。


「ハコさん知ってたんでしょ!」


「何を、とは言いますまい。知っておりました」


「やっぱり!」


 セイが指を一つ鳴らすと、ボフンと音をたてて床に布団が現れ、失意に沈む神はそこへ向かってと自分の体を投げ出した。

 その後ろをハコが追い、セイの頭の近くに浮かぶ。

 一柱の神が枕に顔をうずめたまま、非難するような声をあげた。


「言ってくれても良かったじゃんさぁ……!」


「言おうとしても聞いてくださらなかったではないですか」


「そうだけどぉ!」


「他の神が眠りについた理由をご存じだったはずでしょう?」


「知ってたけどぉ!」


「ならこうなるというのも分かっていたはずではございませんか」


「確かにその通りなんだけどぉ!」


 セイが布団の上でジタバタと暴れ、やるせのなさを発散する。

 その後ピタリと止まると、唸るようにして言葉を続けた。


「めちゃくちゃ久しぶりに下界に降りるってことでテンション上がってたし……。それに他の神が言ってたことが嘘かもしれないと思ってたし。実際実感するまで信じられないよ……」


 枕をぎゅっと握り締めると吐き出すようにセイは言った。


「ボクたち神の姿がもう人の目には映らないだなんて」


 沈痛なその声に、ハコは何も答えることが出来ず沈黙がその場を支配した。


 人間は独り立ちしたのだ。神を心の底から信じている人間なんてもう存在しない。本気で加護を貰おうとする者も、もういない。

 いくつかの神事が、形骸化したそれだけが、かすかに残っているだけだ。


 そういった人間の目に、顕現した神の姿は映らない。


 天上界の神々が眠りについた理由の大半がそれだ。

 自分たちを信じなくなった人間に愛想をつかしたり、呼ばれなくなって暇を持て余して眠りについたのだ。


「歩いてる人に話しかけても完全に無視。神社を礼拝している人に話しかけても聞こえる素振りさえ見せない……。すっごい傷ついたよ……」


「心中お察しいたします」


「ああ~、どうしよう……。まず姿さえ見てもらえないんじゃ友達になるも糞もないよ」


「人間と友達になる方法を探すぐらいでしたら、眠っている神々を起こす方法を探す方が有意義なのではないでしょうか?」


「起こすぅ? 無理無理。本気で眠りについた神を起こす方法なんて存在しないよ。連中天上界が滅んだって目を覚まさないはずさ」


「起きるのを待つというのは?」


「やだぁ~! それ何百年、何千年かかるか分かんないじゃん! 待ってたら絶対ボク精神病むよ! 寂しさで悪神になって権能使って下界を一生陰鬱な夜の世界にしてやる、とかいいだしちゃうよ! かなり高確率で!」


「あなたには前科もありますしね……。それではセイ様もお眠りになるのはいかかでしょうか? 少なくとも眠っている間は寂しくないと思いますが」


「馬鹿言わないでよ。ボクまで眠ったら誰が『死者の国』の管理をするのさ。数百年も眠ってたら『死者の国』がハチャメチャになっちゃうよ」


「しかしそれではどうなさるおつもりですか? 私見ですがどうしようもない気がしてきました」


「そうなんだよぉ……。八方ふさがりなんだよぉ……」


 再びセイはストレスを発散するかのように布団の上でジタバタと暴れ始めた。


 しばらくそうした後、ピタリと動きを止めると、何かを決意したような顔で今度は仰向けになり白い空へ向かって手を伸ばす。


「こうなったら……探そうか……」


「探す……でございますか?」


 ハコが声を返す。


「頑張って探せば、人間達の中にだって、ボクの事が見える人がいるかもしれないし……」


「可能性はゼロと思われますが……」


「やらないよりはましだよ。こうやって横になってるだけじゃ、絶対に見つからないんだ。ハコさん、分かるかい?」


「はぁ……何がでしょうか?」


 セイが勢いをつけて体を起こし、横に浮かぶハコへ指を立てて見せると言葉を続けた。


「運命ってものはね。ただ待ってるだけじゃ、やってこないんだよ!」


「ははぁ……」


「そう運命は自分自身の手で勝ち取る物なのさ! 布団で横になってるだけじゃ、絶対に上手くいきっこない! そうに違いない! こうしちゃいられないよ、ハコさん! 地上界をくまなく探そう! 手の空いてる式神たちを呼び寄せてローラー作戦だ!」


「そう言われましても、管理の手間を減らすために式神の大量解雇をほんの53年前に行ったばかりでございましょう? 第一、そんな人間いると――」


「なら新しく作ろう! 霊力とか魔力とかそういうのを感知できる能力を持った式神を! 性能はあんまり高くなくていいからとにかく一杯!」


「はぁ……ですが『死者の国』の管理もございますし……」


「時間なら山ほどあるから大丈夫! さぁハコさん忙しくなるよぉ!」

 

「……何を言っても、と言ったところでしょうか」


 嘆息するハコを尻目に、セイは立ち上がると指を鳴らして地面から本棚を呼び出しはじめた。

 果てのない白い部屋の中に次々と木製の本棚が床から浮かび上がってくる。


 棚の本を物色しながらセイが独り言を呟いた。


「どんな意匠がいいかなぁ……。ハコさんはカワイイ系だからカッコイイ寄りがいいよねぇ……」


 とっかえひっかえ本を見る主へ向かって、ハコがフワフワと近づいていく。


「神というのは本当に……人の話を聞いてくれませんね……」


 愚痴る様なその声にセイは言葉を返した。


「聞いてるよ。でも結局のところどうするかはボク次第でしょ?」


「なるほど? ……つまりワタシが拒否しないとお思いなのですね? どんな無茶を言っても唯々諾々と言うことを聞く都合のいい式神だと?」


「いやいや、噛みつかないでよ。そんなこと思ってないさ」


「どうだか……」


 ツーンと横を向いてしまったハコを、苦笑いを浮かべながらセイは見た。


 ハコに描かれた鳥もまた、明後日の方向を向いて不満を全身で表している。

 

 それを見て一つ息をつくと、セイは諭すような口調で、自身が生み出した式神に声をかけた。


「都合がいいなんて思ってないよ。でもボクがどんな選択を取ったって、ハコさんはボクの事を助けてくれるって、そう信じてるからね」


「信じてる……」


「そう。それじゃ駄目かい?」


「……まぁ、及第点と言うことにしておきましょう」


 ハコはそう言うと主の顔のすぐ横まで移動して、セイと同じように本を覗き込み始めた。

 薄く笑みを浮かべながら、一柱の神は手に持った本へと視線を戻す。


 ページをめくる。

 文字の成り立ちを絵付きで細かく解説している本だ。

 『夜と記述』を司る神であるセイは、こういった書物を何冊も保持していた。

 それは地上界で作られた物もあれば、セイ自身が書いた物、また別の神が作ったものまであった。


 式神のデザインのヒントとするために、それをパラパラとめくり、読み進めていく。


 その時であった。

 突然ハコが声を上げて、主へと注意の声をなげかけた。


「……ッ! セイ様!」


「ワッ?! 何さハコさん、そんな大声出して」


 急に声をかけられびっくりしながらも、セイは本から視線をずらし、隣のハコを見る。


 彼女の本体である筆箱は傾き下の方向を向いていた。

 どうもセイの足の辺りを見ているようだ。


 疑問に思いながらも、セイもまた同じように自分の足元を見る。


「なにこれ」


 いつの間にやら、二重の円に複雑な文字と紋様が刻まれた藍色の方陣が、セイを中心として浮かび上がっていた。

 丁度セイ一人を取り囲む程度の大きさだ。


「セイ様これは……?!」


「あーちょっと待って今読むから」


 疑問に思ったセイが自身の『記述』の神としての権能を行使して、陣に何が書かれているか読もうと試みる。

 指を鳴らして陣を隠している本棚をどかすと、ミミズが這いまわっているかのような形の文字を見た。


 描かれている文字はセイ達の世界のものではないようだ。

 『記述』の神であるセイが、見たこともない文字であったのでそれは間違いない。

 

 セイがそれを疑問に思いながらも、神としての力を行使して異世界の言葉を読み解いていく。


「えーと『古きよりの盟約に基づき、創世の神と精霊の聖名のもとに、今ここに貴公の召喚を……』えっ、召喚?」


「……ッ! セイ様!」


 ハコが声を上げ自身の体を動かすと、ぶつかるようにしてセイを陣の外へと押し出そうとする。


 しかしそれは一瞬だけ遅かった。


 セイが陣から外に出る一瞬前に、一柱の神とその式神を閉じ込めるようにして、陣から黒い壁が急速に競り上がる!


 その壁はセイ達を包み込むようにして囲い込んだ!

 

 ハコに押され倒れゆくセイはその壁に頭を打ち付けてしまった。

 衝撃は薄い。弾力のある柔らかいゴムのような感触だ。

 その壁に頭を擦りつけるようにして一柱の神が倒れこむ。


 セイは訝し気な表情を浮かべながら、態勢を立て直し中腰になると辺りを見た。

 壁は外の光を完全に遮断している。

 魔法陣から放たれる藍色の薄暗い光だけが主従の体を照らしていた。


「急に……何なのさもう」


「セイ様! 不味いですよ! 何とかしてください!」


 黒い壁の中に閉じ込められたセイ達が、薄明りの中で会話をする。

 式神のハコは焦った様子であったが、主人のセイは逆に落ち着いた様子であった。


「まぁまぁ、大丈夫大丈夫。落ち着いてよハコさん。ボクを誰だと思ってるんだい? こう見えても『夜と記述』を司る神様だよ? こーんな魔法陣ちょいちょいっと書き換えちゃえば何の心配もないって」


 セイが右人差し指を掲げて示してみた後、自信満々に陣を弄ろうと指を降ろす。

 暗くてもセイの目からは真昼と同じようにしっかりと見えた。

 夜の神としての権能のうちの一つだ。


 魔法陣には召喚に関する言葉が複数書かれている。

 そのうちの幾つかを書き換えれば召喚を中断させることが出来るはずだ。

 そう思い、そうしようと手を動かす。


 しかし、伸ばしたその指が魔法陣に触れることはなかった。


「あれ?」


 疑問に思ったセイが自分の人差し指を見る。

 そして自身の身に何が起きているのか、それを確かに見た。


「ッ! セイ様!」


 ハコが珍しく心底焦ったような声を出す。

 当然だろう。


 アメノセイの指先が黒い霧と化して消え始めていたのだから。


「……これはちょーとまずいかも」


「言ってる場合ですか!」


「ハハ~、大丈夫、大丈夫。右が駄目なら左で……」


 緊張感なく笑いながらセイが今度は左人差し指を掲げる。


「そうこの左指でぇ~……」


 左手は既に黒い霧となって消えてしまっていた。


 ここに至ってようやくセイは、自身の現状をしっかりと認識したようだ。

 焦った調子で消えゆく自分の体を確認し始める。

 手だけではない、足先もまた黒霧と化して消え始めていた。


「これ不味いよハコさん!」


「先ほどからそう言っています! 神というのは本当に!」


 セイだけに限らないが危機感と言うものが、どうも欠如してしまっているようであった。

 一柱の神が、末端から消えていく自分の体に焦りを感じながらハコに声をかける。


「ちょっとヤバいよこれ! ハコさんボクの服の中に入って!」


「どうするおつもりですか?!」


「無理やり魔法陣をぶっ壊すの! 神の力をぶつけて機能できないようにするから! 危ないからこっち来て!」


「は、はい! 承知いたしました!」


 ハコが空中を飛び、首筋まで覆っているセイの服の中へと無理やり潜り込む。


 足や腕の半分が既に消えてしまっていた。

 目で見てみると消えた部位はどこにもないが、感覚だけは残っている。

 そのことがただ消えているわけではなく、どこか別の場所に送られているのだということをセイへと教えてくれていた。


 消えゆく体で姿勢を安定させるために、一柱の神は陣の中心で背筋を伸ばし胡坐をかいて座った。

 そうした後に念のためハコに一声、声をかける。


「準備はいい?!」


「いつでもどうぞ!」


「よっし!」


 一度瞳を閉じ体の奥に力をためる。


 手も足ももう消えてしまっていた。急がなければならない。

 そう分かっているからこそ、焦らずじっくりと力を練り上げる。


 熱を帯びた神の力が体中を駆け巡り、それが集まり、腹の下の部分で力の奔流がとぐろを巻き始めた。


 小さな力を幾つにも分けて出すだけでは駄目だろう。

 魔法陣によって別のどこかに連れていかれるだけに違いない。

 やるなら、陣の許容量を超える力を一気に放たなければ。


 そう思い、十分に力を練り上げた後、セイが気合の掛け声を一つ決め、瞳を開けると同時に体に貯めこんだ神の力を放出した!


「えーい!!」


 魔法陣の中を覆う薄い闇を塗りつぶすような、漆黒の力の奔流が吹き荒れる!

 陣の壁がきしむような音を立て膨れ上がった!

 魔法陣から放たれる藍色の光と神の力が交錯して火花を散らす!


 それでも魔法陣は掻き消えていない!

 セイの体は未だに霧と化してどこかに連れ去られ続けている!


 力を放ちながら目を見開いてセイはその事実を確認した。

 手加減なしに力を放ったというのに、消えるどころか未だなお自身の体をどこかへ連れ去ろうとする陣に感嘆の念さえ覚える。


「だからって……拉致られるわけにもいかないからね……!」


 そう言いながらもう一度、更に大きく力を練り上げる。


 ジリジリと火花を散らす魔法陣が、なおもセイをどこか別の場所へと運んでいく。

 体の半分が既に消えてしまっていた。


「このぉ! これならどうだ!」


 言葉と共に、もう一度さらに力を込めて神の力を放つ。

 外壁にひびが入った!

 陣から漏れる藍色の光が、揺らめき明滅する!


 二度目の衝撃に魔法陣は耐え切れなかったようだ。

 悲鳴を上げるような高音を響かせて、その一角が崩れる。


 そうセイが知覚した瞬間。


「ちょっ――」


 陣の中心から吹き上がるようにして白い爆発が起き、消えかけのセイの体を襲った。


 眩しさに目がくらみ、衝撃に体が吹き飛ばされるような感覚を覚え、前後の感覚、上下の間隔さえも一瞬で曖昧になる。

 意識がほんの少し遠のいた。


 セイの耳にどこかで誰かが泣いている声が届く。

 悲しく、打ちひしがれるようにして泣く誰かの声が。

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