アメノセイはやさしい神様 ~ぼっちな神様に友達ができるまでの話~
逆境 燃
第1話 運命は向こうからやってくる①
「ねぇハコさん、少し聞いてもらってもいいかな?」
リンとなる鈴のような声が響いた。
壁の見えない広大な白い部屋の中で、ただ一つだけある黒い机の前に正座で座り。
少年にも少女にも見える人影が、印章を手に持ち、書類へとそれを押し付ける。
黒く青く輝く着物に身を包んだその人物の声は、広い部屋の中をどこまでもまっすぐに響いた。
二秒ほど強く印を押し付けた後、それを離すと紙はまるで意志を持つかのようにひとりでに浮かび、どこかへと飛び立っていく。
見てみれば同様の処理をされたのであろうか、辺りには何かの文字が書かれた長い紙が、あちこちを飛び回っていた。
「何でございましょうか、セイ様」
一人しかいないはずの空間に別の声が響く。
深く落ち着いた女性の声だ。
それは机の上に置かれた漆黒に光る筆箱から聞こえていた。
「ごほん……。それはね」
大仰に一つ咳をついた後、印章を置くとセイと呼ばれた人物が言葉を続ける。
「ボク、友達を作ろうと思うんだ!」
声が響き、その後飛ぶ紙が揺らめく音のみがその場を支配した。
返答がないのを確認して、セイは首を傾げて見せたあと、もう一度大きく口を開く。
「ボク、友達を作ろうと――」
「いえ、聞こえなかったわけではございませんので、二度も言っていただかなくて結構です」
書類が一枚机の上に飛んできて、セイはそれをチラリと読んで確認した後印章を押した。
また一枚、白い部屋のどこかに向かって紙が飛んでいく。
「はい。聞こえたでしょう? ハコさんも手伝って」
「手伝い、でございますか?」
机の上の筆箱が中空に浮かぶとその上面をセイへと向けた。
黒光りするその表面には流麗なタッチで、金に輝く三日月と羽ばたき木の枝にとまろうとする金色の鳥が描かれている。
長い付き合いから、セイは彼女が何やら訝し気に思っていることを感じ取った。
「何だい、ハコさん? どうも不満げな様子だね?」
「いえ、そのようなことはございません。ワタシはあなたによって作り出された『式神』でございます。主人であるあなたの言葉に、不満を覚える様な事はございません。ですが――」
ふいに表面に描かれている鳥が動き出すと数度羽ばたき枝にとまった。
その鳥が首を傾げてセイの事を見る。
絵のついた筆箱にすぎない式神なりの感情表現の方法らしい。
ハコと呼ばれた式神が主へと言葉を続ける。
「――疑問には思います。アメノセイ様。あなたはこの世界における最も尊い存在のうちの一柱。『夜と記述』とついでに人間の『死後の世界』を管理する神ではございませんか?」
「好きで『死後の世界』まで管理しているわけじゃないよ……。でも、まぁそうだね」
セイが再び飛んできた書類に印章を押しつけながら、ハコの声に答える。
「ワタシは神という存在が『友達が欲しい』などという、下界の人間じみた言葉を使うとは思ってもいませんでした。非常に興味深く思います」
セイは目を細めると、目の前に浮かぶ筆箱型の式神を見た。
ハコの発言を受け、脳内を自嘲じみた思考がめぐる。
確かにこの式神の言う通りだろう。
自分自身としても『友達が欲しい』などという言葉は、いかにも神らしくない言葉だと、そう感じる。
アメノセイは神だ。
創世の神がこの世界とそこに住まう生物を生み出した後に、世界を管理する人手を確保するため、その身を大雑把に切り分けた時に生まれたのがアメノセイとその兄弟神たちであった。
そうやって生まれたからであろうか、この世界の神は大概、豪快で適当で空気など読まず、酒を飲めば笑い、陽気を感じれば踊り、楽しいことがあれば詩を歌う。そういう存在として生まれ落ちた。
つまり能天気なお気楽者の集団が、この世界の神々であったのだ。
そしてセイもまたそういった神のうちの一柱であった。
だがそんな神でさえ感傷を感じることがある。
セイは正座を崩し机に寄りかかるようにして右肘をつくと、その手で顔を支え気だるげな表情を見せた。
先ほどよりも少し距離が近づいた分、ハコに描かれた鳥の絵がよく見える。
描いたのはセイ自身だ。
長い時間をかけて手直しを続けた結果、どのような芸術家が見ても思わずうなってしまうような素晴らしい絵となっている。
少なくとも本人はそう思っていた。
箱に描かれた鳥が身動きもせずこちらを見続けている。答えを待っているのだ。
セイはしばらくそうやって絵をじっと見ていたが、ハコが何も言いださないので自分から会話の続きを話すこととした。
「そうだね。ボクもそう思っていたよ。でもさ。他の神々がながーい眠りについて一体どれだけ経ったと思う?」
「ワタシの計測が正しければ、最後の神が休眠の申請を出して973年と114日の年月が経過しています」
「でしょ? 千年だよ、千年。神にとってもそれなりに長い年月だよ。その間ボクはこのひろーくて白い執務室にたった一人! 独りぼっち! ぼっちでずっとお仕事!」
セイはそう言いながら、両手を広げて終わりが見えない白い部屋を示して見せた。
「そう孤独なんだ……」
その後力尽きるようにして机に突っ伏した。
セイが神として生まれ落ちて6754年。
そのうちの神生において、これほどまでに孤独感を感じるのは初めての事あった。
寂しいという感情を感じることさえ初めてのことかもしれない。
「ボクも結構予想外なんだ。寂しいって案外辛いんだね……」
「……セイ様。孤独だなんて、そのようなことを言うのはおやめください」
ハコは机に額をグリグリと押し付けながら悶えるセイに、ゆっくりと近づくと言葉を続けた。
「あなた様にはこの万能総合補助型式神ハコがいるではございませんか!」
「ハコさん……」
セイが顔を上げると翼を広げ自分の姿を誇示する鳥と、いつの間にやら満月になっている月の絵が出迎えてくれた。
それを見て乾いた笑いを浮かべながらセイが言う。
「その言葉をハコさんに仕込んだのは300年くらいまえだったっけ?」
「……ワタシの認識が正しければ342年前でございます」
鳥と月がしょんぼりと元の位置、形へと戻る。
「だからだよ、ハコさん。ボク気付いちゃったんだ。君と話をするのはもちろん楽しいよ。でもね、ハコさんを作ったのはボクでしょ? そして君がどうやって応対するかを仕込んだのもボクでしょ?」
「……その通りでございます。セイ様は暇を見てはワタシの改良を重ね、造形だけでなく言葉遣い、そしてその他の対応に関しても数兆通りのパターンから最適なものを選ぶことが出来るようにワタシをブラッシュアップなされました」
「暇だったからねぇ……。特にこの千年くらいは遊ぶ神もいなくてほんとにやることなかったから……」
遠い目で過去をしのんだあと、セイはハコに向かって改めて言葉を続けた。
「最近思うようになったんだ。結局君と会話をするって事は過去のボクと会話しているのと同じなんじゃないかって。つまり延々と独り言をつぶやいてるのと同じなんじゃないかってさ」
再び沈黙がその場を支配した。
ハコがそっと力なく机の上に降り立つと、セイに向かって言う。
「否定はしません……」
「そうだよね~……。君は式神で考え方も喋る言葉も、全部ボクが考えてそうするように決めたもの。長い時間をかけて組んだからまるで人格があるかのように振舞ってるけど、実際はそうじゃない。確かに寂しさを慰める程度の意味はあるよ……。でも違うんだ。ボクが今欲しいのはそういうんじゃないんだよ……」
セイが足を投げ出すと後ろに手をついて上空を見上げた。
どこまでも続く白い空に押印がすんだ書類が、上空に向かって飛んで行っているのが見える。
昨日までと、一昨日までと、下手すれば数百年以上変わらない光景が、一柱の神の目に映った。
神々が人間を見守ることに飽き、長い眠りにつき始めて約千年。
セイが今いる天上界も人が住む地上界も変化らしい変化はない。
人は強くなった。神の加護がなくても生きていくことが出来るほどに強く逞しくなった。
天上界の仕事も昔と違って、式神たちにほぼ全ての部分を任せて回すことが出来るようになっている。
それもあってか神々は、なんの負い目を感じることもなく眠りについた。
子離れ親離れの時が来たのだ。そう思う。
「そうだね。やっぱりきっとこれが寂しいって気持ちなんだと思う。やることと言ったら毎日同じように死者の国の管理の仕事をして、神々の歴史書に日付と『今日一日、何事もなく過ぎさった』と書き込むだけ。昔とは違う」
そう昔は違った。
数千年前なら、それこそ『記述』の神としての権能を最大限に活用しなければ、一日のうちに処理しきれないほどの大量の出来事が山のように起きた。
自分の仕事を少しでも軽くするために生まれたのがハコ、そして目に見えない所で働いている無数の式神たちだ。
書類が飛び回っているのも、その生産も、ほとんどの部分の記入もその式神たちが行っている。
昔は本当に大変だった。神でありながら過労でぶっ倒れるかと思うほど働きっぱなしであった。
特に大変だったのは、人の仕事に文句をつけてくる兄弟神への対応だ。
自分の仕事である天上界の歴史書を編纂していると、他の神が酒を片手に現れて、やれ『そんなつまらないことは言ってない』だの『もっと美辞麗句を並べて称えろ』だの文句を言ってくる事は日常茶飯事であった。
自分もしばしば杯を片手にそれに対して言い返したものだ。
でも楽しかった。少なくともあの時は一人ではなかった。
ハコとの会話とは違い、予想も出来ない出来事が何度も何度もひっきりなしに起きた。
今となっては遠い記憶だ。
だが兄弟と、仲間と過ごす日々は、代えがたいほどに輝いたものとして脳裏にしみついている。
もう一度あの時と同じように遠慮もなしに共に過ごせる友が欲しい。
何も考えずに笑い、歌い、踊り、時を共にできる友達が欲しい。
千年近い孤独を経て、アメノセイはそう思うようになっていた。
「もう一度さ。あの時と同じように……誰かと一緒に笑いあえたらって。それって本当に素敵なことなんじゃないかって。最近そう思うようになったんだ」
セイがうつむき机を人差し指で撫でる。
瞳はその動く指先を見ていたが、頭の中ではやり場のない切ない感情が、吐き出すことのできない寂しさが延々と渦巻き続けていた。
主のその様子を見て、しばらく沈黙した後、ハコが自身の絵を変え言葉を発した。
鳥の絵が片羽を広げ、もう片方の羽を胸の辺りに持ってくると一礼して見せる。
「セイ様。そういう事ならばこのハコ、不肖の身ではございますが、是非ともお力添えさせていただきたく思います」
「本当、ハコさん?」
「当然でございます。ワタシはあなたによって生み出された式神。どうぞ何なりとお命じくださいませ」
「そっか。ありがと……ハコさん」
これもセイ自身がそういうように仕込んだ言葉ではあるが、彼女が、自分が生み出した式神が、無数の選択肢の中からこの答えを選んでくれたのが嬉しくて、セイは頬をほころばせた。
「よし! それじゃ張り切って友達を作ろう!」
体を起こし拳を握り気合を込めるとセイがそう言う。
主人のその言葉を聞いて、ハコは再度首を傾げると疑問を口にした。
「友達を作る、と一口に申しましてもどうやって作るおつもりなのでしょうか? この天上界にはもはや眠っていない神など存在しませんし」
我が意を得たりと言わんばかりに自身に満ちた笑みを浮かべると、セイはその問いに答えた。
「いい質問だね、ハコさん。確かに今ここに友達候補となる神はいない。眠りについた神々を無理やり起こすなんてことも不可能。あの連中、天上界の空気と同化しちゃっててどこにいるかさえ分かんないし、触ることさえ出来ないからね。そこでだよ、ハコさん!」
バン、と音を立てて机を両手で叩くとセイはハコへと力説する。
「ボクは下界の人間と友達になろうと思うんだ!」
「……ニンゲン、でございますか?」
「そう、人間! 昔っからボク羨ましかったんだよねぇ! ほらボクの姉さんなんかは昔よく人間界に遊びに行ってたでしょ?」
「……はい。あなたの姉君はしばしば仕事をほっぽり出して下界へと遊びに行っておいででした」
「でしょー! 実は結構羨ましかったんだよねぇ、下界に繰り出してさぁ! 宴に潜り込んで朝まで飲んで踊って歌い明かすなんてしょっちゅうだったじゃないか! あの時期ボクは仕事が忙しくて全然そういうこと出来なかったでしょ?!」
「他の神に押し付けられた『死者の国』関係の仕事で手一杯でしたからね」
「そう! 連中ボクに面倒ごとはぜーんぶ押し付けて自分たちは遊んで暮らしてたんだ! 今度はボクの番だよ! ねぇハコさん、そうは思わないかい?!」
「否定はしません。ですが――」
「そうでしょ! よし! ほら見ててよ!」
ハコの言葉が終わらないうちにセイは立ち上がると、両手を勢いよく打ち鳴らし手を横に広げると首を傾げてポーズを決めた。
するとどこからともなく、広げられた巻物が数巻近づいてきてセイの姿を隠し始める。
ハコからは謎の光によってライトアップされるセイのシルエットしか見えなくなり、しばしその場に衣擦れの小さな音だけが響いた。
時間にして十数秒ほどたっただろうか、巻物が来た時と同じようにどこぞへと飛んでいくと、そこには先ほどとは格好ががらりと変わったアメノセイが立っていた。
青く輝くタイツに下半身を包み、ダボっとした首まで覆う黒のキルティングジャケットを身に着けている。
ジャケットには白いビーズ飾りのようなものが等間隔についていて、セイの中性的な見た目にその服はよく似合っていた。
胸元には幾何学模様の金の飾りが輝き、そこからは青い布がユラユラと揺れている。
先ほどまで纏っていた着物とは違い、随分と神らしくないカジュアルな衣装にセイは着替えていた。
「どう、ハコさん?!」
「はぁ……よくお似合いでございます」
「でしょ! 特にこの服! 黒にこの白の飾り! 星が輝く夜空って感じがして、ボクって感じがしない?!」
「おっしゃる通りかと」
「でしょー! いやー困ったなあ。これ下界にったら注目の的だよぉ! 地上界で流行ってるって言うナンパとかされちゃうんじゃないかなぁ!」
「いえ、そんなことは……」
「何でさぁ~! 神がかり的に可愛いこのボクの姿を見てときめかない人間なんて中々いないと思うよ! 違う?!」
「いえ、それはその通りだと思われますが。その、そもそもの問題として」
「よし! この衣装なら大注目間違いなしだよ! 仕事もひと段落したし! それじゃボクちょっと下界に顕現してくるから! ハコさん留守よろしくね!」
「あの……」
両手を打ち合わせると、星屑のような光がセイの姿を隠し、一瞬のうちにして消え去ってしまった。
その場に式神であるハコだけが残される。
「はぁ……」
一人ため息をハコがつく。
アメノセイもまた、神の一柱であったということなのだろう。
自分が生み出した式神の言葉に全く耳を傾けようともしなかった。
神特有の自分勝手さ、強引さだ。
「まぁ『馬には乗ってみよ人には添うてみよ』という言葉もございます。現状を知るには体感するのが一番でございましょうか……」
ハコは一人そうごちるとパタリと机の上に横になった。
――――――――――
あ、そこの人~! こんにちは! ねえ今暇? 良かったらちょっとお話とかどうかなって! あれ、ちょっとおーい! もしも~し! ……なんだよ、もう……。無視することないじゃないか。
そこのおねぇさん! ちょっとボクとお友達に……あれ、あの。お話だけでも、えぇと、ちょっとぉ……。
そこの少年! いやそこのおじいさんでもいいや! ほら! この見目麗しいボクが今から話しかけますよぉ! ほらほら! え、ちょ、せめて止まってよぉ!
お兄さん! サラリーマン風のおじさん! 謎のメイド服のおばさん!
ちょっとだけ! ほんの数分! いや数秒だけでいいから! ボクとお話してそれでもしよかったら友達に、いやちょっとせめて最後まで喋らせてよ! ちょっとみんなぁ! なんでさぁ!!
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