7

 結晶が溶岩に没して数秒で、変化は訪れた。

 カレルとの激突に隠れてはいたが、確かに響き続けていたラヴァットーアの物と思しき咆哮が小さくなり始める。

 咆哮の鎮静化に連動する形で撒き散らされていた暴力的な気配も消失し、少しだけディンクの目に映っていた影が、溶岩の遥か深くへと消えていく。

 ラヴァットーアが何か声をかけてくれるだの、ルーカルヴァの残滓が現れるだのといった、特別な何かは一切ない終わりにディンクは脱力し、そして行き過ぎたのか斜面を転げ落ちていく。

「しまっ……」

 受け身も取れない今転がり続ければ何処かに激突して死ぬ。焦るが、何も出来ず転がり続ける彼の全身が、不意に硬質の物体に受け止められる。

 右腕の消失と同時に自由を取り戻した首を回して見上げると、そこにはクレセゴートを地面に突き刺したカレル・ガイヤルド・バドザルクが立つ。

「……まだ、やるのか?」

「決着が付いたのに、なんでまだやる必要があるんだ。お前等が目的を達成した以上、俺の負けだ」

 先刻まで浮かべていた物とは全く異なる、悪意無き笑みを浮かべたカレルは、魔剣の切っ先をディンクに向け『妖癒胎動ファリアス』を発動。暖かな光は彼のみならず残る二人も覆い、枯渇した活力を取り戻させていく。

「下山ぐらいは出来んだろ。勝者が報酬を得られないってのは変な話だ。行けよ」

 

 金銭だけで動く卑劣な犯罪者。

 

 世間が貼り付けただけではなく、カレルに存在している確かな側面だ。

 だが、眼前に立つ魔剣継承者には、戦いに対する確かな真摯さと技の練度が物語る飽くなき向上心、そして勝敗を受け入れる潔さという、世論を形成する『正しい』人々が持ち合わせていなかったり嘲笑する、しかしヒトにとって大切な物を抱えて生きていた。

 己の人生を歪めた相手ながら、ディンクはそのような側面を持つカレルに敬意を抱かずにいられなかった。

「あぁそうだ。持っていけ」

 難儀しながら立ち上がり、友人の元へ向かおうとするディンクに、カレルが小さな金属板を投げる。掴み取ったそれには、座標と思しき記号が乱雑に記されていた。

「一生片腕は不味いだろ。そこで義腕を作って貰え。金は報酬で払えるし、そいつなら出来栄えも問題ない」

「ティル・ケブレス。……まさか!?」

「そ。当代の魔剣を作った奴だ。今は武器製作から退いたが、そういうのならやる筈だ。カレルの紹介と言えば、動いてくれるだろうよ」

 予想以上の配慮に、ディンクは愚かアニーとクラックも口を半開きにして固まる。どうにか思考が纏まり、最低限礼を言おうとディンクが息を吸った時、激震がグラグス火山を襲う。

 咄嗟に体勢を低く執った三人の周囲で、沈黙していた噴出口から溶岩が噴き出し、空に紅と黒が戻り始める。

「ラヴァットーアが動いているのか!?」

「違う、これは……」

「暴れ過ぎて地脈が刺激されたんだろうよ。このままじゃ不味いわな」

 アニーの声を遮って「暴れ過ぎた」一人であるカレルは、クレセゴートを抜いて三人に背を向ける。一体何をどうするつもりなのか。おおよそ検討がついてしまったが、火山が齎す爆音に負けない大音声で叫ぶ。

「止める気なのか!?」

「そういうこった。昔ヴェネーノのクソが、ルーカルヴァの起こした溶岩流を止めたらしい。アイツに出来たんなら、俺に出来ない道理はない」

「だったら俺も……」

「阿呆! さっさと医者にかからねぇと不味いだろが! ……良いのか?」

 前進しかけたディンクを強引に押し留めながら、クラックが放った問いに埋め込まれた多くの意図に対し、カレルは笑って受け止める。

「構いやしねぇよ。お前等の仕事はラヴァットーアの鎮圧。自然災害を捻じ伏せる事じゃなかったろ。……ぐずぐずしてると降りられなくなる。急げ」

 それ以上応じるつもりはないとばかりに、カレルは背を向けクレセゴートを正眼に構えて静止。肌を焼く厖大な魔力量に慄きながらも、三人は下山に向け一歩踏み出した。

「ああそうだ。お前等、名前は?」

「?」

「自慢だがな。俺は敵対した奴そのものや、ソイツの仕事を大体潰して来た。生き残って目的を達成した奴はほぼ皆無に等しい。だから、お前等の名前を記憶しておこうと思ってな」

 傲慢な発言だが、籠められた意思に嘘偽りはない。


 故に、三人は魔剣継承者に名乗る。


「クラック・バティス」

「アニー・レッティード」

「……ディンク・ダックワースだ」

「覚えた。またどこかで会おうぜ」

 言い終わると同時、地面を砕いて出現した黄金の柱が隙間なく屹立して三人とカレルを分かつ。この壁を破る術は、当然三人にはない。

「迷わずに降りろよ。報酬無き勝利なんぞ、負けと一緒だからな」

 それを最後に、カレルの声が言語の形態を喪失し咆哮に変わる。

 溶岩流に加え、その発信源である火山の暴走を食い止めるなど暴挙以外の何物でもない。発言者が他の誰かなら、例えるならばディンク達のような者だったなら、彼らは引き摺ってでもその者を止めただろう。

 しかし、壁の向こうに立つのは、彼らも強さを感じ取った魔剣継承者。彼であれば、常人にとって絶対の困難となる事象すら超えてくるという確信を、刃を交わした事で抱いていた。

「……降りよう」

「そうだな」

 黄金の壁に、今度こそ背を向けて三人は下山に舵を切る。

 響き渡る轟音を幾度となく背に受けても、決して振り返りはしなかった。


                   ◆


 登山に於ける共通認識として、下山する方が危険という物がある。

 決して登山経験が豊富と言えないながらも、それを知っていた三人は、登りと比して遥かに遅い速度で山道を歩み、やがて麓に設けられた駐留所に辿り着く。

 扉を開くなり転がり出てきたマークは、全身が傷塗れで、一人は腕を喪失している三人の状態を見て顔色を蒼白な物に変えながらも、職業意識で辛くも踏み止まって頭を下げた。

「火山活動の鎮静化を検知しました。……本当にありがとうございます」

 マークは、彼の周囲に立つグラットスの役人たちは、ディンク達に視線を固定する。その眼に宿る物は、当初ここに訪れた時、手に入れたいと思い続けていた物だ。

 ――嬉しいけど、思っていたよりも嬉しくはないな。


 地位や名声の先に在る物こそが、最も大切な物だった。


 彼が辿り着いたのは、綺麗事という単語で切り捨てられ、負け犬の遠吠えと『正しい』世界に生きている存在に嘲笑される着地点かもしれない。

 大局観無き行動でこれまでの、これから先の人生を潰した愚者だと、したり顔の賢者達はディンクを、彼の仲間達を止められなかった者として扱き下ろすだろう。 

 しかし、それが何だというのだろうか。

 何者にもなれない存在が大半を占め、そんな現実を受け入れたように振る舞って生きていく存在だらけの世界で、一瞬だけでもディンク達は何者かになれた。

 器を鑑みた時、本来絶対に得られない物を得た彼らは、確かに勝者であり、生の意味を掴んだ者になったのだ。

「……あ、でも、ちょっと、眠い」

「血を失い過ぎたんだ! マークさん、医者を早く!」

「わ、分かりました」

 小さく笑い、全ての力を絞り尽くしたディンクの視界は、そこで途切れた。

 

                  ◆


 彼らが麓に辿り着く直前の事。

「うーっし、終わった終わった。ま、天才なら出来て当然か」

 戯けた言葉を吐きながら、カレル・ガイヤルド・バドザルクは溶岩が冷え固まり黒化した大地に座り込む。

 魔剣継承者の彼であっても、完全に溶岩の中へ沈めば命はない。

 対峙した者達の名誉を潰さぬ為に完璧な鎮圧を試みた結果、魔力の枯渇が生じ、暫しの休息を強いられることになった彼の目に、幽かな緊張が宿る。

「殺るならさっさと殺れよ、クレセゴート」

 呼びかけに応じ、黄金の魔剣が独りでに浮き上がり、カレルの心臓部に切っ先を向ける。

 魔剣継承者と言えど戦いに敗北して落命したり、武器を奪い取られた者は歴史を辿れば必ず見つかるだろう。では何故、継承者以外の使用者が歴史に残っていないのか。

 答えは実に単純で、意思を有するケブレスの魔剣は前述のような事態の発生や、持ち主が保有し続けるに相応しくない状態になったと判断した時、持ち主を殺害した後に自壊する機能を有していた。


「戦えなくなった時が、戦士と武器の死ぬ時」


 初代となる魔剣『征竜剣エクスカリバー』を持ち、たった一人で『エトランゼ』一柱ギガノテュラスに挑み、相討ちの形で散ったハンス・ベルリネッタの信念が、勝手に宿った為と無理矢理な理屈を付けられているこの現象に、明確な答えはない。

 中身がどうであれ、格下相手に負けた事実は魔剣が自分を見切る理由になると、カレルは重々理解していた。


 無慈悲に輝く黄金の切っ先が、彼の心の臓に伸び――


 そして、黒化した地面に突き刺さって乾いた音を立てる。

 当たり前の話だが無傷のカレルは、その事実が信じられないとばかりに目を瞬かせる。そんな彼の脳内に、肺腑を揺さぶる重い音が響く。

 言語の態を成していない音が持つ意味を、難儀しながら読み取ったカレルは首を捻りながらも頷き、立ち上がる。

「成すべき事を成してから死ね、か。俺の成すべき事は、一体何なんだろうな」

 魂に火が灯る戦いは久方ぶりで、自分は魔剣が真に求める領域に今いない事は自覚している。だが、現状の世界は小競り合いこそあれど、平和と形容して問題ない状況にある。

 単なる闘争に於ける強さなど、あまり求められていないのが実情で、故に同郷のヴェネーノは世界の敵と称される。

 辿り着くべきだった、しかし腐った為に見えなくなった領域を目指せという意思を、今ひとつ理解しきれないカレルに、魔剣はもう一度だけ音を送って沈黙。元の金属塊に回帰した。

「最後を描くは異邦人? 『正義の味方』とかそういう奴の事か? ……まあ良いや。取り敢えず、生きて戦い続けりゃ良いんだろ?」

 軋む身体に鞭を打って立ち上がり、魔剣を背負ったカレルは『竜翼孔』を発動して飛翔。内在する何かを確かに変える切欠をくれた火山に目を遣った後、前方に視線を固定する。


「またいずれ、だな」


 小さく言い残して、黄金の竜は加速。

 噴煙で空に大きな円を一つだけ描いて、バザーディ大陸から去った。

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