回想:ある凡人の凡庸な現実と絶望

 薄曇りの空の下、至るところで舗装が剥げているマウンテンと居住区を結ぶ道を、一人の少年が歩んでいた。

 一・七八メクトルの身体が完全に隠れる、巨大な籠を背負って。

「俺がなんでこんな雑用を……。タダより高いってのはこの事か……」

 一歩踏み出す度、籠に詰め込まれた無数の廃材が擦れ合い、不愉快な音を立てる事によって少年、ディンク・ダックワースの顔が歪む。

 両手を使えない故、垂れ流し放題の汗が目に入り呻き、許容範囲を逸脱した重量によろめきながらも、ディンクは足を止めない。

 彼の向かう先にして、廃材運搬の依頼者である『レフラクタ特技工房』に、世界で一つだけの自分専用武器が待つ高揚が、労働の疲労を打ち消していた。

 ――やっと良さ気な奴が手に入るんだ、このくらい……!

 二世代落ちの魔導剣や、頑丈な農具を振り回してマウンテンとヒルベリア近郊での仕事をこなして実力を付け、廃材を搔き集めて『転生器ダスト・マキーナ』の製造を開始して早一年。失敗続きだったが、今日こそ良い物が完成するという確信が、不思議と彼の内側に生まれていた。

 

                    ◆

 

 結果だけ示すなら、彼の確信は現実の物となった。

 工房の副代表ジーナ・レフラクタによって廃材の塊から削り出された剣は、今までディンクが掘り出した廃材から生まれた物とは、一目で分かる違いがあった。

 飛び跳ねそうになったのを抑えてジーナに礼を言い、対価となる廃材を降ろして工房を退出し、試し斬りを行うべくマウンテンに向けられた足は極めて軽い。

 世界で一つと言えど、所詮『転生器』と指摘を受ければその通り。

 ただ、今の彼にそのような「冷静な現実」は必要ない。

 苦難を重ねて一つの節目に辿り着いた。また次の節目に向かう。それを積み重ねれば、描いた物へと少しずつ近付ける。

「クラックを呼んでバスカラートでも……!」

 不意にディンクの足が止まり、目に警戒の色が浮かぶ。

 魔力が一点へ集束し、放たれようとしていると察し、まだ名前も与えていない転生器を構えて体勢を低く執る。

 敵襲の気配はなく、普段ヒルベリアでの目撃例が無い生物が入り込んだ話も聞いていないが、ヒト一人が蓄えるには過大な魔力は、彼を警戒させるには十分だった。

 ――流れ着いた犯罪者か? そいつらを狩る賞金首か? いやそれにしても……。

 緊張と恐怖と高揚が入り混じる中で、少しだけ割り込んできた疑問が膨れていく途中、気の抜けた音と共に、魔力の集束が途絶える。

 そして、綺麗な放物線を描いて黒い塊が彼の目の前に転がり落ちた。

「は?」

「……!」

 落ちてきたのは子供。しかも、就学年齢にすら達していなかった。

 殆ど号泣状態、しかし声は出さないという不思議な姿を晒している子供の髪は、一筋の蒼を除き黒。逃げ場を探すように忙しなく動き回る右目の反対側は、かなり雑な造りの眼帯で塞がれている。

 動揺と恐怖が激しい事を差し引いても、右腕と左脚の動きが特段ぎこちない子供に、ディンクは転生器を降ろして問う。

「さっきの魔術、お前がやろうとしてたのか?」

「……ぅ」

 怯えているのか、返答は口を開閉させて空気の漏出に等しい音を零すのみ。客観的に見て全員に好かれる程の容貌ではないと、一応自覚はあるディンクだったが、ここまで怯えられる必要もないだろうと思いながら質問の方向を変える。

「俺はディンク・ダックワース。ヒルベリアに住んでるし、お前に危害を加えるつもりもない。名前と家は? 親とはぐれたなら家まで連れていくけど?」

 転生器を地面に刺し、腰に巻いていた短剣の類も降ろして敵意がないと示すが、相手の見せる反応は変わらない。

 相手が年端もいかない幼児である以上、この反応もある程度予測はしていた。だが、もう少し言葉による意思表示をしても良い年齢の筈だ。

 ――けど、このまま放っておいても危険だ。せめて居住区まで連れていくか。

 不可解な物を感じつつ、一歩前に出ると同時、幼児もぎこちない動きで後退する。

「あぁいたいた。ヒビキ、怪我ないか!?」

「!」

 割り込んできた声に、二人は正反対の反応を見せた。

 動きを止めたディンクを他所に、幼児は先刻までのぎこちなさを何処かに捨てたような敏速な反応で後退し、声の主の足にしがみついた。

 しがみついた幼児の頭を軽く撫で、声の主はディンクに対し鷹揚に手を挙げる。

「あぁディンクか。バイトの帰り?」

「……そんなところですね、カルス・セラリフさん」

「いい加減、カルスって呼んでくれ。立派な人間じゃないんだからさ」

 名を呼ばれて苦笑を返す青髪と長身が目立つ男、カルス・セラリフの持つ物は、無論ディンクも知っている。

 数多の闘争を潜り抜け、戦士の出荷で外貨を稼ぐ歴史を持つノーティカに於いても、歴代最強と称えられた男は、本来ヒルベリアに居てはならない存在だ。

 レフラクタ特技工房によく入り浸っていることから、ディンクとは顔を合わせる機会も多く、顔を合わせる度気楽に話しかけてくれるが、未だに緊張は抜けない。

 この瞬間もまた、少しだけ背筋を伸ばしたディンクは、カルスの足にしがみついて隠れた幼児に視線を遣りながら口を開く。

「息子さんがいたんですね」

「……息子、じゃないな。ヒビキは保護したというか何というか……そんな感じだ。まだ話せないから、色々と礼儀を欠いてたらすまん」

「いえ、それは別に構わないんですが。さっきのはあなたが?」

 実戦から離れて久しいと吹聴しているが、カルスの力量は未だに小国相手に戦争が可能な程度は維持していると伝え聞く。彼なら先程の現象を引き起こしても何ら不思議ではない。

 ディンクの実に真っ当な推測を、カルスは笑って否定する。

「さっきのは俺じゃない。ヒビキだ」

「……はぁ?」

 年端も行かない、しかも自分の手足の扱いにすら難儀する子供が、先刻の事態を引き起こす。

 出来の悪い冗句と切り捨てたかったが、眼前の男が至って真剣な光を蒼眼に宿している点から考えるに、真実は冗句より出来が悪い代物と判じる他なかった。

「何にも出来ないままじゃ、この世界じゃ生きられないだろ。だから色々教えてるんだけど、思ってたよりよく出来る子でな。今日は『大鯨恐槍雨ヴァレル・ストラフォーリエ』を試してた。途中までは上手く行ってたんだけど――」

 

 カルスの言葉は、途中からディンクの耳に入っていなかった。

 

 教えていたと宣う『大鯨恐槍雨』は、非常に難易度の高い魔術であり、最低限の構築すら失敗する者が大半を占める。彼の友人たる少女が試行した時は、一本も槍を形成する事が出来ずに終わった。

 それを、カルスの足にしがみついているような小さな子供が、途中まで辿り着いた。

 失敗したから、等の言い訳は何の意味も無い。六歳前後でそこまでやれるなら、遠くない内に発動に成功し、やがて高みに登り詰めるだろう。

 

 ディンクなど、一生届かない場所にだ。


「そんじゃ、俺もう帰るわ。ほらヒビキ、挨拶しろ」

「……」

 カルスの声で我に返り、小さく頭を下げたヒビキの姿を見て、先刻と立場が入れ替わったようにディンクはぎこちなく挨拶を返す。

「頑張ってるってジーナさんから聞いてるし、『転生器』を手に入れても気を緩めずにな!」

「は……頑張ります」

 激励には強烈に過ぎる拳を胸に浴び、咳き込みながらの返事に何度か頷いたカルスは、しがみついていたヒビキを肩に載せ、ディンクの前から去っていく。

「……」

 二人の姿が視界から完全に消え、一人残されたディンクは転生器を引き抜いて、ある甲虫の大顎に似た刀身を持つそれを見つめる。

 手にした時に湧き上がっていた高揚は、既に彼の中から失せつつあった。


                     ◆


 ヒルベリアの一角に、季節外れの白が満ちる。

 夏の陽気すら押し返す極寒の領域に、やはり白で覆われた青年が宙を舞い、そして地面に落ちた。

「もう結果は出た筈だ。これ以上を望むのなら、命のやり取りになるぞ」

 身体の一部が凍結し、蒼白な面持ちのディンク。彼の鼻先に、海獣の牙を想起させる乳白色の刃が突きつけられる。

 ヒルベリア屈指の実力を誇り、そして明日にはこの町を去る男、マルク・ペレルヴォ・ベイリスの顔には、激情に駆られるディンクとは正反対の、即ち異名通りの物になっていた。

「今の君は私に勝てない。諦めるんだ。君を殺害したいと、私は思っていない」

 だったら、今こうして突きつけている物は何なんだ。

 戯けた問いも、眼前の『氷舞士』と何故激突する事になったのかも、両方彼は十全に理解していた。

 ヒルベリアを拠点としながらも、氷舞士の意識は外に向いており、外での生活を共にする仲間を探していることは、住民の殆どは既知の上、本人も特段否定しなかった。

 ディンクもまた、それを知っていた為に彼の仕事への同行を申し出、それなりの結果を残し、良好な関係を築いていたので、氷舞士の開く道に乗れると思っていた。

 本人から、同行を拒否される瞬間までは。

「……どうしてだ。どうして俺があんたに不要とされ、あの××××××が同行できるんだ? あれに比べたら、俺の方が格段に強い筈だ!」

 突き出されたギセッファの刃を『氷伐剣ナヴァーチ』が払い、すかさず放ったディンクの拳を、こちらも空いた左手で掴み、手首の力だけで彼を雪の大地に叩き落とす。

 衝撃で手から零れ落ちたギセッファを蹴り飛ばし、首筋にナヴァーチを押し付けた状態で、氷舞士は淡々と口を開く。

「確かに、君の方が戦闘能力は高い。かと言って、学術的な方面も大きな差はない。しかし、リンドと君にはたった一つ違いがある。大きな、とても大きな差だ」

「なん……」

「君は、努力をしたことがあったのか?」

 まるで意味の分からない問いに、青年の動きが一瞬停止する。

「……してたから、こうして戦えるようになったんだろうが! このヒルベリアで、俺以上に外での経験を積んだ奴はあんた以外にいない。ここまで結果を残しているのに、努力をしていない筈がない!」

 喚きと同時、ナヴァーチが引かれ圧力も失せ、ディンクは跳ね起きて氷舞士を睨む。

 そして、彼の目に宿る哀れみと失望を受け、言葉を失った。

「その答えこそが、私が君を選ばなかった理由だ。才能の限界は誰しもある。それを受け入れて前進させる為に足掻くことで、ヒトは前に進める。私もそうしてきた。望みの結実には、この道しかない」

「俺も……」

 そうしてきた、と口走ろうとしたディンクの口が、気付きに至り硬直する。

 確かに、ヒルベリア外で仕事は数多くこなしてきた。他者に誇れる実績を残してきた。

 だが、それらは全て勝算が大きい仕事で、勝算が大きくなる布陣を揃えて成した物だ。

 マルク・ペレルヴォ・ベイリスの影に隠れていれば、最低限の実力があれば誰でも援護射撃の任を果たせる。安全な仕事ばかり選んでいれば、少々危険はあっても完遂は出来た。

 だがその立ち回り方は、彼の実力を高めていたのか?

 才能が足りない事を認識した上で、最良の結果を残す為の取り組みは、その実ディンクを本当の意味では成長させていなかったのだと氷舞士は暗に告げていた。

「君は現実に怯え、上手く立ち回って矢面に立つ事を逃れようと試み、そうして生き延びてきた。それ以外での君の人格を私は好いているし、実力も決して軽んじてはいない」

「……なら」

 答えが分かっているにも関わらず、問いのような形で声を投げたディンクに、律儀さの証明か氷舞士は淡々と応じる。 

「友人として接することは出来る。だが、背を預ける戦友としては信頼出来ない。これが私の答えだ」

 指を打ち鳴らし、周囲を覆っていた白を掻き消した氷舞士は、硬直した青年に目もくれず去っていく。彼を追う余力は、ディンクに残されていない。

 指摘を受け、彼の中を様々な映像が駆け巡る。

 そして、その始まりはいつもあの時の光景で止まる。


 カルス・セラリフと、彼に縋りついていたヒビキ・セラリフだ。


 前者は数年前に姿を消した。

 後者は現在、インファリスでは珍しいカタナ型の『転生器』を振るっているものの、ヒルベリアにゴロゴロ転がる『塵喰いスカベンジャー』と比して何か大きな結果を残した話は聞かない。カルスが太鼓判を押し、あの時ディンクが抱いた予感から程遠い実情だ。

 しかし、現在がそうであっても、あの時抱いた予感と突き付けられた埋められない差。それを言い訳に何かを投げた己の怠惰さや、そして氷舞士に見限られた現実も、逃れられようもなく立ちはだかる。

 脱殻しなければ、嘗て描いた理想に届かない。 

 そして、脱殻するには既に年を食い過ぎている。

 染みついた全てを叩き壊す必要に迫られているが、実行したところで成功する保証などなく、寧ろ失敗して失う可能性が高い。

 

「……」


 内在する物の大半を砕かれた青年は、夜が明けるまでその場に立ち尽くしていた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る