3:黄金の邪竜

 滞留する火山灰によって太陽光が遮られ、気温が低下するという理屈が通用していたのは、グラグス火山に踏み込んで数十分程度だった。

「……至る所に赤い川が見えますが、これに触れたらどうなりますか?」

「草食動物から、ケルベロスの子供までは骨も残さず消えます」

 具体的過ぎる返答に、アニーの顔に吹き出していた汗が文字通り引いていく。

 麓と括られる領域を抜けて暫くして見受けられ始めた、地面を流れている物が溶岩と予測は付いていた。だが、個体によっては伝説級の敵性生物と渡り合える、哺乳類の頂点に属する生物も溶かすと明示されるのは、気持ちの良い物ではない。

 ふと視線を感じてディンクが首を向けると、クラックが引き攣った顔で何やら口を開閉している。「落ち着け」とハンドサインを送った彼もまた、友人と同じような表情を浮かべている自覚はあるのだが。


 鉄をも溶かす赤の川は、平等に敵になる。


 相手を叩き込めば無条件で終わらせる事が出来るが、それは三人も同じである上、彼らは土地勘や火山での戦闘経験がない。

 火山に辿り着くまでに、バザーディ固有の鰐『ガルタール』の群れを皮切りに、野生生物との戦闘を数度切り抜けているが、先導から知識を仕込まれていても未知の存在への恐怖が無意識に浮上し、負傷こそないが普段よりも動きが鈍い。

「山頂まで、あんた方の足で普段どのくらいかかる?」

「溶岩の流れで上下しますが、今日中には辿り着けるでしょう」

「……なるほど。もう一つ、あの塊を火口に放り込む刻限は?」

「今日ではないと、断言出来ます」

 猶予がある事は何よりの朗報だ。

「だったら焦らず行きましょう。まずは」

 上体を奇怪な姿勢に変えながら、アニーが横に跳ぶ。

 疑問を呈するより速く、三人とやり取りを交わしていた先導の頭部が消失。地面を流れる物と趣が異なる赤が大地に散る。

「アニー、他の先導を守れ!」

 砲弾が通過する余波で生じた暴風に殴打され、地面を転がりながら指示を飛ばしたディンクはギセッファを抜きながら立ち上がる。

 首から上どころか、胸部まで耕されて倒れ行く先導の懐から、鍵となる球体をかすめ取りつつ黒の大地を駆け、左腕に砲台型の転生器『払塵砲ふつじんほうバークガー』を構えたクラックと背中合わせで周囲を睨む。

 一見すると御伽噺に登場する魔法使いの杖に見える『凝杖ぎょうじょうコランド』を掲げ、『希灰超壁ウォルファルド』を発動して残る三名の先導を覆ったアニーを横目で見ながら、熱起因ではない汗が伝う。

「結局こうなるのか」

「依頼者に味方の反対がいるのは予測してたが、こうもあからさまに来るとはな」

「『希灰超壁』は長く保たない。引っ張り過ぎればアニーが危険だ。……急ぐぞ!」

 

 変形したギセッファの片側を、凶弾が飛来した方向へ放り投げ、ディンクが始動。

 

 ――俺達と同じ力量のアニーが最後に気付けたなら、覆せない程の力量差はない。だったら、やるしかないだろう!

 魔力の集束を察した刹那、進行方向から再度圧力と、それを齎す鉄球が飛来。回避の術は当然ないディンクだが、停止の意思もまたない。

 勇敢な自殺にしか見えない行動の答え合わせは、放たれていたギセッファが鉄球に立ちはだかり、激突した事実で為された。

 失速し、只々地面に落ちるだけとなった鉄球を踏み台に跳ね、ディンクは前方に人影を目撃。狙いを修正して上がりつつある相手の腕に、正確にギセッファを走らせて中断させて、彼は地面に降り立つ。

 集団の全容を視認して生まれた後悔と恐怖を押し殺しながら、最後の礼儀としてギセッファを降ろして声を紡ぐ。

「質問は二つ。あんた方の所属と目的は?」

 鉤十字と鳥類の翼を複雑に組み合わせた紋様が大きく刻まれた、あるべき姿からかけ離れた法服に身を包み、頭部を熱砂地帯の住民が用いる覆いで隠す。

 怪しさの看板が歩いているような集団は、ディンクの言葉に、彼が望んでいたものとは角度がまるで異なる反応を見せる。

「異端者には死を」


 万物への厭悪を煮詰めた、低く昏い声。


 突き出された手から黒煙が生まれる。

 黒煙は一箇所に寄り集まって絡み合い、気体の集合体と思えぬ威圧感と重みを感じさせる鎌を形成。刃から柄、柄から手と、川の逆流のように形成されていくそれは危険だ。

 そう告げる本能に呼応して、彼の足も少しだけ後退を始めている。

 逃げてどうする? との感情だけで辛くも踏み止まるが、先を描けず停滞するディンクを他所に、黒煙の一体化は更に進行。既に肩が完成し首まで――

「止まるな!」


 咆哮、そして擦過音。


 背後から放たれた無数の『鉄射槍ピアース』が黒煙塊を撃ち抜き、グラグス火山の宙を駆け抜ける。仕掛けが文字通り霧散した事で狼狽する集団にも無骨な槍が突き刺さり、乱れた円に灰色の髪を持つ男が割って入った。

 砲身から湯気を放つバークガーを携えたクラックは、集団を睨みながら硬直から解かれたディンクに一瞬だけ無骨な鉄筒を押し当てる。

「……っ!」

「ビビるのは分かるが、今はその時じゃないだろ。生き残って、仕事の完遂が今やるべき事だ。ここに来た理由を思い出せ!」

 力技で硬直を解いたクラックの身体も微かに震え、声の音程も微妙に狂っているが、それを受けたディンクの表情が一気に引き締まり、後退しようともがいていた足が止まる。

 風切り音を引き連れて戻ってきたギセッファを掴み、剣に回帰させたディンクは、仕掛けを破られた動揺から立ち直り、憎悪の炎を全身に灯した集団を睨んで笑う。

 相手が先に仕掛けて来た時点で、話し合いの余地は失せている。ここから先に描かれる未来は、どちらかが白旗を上げるか骸に転生するかの二つに一つ。

 闘争心も露わに黒の大地を二人は駆け、呼応するように集団側も魔術の発動する構えに移行。

 勝敗の天秤はやや敵側に傾いているが、魔術の構築速度から伺える練度から、彼我の実力差がそう離れていないと三人に気付きを与えている。

 事実を心の支えとして駆けるディンク。彼の視線が不意に上へ引き寄せられ、茶色の目がある物を捉える。

 転瞬、彼の全身を悪寒が駆け巡った。

「クラック、逃げ――」


 皆まで言う前に、黄金の光がディンクを飲み込んだ。

 

 五感を侵す強烈な光と魔力の奔流は、襲撃者側も想定外だったようで、ディンク達の致命的な停滞を衝いて仕掛けてくる気配はない。

 状況の膠着を齎した光が止み、麻痺した目が正常な状態に戻った時、両者の中間点に黄金が屹立していた。

 光に乗って何者かが降りてきた、までは推測が及ぶが、決して人口が多くないバザーディに於いて、最初に感じた不穏な物を持つ存在が都合よく闘争の最中に現れるものだろうか。

 思考を回すディンクと、光を生み出した者の姿を捉えて硬直するクラックを他所に、乱入者と敵対者のやり取りがいつの間にか言葉を交わしていた。

「何をしていた、ガイヤルド!」

「見物。この程度ならお前らでも何とかなると思ってたからな」

「雇い主は我々だ、指示に従わなければ報酬は支払わんぞ!」

「そりゃ痛い。だったら、お前らちょっと下がってろ。巻き込まれて死ぬのは嫌だろ? 俺はその辺配慮しないからな」

 憤怒の声をおざなりにあしらわれ、集団は瞋恚の炎を全身に灯しながらも後退していく。全員が視界から消えた頃に黄金が向き直り、全貌を捉えたディンクは友人と同じ状態に叩き込まれた。

 指先から頭頂部、それこそ顔と目以外全てが黄金で包まれた男が、当たり前の話だがそこに立っていた。

 凡人が纏えば嘲笑される以外ないであろう、炎の意匠が刻まれた豪奢な鎧は、しかし二メクトル超の肉体と、舞台俳優同然の整った顔を持つ男が纏うことで、英雄活劇の主人公が纏う伝説の聖遺物の趣を醸し出し、凡人二人を圧倒する。

 肩から少しだけ伺える巨大な剣の柄と思しき物体も、彫り込まれた飛竜の装飾の精緻さが、知識や素養の無い輩にもその価値を朗々と示していた。

 作り物染みた要素が並び、それら全てを自分の中へ完璧に取り込んでいる男が、未だ硬直を続ける二人に甘い笑みを浮かべる。


「一応名乗るわ。カレル・ガイヤルド・バドザルク。で、要求も言っちゃうと、ルーカルヴァの息子を鎮める物を寄越せ」


 ここまで行くと別の表現が必要に思える、単刀直入極まる要求に、二人は反応できない。男の名乗りが衝撃的に過ぎたのだ。

 竜の血を引くとされるドラケルン人の中でも、飛び抜けた力や才を認められた者だけが手にする武器が『ケブレスの魔剣』だ。

 当代ケブレスが生み出した魔剣は三本。

 目の前に立つカレルはその内の一振り『散竜剣クレセゴート』の持ち主であり、またそれ以上に数多の犯罪に関与した容疑で、世界の強者に闘争を仕掛け続けるヴェネーノとは別の方向でその名を世界中に轟かせている。

 彼の行動原理が金銭の額次第というのは有名な話だが、まさか自分達と出くわすような仕事を受けるなど全く想定していなかった。

 力量差があり過ぎて、想定する必要性も感じなかったのが正確だろうか。

 様々な感情が渦を巻いて踊り狂った結果、石像と化した二人に、やはり黄金の籠手を纏ったカレルの左手が掲げられ、上を向いた四本の指が少しだけ動く。

「ご不満があるなら、俺を潰して押し通れ。『希灰超壁』に引き篭もってる女も頭数に加えて良い。戦闘能力のない奴を潰すのは仕事の範疇外だからな」

「……!」


 どうせお前達には無理だろうが。


 言外の嘲りで全身の血が沸騰。恐怖が、そして冷静な判断力が押し流された。

 悠然と立つカレルとの距離を、己の全力を絞り出して疾走するディンクは瞬時に詰め、ギセッファを振り抜いた。

 一七八センチメクトル、八十三キロガルムの身体から放たれた渾身の斬撃を、カレルは左腕をほんの少し動かしただけで止めた。

 抜けの良い音が響き、それが空に溶けるより速く跳ねたディンクが、中空で回る。

 地面に着地するまでのごく僅かな時間で、刃の軌跡が幾本も奔る。

 怒りが限界以上を引き出しているのか、傍観者の椅子を押し付けられたアニーとクラックすら瞠目する、彼という器では異常に過ぎる挙動の連続斬撃は、欠伸混じりのカレルによってやはり止められ、傷一つ付いていない。

 事実によって更に沸き立つ怒りに突き動かされ、着地と同時にディンクは渾身の突きを放つ。

「あーうん、大体分かった。もう良いわお前」

 

 そして、彼の視界が黒に染まった。


 地面に顔を叩き付けられた事実に、仲間達の悲鳴と飛び散る白い固形物と赤い液体を捉えた段階で、ようやくディンクは気付きに至る。

 遅れて襲ってきた痛みに呑まれ、転げ回る友人を庇うようにクラックが『鉄射槍』を、アニーが『奇炎顎インメトン』を放つが、カレルの左手で無効化され、彼の歩みを止めるには何の役にも立たなかった。

 上がりかけていた後頭部に足を降ろし、ディンクを踏み躙った状態でカレルは残る二人に目を遣る。気分で友人の頭が砕かれる事実を前に動けない二人に向けられる赤銅の目には、嘲りの成分などなく、純粋な退屈だけがあった。

「お前らさ、この前ウェジーでファルディミナスを倒した奴だろ。ぶっちゃけつまらな過ぎる。『恵まれていないボクたちでも、頑張れば名有りだって倒せるよ!』みたいな、教科書なぞるだけのクソみたいな組み立ては、俺にとっちゃゴミ以外の何物でもない」

「お前に何が……」

「戦闘時の挙動はどんな演説よりソイツを赤裸々に語る。『名有り』討伐っつー成果を残した事は褒めてやるが、夢を見るのはここまでにしとけ。お前らの本質は怠惰で何も成せない、地を這う虫けらだ。目指す領域には到底届かない」


 カレル・ガイヤルド・バドザルクは三人を必要以上に貶めようとはしていない。単に、彼が見た三人の力量から導き出される現実を示しただけだ。


 淡々とした、故に胸を穿つ言葉を放った後、視線を宙に彷徨わせた魔剣継承者だったが、一人得心が行ったように頷き、懐から物体を放り投げた。

 無遠慮に地面を転がる物体は、薄暗い世界の中でも各自が持つ色の輝きを放つ。

「お前らの欲しい物の一つはこれだろ。捨て値で売っても一人頭六億は懐に入る。先導から受け取った物と引き換えにくれてやるよ」


 グラグス火山の空気が、一瞬の内に低下する。


 受け手からすると、金で目的を放棄する意思薄弱な集団のレッテルを貼られたに等しいが、仕掛けたドラケルン人にはそのような意思はない。

 単に、実力が足りないにも関わらず足掻く馬鹿への慈悲深い行動であり、感謝されて然るべきとしか感じていない。

 彼の提案に、口を半開きにして硬直していたクラックが顔を朱に染め、アニーの見開かれた黒の瞳には嫌悪感が満ちる。

 そして、地に臥せったままのディンクは、彼ら以上に激烈な反応を見せた。

「……俺達を、舐めるんじゃねぇよ!」

 頭部を負傷し立つことも怪しい状態の彼は、全身の力を振り絞ってギセッファを跳ね上げる。既に視界から彼を消し去ったカレルには、回避する術はない、筈だった。

「おっと」

「……!」

 先刻と変わらぬ、虫けらを払う軽い挙動で黄金が振られる。

 ギセッファの刃は、カレルの親指一本で停止させられていた。

 失策に気付いたディンクは後退を選ぶが、新たに伸ばされた人差し指と中指、合計三本の指で握り込まれた転生器はピクリとも動かず、彼は手詰まりの状況に追い込まれる。

 友人を救うべく、アニーが投げたコランドから、クラックが構えたバークガーから『焦延留炎バルドラム』が紡がれる。精製されたナパームが生み出す炎は、狙いを一切過たずカレルを襲い――

 空いていた右手に握り込まれ、炎は全て粒子と化して散った。

 飛来するコランドを踏み砕いて塵に変え、左手に掴んでいたディンクを丸腰のアニーへ投げ飛ばす。魔術を無効化された挙句に吹っ飛んでいく友人達を見た衝撃によってか、思考に連動して身体も停止したクラックの首を右手で掴んで宙に吊り上げる。

「……かッ!」

「だから止めとけっつったろが」

 首が紫色に犯され、無様な痙攣を伴って顔が漂白されていくクラックに小さく吐き捨て、転がされた二人にカレルが右手を翳し、掌をゆっくりと赤く染めていく。

 冷静に状況を俯瞰すると、カレルは代名詞のクレセゴートどころか、解体用と思しき段平も抜かず素手だけで三人を制圧した。

 絶対に覆しようのない高い壁が聳え立っていると、世界に明朗に告げたドラケルンの男は、三人を殺害する事に何の憂いも無さそうな、場さえ違えば誰もが心を奪われる爽やかな笑みを浮かべる。

「これが選択の結果だ。甘んじて受け入れ――」

「……おい」

「あ?」

 傍らで絞り出された声に反応して、カレルの目が動く。

 そして、赤銅の目が汚液に塗り潰される。

「ぬぉ!」

 クラックの口から絞り出された液体を目に浴び、カレルが両目を手で抑えながら呻きを漏らす。

「お前『融界水スフィッド』を使ったな!」

「それだけじゃ、ない!」

 この場で初めての、嘲りや俯瞰者気取りの成分が無い叫びを聞きながら、アニーが指を打ち鳴らす。踏み砕かれたコランドの破片一つ一つから『鋼縛糸カリューシ』が伸びてドラケルン人の両腕に絡み付き、彼の腕を地に縫い止める。

 濃硫酸と同じ効果を持つ『融界水』をマトモに浴びて「痛い」で済んでいる、敵の頑健さに驚愕しつつもアニーがコランドを破片から杖の形に再凝集させ、クラックが意識を手放したディンクを背負う。

 二人の選択は、兎にも角にもこの戦いを一度打ち切る、という物だった。

「逃げても現実は変わらねぇよ。まあ、精々気が変わったらまた来いや」

 状況に全くそぐわない、呑気な呼び声を懸命に耳から締め出して、惨敗を喫した三人は先に撤退した先導者達の後を追った。


                   ◆


「あーやっと目が戻った。負け戦であんなのしてくる奴がいるとは思わなかった」

 三人がこの場から消えて数分後。

 『鋼縛糸』の拘束から脱したカレルは、腕を何度か回しながら先刻の戦闘を回顧する。

「頭っぽいのが剣、女が破片まで分解出来て各々から魔術を撃てる杖。あと一人が汎用的な魔術を無制限に撃てる砲台か。悪くない配分だな」

 そう評する男の目には、しかし取り逃した事への悔恨は塵程も浮かんでいない。

 故意に攻撃を受け続けたことで男の練度が、魔術を浴びて残る二人の練度を見切り、武器を使わずに撤退まで追い込んだ。そのまま連中が逃げれば一件落着。食い下がってくるのならば、それこそクレセゴートで叩き潰せば良い。

 殺し損ねたものの、実質勝利を手にしたも同然。にも関わらず、カレルの目には不思議な色が浮かんでいた。

「実力は只のボンクラだが、目は悪くなかった。……ま、次どう出てくるかだな」

「失敗したな、ガイヤルド!」

 騒々しい怒鳴り声に、カレルから高揚が霧散し、遅々とした動きで声に向き直る。全く道理に違わず、今回の雇い主『アンピレイス真理教』の信徒達が、顔を隠していても透けて見える嚇怒を引き連れて駆け寄り、カレルの顔に拳を叩き込む。

「あれだけ大口を叩いておいて失敗するか! やはり蛮族は能無しだ!」

「その能無しに縋った自分達を鑑みるとかしないのか? 俺から言わせりゃ、理想の体現に信徒じゃない奴を使うのが頭おかしいと思うんだが」

「アンピレイス様の救済対象に、幸運にも貴様が選ばれた。だから雇い入れたにも関わらず……」

 怒鳴り声を、カレルは鼻で笑って流す。

 新世界の創造と、選ばれし者がそこに向かう権利を得る。

 事前に手渡された教典は読まずに燃やしたが、お題目の大枠程度は、彼も一応記憶に入れていた。

 ――戦や不平等、悲しみ無き新世界創造を謳いながら、ヤクの製造やら人攫いに強姦。おまけに異教徒の雇用。美しい看板掲げる所はやっぱ一味も二味も違うな。

 御大層な歌に乗せて、今回バザーディ大陸の間接的な破壊の意義は語られたが、実情は教祖様が青年期に、この大陸出身のキノーグ人に喧嘩を吹っ掛けて返り討ちにされた逆恨みを晴らす為だと、教団本部の町でカレルは噂話を拾っている。

 眼前の男が展開するやはり大規模な話も右から左に流す中、今晩の夕食からクレセゴートの整備まで、一通り思考を巡らせた後、カレルは己の針路を決定した。

「時にビンパスさんや、俺にまだ金を支払ってないよな」

「仕事を果たしていない愚図に、何故払う道理がある!?」

「うんうん、確かにそりゃ道理だ。なら、こうするのも道理って理解してくれよな」

 

 転瞬、ビンバスと呼ばれた男の首と身体が二分された。


 頭部を失った胴体は、断面から糸がほぐれるように肉体の結合が解かれ、埃と化して消えていく。

 頭目が死んだと、他の信徒が理解した時、クレセゴートを抜いたカレルは終わりを描く準備を整えていた。

「お前らみたいなボンクラに使うのは癪だが、生憎俺は省エネ主義でな。『嵐竜旋撃ドラグヴォーゼ』」


 春風の如く軽やかな言葉が紡がれ、黄金の竜巻が火山の中腹で生じた。


 ごく短時間だが、陰鬱な火山の空気すら撃ち払った竜巻が消え、回転を止めたカレルが魔剣を背負い直した時、四十人以上いた筈の信徒は影も形もなく消え失せ、大地の鳴動と溶岩の噴出する音だけが鳴り響く空間への回帰を果たしていた。

「先に一部でも金を渡してりゃ、契約破棄は絶対に出来なかったんだけどな。運が悪かったと思ってくれ。……ッ!」

 不意に竜の放つそれと同一の咆哮を上げ、それは海へと伸びていく。

 竜の血がもたらす感覚によってか、咆哮が目的を果たした事を感知したカレルは口を閉ざし、本来そのような振る舞いが許されない温度に達している地面に寝転がる。

「意思があんのなら戻って来い。無いなら尻尾を巻いて逃げな。どっちを選んだとしても、俺は楽しめる」

 魔剣継承者の中でもっとも行動原理が理解し難いと、世界はカレル・ガイヤルド・バドザルクを評する。

 そしてたった今、彼は依頼主を抹殺し本来殺害すべき相手を見逃した。

 評論通りの奇怪な選択を下した男は、火山に生息する生命全てが怯える笑声を暫し上げた後その場で眠りに就いた。

 

 

 

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