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「『名有りエネミー』の討伐報酬がこれだけって、おかしいでしょう⁉」

 ウェジーから自壊寸前の発動車を走らせて数時間。

 ハイネルクの町に辿り着いたディンク達は、真っ先にファルディミナスの素材を換金すべく然るべき場所に赴いた。

 敵性生物の討伐を完遂すれば、当然多くの金と武具の素材に成り得る亡骸の一部、そして彼等が一番欲している名声が得られる。しかも、今回の存在はそこらの雑魚とは格が違う。

 期待に胸を膨らませ、意気揚々と換金所に乗り込んだ三人だったが、それは現実によってあっさりと砕かれた。

 受付によって提示された額は四百二十万スペリア。金額そのものは、三等分しても数か月は遊んで暮らせる額だ。仮に労働の対価で渡されていた場合、狂喜乱舞することこそあれど、不満を抱く筈がない。

「俺達はそこらの雑魚を倒したんじゃない。『名有り』を殺ったんだ。普通、この十倍の額はある筈だろ!」

 真っ先に零れ出たアニーの叫びを、クラックが補強する。

 『名有り』に分類される竜の討伐は通常二桁の人数で行う物で、一桁で行うのは火力や安全面を鑑みて常識人は行わない。加えて、どれだけ登録から日が浅かろうと、彼等を討伐した報酬は家が複数買えるだけの額が払われるのが相場。

 二人が爆発させた疑問や怒りを、当然ディンクも抱いている。

「世間で伝わっている額と、開きがあり過ぎる。引き渡す場所を変えたって良いんだ、理由を教えてくれないか?」

 今にも掴みかかりそうな二人を手で制しながらも、抑えきれない感情が漏れ出ているディンクの問いを、硝子玉のような無機質な目を持つ受付は肩を竦めて受けた。

「あなた達のこれまでの実績から逆算すると、『名有り』の討伐など不可能。虚偽申請を始めとする、不正の可能性があります」

「んな馬鹿な……」

「ヒルベリア出身者が、独自行動で信頼を勝ち取れると思わない方が良いですよ。ご不満ならお言葉通り他でどうぞ。ただ、ここのように換金が叶うかは不明ですが」

「何揉めてるのか知らねえが、さっさと終わらせろや。つかえてんだよ」

 嘲弄のみで構成された受付の笑みと言葉。背に叩きつけられた別の賞金稼ぎが放った胴間声。

 歯を砕けんばかりに食い縛り、ディンクはその全てに反応せず『名有り』の討伐報酬とは到底思えぬ額が記載された受領書に、殴り書きで署名した。


                    ◆


「あーもう何アレ!? 仮にも役人がする対応!?」

「幾ら何でもありゃひでぇよな! ディンク、お前よくこらえたな!」

「勝ち目が無かったからな。最低のリターンしか無いけれど、とりあえず一つ箔が付けられるなら、後々そっちの方が利益に繋がる」

 賞金稼ぎの定石を並べ終えると同時に、ディンクは零れ落ちそうな不満共々、温くなった水を内側へ押し流す。

 体質的に呑めない彼と異なり、酒精の力を遠慮なく借りて爆発している友人二人の顔には不満がありありと浮かんでいるが、それは恐らく自分も同じだろうと、青年は気だるげに周囲を見渡す。

 忙しなく動き回る給仕係に、酒やツマミを貪り、些細なことから暴力のやり取りに発展する破落戸共。


 故郷で見ていた物と、まるで変わらない光景がそこにはあった。


 そもそも賞金稼ぎなど底辺のする仕事で、それで日銭を稼ぐ者の人間性など、何処へ行こうと大差が無いのは当たり前の話。金を節約したいが為に、賞金稼ぎが好む安い店を選んでおいて文句を言うのはお門違いとの理屈もまた然り。

 しかし、一発逆転を夢見て故郷を出てはや数年が経過し『名有り』を討伐した直後の彼らには、正論を受け入れ咀嚼する余裕はなかった。

「終わったことは無理矢理受け入れるとして、だ。俺達これからどうするよ? 別の所に行くか? ワンチャン狙いで警備隊に売り込のも良いし、ヒルベリアに戻るのも……」

「最後だけは無しだ。まだ何も成し遂げていないのに戻るのは、絶対に受け入れられない」

「警備隊もね、三人でやっと一になる今の私達が入隊するのは無理でしょ」

「そう、だよなぁ」

 酒精が良い作用を齎したのか、最初に冷静さを取り戻したクラックの提案を残る二人が一蹴して、再度沈黙が三人に降りる。

 自分の意思で選んだ食事を残すのはご法度。

 無意識に染みついた規則に基づき、冷え切った料理を胃袋に詰め込んだ三人は支払いを済ませ店を退出。

「どうする? 買い出し先にやっちゃう?」

「……後にしよう。悪いけど暫く一人にしてくれ」

 絞り出した言葉に、アニーが目を丸くしたのは一瞬。すぐに理解と不安の眼差しを向けてくる中で、ディンクは足早に歩き出す。

「すぐに戻って来いよ!」

 手を振りながら消えていく、旧知の友人の背を見つめる二人の目には憂慮。

 予想を遥かに超えて値切られたが少なくない報酬を得られた上、『名有り』討伐は三人の記録に確かに刻まれた。三人で行う大規模戦闘の初陣として、これ以上ない程の良好な蹴り出しは叶っているのだ。

「焦ってる、のかなぁ?」

「だろうな。あいつは一人で背負い込み過ぎる。……俺達を強引に引き摺り込んだって負い目も勝手に持ってるんだろ」

「乗っかったのは私達の意思なんだから、気にしなくて良いのにね。まぁ、アテが外れたのは確かだけど」

 燐寸で火を灯し、アニーが煙草を咥え紫煙を噴き出す。唯一の非喫煙者クラックは、纏わりつく紫煙を煩わしそうに払い、腰に括りつけられたホルスターを叩く。

 『転生器ダスト・マキーナ』の整備を済ませよう。という合図にアニーも首を縦に振り、残されたヒルベリア出身者は借りている安宿へと歩む。

「でも、私達も来年で三十になるし、そろそろ身の振り方を考えないとね」

「そうだな。……始まりが遅かったつっても、こういう会話を自分達がするのが泣けてくるな」

 ヒト属の最多種ヒュマは、一部の規格外連中を除けば二十代半ばが魔力量や魔術の習得数が最も多くなる。特殊な要素が介在しない限り肉体の全盛期もその辺りで、後は保たせるか落ちるだけ、となるのが凡人の定めだ。


 夢や希望、そして身内同士特有の贔屓。


 これら全てを差っ引いて、冷徹な世界の物差しで測ると、クラックとアニーの二人は自分達が下の上。頭を張るディンクでも中の下に留まる実力しかないと、数年の彷徨で世界の一片に触れた結果、痛いほどに理解していた。


 嘗て描いていた物語には、絶対に届かないと今は分かっている。


 さりとて、お利口な大人になって諦観の海に身を沈め、大人しくヒルベリアに戻って『塵喰い』のその日暮らしに戻ろうという割り切りの極致にも至れていない。

 それは、ディンクも同じ筈だ。

「どっかに良い依頼落ちてないかねぇ」

「クラック、それ死亡フ……きゃっ!」

 鈍い衝撃音が生まれてアニーが尻餅を付き、火の点いた煙草が地面に落ちる。同時に、無数の紙が宙を舞った。

「す、すみません!」

 空中の紙を器用に掴み取り、クラック達とそう差が無い姿の男は、転げるように駆けていく。方角的に賞金稼ぎへの依頼も提出可能な換金所へ向かっているようだが、あそこまで慌てるような物なのだろうか。

 興味は湧いたものの、あれだけ慌てているならば、腕利きが食いつく額の報酬は用意している筈で、そうなれば自分達に出番はない。

「立てるか?」

「大丈夫。びっくりして反応が遅れただけだから」

「そうか。なら、アイツが戻るまでにさっさと済ませとこうぜ」

 クラックがアニーを引き起こし、二人は当初の目的を達成すべく再度宿へ向かう。

  

                ◆

 

 一方、単独行動を選んだディンクは、アテも無く町を彷徨っていた。

 一人にしてくれと言ったことに、特段深い何かはない。

 ただ、あまりに都合の良い妄想に基づいてここまで動き、友人達をそれに巻き込んだ事実を再度突き付けられ、冷静さを致命的に欠いた自分の姿を晒してはならないという判断からの選択だった。

 リッパーズ社の銘柄では最も、それこそヒルベリアでも容易に買える『ヤブフ』を一本取り出して咥え、そして思いとどまって箱にしまう。


 ――今はこれに頼る所じゃない、か。


 長い溜息を吐き、汚れたベンチに座る。往来をぼんやりと眺めながら、今日に至るまでの三年間を軽く振り返り、最初は確かに存在していた物が徐々に削ぎ落され、今日の現実で九割が削られたと認識する。

 敵性生物を多数倒して金や信用を貯め、民間の事務所に入るか自前で開設。金を元手に何か商売をしても良いし、故郷に戻って悠々自適に生きるのも良い。

 在り来たりだが、危険に直面する覚悟を求められる道を歩んで、決して少なくない数の戦いを生き延びた結果、まだ若い固体だが『名有り』の打倒にも成功した。


 だが、現実は何も変わってはいない。


 ヒルベリア出身の一点で失笑を浴びながら依頼を受領し、心臓が壊れそうな程の恐怖に苛まれながらファルディミナスに対峙した瞬間と、何もかも同じだ。

 即ち、誰もディンク達の存在を尊重しないし、命を張った対価も不十分な物しか得られない。実績が残る、と取り繕いはしたが、先刻の受付係の対応が、成し遂げた自分達に世間が向ける物の基準と考えれば、おおよそ先も見える。

「……もしかして、詰んでるのか?」

 導き出された答えが音になり、耳に入った音はディンクに浸透し、彼は思わず全身を震わせる。


 人生の貴重な時間を摺り減らした結果が、どうにもならない詰みでした。

 大陸北部出身の、あの男のようになんてなれやしません。

 

 町を出た時は希望で強引に押し流していた、元・四天王や今では成功者となった同胞の刃の言葉と、最初からうっすらと見えていた現実が大合唱を繰り広げてディンクの精神を刻みにかかる。

 衆人の目が有るところで、凡庸な成人男性が喚けばどうなるか、という骨の髄にまで刻まれた人間社会での真っ当な思考による制止を加味しても、それなり以上に強い意思で爆発を堪えたディンクは、諦観混じりの笑みを浮かべて立ち上がる。

 どう動くにせよ、決断は三人で話し合った後に。

 ヒルベリアを出発した時から守り続けている決め事を、今日も律儀に守るべく歩き始めたディンク。

 彼の疲弊した茶色の目が、とある喧噪を捉えた。

 ビルとビルの間の細い路地。

 自身と同類であろう賞金稼ぎが、明らかに暴力沙汰に不慣れな細身の青年を囲んでいる。賞金稼ぎの一人の衣服には『梟眼イブーゲン』を用いてようやく見える、小さな汚れ。

 大方接触してどうこう、程度の下らない話だろう。装備を見れば、少なくとも彼等が書面と金銭と実力で自分を上回っているとディンクは理解に至る。付け加えると、こんな光景はよくある物で首を突っ込む必要性もない。

 ただ、今の彼は少しばかり承認欲求に飢えていた。

 鞘をその場に投げ捨てて、路地へと歩んでいく。

「カタギを痛めつけるのは、ちょっとカッコ悪くないでしょうか?」

「あぁ?」

 今気づいたとばかりに、細身の男に凄んでいた頭目と思しき巨漢の目が向けられ、ディンクは首を突っ込んだ事に少しだけ後悔を抱く。

 ――こいつ、絶対何人か殺してるな。

 勝敗の天秤が片方に傾いた事実に顔を顰めたディンクをどう見たのか、頭目の男が低く唸る。

「同業か」

「一応。あんた方には到底及ばないだろうけどね」

「なら分かるだろう。俺達の落とし前に割り込むな」

 一般人や敵対の意思が皆無と証明された同業者への手出しは、司法の介入が生じる。

 原則はこうであり、衆人監視の元でこれを犯せば当然御用となって、そいつは逮捕か賞金首への道を選ぶことになる。

 だが、警察とて暇ではない。殺しならともかく、暴行を伴う小金の略奪程度なら、この町の規模であれば現行犯でなければ追って来ない。故に、こうして他者の目が少ない所なら多少手出しする者はざらにいる。

 弱い者をドブに叩き落とし、ソイツを『良心』と『正義』の旗を掲げて一致団結して嘲笑うのが、現代社会の標準的な『正しさ』だ。このまま細身の男が略奪を受け、警察に駆け込んでも適当に済まされ、賞金稼ぎの集う町で護衛も無しに彷徨う方が悪いと『正しい』指摘で叩きのめされて終いだ。

 それは、濃度こそ異なれどヒルベリアの住民が向けられる物と全く同じ。 

 だからこそ、ディンクは自身に何の関係も、義務もない揉め事に首を突っ込む選択を下した。

「割り込むつもりはなかったんだけどね、ちょっとばかし思うところがあったんだ」

「思うところ、ぐらいで割り込んでくんな××××××野郎!」

「ごッ!」

 あくまで低姿勢で言葉を紡いでいたディンクの横っ腹を、集団の一人が強かに殴りつけた。『怪鬼乃鎧オルガイル』による強化が為されたと思しき拳を受け、決して軽量級でない筈のディンクは無様に吹き飛び、何度かコンクリの壁に全身を打ち付けて地面に転がる。

「……ったいな糞」

 額と鼻から流れ落ちる生ぬるい血を拭い、点滅する視界を精神力だけで正常に戻し、ディンクは己を嘲笑う集団を観察する。

 全員が『怪鬼乃鎧』を発動している上、オルーク社製の防護服を纏っている。型落ちではあるが、ディンクが恒常的に用いる魔術ならば難なく防げるだろう。

 場に開示されている手札だけを見れば、結末は子供でも予測可能だ。

「下らない正義感で首を突っ込む馬鹿は、長生き出来ねぇぞ!」

「この教訓が活用出来ずに終わるのはまあ諦めてくれよな!」

 既に集団はディンクを物言わぬ骸に変える事で決が出ている。

意気揚々と武器を掲げる部下とは異なり、一番腕が立つであろう頭目に動く気配はないが、部下達を積極的に止める理由も無いのか、黙したまま彼を見下ろしている。

 能面の如き無表情と化したディンクは動かない。その様をどう捉えたのか、軽侮の笑みを浮かべた一人が、戦槌を振り上げる。

「そんじゃ、死――」

「残念だけど、俺もまだ死ねないんだ」


 短い言葉、風切り音。


 次いで、重苦しい音と震動が場に届く。


 先刻と一転して活気が失せた路地。

 何が起きたのか、一人を除いて理解が及ばない。

 ただ一つ、目に映る情景として、否が応でも叩きつけられた現実がある。

 戦槌を振り上げていた男。


 彼の両腕が肩口から切断。先んじて地面に落ちていた戦槌の上に落ち、無惨な断面を晒しながら、無骨な武器に異様な彩を添えていた。

 絶叫が響き、男は己の血で汚れた地面をのたうち回る。看過できない量の出血だが、直ちに手当を施して医者に駆け込むか、優れた魔術師の手に委ねればまだ腕は取り戻せる。

 だが、仲間達は誰も救いの手を差し伸べない。

 いや、そうしたくとも出来なかったと形容する方が正確か。

 

 風切り音の接近を感知するなり、ディンクが跳躍。敏速な反応で魔術を紡ぐ賞金稼ぎ達だったが、彼が選んだ行動を前に目を剥いた。

 耳障りな音の発信源にして、つい先ほど仲間に重傷を負わせた円形の物体。

 間違いなく唯一の武器であろうそれを、ディンクは一切の容赦なく蹴り付けた。

 驚く暇すら、彼らに与えられなかった。

 暴力で無理矢理軌道を変えられた物体は、獰猛な唸り声を上げながら空中を駆け、一の狙いを過つことなく、男達の身体を駆け抜ける。

 防刃構成の戦闘服が易々と抉り取られ、身体の各所に無惨な傷が刻まれる。弾ける血肉や奇術への驚愕を、当たり前の反応として彼らは表出させようとする。

「遅い」

 仕掛けに成功した結果得た、絶対に先手を取れる状況を、ディンクは見逃さない。

 手に収まった巨大な『円刃』を掲げ、お手本のような横腕投法で集団に向け放つ。

 

 転瞬、暴風が路地に吹き荒れる。


 往来する者達にも届いた暴風が収まった時、意識を保っているのはディンクと頭目の男そしてこの小競り合いの発端となった細身の男の構図。

 他の者は皆、例外なく全身に裂傷を負って地に伏している。腕を斬り落とされた輩より軽傷ではあるが、少なくともこの喧嘩が終わるまでは動けない。

「『嵐刃ストゥルス』を撃ち出したのか。……大した技巧だ」

「不意打ちの連打で倒れていない、あんたに俺は凄く驚いているよ」


 ディンクの言葉は、謙遜でも皮肉でもない。


 集団の戦闘能力が自身を上回っていると、最初の一撃で既に察している。故に、不意打ちで全員を仕留める以外に勝機などない。

 この手の状況に於ける定石通りに組み立てて仕掛け、最も潰しておくべき者を倒し損ねた。

 一筋の汗が頬を伝うディンクを他所に、頭目は敬意を含んだ笑みを零す。

「舐めていた。殺しはしないが、全力で叩き潰す」

「いや、舐めたままでいてくれた方が何倍も良かったんだけどね」

「遠慮は要らん!」

 自分の振る舞いが、戦士の魂に余計な炎を灯したようだ。

 両刃剣を掲げ正眼に構えた頭目は、両の目でディンクを撃ち抜いて動きを止める。

 ――不味い!

 そう思った時、ディンクの身体は大きく後退していた。

 長剣の道を塞ぐように掲げ、狙い通り交錯した円刃は上へ逸らされ、切っ先が衣服に届いて赤い珠が弾ける。

 横に跳ね飛んだ後、建物の壁を蹴って追撃を免れ、体勢を整えながら無防備な頭部に向け円刃を打ち下ろす。

 必殺と成り得る筈の、死角から放たれた一撃はしかし、鈍重に見える男の機敏な反応によって防がれる。歯噛みしながら空いた左手で短剣を突き込むが、防護服を破ることは叶わない。

 それどころか、突き刺した点を起点に振り回された挙句、地面に落とされる。

 背骨の軋みと零れる反吐を抑え込み、転がりながら追撃を躱し、跳ね起きて相手の様子を伺う。

 案の定、相手は無傷で戦意も消えていない。

「実力差は見えた筈だ。だからもう退いてくれないか?」

「ここでお前を退かせる道理などないと、分かっているだろう?」

「……分かってるよ」

 小競り合いと言えど、格下に敗北もしくは取り逃した事実が残れば、集団を統べる者にとって致命的な綻びに直結する危険が生まれる。

 敵を退かせることに明確な利を掴むまで、眼前の男は闘争を止めない。大義が元々無いこの戦いでは、利もまた存在しない。

 即ちディンク・ダックワースを叩きのめすまで、頭目は戦い続ける。

 小さな深呼吸を行って思考を整える。

 ――これは試合じゃない、戦闘だ。

 過去に何度も復唱してきた文言をここでも唱え、ディンクが始動。

「正面から来るとは、気でも違えたか!?」

「生まれも育ちも、気が違えた場所だよ俺は」

 円刃と長剣が再度交錯。

 火花と軋り音が短く散り、一度離れた得物が磁力で引かれるように激突、

 骨肉に響く震動と痛みに、ディンクが顔を歪め、膂力で勝る男はその様に勝機を見て突進。反応が遅れた青年の円刃を、男は空けた左手で奪い取った。

「なん――」

「遅いわッ!」

 無手になった事実を受け、あからさまに精神を乱したディンクに、男は渾身の回し蹴りを打ち込む。

 回避はおろか、心構えの準備すら与えられず、足をマトモに受けた青年は、骨の砕ける音を体内から発し、何度も弾みながら地面を滑り、停止した時にはピクリとも動かなくなっていた。

 勝敗は、ここで付いた。

 奪い取った円刃を弄びながら、頭目の男は一定の敬意を持ちながらも勝ち誇るように淡々と言葉を紡ぐ。

「悪くはないが、練度が足りないな。……これは」

 

 言葉を掻き消すように、円刃が弾けた。

 

 噴き上がった炎が男の一部を舐め取り、肉が焼ける嫌な臭気が場に広がる。

 突如身体を焼かれる異常事態に直面したにも関わらず、冷静に消火を選択した男は地面に身を投げ出して転がる。規模自体は小さかった為、十数秒で消火に成功した男は油断なく体勢を立て直し――

「俺の勝ちだ」

 首筋に刃を突きつけられ停止する。切っ先から遡る形で、己を縫い止める刃の全貌を男は捉える。

 甲虫の大顎に酷似した意匠の刀身を持つが、それ以外に取り立てて特徴は見受けられない。だが、論点は当然そこではない。

 疑問を表出させた男に対し、ディンクの淡々とした声が投げられる。

「『挽奇剣ばんきけんギセッファ』あんたが知っているかは分からないが、『転生器ダスト・マキーナ』だ。さっきまでの円刃もこいつが『器ノ再転化マキーナ・リボルネイション』で変形していた」

 ゴミ捨て場の町に住まう者だけが持つ、世界に一つだけ存在する『転生器』は、確かに変形機構を有する。先刻まで繰り広げたような戦いも可能にはなる。

 ただ、その町の住民がこうして町の外にいるのは相当珍奇な光景であり、切っ先を向けられていた男にとってもそれは同じだった。

「……ヒルベリア出身か」

 純粋な興味で構成された問いに、首肯。

「最初っから、正攻法であんた方に勝てる訳がないと分かっていた。武器を捨てて乗り込んだのも、その為だ」

「最初から奇抜さに意識を取られている間に、仕留める腹だったのか」

「そ。こいつは連れて行くけど良いか?」

「元々大した関係も無い。……構わんさ」

「ご理解感謝する」

 すっかり舞台の片隅に追いやられていた男を引き起こし、ディンクは路地から立ち去る。その最中、細身の男は出来の悪い絡繰り人形の如く何度も頭を下げていた。

「この恩をどうお返しすれば良いのか。私には平身低頭大乱舞しか思いつきません」

「たかが小競り合いで大袈裟な。あなたは一体何してあんな状態になってたんだ?」

「いえ、ちょっとチラシを貼ろうとした場所が彼らの所有物でして、謝罪しつつ立ち去ろうとしたら彼らの所持品を汚損して……」


 助けない方が正解だっただろうか。


 一瞬疑問が掠めたディンクだったが、自分が時間を使い過ぎている事実に思い至る。長時間単独行動を続ければ、友人達に余計な心配をかける事になる。それは彼にとって望むところではない。

「もう行くよ。次からはもう少し注意して動きな」

「あぁ待ってください、あなたお名前は?」

「ディンク。ディンク・ダックワース。そっちは?」

「私はマーク・トンプス。バザーディ大陸、グラットスからこのインファリスまでやってきました」

 去ろうとしていたディンクの足が止まり、取り立てて特徴の無い金髪男、いやマークに向き直る。

 嘗ては流刑地として扱われていた、グラグス火山を抱く大陸は海竜や飛竜共の妨害の多さから、インファリスとの間に存在する距離は数字以上に大きい。

 金の匂いに従い何処へでも行く商人ですら、渡ろうとしない大陸と説明を受ければ、大抵の者は危険の大きさを理解するだろう。

 聳え立つ事実を承知で、文字通り命懸けで来たのであろう男の目的は何か。

 興味を抱いたディンクに対し、マークも同様の感情を抱いたのか、抱えていた束から一枚の紙を手渡す。

 素早く目を通したディンクの表情が引き締まる様を見ながら、グラットスのヒトが意図的に抑えた声を発する。

「我が大陸は危機に瀕しています。無論、自力で解決すべく取り組んでいましたが、軍人はいても戦士は少数。少数の彼らも新天地を求めて去ってしまいました」

「……何が起こっている」

「ルーカルヴァの忘れ形見が、グラグス火山を活性化させています。……それを、止めて貰いたいのです」


 グラグス火山の支配者。


 それが『火岳竜』ルーカルヴァの持つ称号だった。

 十九年前に殺害されて以降、グラグス火山は平穏を保っていたと伝え聞く話だが、彼の者が子孫を残し、その個体が力を付けていたとなれば、平穏など簡単に崩れ去る。

 命を賭して、バザーディが使者を送るのは当然の話で、規模の大き過ぎる話に自分が出る幕が無いのも、すぐに理解出来た。

「その話、もう少し詳しく聞かせて貰えないか?」

 にも関わらず、ディンクは深堀りする事を選んだ。

 ほんの少しの時間、マークは絶句して硬直。

 恐らく、力量が足りない男がしゃしゃり出てきた事に、理解が追い付いていないのだろう。当たり前の話だが、彼は勇者を探しているのであって、自殺志願者は求めていない。

 絶対の事実と眼前の自殺志願者に、マークは黙したまま思考を何度も行き来させるが、やがて意を決したように目の焦点を結び直し、引き結ばれた口が開かれる。

「……では、暫くお時間を頂けますか?」

「俺の仲間達にも聞かせたい。付いてきてくれ」

「御意に」

 元『塵喰い』と、国家の使者。

 本来決して交わることのない二人は、一つの場所に向かって歩き出す。

 ――どれだけの規模であろうと、食らいつけば道は開ける。そうなれば、現状を変えられるんだ!

 この先に待つ、最悪の出会いへの予測などある筈も無く、ディンクの胸には幽かな希望の炎が灯された。

 

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