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インファリス大陸。アークス王国領ウェジー。
荒野とするには活気が溢れ、草原とするには寂れた平野で、なかなかお目にかかれない土煙の柱が屹立していた。
柱の内側から、肺腑を震わせる咆哮と、魔術の炸裂音と思しき轟音が断続的に響き渡る。この光景は時間に直せば日の出から、さらに言えば演者達は追跡の時間を含めて実に三週間近く顔を突き合わせていた。
内側から、一際大きなヒト属の叫び。次いで、金属同士が激しく擦れる音が生まれる。
そして、柱を突き破って土色の塊が飛び出す。
飛び出した塊は、飛竜と括られる生物の頭部だった。
宝玉の輝きを放つ眼が四つ埋まり、土色の鱗に刻まれた無数の傷が過去と現在に於いて彼の者が踏んできた修羅場の数を物語る。厚く太い、肉切り包丁の如き歯が並ぶ大顎が開かれ、重苦しい声が毀れる。
「この私が、ベクザールと死闘を繰り広げ、ヴォルマドンを退けたファルディミナスが、たかがヒト属三人に、負け……」
声が途絶し、天へと伸ばされていた首が折れ、鉄球並みの重量を持った頭部が平原に落ちる。上を向いた顔の左半分、二つの目から光が消え瞼が閉ざされていく途中、竜は一度だけ大きく大きく全身を震わせた後、動きを、生きる事を止めた。
音の乱舞が繰り広げられていた先刻とは一変して、沈黙が降りた世界で立ち昇っていた土煙も、やがて風に押し流され消える。
「……やった」
「勝ったんだよ、な!?」
土煙の女の、続いて男の声が平原に投げられ、粗末な野戦服を纏った全身傷塗れの三人組が竜の亡骸に張り付き、自分達が本当に成し遂げたのか、半信半疑の風情で亡骸の検分を開始。
不慣れであると一目瞭然の動きで、二十メクトル近い『
「本当に、私達が倒したんだ!」
「あぁそうだ! ヒルベリア出身の俺達が、『名有り』を倒した。なぁディンク!」
歪んでいない箇所を探す方が困難な、歪み放題の頭部装甲を放り捨て、乱れ切った金髪の女と、灰色の髪を短く刈り込んだ男の顔が露わになり、後者が発した呼びかけに応じて、最後の一人も装甲を外す。
二人と同様に汚れと負傷、そして疲労が表出した顔を露わにし、ディンクと呼ばれた赤毛の男は笑う。
「……そうだ、な。」
「いや、もうちょっとデカい声出そうぜ」
「浸らせてくれよクラック」
風に吹かれて消えそうな、弱々しい声を投げたディンクを、クラックと呼ばれた男が笑いながら小突き、張り詰めていた空気が一気に緩む。
「早く解体して換金に行こうよ。もたもたしてると、肉食動物とか横取り狙いの連中が来ちゃうよ」
金髪の女、アニー・レッティードの言葉に二人が首肯を返し、三人は竜の解体に着手する。
二週間以上の連続戦闘で既に限界を通り越した身体は、今この瞬間も盛大に悲鳴を上げている。だが、竜を討伐した事によって待っている物への期待が、彼らを突き動かしていた。
「『名有り』討伐だからさ、すんげェ額貰えるよなぁ」
「お金もそうだけど、名前も売れるよ!」
「どうなるか、全く予想が付かないな」
新しい玩具を前にした子供のような活気に包まれた三人は、じっくりと時間をかけて亡骸を解体した後、希望を胸に最寄りの町へ向かう。
◆
時を同じくして、アークス王国首都ハレイドに隣接する、都市ラープのとあるビルの一室。
空の部屋で床に座す黄金塊に、顔面に無数の傷を刻んだ男が対峙していた。
男の背後には、完全武装の戦士達が各々の武器を黄金塊に向けながら立つ。その数は二桁に乗っており、大抵の者を瞬きの間に消し炭に変えられる布陣が完成していた。
にも関わらず、彼らに余裕の色は皆無。
「話は終わりか? しっかし、火山の守り神とやらを暴走させるのはなかなかロマンの無い話だ。金突っ込んでまでやることか?」
緊張感を欠いた声を受け、対峙する男は渋面を浮かべる。
「何度も言った筈だ。これは我々の教義に殉じた選択だ」
「宗教は恐ろしいな。俺に言わせると、とっくに死んだ旧き偉人の教えは大抵無駄な物なんだがな」
「金で動く同胞殺しの屑が、我らに抗弁をするな!」
壁を形成している一人が放った侮蔑の言葉にも、黄金塊は薄ら笑いを浮かべるだけで、寧ろ集団の側が動揺を見せる。このような場面で本来生まれる筈の、一触即発の空気は、部屋の何処にも、欠片すら伺えない。
惑星上に存在するどの貴金属より重い絶対の事実が、室内に存在する一と多数、どちらが強い暴力を振るえるのかを、世界に明示していた。
「もういいや。話は聞いたし、準備をするからお前ら出て行け」
仕掛けて来ず、沈黙だけが延々と続く状態に失望したのか、やはり黄金に包まれた左手が振られ、集団は緊張を保ったまま続々と退出していく。
「決行は二週間後だ。魔剣継承者と言えど、我々の指示に従って動いてもらうぞ」
「はいはい」
消えていく集団を生返事とおざなりな手の動きで送り出し、彼らの気配が完全に消えた所で黄金塊が立ち上がる。
室内に屹立した二メクトルを超える長身は、全ての箇所が竜の意匠が刻まれた黄金に包まれ、露出している頭髪もまた、全身に劣らぬ程に眩い光を放つ金。
赤銅色の目と皮膚以外全てを黄金で彩った男は、背負っていた柄を右手で握り、電光の速度で振るう。
転瞬、室内に暴風が生まれ、ビル全体が激しく揺れる。
長躯に匹敵する巨大な竜の爪。
一見した限りでは誰もがそのように認識する、一辺が緩やかに湾曲した三角形の刃を持つ長大な剣は芸術品の輝きを持っているが、当代ケブレスが生み出した魔剣の一振りであり、使い手の心の行方次第で破壊と殺戮を世界に拡散可能な代物。
名を『散竜剣クレセゴート』。そして、持ち主と認められた者は只一人。
「頭のおかしい過激派宗教組織なんぞ時代錯誤の化石だ。何の面白みもないだろうが金は良い。海竜種の襲撃の危険を冒してまで救援を望む、バザーディの状況も気にはなる。……他にも、何か楽しい事があってくれよ」
ロザリス総統の懐刀にまで辿り着いた潔癖な『金剛竜』ハンナ・リーンバーツ・アンフェルシア。
誰よりも高き場所を目指して世界全体を敵に回しながら、命を賭け金とした至上の闘争を描き続ける男。狂える『紅竜』ヴェネーノ・ディッセリオン・テナリルス。
そして、彼らに並び立つ魔剣継承者でありながら、金次第でどんな仕事も引き受ける流れの決闘屋に堕した『屍金竜』カレル・ガイヤルド・バドザルク。
今日も今日とて支払われる金銭のみを判断基準に、ロクでもない依頼を受けた魔剣継承者は、ヒトの心胆を凍結させる笑みを浮かべながらラープの街並みを飽きるまで見つめていた。
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