第5話

 空虚な部室を埋めるギターの音色が、溜め息に溶けて寂しげな余韻を残す。

 窓から差し込んだ淡い光と、ぼんやりと浮かび上がる壁の染み。星屑のように散った記憶が蒼い月影に照らされて、あたしはうわ言のようにその名をなぞった。



「龍牙…」


 …ねえ、会いたい。また隣を歩きたいよ…龍牙。



 小さく息を吐いたその時、不意に扉が開いて「べに」と誰かが名前を呼んだ。

「…んだよ、まだ残ってたのかよ。とっくに帰ったと思ってたぜ…燐夜」

 薄く笑ったあたしには目もくれず、いつになく真剣な表情の燐夜は「ねえ」と突如口を開いた。

「べに、あのさ…文化祭の事、なんだけど。…べににはギター&ボーカルじゃなくて、純粋なボーカリストとして出てほしい」

「…は?」

「…べにのギターが凄い事は分かってるよ。後輩の育成もあったのに新曲だって書いてくれたし、誰よりも…五十嵐さんよりもギターが好きな事だって。だけど…」

「…んだよ。あたしのギターに何か不満でもあんのか?それともあたしはもう用済みってか!?」

「そんなんじゃ…」

「違ぇのか!?なら何でだよ!?所詮あたしは龍牙の飾りだろ!?龍牙がいなくなったこの軽音部には、あたしがいる意味なんてもうねえんだろ!?」

「違う!ねえべに、分かってよ!」

「分かるかよ!あたしは…あたしは…ッ!」


 …ああ、何で。何で、言葉の刃を翳される燐夜じゃなくて、ナイフを突き刺すあたしの方が泣いているんだろう。龍牙との過去に縋るあたしよりも、あたしに虐げられて来た燐夜の方がずっと苦しいはずなのに。


 次々と放たれるあたしの言葉に、燐夜は「あのね」と、悲しげに目を伏せた。

「…べには、強いよ。六月さんの事もあったのに、僕達の前では毅然と振る舞って。…でもねべに、もっと僕達の事も頼ってよ」 

「…ハッ、『力になりたい』ってか。龍牙とあたしを黙って見てた癖に、随分と綺麗な言葉だなァ?んな全部ムシの良い時ばっかだろうが、結局はテメエの都合じゃねえかよ…ッ!」


 滲む視界が燐夜を歪める一方で、あたしの脳裏では軽音部での思い出が走馬灯のように駆け巡る。

 龍牙も、八島さんも、ギターも、燐夜も、澪さんも、みんながあたしの全てだった…なのに。


「全部が大事だったのに…何で全部奪われなくちゃいけねえんだよ…ッ!?何で!?何であたしには何も許されねえんだよ!?」

「べにッ!ねえ、聞いてよべに!」

「…ッ!?」

「…ねえ、べに。六月さんの事があってからね…べに、凄い悲しそうにギター弾いてるよ。昔はあんなに楽しそうだったのに…。ねえ、忘れられないんでしょ?六月さんがべにに言った、『赤が似合う』って言葉」

「…ッ!?…っせえな。んなの…あたしだって分かってんよ。あたしは龍牙が好きだった。…あたしの全てだったんだ。だから…メッシュだってギターだって赤にした。昔の名残の口紅だって、龍牙が褒めてくれたから残した。…滑稽だよな。惚れ込んでたのは最初からあたしだけ。龍牙は最初から、あたしなんて見てなかったのに」


 歪んだ唇から零れる吐息。微かに震える声は中途半端な虚勢を隠せなくて、不安定な視線を静かに床に伏せた。


「ギターを再開したのだって龍牙のお陰だし、演奏中に龍牙を思い出す事だって少なくはねえ。…だけどな、お前が何と言おうとあたしはギターから降りねえ。あの曲にギターは二本必要だし…何より、あたしにはギターしか無ぇんだ」

「べに…」


 …んな顔すんなよ。あたしの我が儘なんて今更だってのに。




 悲しそうな燐夜の表情が苦しくて、そっと顔を背けた。

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