エピローグ③

 大月山公園の件から一週間が経過した。

 久我山はあれから賢者である八意の友人だったと名乗る者と会ったが、彼から諸々の状況を教えてもらった。尾田臣などというその黒人らしき男によると、八意の棲家には賢者の石に該当するものは無かったという事であった。

「賢者の石なんてものは、最初から嘘っぱちだったって事ですかね」

「分からない。本当にあったのかもしれないし、四方坂円、いや、八方十香がなんらかの目的のために法螺話ほらはなしを吹聴したのかもしれない」

「なんらかの目的、ね。それこそ、賢者の石を作るためだったりな」

 冗談交じりにそんな事を言ってみるが、尾田臣は顎に手を当て、考え込むように目を伏せる。

「そうなってくると、今回の一連の出来事は全て儀式、と取る事も可能だな」

「冗談だろ。街全域を覆う魔術的な仕掛けでも施してたってのかよ」

「そこまでする必要はない。ある程度核となる地点に仕掛けを施せば、儀式的な行為は不可能ではない」

「成程」

「だが、あくまで仮定の話だ。最早、八方十香はいない。真実は闇の中だが、取り立てて知る必要もないだろう」

「そうかい。俺は知的興味がそそられるがね」

「捜査するのは貴君の自由だ。八意の家を調べたいなら、好きにしたまえ。ただし、事前に私に一声かけてほしい事と、彼を冒涜ぼうとくする行為は慎んでほしい」

 そう言って尾田臣は椅子から立ち上がると、持ってきていたアンティークバッグを手に取る。

「ちょっとした好奇心から聞いてみるんだが」

 その場を立ち去ろうとする尾田臣に、久我山はふいに言った。

「もし賢者の石とやらが目の前にあったら、あんたはどうする?」

 少しの間、沈黙する尾田臣。やがて、男は抑揚の無い声で言った。

「それはまた、難しい質問だな」

「そうか。あんたは善人そうだから、こんな感じで答えると思ってたよ。どうもしない、只友人の形見として保管するだけだ、などと」

「さて、実際にぶら下げられてみなければなんとも言えない」

 その回答に久我山は首を傾げる。

「人は変わる生き物だ。善人がいつまでも善人とは限らない」

「ほー。それがあんたの人生観か」

「そろそろ失礼する」

 尾田臣は、やはり感情の読み取れない声で言い、その場を去っていった。


       ○


「さて、と」

 久我山は立ち上がる。しばらく激しく動き回る事は出来ないが、日常的な動きなら支障はないと時上からは言われていた。

 痛みはない。だが、少し体に違和感がある。

 まあ、仕方がないだろうと久我山は自分を納得させた。生きているだけでも運がいいのだ。今は違和感があるが、直にこの体にも慣れるだろう。

 それより、そろそろ警察署に行くなり事務所に呼び寄せるなりして浦上に事の顛末てんまつを――ぼかしつつ――知らせなければ。

 久我山は全道のアジトを出て、坂道を下りていく。

 四方坂円と八方十香の二体の死体は尾田臣によって回収され、何処ぞの墓に埋められた。八方十香、かつて某所で起きた殺人事件の被害者の子供だという。その事件について久我山はよくは知らないが、八方十香がその容疑者の一人として候補に上がっていたのだという事だった。

 有り得ない話ではない。結局会う事はなかったが、これだけの事を平然とやってのけた女だ。両親を手にかける位ならば平気で実践する可能性は十分に考えられた。

 四方坂円。八方十香が過去を捨てるために名乗った名。魔女と尊称を受けていた者の名。ゴーレムマスター、優れた人形師。

 ……人形?

 久我山はふと立ち止まり、くっくっ、と笑う。

「やってくれるじゃねえか」

 何も確証はない。

 だが、勘が告げている。

 残された状況証拠が囁いてくる。

 これだけ大それた仕掛けを考える者が、こんなにもあっさりと尻尾を出して終わる筈が無い。

 考え過ぎなのか? いいや、そんな事はない。

 何故なら、

 全ては布石だ。最後に八方十香は死んだという演出でもってこの企みを完成させるための。そうして奴は自分の頭を悩ませていた全てのわずらい事から開放され、賢者の石とやらの研究なりなんなりを存分に出来るのだ。誰に知られる事もなく。

 空を見上げながら、久我山は言った。

「西の賢者は、死んじゃいない」

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西の賢者が死んだ 安住ひさ @rojiuraclub

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