エピローグ②
中村と別れた後、高村は学校を後にする。
目的地は全道のアジトだったが、途中、高村は四方坂の屋敷に立ち寄った。特に理由はない。ただ、なんとなく気になったからだ。
前と変わらず静かに佇んでいる洋風の屋敷。中に入ればいつものようにあの女主人が出てきそうだ。
「高村君か」
声をかけられて高村は振り返る。そこには小綺麗なベストとジャケットに身を包んだ、黒人と思しき男が立っていた。
「尾田臣さん」
「ここに何か用かね? あまり良い思い出ではないと思うが」
尾田臣と呼ばれた男は淡々とした口調で言った。そういえば、今は尾田臣が屋敷を管理していると高村は聞いていた。
「いえ、特に用はないんですが、なんとなく気になってしまって」
「そうか。もし気になるなら、別に上がってくれても構わない。今は危険な場所ではない」
「折角の申し出で悪いんですが、遠慮しておきます」
「そうか」
「そういえばアスミナさんは?」
高村は問いかけた。アスミナ・アリアンティ、金髪碧眼の女魔術師。当初は賢者の石を狙っていたのかと思っていたが、実際の所は尾田臣の協力者として賢者の死を調査していたという事を高村は後に知った。
「彼女はもう街にはいない。次の仕事があるそうだ」
「そうですか。あの、ここってこれからどうなるんですか?」
「しばらくは私が管理する。四方坂円、いや、八方十香が遺した貴重な資料や研究成果が残っているだろうから」
「そうですか」
「ひょっとして、棲みたいのか」
「いえ、そんなんじゃありません」
冗談なのか、冗談じゃないのか真顔だったので分からない。そう思っていると、尾田臣は微笑して言った。
「八方十香は、君には優しかったのだろう」
「いえ、それは」
「遠慮しなくていい。君の態度からなんとなく推測出来るよ。原因や結果はどうあれ、君と接している時の彼女は本心から君を心配していたのだろうな」
「正直に言うと、あの人が無関係だったら良かったって思ってました。杜ノ宮さんの両親を手にかけて、賢者の石を略奪しようとした八方十香ではなく、只、俺達を助けてくれる四方坂円であってほしかった」
「また、気が向いたら来るといい」
尾田臣は只、高村にそう告げた。
○
四方坂の屋敷を跡にすると、高村は当初の予定通り全道のアジトに向かった。
バスに揺られて全道のアジトのある「初葉台」で降り、そこから再び歩き出す。途中で脇道へと逸れて坂道を登ると、落ち着いた佇まいの白い建物が見えてきた。
ふと、前方に背の高い女の子がいる事に高村は気付いた。
「北野さんか」
「ええ、学校ぶりね。もっとも、あっちでは言葉は交わしてないけど」
そう言って笑みを浮かべる北野。
「ここには何をしに?」
「怪我人のお見舞いよ」
「久我山さんか」
久我山が大怪我を負ったという話はあの夜、北野から聞いていた。致命傷と言っても過言ではなかったようだが、時上鈴の処置により一命を取り留めたらしい。
「ええ、取り敢えず元気そうだったわ。もう見舞いに行く必要はなさそうではあるけど一応」
「そっか。そういやここ数日間、毎日行ってたって聞いてたな」
そう言われて、北野は眉をひそめる。
「全道さんが漏らしたのね」
「口止めはしてないんだろ。あまり責めてやるなよ」
「まあいいわ。それより高村君。晴れて不毛な争いから生還出来たんだから、さっさとこういう世界とは縁を切った方がいいと私は思うのだけど、まさか、魔術師にでもなるつもりじゃないでしょうね?」
「まさか。俺にそんな才能があるように見えるか?」
「誰にでも可能性はあるわ。誰にでも何かしらの魔術的、呪術的なセンスはある。だからセンスがあるというのはこの場合……」
そこまで言って、口を
「さっき言った事は忘れて」
「善処してみるよ」
「なんか忘れなさそう」
「そん時はそん時だ。ま、人生行き詰まった時に進路の一つとして考えてみるよ」
「縁起でもない事言わない。ちゃんと勉強なりして、人生に行き詰まらないようにしなさい」
北野は言って、出口の方へと歩き去っていく。ふと、何かを思い出したように北野は振り返って言った。
「杜ノ宮さん、いい子ね。大事にしなさいよ」
意地の悪そうな笑みを湛えて告げられたその言葉に、高村はわけも分からず首を傾げるばかりであった。
○
高村が外に置いていあるテーブル席に目をやると、杜ノ宮が椅子に座って本を読んでいた。読んでいるサイズからして、文庫本らしい。
「何を読んでるんだ?」
珍しく制服調のものではなく、カジュアルなパーカーとスカートに身を包んだ杜ノ宮は話しかけられ、一瞬ビクリと体を震わせた。
「高村さん、いつの間に」
「今さっきだよ。それより、何を読んでるのかな?」
「『少年の旅路』って本です。知ってますか?」
「ああ、それ聞いた事あるな」
確か、様々なコンプレックスを抱えた一人の少年が冒険や様々な困難を通して青年、大人へと成長していく物語だ。もう二十数年程前の作品だが、未だに名作として語り継がれている。
「そうだ、中学の時先生に薦められたんだ。って言っても、教師が薦めたもんなんて読むかって感じで結局読まなかったけど」
「そうなんですね。でも、気が向いたら読んでみるといいですよ」
「気が向いたら、な」
高村がそう言うと、杜ノ宮は笑いながら「なんだかそれ、読みそうにないですね」と言った。
「終わったんだな」
「はい。けどまだ後始末は少し残ってます。時間の問題だとは思いますが」
「そうか。ま、これで俺もいつもの日常に戻るわけだ。勉強頑張らないとな」
「あの、本当に、ごめんなさい」
「ん、何故そこで謝るんだ?」
「だって、四方坂円がいなければ高村さんはこんな事に巻き込まれずに済んだのに。あの人のせいで貴方の足は」
「そんな事か」
「そんな事って」
「なあ、杜ノ宮さん。確かに俺も足が元に戻るなら正直元に戻したいよ。でもな、今回の件は何もかも悪い事ばかりじゃないと思うんだ。お陰で杜ノ宮さんにも会えたしな」
「そんな、私なんか」
顔を逸らす杜ノ宮。
「過ぎた事は仕方ないよ。それより、今はこれからどうするかの方で頭が一杯だ」
「そう、ですか」
「そういえば時上鈴はどうした?」
「彼女なら出ていきました」
「そうか」
「そうでした。彼女から高村さんへの伝言を受け取っています」
「伝言?」
「はい。『助けてくれた事、感謝しています。時上の名にかけて借りはいずれ何処かの時に』だそうです」
「はあ」
ついこの間まで自分の命を狙っていたのによく分からないな、と高村は思った。魔術師や呪術師なんてものはいちいち過去の禍根にこだわったりしないのだろうか。
「杜ノ宮さんはさ、もうこの街を離れるのか?」
「そうですね。次の仕事も入ってますし、明朝にはこの街を離れて北海道です」
「そっか、俺と違って忙しいんだな」
「でも各地を観光出来るから、悪い事ばかりじゃないですよ」
「ああいいな、それ」
「この前行った山梨の富士山は綺麗でした。見ますか?」
そう言って杜ノ宮は携帯を取り出し、写真のアプリを起動した。高村が杜ノ宮の携帯を覗き込むと、そこに写し出されたのは商店街の奥に映る、
「へえ、街中から富士山が見えるのか」
「なんか羨ましいですよね。日本一の山がいつも見えるなんて」
「でも案外、地元民はなんとも思ってないかもしれないな」
「ああ、そうなのかも。慣れってやつですね」
他愛無いのやり取り。特に笑いどころも無いのに、二人からは自然と笑みが溢れていた。
「もう、この街には戻ってこないのかな?」
恐る恐る尋ねた高村に、杜ノ宮は首を振る。
「いいえ、また戻って来ようかと思います。高村さんにも会いたいですし」
一瞬、高村は胸を射抜かれた気分になった。
「そ、そうか。じゃあ出来れば近い内に来てくれ。今度は街を案内するから」
「はい、是非そうさせてもらいます。あ、あのー」
急に杜ノ宮は目を泳がせ始める。彼女の手は頻りにその表情を変え、手を組んだかと思えば離したりと、忙しなく動いていた。
「あの、ですね。その」
何度か高村を見上げてはもじもじする杜ノ宮。高村が黙って彼女の言葉を待っていると、意を決したように杜ノ宮は大きな声で言った。
「私と、友達になってくれませんか!」
杜ノ宮の頬はほんのりと紅潮していた。瞳は僅かに揺れ動き、薄く開いた唇から吐息が漏れていた。
「あの、高村さん。やっぱり」
「ああ、喜んで」
高村はにっこりと笑い、手を差し出した。
杜ノ宮は緊張の面持ちを残しながらも、喜色を浮かべ、その手を握り返した。
「はい、よろしくお願いします!」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます