エピローグ
エピローグ①
久我山が目を覚ますと、先ず目に映ったのは白い天井だった。
「ったた」
久我山は体を起こそうとすると、激痛が走った。ああ、そういえば重傷を負ったんだっけか。久我山は自分の身に起きた事を反芻する。内蔵が出かかる程の深い傷だった。恐らく致命傷といっても過言ではなかったが、今こうして生きている。
助けてくれたのは、時上と名乗った少女か。
「ま、取り敢えず儲けもんだな」
そう言って久我山は辺りを見回し、ここが何処かを理解した。
全道のアジトだ。北野か、時上が運んでくれたのか。
「おっ」
「あっ」
少女と目が合った。いつも冷静ぶって勝ち気なその少女は、瞳を潤ませて、ズカズカと久我山の元まで近付いてきた。
久我山は呑気そうに手を上げる。
「よお」
「よお、じゃないわよ」
声を震わせ、身を震わせながら睨み付けるように北野は言った。
「私の落ち度なのに、なんで」
「まあいいじゃねえか。結局助かってんだし、結果オーライだろ」
ふと、北野が俯いているのに気が付いた。髪の毛が邪魔をして、目元が見えない。
「いや、まあなんだ。悪かったな」
そう言いつつ久我山は視線を落とし、自分の体を見る。
恐らく切られた所、その部分が赤黒い肌になっていた。外傷の無い部分との繋ぎ目は針で縫い合わされているらしい。
「あらら、継ぎ接ぎだなんて、どっかのお医者様みてえになっちまったな」
「時上鈴が、助けてくれました」
「キメラの技術か」
「分かりません。ですが、特に後遺症もないそうです。もっとも、一ヶ月くらいは安静にしていた方がいいそうですが」
「そうか。まあ仕方ないか」
「安静にって言われてるんですから、無理しないで下さいね」
「分かってるよ。俺はお医者様のアドバイスは素直に聞くタイプだ」
「死んだら呪いますから」
「だから怖えよそれ」
北野の口元が少しだけニヤけたように見えた。
〇
「よう」
高村が昇降口の下駄箱から上履きを取り出していると、横から陽気な声がした。高村が振り向くと、それは高崎であった。
「久しぶりだな」
そう言って顔に満面の笑みを浮かべる高崎。それにほだされてか、つい高村まで笑みを浮かべてしまう。
「前も聞いたぞそれ」
「デジャヴじゃないかね」
「なわけあるか。ここ一、二週間以内の出来事だぞ」
「そうだっけか。済まんな、余分な事は忘れる性分なんだ」
「あ、っそ」
歩きながら談笑に耽る二人。休日にベンチでうとうとしている中年男性の膝の上で白いイタチが寝ていただとか、それを見ていたら突然深窓の令嬢のような美人に道を聞かれただとか、そんな話をしている内にあっという間に教室に着いてしまった。
「お前もいい加減勉強しろよ」
「例によって受験か?」
「そういう事だ」
「それなら心配するな。これからはそのつもりだ」
「そうか。じゃあそれが三日坊主にならんよう近くの寺かうちの神社にでも拝んでおいてやる」
「やるかやらないかは俺の意思なんだから、神様仏様に祈っても仕方ないだろう」
「どうかな。神様仏様なら、案外他人の意思に介在出来るかもしれんぞ。何せ、凄い神仏だからな」
「さいで。まあ、見といてくれよ。すぐにとは言わんが、半年もする頃にはお前を抜かす位になってやるからさ」
「ほう。それはクラストップクラスに躍り出るって事だが、分かってるのか」
不敵な笑みを浮かべる高崎。
「ああ、勿論だ。どうせもう勉強しかやる事ないからな。とことんやってやるよ」
ホームルームになっても相変わらず担任の千葉は姿を表さず、教壇に立ったのは副担任の立花であった。
唐突過ぎる千葉の休みについてはクラスでも噂が立つようになっていた。中には冗談のつもりなのか、千葉が駆け落ちしたなどと仲間内でこっそりと話をしている生徒もいたが、高村はそれを一切無視した。変な憶測が飛び交いこそすれ、彼の人格を否定するような発言が無いのはここが進学校故なのか、それとも千葉の人間性によるところが大きいのか、それは高村には分からなかった。
只、少なくとも今千葉と顔を合わせなくてもいいというのは彼にとっては安堵するべき事であった。なんといっても、平然な顔をして千葉と接する自信が無かったからである。
それは放課後の事であった。
高村は高崎や他の生徒が帰るのを尻目に自分の席に座って本を読んでいた。静かになったのを見計らって本を閉じると、案の定、教室には高村と、もう一人の女子生徒だけになっていた。
「高村、どうしたの?」
少女は、中村はそう尋ねてきた。
「ああ、まあ別に、な」
「今日は只の日直だよ。村上に他の仕事をやってもらったから、帰りの戸締まりは私」
「そっか。それなら良かった」
「ひょっとして、また虐められてるとでも思った」
中村は苦笑しながら言うと、高村は後頭部をさすりながら言った。
中村が学校に復帰した際、彼女を悩ませていた西野、戸渡、波多野による精神的な攻撃もすっかり見られなくなったようで、それに迎合していたクラスメイトからの嫌がらせも全く無くなったのだという。
「いや、済まん」
「なんで高村が謝るのさ。高村が悪いわけじゃないのに」
「ああ、済まん」
「だから、謝らなくてもいいって」
どう答えていいか分からず、はは、と不自然に笑う高村。それを見た中村は「変な笑い」と押し殺した声で笑った。
「中村、もう大丈夫そうか?」
「うん。全く大丈夫って程じゃないけど、なんとかやっていけそう」
「そっか。じゃあ良かったよ」
「ありがとう。高村」
言われて、高村は首を傾げる。
「別に俺は何もしてないけど」
中村は首を振る。
「ううん。そんな事ないよ。だって君は、私を気にかけてくれた」
「それだけだ」
「それだけでも大きいよ。私にとってはヒーローみたいなもんだ。千葉先生も」
中村は声を震わせながら俯く。そして少しの間そうした後、中村は再び顔を上げた。
「なあ、中村」
「うん、何かな」
「何かあったら、俺でよければ相談に乗るよ」
「うん、ありがとう。本当にありがとう」
中村はそう言って、笑った。
「人生、案外捨てたもんじゃないかもね」
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