六章 西の賢者が死んだ③

 大月山公園の丁度真ん中辺りに設置されている噴水広場。休日の昼間はそこそこの人の出入りで賑わっているが、夜ともなると人気はまるで無く、まるで打ち捨てられた廃墟の如き寂しさで佇んでいる。

 その広場の北側、石造りの高台になっている場所に一人の女が立って眼下を見下ろしていた。

「幸太郎君ね」

 石畳を踏む足音に気付いたのか、女は振り返ってその素顔を見せた。ショートの黒髪におっとりと垂れ下がった目。その口元は緩やかに閉じられていたが、口角が微妙に上がっている。

「屋敷の前で会って以来ですね、円さん……いいえ、八方十香やのかたとおかさん」

 高村は女に向かってそう言い放った。

「それともこう言った方がいいですか、西の賢者さん」

「ここに至ったという事はそういう事だろうと思っていたけれど」

 そう言って女、八方十香は目を伏せる。容姿こそ変わっているが、その振る舞いや雰囲気は高村が見てきた四方坂円そのものであった。

「盗人から奪い返せば賢者の石をくれるだなんて大嘘だ。全部貴方が仕組んだ事だったんですね」

「さて、なんの事かしら?」

「ジョークか何かですか? この期に及んでとぼけないで下さい。貴方は折角手に入れた賢者の石を奪われないために、今回の潰し合いを画策したんでしょう」

 八方は答えず、ただ静かに目を伏せ続ける。口元には変わらず微笑を湛えている。高村が返事を待っていると、八方が口を開いた。

「いいわよ、続けなさい。貴方が誰に何を知らされてここに至ったのかはおおよそ予想が付くけれど、それはともかく、貴方がどう考えて、どう結論付けたのか、興味があるわ」

 八方は言った。一瞬の間の後、高村は再び口を開く。

「貴方は本来の賢者である八意が死去した時、賢者の石を手に入れ、賢者を名乗り始めたんだ。だけど賢者は特段、他者との交流を断っていた世捨て人ではなかったから、人の訪問は途絶えなかった。じゃあどうして貴方はばれなかったのか。簡単です。人形ですよ。非常に優れた人形師でもあった貴方は、八意そっくりの人形を作って八意を演じたんです。普段から八意と接していた貴方なら、彼が人とどういう接し方をするのかも分かった筈です。そうして貴方は体よく賢者の石を自分のものにしてしまった。しばらくはそれで問題なかったんでしょう、ですがある時、とうとう自分の手に負えない者に目を付けられてしまった。困った貴方は考え、思い付いたんだ。自分の手に負えない者は、同じく自分の手に負えない者をぶつければいいんだ、って。そうして貴方は賢者を殺した事にして賢者の遺言を偽造した。賢者の石を盗んだ者から石を奪い返せば自分の者になるってね。で、貴方の思惑通り人は集まってきて、互いに潰し合いを始めた」

「でも他人と殺し合いをするだなんて、そんなリスクは真っ当な魔術師ならとらないわ。魔術師は勇敢な戦士ではないのよ」

「俺は真っ当な魔術師だとか呪術師だとかがどういう人達なのかは知りません。ですが、元々こんなのに釣られてくるのははぐれ魔術師という人種ばかりでしょう。そういう人間達は特に他人を傷付けたり、殺したりする事に頓着しないでしょうし、そもそも欲も深いからそういうはぐれ者になってしまう。他人に対しての同情が薄いから、賢者の石という餌を奪い取ってでも手に入れようとする事は簡単に想像出来る。それにですね、彼らが潰し合いをしてくれるのは都合のいい宣伝にも利用出来るんですよ」

「宣伝?」

「ええ、宣伝です。賢者の石を狙った愚か者は尽くこうなる、って宣伝です。迂闊に関わるとほぼ必ず死んでしまう事が分かったのに、わざわざ好き好んで死にに行く人間なんてそうそういませんからね。そして貴方は念を入れて時上鈴に協力を持ちかけた。賢者の石を狙う者達を倒してくれないかって。時上鈴にとってもはぐれ魔術師を狩れるのは悪くない条件だったから特に断る理由もなかった。殺してもいい魔術師なら、食べてしまおうが、キメラの材料にしてしまおうが、誰にも目を付けられないでしょうから。今思えば、賢者が定めたとかいうルールは時上のために作ったようなものですよね。そして多分、この件で死んだ魔術師の半分以上は時上の手によるものだ」

「流石は幸太郎君ね。でも、時上鈴という強力な魔術師は私にとっても脅威にならないかしら」

「そうですね。脅威だと想います。だから貴方は今度の手として腕利きのハンターを呼んだんだ。表向きは俺の護衛という事にしたけど、実際には時上鈴と戦わせるために。最悪、いえ、貴方にとって最善な事は両者が相打ちで終わる事ですね。全て思い通りというわけではないけど、時上の弱体化に成功した貴方は、彼女が回復しない内に彼女の連れていたアトラスという巨人を乗っ取りつつ、不意を突いて真相に迫りつつあった中恩寺を殺害、時上もお手製の人形を使ってまとめて始末しようとした。ところがここから、貴方の計画は狂い始めた。計画が狂い始めた理由は二つある。一つ目は、俺が時上を助けてくれと杜ノ宮さんに頼んだ事だ。お陰で、貴方の自慢の殺人ドールはガラクタになり、時上鈴は助かった。多少の不具合こそあれ、順調に進んでいた貴方の計画のはあの時初めておかしくなったんだ」

「それでは、二つ目は?」

「絶対に安全と思われていた四方坂邸が襲われた事です。貴方は彼処に結界を張っていたそうですね。結界の効果は分かりませんが、それのお陰で彼処ははぐれ魔術師からは絶対に襲われないようになっていた。にも関わらず彼処が襲撃されてしまったのは、内部からの犯行を許してしまったからです。即ち」

尾田臣おだおみさんね」

「ええ。彼は貴方にとってイレギュラーだった。何故彼の存在を把握出来なかったのか。それは、貴方が街に結界を張る前から彼は街に潜伏していたからです。彼は賢者の不審死を調べるために動いていましたが、その過程で四方坂円に目をつけ、彼女の屋敷を訪れた。尾田臣さんは貴方にとって警戒すべき相手だ、とはいえ、八意と旧知の仲であった彼を、貴方は屋敷の中に招き入れないわけにはいかなかった。何故ならそうしないと、貴方は不審がられてしまうから。でも、尾田臣さんは間もなく異常に気付いてしまった。彼は屋敷の中を秘密裏に探ろうとしました、で、それを危惧した貴方は四方坂円という人形を使って尾田臣さんを亡き者にしようとした。だけど彼は貴方の予想を裏切り、四方坂円を返り討ちにしてしまいました。その結果、貴方の狙いや正体を知った人間がいるという状況が出来上がってしまった。これが二つ目の理由にして、貴方の最大の誤算だ。貴方は何がなんでも俺達を街の外に出すわけにはいかなくなった。そうしないと、賢者の石をまた狙われる羽目になるだけでなく、最悪貴方にハンターが差し向けられる可能性があるからだ。どうですか、間違ってましたか」

 八方は何か答えるでもなく、微笑したまま高村の言葉を聞き続けていたが、やがて口元を抑えて静かに体を震わせた。

「一つ疑問があるわ。幸太郎君はいつ尾田臣さんと会ったのかしら?」

「貴方の人形が壊された夜のあの日ですよ。そこで彼に教えてもらった事と、中恩寺の遺した手記で全て理解したんです」

「成程ね。それに中恩寺類、そう、手記は迂闊だったわ。いいえだとしても、高校生だというのに大したものね」

「俺はずっと四方坂円という、貴方が作った人形と会話をしていたんだ。裏で貴方に遊ばれているとも知らずに。楽しかったですか? 俺達が、あんたの掌の上で踊り狂ってる様は」

「いい目をするようになったわね。戦う者の目だわ」

 高村は徐に銃を取り出し、八方に突きつけた。

「ねえ、幸太郎君。一ついいかしら?」

 高村は銃口を向け八方を見据えたまま答えない。八方は動じるでもなく、構わず続ける。

「賢者の石はね、八意先生最大の遺産よ。偶然出来上がったものだから彼自身にも再現手順が分からない、只一つの逸品。私はまだ使いこなせてはいないけれどね、あれを使えば、あるいは幸太郎君の足を元に戻せるかもしれないわよ」

「……だから、なんだというんですか?」

「私の狙いを知っても尚、私に協力してくれるなら幸太郎の足を綺麗に元に戻してあげるわ」

 束の間、その空間を静寂が支配した。しかし、やがて高村は皮肉めいた笑みをその顔に浮かべてこう言った。

「あんたがそんな事を言うのは予想の中には入ってたが、まさか本当に言ってくるなんてな」

「その笑みは、イエスと取っていい――」

「ノーだよ、当たり前だろ」

「当たり前?」

「俺はあんたに清算をつけさせるためにここに来たんだ。あんたは俺をかどわかそうってつもりだったみたいだが、ヤマが外れたな」

「あらそう、残念ね」

「俺はあんたを許さない」

 高村の言葉に、視線を下ろす八方。憂いを帯びた瞳が、僅かに揺れたように高村には感じられた。

「高村君。一つだけ貴方は勘違いをしているわ。だって貴方は私の計画が狂ってしまったなんて言ったけど、まだ狂ってなんかいないもの」

 実に味気ない銃声が響く。覚悟と凶気をはらんだそれは、一瞬で周囲の夜気に吸い込まれていった。八方十香を貫こうとするそれは、しかし、彼女の人差し指と親指によってその運動を停められていた。

「今ならまだ引き返せるわよ。幸太郎君」

 八方は、それが最後の警告だとでもいうように告げた。しかし、高村は銃を彼女に構えたままじっと彼女を見据えていた。

 やがて、八方は軽く、微かに息を吐いた。

「そう、嘆かわしい限りだわ」

 高村は構わず、なんの躊躇もなく引き金を引こうとした。

 しかし。

 後ろに蠢く不快極まりない悪寒に本能的に振り返った。

 そこにいたのは人形であった。絹糸のような赤い髪を振り乱し鬼の面を付けたそれは、最早人間の再現など端から眼中にないとでも言う程に歪で、機械的で、無機質な存在だった。薄緑の羽織の袖は四つに分かれていて、袖から覗かせる四本の白磁の如き腕の先に握られているものは、その人形が一体どういった意図で制作されたものなのかを如実に示していた。詰まる所、四本の内左右一つずつの腕には凶器が握られており、あるいはランスを、又あるいは薙刀を構えながら、まるで主の司令を待つ飢えた猟犬の如く待機していた。

「頑張って内職してた甲斐があったわ。戦闘用ドールの制作なんて慣れない作業だったけど、今回色々と気付きが得られたのだから、良しとしましょう」

「くそっ」

 高村は身をひるがえして後ろに退がろうとする。人形は面の奥から覗かせる無機質な瞳を微動だにさせないまま、無慈悲にもその蜘蛛のように長い腕の一つ、何も握っていない手を鋭利な刃へと変形させて高村へと突き出した。

 駄目だ、間に合わない! 高村は一か八か、人形の足元へと銃を構え引き金を引こうとした。

 しかし、彼が引き金を引くよりも先に人形の腕は体から離れて空中に舞い上がり、地面に重量感と肉感のある音を立てて落ちた。

 高村は後ろに倒れかけたが、なんとか体勢を持ち直し、その少女を見た。

 そこにいたのは北野万智であった。手にはまるで生きているように脈打つ奇怪な銃剣が握られている。

 北野は銃剣を奮い人形を後方へと吹き飛ばした。

「なんで、ここに」

「それはこっちの台詞よ、高村君」

 高村に背を向けたまま、北野は言った。

「まあ今はいいわ。それよりこっちを先に片付けないといけないから」

 それから北野は八方を一瞥する。

「人の縄張りで好き勝手やってくれた事を後悔させてやるわ」

「聞こえているわよ、初心なお嬢さん」

 北野は一瞬だけ眉をひそませたが、すぐに澄ました顔になり、人形に対して銃剣を突き付けた。

「北野さん」

「そっちは任せたわ」

「え」

「今更止めはしないわよ。ここまで来た人間に何を言っても仕方が無いでしょうし」

「ああ、助かる」

「死んだら承知しない、っていうか呪うから」

「それ洒落にならんな」

 高村は勢い良く立ち上がった。

 言われなくても分かっている。自分は、八方十香と決着をつけるためにここに来たのだ。

 高村は八方のいる方向を見た。しかし、いつの間にか八方は姿を消していて、広場の脇にある階段を登っているのが視界に入った。

「待て!」

 高村は八方の後を追うように走り始めた。

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