六章 西の賢者が死んだ
六章 西の賢者が死んだ①
「あ、起きましたか?」
杜ノ宮は目を覚ました時上に語りかけた。一瞬、目を見開いた時上だったが、やがて目を閉じて言った。
「私、いつの間にか気絶していたのね」
「はい。貴方を襲っていた人形は、私が破壊しました」
「そう、流石といったところかしら。ところで、ここは何処かしら」
ベッドから起き上がった時上は朝日の光に目を細めながらも、動揺した素振りも見せず静かに周りの様子を見回しながら問いかけた。
「全道さんのアジトです」
「全道? 貴方達を支援している人ね」
「はい。ここしか行く所が無かったものですから」
「そう。それで、どうして助けてくれたのかしら」
時上は光の差し込む窓の方を見ながら言うと、杜ノ宮は微笑を浮かべて言った。
「本当のところを言いますと、私自身は貴方の事を助けるつもりはありませんでした。ですが、助けてくれと言われたんです」
「少年、ね」
「はい」
「不可解ね。私は貴方達を襲ったのに」
「そうですね。高村さんが何故貴方を助けたがったのかは分かりません。でも、私も後悔はしてませんよ」
「貴方まで可笑しな事を言うのね」
「そうかもしれません。ですけど少しくらい、こんな事があってもいいんじゃないかって思います。上手くは言えないですけど、私も貴方を助けて良かったと思ってますから」
「そう。でも、私が貴方の油断してる時を襲うかもしれないわよ」
「それは無理です。いくら私でも、弱った貴方に遅れを取る事はありません」
「言ってくれるじゃない」
時上は苦笑する。
束の間の沈黙が訪れる。その静寂を打ち破ったのは、時上だった。
「杜ノ宮一さん」
「なんでしょうか? さっきも言いましたが、決闘なら止めておいた方がいいですよ。今の貴方に負ける要素がありません、微塵も」
「違うわよ。ありがとう、って言いたかったの」
そう言って時上はまた苦笑した。
「どう、いたしまして」
「そんなに可笑しい?」
「いえ、そんな事は」
「私も人に感謝くらいはするわ。まして命の恩人なんだから。ああでも」
時上は目を伏せ、小さな声で言った。
「なんの掛け値なしに助けられるなんて初めてね」
「はい?」
「ねえ、一さん。お礼に私がいい事を教えてあげるわ」
「いい事、ですか?」
「ええ。賢者の石に関する事。それとも、余計なお世話?」
その問いかけに杜ノ宮は首を振る。
「いいえ。是非知りたいです、教えてください」
「分かったわ。ちょっと驚く事かもしれないけれど、私が知っている事を全部話してあげる」
そう言って、時上は杜ノ宮に淡々と彼女の知りうる事実を告げ始めた。
そうして十数分は経っただろうか、気が付けば杜ノ宮は瞬きもせずに目を見開いたまま、表情を凍りつかせていた。
「嘘」
時上が話し終えた時、思わず杜ノ宮はそう呟いていた。
「信じるか信じないかは貴方次第よ。ま、私が騙されているのならこれも嘘という事になるのだけどね」
「いえ、信じます。だって、十分に考えられる事ですから」
杜ノ宮ははっきりとした声で言った。
「時上さんはこれからどうするんですか?」
「一つだけ後片付けをしなければいけない。それが終わればこの件からは手を引くわ。契約を
「そうですか」
「一さん、貴方こそどうするつもりなのかしら」
「決着をつけに行きます」
間を置かず、杜ノ宮は意思の込もった声で言った。
「そう。それなら止めはしないわ。でも。場所は分かっているのかしら」
指摘されて、杜ノ宮は言い淀んだ。
「え、ええと。賢者の屋敷、ではないのですか?」
「場所を分かっているような、分かっていないような答えね。大月山公園よ」
「おおつき、西洋式庭園のあそこですか?」
「ええ。正確には、公園裏手の門の先にある隠れ家。彼処は霊地として優れているから、小細工をするのにはうってつけってわけね」
「そういう事ですか。ありがとうございます。本当に助かります」
「いいわよ、助けてくれたお礼なんだから」
ニヤニヤする杜ノ宮。その表情に時上は困惑した。
「何で、そこで笑みになるのかしら?」
「いえ、こういう一面もあるんだなって思うと、これまで怖かったギャップも相まってつい表情が綻んでしまって」
時上はそれを聞くと、はあ、と軽く溜息をついた。
「真面目に聞いた私が馬鹿だったわ」
「あ、そうでした」
思い出したように杜ノ宮は言った。
「お腹は空いていませんか?」
唐突にそんな事を聞かれ、時上は眉根を寄せる。
「空いていないって事はないけど、別に少しくらい――」
「では、下から取ってきます」
「ねえ、一さん」
言うや否や、踵を返してドアの方に向かおうとする杜ノ宮を時上は引き止めた。
「はい、なんでしょうか?」
「貴方はこれまでの人生、きっと酷い目に遭ってばかりだったと思うのに、なのにどうしてそんなに人に優しく出来るのかしら?」
少しの間、沈黙が流れる。やがて杜ノ宮は口を開いた。
「貴方の言う通り、私の人生なんて碌でもない事は自分でも良く分かっています。人にこれまでの事聞かれるのも辛いですし、他人の幸せそうな日常の一瞬を見て何度悔しい思いをしたか分かりません。本当に、自分と同じ位不幸な事があの子にも起きればいいのにって浅ましい事を考えた事もあります。それに正直な所、辛い時って他人も辛い思いしてると安心してしまう自分もいます。でも私、それでもですね、人に優しくされた事があったから。それがとても嬉しかったから。だから、私も頑張って人に優しくなりたいんです」
「可笑しな娘ね。人に優しくされた位でそんな風になれるなんて」
「そうかもしれません。だから、根本的に私は単純なのかもしれません」
杜ノ宮は微笑を浮かべながら言った。
「逆に私から質問、いいですか?」
「何かしら?」
「貴方は以前、私に真っ当な人生なんて諦めたらどうかって言いましたよね」
「ええ、確かに言ったわ」
「じゃあ貴方は、その、学校生活にも憧れたりとかはしないのですか?」
「ええ、そうよ。残念だけど、私はこれまでの人生で微塵も憧れた事は無かったし、これからも無いと思うわ」
「なんでですか?」
「単純な話よ。私からすればあんな箱庭の中に押し込められて自由を奪われるなんて、我慢出来ないから。あれじゃまるで軍隊か刑務所よ」
「そう、ですか」
「一さん。誤解を恐れずに言うと、青春というのは一種の宗教みたいなものじゃないかしら。そこになんの疑いもなく只肯定されるもの。でも、もっと冷静に考えてみなさい。貴方が見知っている青春という虚像は、詰まる所大人が作ったファンタジーでしかない。こうありたかった、こうあってほしい。そんな願望が都合よく配置されて、都合の悪いものは全て排除した排他的で煌びやかな世界。それが貴方の追っている青春の正体。起きるイレギュラーも予定調和内、現実のように本当に都合の悪い人間、出来事が青春を
杜ノ宮は視線を落とす。確かにそうだ。高村も言っていた、実際はもっと地味なものだと。生の人間は誰かの描いた青春物のように動いてはくれない。考えてみれば当然だ。皆、生きてきた環境も価値観も違うのだから、ありきたりな学生生活を詰まらないと感じる者だっているだろうし、そもそも学校に馴染めない者だっているだろう。
「何がどうあってそこまで
「気楽に、ですか。簡単に言いますね」
「あら、簡単に出来るなんて言ってないわよ。こういうのは少しずつ習慣や思考を改善していくしかないもの。便利な方法があると思ったのなら諦めなさい」
「別に簡単な方法があるだなんて思ってないです」
少し
「ま、いつまでもそのコンプレックスみたいのに囚われてると、そういうのを狙った悪い人に騙されちゃうわよ」
「たとえば、貴方みたいな人にですか」
そう切り返されて、時上は苦笑する。
「中々言ってくれるじゃない」
「そこら辺のガードは固いですから」
「どうだか」
「じゃあそろそろ、食べ物を取ってきます」
そう言って杜ノ宮は今度こそ部屋を出ようとした。
ありがとね。
杜ノ宮は、ちら、と時上の方を見た。
時上は反対側の方を向いていて顔は見えなかった。
ただ、純白の掛け布団には、灰色の斑点が出来ていた。
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