五章 自動人形④

 深夜の道路を高村は自転車を走らせる。この時間帯ともなると人通りは勿論、行き交う車も滅多に無くなる。極たまにタクシーが通ったりするのは、終電を逃すなりして帰れなくなったサラリーマンでも乗せているのだろうと高村は思った。

 しかし。隣で並走している杜ノ宮を横目に見ながら思う。女の子を走らせるなどこれは中々情けない光景だと高村は思った。別に人目があるわけでもないが、高村としてはどうしてもいたたまれない気持ちになってしょうがないのだ。日本人は恥の文化、西洋人は罪の文化などと教師の誰かが授業で言っていたが、日本人も十分己の罪を感じる手合だろうと高村はふと頭の片隅で思った。でなければ、今この人目の無い時にこうも自分は罪悪感を感じないだろうからだ。

「なあ、杜ノ宮さん。やっぱり俺が走るよ」

 走っている途中で高村は切り出したが、杜ノ宮は首を振った。

「気を遣っていただくのは嬉しいのですが、私は体力がありますので、全然問題ないですよ。後十分ちょっとですし」

「……分かった」

 釈然としないながらも、高村は頷いた。これ以上食い下がると却って彼女に迷惑だ。

「待ってください」

「落合公園」と書かれたプレートのある公園の手前付近、そこで唐突に杜ノ宮は急に止まった。合わせて高村も急ブレーキで止まる。

「どうした、杜ノ宮さん」

「血の匂いが、します」

 鼻をヒクヒクと動かしながら、杜ノ宮は続けてこう言った。

「近いです。公園の方から匂ってきます」

「行ってみよう」

 高村は自転車を公園の前の駐輪場に停め、杜ノ宮に先導される形で公園の中に入っていく。

「こっちです」

 二人は音を極力立てないように、しかし歩幅は緩めずに歩いていく。公園は森に覆われておりぱっと見ただけではその全容は掴めないが、併設した文化施設などもあるようで、この地域の住民の憩いの場であるようだった。

 二人は遊歩道を抜けて、やがて開けた場所に出てきた。

 そこは中央に池の配された場所であった。池を取り巻く鬱蒼うっそうと茂った雑草は膝下まであり、安全防止のための柵は無い。

 きつい。高村は思わず顔をしかめ、手で鼻を覆った。最早高村でも異常が認識出来る程、辺りには激臭が走っていた。

「大丈夫ですか?」

 数歩先に立っていた杜ノ宮は心配そうに振り返る。その顔に、この刺激臭への苦痛の表情は見られなかった。

「ああ、臭うだけだから。別にどうって事はない」

「了解です。無理はしないでくださいね」

「ありがとう」

 そう言って高村は辺りを見回す。ふと、暗がりでも分かる程に池の一角の色が変色しているのが分かった。

「杜ノ宮さん。あれは」

「はい。東側の方に回り込みましょう」

 そう言うと、杜ノ宮は躊躇する事無く雑草を掻き分け、変色の原因となっているであろう地点まで歩いていった。高村は一瞬躊躇したが、意を決してそれに付いていく。

 大方何があるのかは予想していた。だがいくら覚悟が出来ていようと、実際にそれを体験する事への精神的負担の軽減には役立たない。高村はそれを視界に収めて、吐き気を覚えた。

 男の死体があった。下半身は池の水に浸かっており、欠けた片足から血が漏れ出ていた。上半身を見ると、まるでドリルをぶつけられたのかとでもいうように、鳩尾みぞおちを中心にして大きな風穴が空いていた。両側の肉片によって辛うじて上半身と下半身が繋がっているそれの表情は、生前に持っていたであろう品性をまるで感じないといった具合で、目は剥き出し、口は縦に大きく開ききり、だらしなく舌を外に垂らしていた。

「酷い」

 思わず、高村は呟いた。どんな恨みがあれば、こんな酷い殺し方が出来るのだろうか。いや、只単に、殺そうと思ってやったら、こうなってしまっただけなのか。例えば時上鈴の連れていたあの巨人なら、そういう事もあるのだろう。

「中恩寺類、ですね」

 杜ノ宮は淡々と言った。

「貴方が気に病む事ではありません」

「ああ、分かってる」

 高村は出来るだけ落ち着いた声を意識して言った。深呼吸したかったが、とてもこんな場所で空気を取り込む気にはなれない。

「それより、これからの事を考えよう」

「はい、そうですね。その前に死体を調べましょう」

 杜ノ宮は鼻をつまみながらその遺骸いがいへと近付き、その場にしゃがみ込む。

「死体をってなんで?」

「何か持ってるかもしれません。着ているコートやズボンのポケット部分は無事みたいですし」

「ちょっと待った!」

 遺骸に触れようとした杜ノ宮は手をピタッと止め、振り返る。

「はい?」

「俺がやる」

 そう言って、ショルダーバッグから軍手を取り出して死体に近付いていく。

「ごめん、退いてくれ」

「は、はい」

 高村は慎重に男の衣服を探っていく。自分の心臓の鼓動がやたらと意識される。何故だか、誰かに敵意を向けられているような感覚だ。気を緩めると意識が持っていかれそうな、そんな気分。

 やがて、泥に塗れたコートの内ポケットから携帯程度の手帳を取り出した。

「よかった。奇跡的に綺麗みたいだ」

「何か手がかりがあればいいのですが」

「ああ。だがその前にここから一旦離れよう。ここはキツイ」

「分かりました。すみません、その前に」

 杜ノ宮は内ポケットから見慣れぬ文字が刻まれた青い石を遺骸へと落とす。

「燃やすのか?」

「ええ。後始末です。行きましょう」

 そう言って杜の宮はその場を歩き出す。高村が遺骸の元を離れ始めた時、その遺骸は青い炎を上げて燃え始めた。


「一応、高村さんが遺体を調べている間に周りに何か飛び散っていないか見てみたのですが、何も発見出来ませんでした」

 遊歩道の途中にあるベンチに二人は腰を下ろしながら、杜ノ宮は言った。

「じゃあ、この手帳だけが手がかりか」

「はい」

 一体誰が中恩寺を手に掛けたのか。彼が賢者の石を奪った者なのか。そうでなくても、賢者の石の件に関して何かを掴んでいたのか。

「迂闊に開かない方がいいかな」

「ちょっと貸してもらってもいですか?」

 そう言うと、杜ノ宮は手帳を高村から受け取って表紙や背表紙、裏表紙等を調べ始めた。

「大丈夫です。魔力の供給が絶たれたからか、それとも、そもそも罠が無かったといった感じですね」

「そっか、じゃあ開いてみよう」

「はい」

 高村は杜ノ宮から手帳を受け取るとパラパラとページをめくり始める。するとそこには、夜、空、鳥、等といったいくつかの単語で構成されたページが姿を現した。


  XXL、蛇羊獅、XXS。

  黒帽子、人型? 怪。

  XXS、紐、黒帽子。


「日記? にしては可笑しな日記だな」

「日記は書くけどものぐさだったのか、すぐに他人には分からないよう単語という形で残しているのかもしれないです。本人に聞いてみようにも、もう口は利けないですから真相はやぶの中ですね」

 更に高村はページを捲る。そして、そのページで高村は手を止めた。


  賢者石、黒帽子、有。


「賢者の石、だよな。これはどういう意味だろう」

「分かりません。黒帽子の中にある? なんの事なのか――」

 その時、固い金属のぶつかり合う音が微かに聞こえた。

「今のは」

「はい、聞こえました」

 杜ノ宮は頷く。その音は、何秒間隔かに一回程度で響いていた。

「犯人、ですかね」

「分からない。兎に角、様子を見に行こう」

「はい」

 二人は遊歩道を音の鳴る方向へと走り出した。

「高村さん」

 遊歩道を走る事数十秒、杜ノ宮は横に走っていた高村の方を振り向く。

「ああ、少しずつだが移動しているみたいだ」

 高村は頷きながら言った。実際、音はほんの少しずつだが遠退いていき、その間隔は長くなっていったからだ。

 そして、やがて音は消えてしまった。

 構わず二人は駆け続けた。そして道を走る事数分足らずして、音の消えたと思しき所にまで二人は辿り着いた。

 そこは、円形の広場であった。二人は近くにあったオブジェの物陰に潜みながら広場の様子を窺う。

「あれは」

 高村の瞳に、嫌でも忘れられない少女の姿が映り込んだ。

「時上、鈴」

 高村はボソリと呟く。倒しておかなければならない存在。昼間とは違う。やらなければ、やられるんだ。

「ミニオン、いえ、アトラスがいないみたいですね」

 杜ノ宮は広場の様子を窺いながら言った。

 確かに、それは妙だとは思った。いや、それだけではない。明らかに今までと様子が違うのだ。彼女は前方ばかりを気にしているようだった。

 ひょっとして、怯えているのだろうか? 心なしか、華奢な体は小刻みに震えているように高村には思えたし、その証拠に、彼女の横顔にはこれから到来する自分の御し得ない存在に対する恐怖の色が浮かんでいた。

 では一体何に怯えているのか。しかし、それを高村は考える必要など無かった。何故なら、彼女を苛ませるその災厄が間もなくその場に姿を現したからだ。

 高村は始め、それを優美だと感じた。暗闇の中からくっきりと浮き出た絹糸のような白い髪。白地に薄墨色の文様、加えて金箔の施された羽織物を着たそれは、極めて背の高い人間かと思われた。何故なら、紺の着物から覗かせている肌は透き通るような白ではあったものの、肉感的なものを感じさせたからだ。

 しかし、それが人でなし、人形だと彼が気付くのにそう時間はかからなかった。物陰に潜む少年少女二人に向けられたであろう顔は肉感的な癖に何処までも無機質で、その瞳は二人を捉えてはいたが、観てはいないようであった。

 高村はたしかにそれを美しいと思った。しかし、次に沸々ふつふつと湧き上がってきたものは鳥肌の立つ薄気味悪さであった。はっとする程の美しさを持っているにも関わらず、その非人間的な動きはそれらを全て呑み込んでしまう程の不気味さを周囲に放っていた。いやむしろ、その圧倒的な美しさこそが、一層心のざわつきを誘発させているのかもしれなかった。

「時上鈴、ですね」

「ああ、確かにそうだけど」

「何故、あんなに怯えているのか、ですか」

 目の前の人形に身構えながらも怯えたような素振りを見せる時上、それを見ながら杜ノ宮は言った。

「ああ、そうだよ。一体なんで」

 時上鈴は、あんなの一捻りに出来るくらいの武器を持ってたじゃないか。高村は狼狽える。

「私の刀で斬った時の呪詛が残ってるからです」

 言われて、高村は合点がいった。戦う力が無いから怯えているのか。

 少女の悲鳴が聞こえた。見ると、時上の肩辺りから血が滲んでいるようであった。

 その時、尻餅をついていた時上が高村達の方を振り向いた。高村と目が合う。その顔は、目は、確かに助けを求めていた。

 しかし、時上はそれを高村と認識したためか、乾いた、諦観ていかんのような笑みを浮かべて俯いた。

「別に、笑ってなんかいねえよ」

「高村さん?」

 人形から繰り出される凶器に時上は気付き、済んでの所で躱す。人形は相変わらず緩慢な動きだ。意思の感じられないそれは、しかし今獲物を狩る時を楽しんでいるかのようにゆっくりと、次なる行動へと動作を移していく。

「人形は後で倒します。これなら私でもなんとかなると思いますし」

 後で? 高村はその言葉に引っかかった。それはつまり、そういう事なのか。

「高村さん? どうしました?」

 杜ノ宮が怪訝な顔をして高村の方を見てきた。

 そうだ。当然の結果じゃないか。

 彼女は理由はどうあれ、他人の命を踏みにじってきたんだ。そうやって狩りを続けていれば、いつか自分も狩られる対象になる事くらい分かってた筈だ。

 彼女を助ける義理などない。

 それどころか、自分には時上鈴に復讐する権利がある。

 足を奪われた、生活を、人生を引っ掻き回されたのだ。

 そうさ。このまま無様に絶えて朽ちていくのがいい。闇の住人には相応しい末路だ。だから、せいぜい惨めったらしく絶命しろ。

「……やってくれ」

「高村さん?」

 高村の頭を過る。時上鈴。

 愛情なんかこれっぽっちも受け取って来なかった女の子。残忍で、決して善人なんかじゃないが、かといって根っからの悪党でもない、優しさも持ち併せている人間。

 時上が見せた、人並みの笑顔が高村を苛む。

 いいや、知った事か。俺の人生はあの女のせいできしんでしまったんだ。

 だから、やるべき事は決まっている。

「杜ノ宮、さん」

「さっきからどうしたのですか」

「……けてやってくれ」

「え?」

「頼む、あの子を助けてやってくれ」

 なんて馬鹿な事を。高村は自分の愚かさに笑いがこみ上げてきそうであった。

「ですけど、あの人は貴方を」

「後生だから! 頼む助けてやってくれ!」

 高村は叫んだ。いいとも、あざけってくれてもいい。こんな奴は世渡りも碌に出来ない、うだつの上がらない人生を送る羽目になるんだろう。

 ああ、構わないさ。いくらでも馬鹿にしてくれ。

 だけど、あの子を、時上鈴を助けてほしい!

「分かりました。でも、これは借りにしますね」

 そう言って杜ノ宮は少しだけ微小すると、横方向へと一気に跳躍した。

 時上の首筋へと迫っていた人形の腕が落ち、赤い液体が噴き出す。人形は少しだけよろめいたが、いささかの動揺も見せず瞬時に闖入ちんにゅうした新たな曲者へとその標的を変えた。

「時上鈴!」

 高村が大きく声を上げると、びくりとした時上は高村の方へと顔を向けた。その顔には相変わらず怯えが貼り付いていた。

 高村は自分の元へ来るようにと手招きする。しかし、時上はそれに応じない。

 警戒しているのか? ならば、こちらから行かねば。

 その時、高村は時上の視線が自分のすぐ上の方に向けられている事に気付いた。

「アトラス」

 時上は唇を震わせながら、確かにそう呟いた。

 高村の全身に悪寒が走る。

 直感だった。高村は後ろからの脅威から逃れるように前へと飛び込んだ。ひょっとしたら、それは無意味な行動だったのかもしれない。体が地面から離れた時、高村はそんな事を考えた。

 しかし、結果的に自分の直感は正しかったのだという事を高村は思い知らされた。先程まで自分が立っていた地面は深く抉れ、まるで重機で掘り起こされたかのような様相を呈していたからだ。

 。たまたま視界に入ったからなのか、それとも最初から標的としていたのか、どちらとも分からない。しかし確実に言えるのは、このアトラスという人間と獣達をくしゃくしゃに混ぜ合わせた成れの果ては、既に時上鈴の支配下にはないという事だった。

 アトラスはその戦慄する素顔を晒したまま再び手に持っていた鉈を振り上げる。

 くそっ、高村は咄嗟に懐に忍ばせていた、久我山から渡されたナイフを投げ付けた。

 重い獣のような悲鳴と人間的な悲鳴が同時に上がった。一呼吸の間の後、巨人は持っていた鉈を振り回した。辺りの石質の地面が、まるで砂地を掘り上げるようにいとも簡単に抉れていく。

「高村さん!」

「来るな!」

 杜ノ宮が高村の元に行こうとするが、高村はそれを制止する。

「こいつをここから引き離す。大丈夫だ、俺を信じてくれ」

 そう言うと、高村は脇目も振らずに通りを駆け出した。アトラスは目の前の獲物しか見えていないのか、とろとろと血を流しながら高村を追い始めた。

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