五章 自動人形③

 高村は前日、四方坂邸には戻っていなかった。彼がいたのは全道のアジトで、理由は無論、中村達の事であった。

 杜ノ宮もそれに付き添うという事で四方坂邸へは戻っていなかったため、一日ぶりにその屋敷へと足を踏み入れる事になった。

「なんか、一日会ってないだけでだいぶ緊張するな」

 屋敷の門の前まで来て高村は言った。

「なんでですか?」

「なんかズル休みしてる気分になるんだ」

「ズル休み、背徳感ってやつでしょうか?」

「まあそんなとこ。おかしいな、円さんに迷惑はかけてると思うけど、後ろめたい事した記憶がないや」

「じゃあ大丈夫ですよ。行きましょう」

 そう言って杜ノ宮は躊躇う事無く門を開いた。躊躇しても仕方ないと、高村も大人しくそれに従って門の内側に入った。

「円さん」

 門をくぐるなり、四方坂が玄関から少し小走りに近付いてきた。

「お帰りなさい。幸太郎君、一ちゃん」

 四方坂は二人をじろじろと見つつ、落ち着きのない声音で言った。額には汗がにじんでいる。

「ごめんなさい。二人が見えたものだから居ても立ってもいられなくて、つい」

「いえ、こっちこそ申し訳ないです。勝手に一日空けちゃって」

「ううん、別に毎日ここにいなきゃいけないなんて事はないから、そんなの構わないわ。それより幸太郎君、学校の事を全道君から聞いたわ。大丈夫?」

「はい。特に問題はないです。そんなに本人達と親しかったわけではないですし」

 高村は顔を逸しながら言った。全く大丈夫、というわけではないが、別に四方坂に詳細を話したところで彼女を心配させるだけである。ならば、無闇に話す必要もないだろう。

「そう。兎に角、上がりなさい」

 四方坂は二人を館の中へ招き入れた。

「ごめんなさい。居間の方が散らかっちゃっててね。少しだけ二階に上がっててもらえないかしら。何か暖かくなるものを持っていくわ」

 ばつが悪そうに四方坂は言うと、居間の方からキッチンの方へとそそくさと歩いていった。

 高村は居間の方を見る。テーブルには相変わらずノートパソコンがあり、その周辺にはプリント類やドライバーらしきものがある。床に視線を転じると、シックな工具入れのようなものが置かれている他に、やはり見慣れぬ工具類のいくつかが散乱しており、白い、細長い棒状のものなどが散らばっていた。ふと、四方坂は一人の時は結構ズボラなのかもしれないな、などと高村は思ったが、それはお世話になっている人に失礼だと思い、頭の中から振り払った。

「ちょっと急に片付けなければならない仕事があってね。バタバタしていたの。もう少しで片付くから」

 居間の惨状の言い訳なのか、補足するようにキッチンの方から声が聞こえてきた。

「なんか邪魔しちゃ悪そうだな。行こっか」

「はい、そうですね」

 高村は杜ノ宮と共に二階に上がっていった。


       ○


「ちょっと肌寒いですかね」

 四方坂からココアをもらった後、バルコニーに出た杜ノ宮は外の方を見やりながらぽつりとそんな事を言った。

「俺は別に平気だけど、やっぱり中で待つ?」

「いいえ。大した事ではないです。私はここから見える夜景が好きですから」

「奇遇だな。実は俺も気に入ってたんだ」

「だからさっきバルコニーって言ったんですね」

「まあ、そういう事。勝手に決めて悪い」

「いえ、別にいいですよそんな事」

 高村は手すりに寄りかかりながら、側の道路を見やる。そこには、町中心部の方から走ってくる車が一台あった。

 まるで生き物だと高村はふと、その車を見て思った。実際のところ、輪郭も闇の中に沈んでいて形ははっきりしないが、その中に浮き出るように煌々として不気味に光る目は、明確な意思のこもった生き物のそれに感じられたからだ。

 やがて車は高村の視界から外れたが、あえて高村はその車の行き先を追おうとはしなかった。

「杜ノ宮さんはさ、幻滅したかな」

「どうしたんですか、突然?」

 唐突に切り出した高村に杜ノ宮は聞き返す。

「高校の事。あんなもの見てしまったから」

「そういう事ですか。いえ、そんな事はないです」

「そうなのか?」

「こんな事を言うと中村さん達に申し訳ないのですが、少し安心した気持ちもあります。ああ、皆も悩みを抱えてるんだなって。私は、勝手に自分の理想を押し付けて勝手に美化して、本当の彼らがどんな気持ちで日々を送っているかも考えずに勝手に羨んで……いえ、すみません。良くないですね、これじゃ人の不幸を喜んでるみたい」

 段々と声が小さくなっていき、俯く杜ノ宮。

「いっそ、幻滅した方が……」

 はっとして顔を上げる杜ノ宮。慌てたように手をバタバタさせる。

「兎に角、私は大丈夫です。それより高村さんの方が心配です」

「いや、俺の方こそ大丈夫だよ。これでも一応運動はしてたんだ。落ち込んだ時の心の扱い方の心得は少しはあるつもりだよ」

「それならいいのですが」

 それから少しの時間、二人はお互い言葉を交わさずに街の方を見ていた。

 気が付けば、空は黒と青の絵の具を混ぜ合わせたような色に塗りつぶされていた。しかし一方で、西側の片隅はまだ微かにだが、夕焼けの赤橙が夜の世界の侵食に抵抗しているように深い青としのぎを削り、その曖昧な境目に見事なグラデーションを作っていた。地上の方に目を向ければ、夜から自分達の世界を守るかのように威嚇しているような光が爛々らんらんと輝いていた。文明の世界を形作っている光にはしかし各々個性があり、筋になっているもの、ぽつぽつと弱々しくあるいは力強く輝いているもの、青や白、赤あるいはオレンジと多様かつ極彩色ごくさいしきに集団の中で自分の個性を主張している。

 自分にとっては一大事な時期でも世は事も無く進んでおり、そして、仮に自分が命を落としてもこの光は変わらず夜の街を照らし続けるのだろう。人間の作り出した世界は人間を守ってはくれるが、人間に対して何処までも無機質で無感情な存在でしかない。

「高村さん」

「どうした?」

「貴方は私が守ります。もし敵を、倒さなければならなくなった時は私がやりますから」

 街の方を只々見つめながら、杜ノ宮は言った。少しの間の後、言葉の意味を理解した高村は首を振る。

「そんな気負わなくてもいいって。出来るのなら、そういうのは俺がやるよ。せめてそれ位は俺がやらなきゃ」

「いいえ、駄目です。高村さんはそんな事をしてはいけません」

「……なんで? 俺は別に、敵いもしない相手に立ち向かってなんて言ってるわけじゃない、そうじゃなくて」

「それでもです。たとえ二人のどちらかが止めをさせる状況になったって高村さんは手を下すべきではないんです。貴方はまだ、引き返せる。だって、高村さんは私みたいな殺人者じゃありませんから」

「え」

「私のやってる仕事は知っていますよね?」

「あ、ああ」

 狩人、ハンター。はぐれ魔術師やそれらに準じる者を捕縛ないし狩って生計を立てる者達。それの意味するところを、高村も理解しているつもりであった。

 杜ノ宮は、その事を改めて高村に再認識させるかのようにこう言った。

「高村さん。私は、人を殺した事のある人間なんです」

 ああ、そうだろうとも。だが。

「でも、それは」

「相手は確かに死刑になっても可笑しくはない非道い人達でした。ですが、それでも人間である事には変わりありません。よく覚えていますよ、初めて彼らの一人を殺した時の感触を。私は確かに人間を殺したわけで、この事実はどうあっても変えられません」

「そうだとしても」

「私と違って、高村さんはまだ誰も手にかけてはいません。殺人者ではないんです。そんな貴方に、人を殺めるような事をさせたくありません。私の事を気遣ってくれるのはとても嬉しいです。本当に。ですが、私なら今更一人増えようが二人増えようが、さほど違いはありません。もうとっくに私は、人殺しなんですか――」

「止めてくれ!」

 高村は思わず叫んだ。

「た、高村、さん?」

「そんな風に自分を言わないでくれ。自分を貶めるような事を言わないでくれ。頼むから」

「な、なんで」

「俺は杜ノ宮さんの事を尊敬してる。だって怖いだろ。いくら力があるからって、あんな化物みたいな連中にもひるまずに立ち向かえるなんて、普通出来ない。だけどそれを、君はまるで当たり前の如くやってる。そんなの、同じ立場だったとしても俺には出来ない。それだけじゃない。君は本当に人として強くて、ええと、だから兎に角、もっと自分の事を大事にしてくれ」

 風が吹いてきた。杜ノ宮の髪が風に揺られて動く。

 杜ノ宮は目を細めて言った。

「ありがとうございます。でも、これは私が決めた事なんです。高村さんにそんな事をしてほしくないって、純粋にそう思ったから」

「杜ノ宮さん」

「そろそろ室内に戻りましょうか。これからまた調査をしないといけませんし」

 そう言って杜ノ宮は屋内の方へと歩き出した。


       ○


 先程まで雑多に散らかっていた居間は綺麗に片付けられており、むしろ以前より綺麗なのではないかと高村は思った程だった。

「お待たせしてごめんね。決して、人が居ない時はずぼらとか、そういうわけじゃないのよ」

 弁明する四方坂。それが余計図星のように高村には聞こえたが、「たまにはそういう事もありますよね」などと角が立たないように返した。

「少し寄り道してしまったけど、中恩寺の捜索を再開しよう」

 杜ノ宮と高村はテーブルにいくつか広げた紙面を見ながら言った。

「了解です。実は、日中も調査をしていたのですが」

「ひょっとして、場所のあたりは付いているのか?」

 高村が尋ねると、杜ノ宮はこくりと頷いた。

「はい。以前高村さんが考察した通りです。廃墟に絞り込んで調査しましたが、ここより数キロメートル離れた所にある廃墟に、それらしき痕跡が見つかりました」

「廃墟?」

「はい。数年前に廃業したホテルのようです」

 そう言って、杜の宮はテーブルに広げられた地図の一点を指し示した。そこは、市内を北西に進んだ所にある高台の土地だった。市道沿いに建てられているその建物の付近に鉄道は無く、車で行くのを想定しているような場所であった。

「こんな郊外にもホテルなんてあるのか」

 駅で簡単に行けるわけでもないのに、何故こんな所に建てたのであろうか。高村がそんな事を考えながらなんの気なしに言うと、杜ノ宮は仄かに顔を赤くして俯く。

「ああ、ホテルっていうのは、その、そういうのです」

「そういうの?」

 高村が首を傾げて尋ねる。しかし、俯いたまま手を頻りに動かし答えに応じない杜ノ宮。高村は一瞬怪訝に思ったが、その意味を理解すると彼も同じく赤面してしまった。

「いや、ごめん」

「いえ、大丈夫です。あの、あまり意識しないように行きましょう。その、命に関わる事になるかもしれませんし」

「そうだな」

 杜ノ宮が探し当てた廃墟まで、高村は自宅から持ってきてしばらく放置していた自転車で行く事にした。杜ノ宮に後ろに乗るように促したが、彼女は頬を火照らせながら自分で走った方が速く着くからと頑として譲らず、結局高村は自転車で、杜ノ宮は走りで目的地に向かうという方向に落ち着いた。

「行こう」

 束の間の休息を談笑などで過ごしながら、予定の時間である十二時になったので高村は杜ノ宮に言った。杜ノ宮は「はい」と静かに頷き、立ち上がる。

「幸太郎君、一ちゃん」

 玄関で名前を呼ばれて高村は振り返った。四方坂が心配そうな面持ちで立っている。

「あまり無理をしないようにね」

「ありがとうございます。じゃあ、行ってきます」

 高村が微笑浮かべて言うと、それに安心したのか、四方坂も緊張の面持ちを緩め、笑みを浮かべた。

「ええ。行ってらっしゃいな」

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