五章 自動人形②

 その後、特に変わった事が起こる事もなくやがて放課後になった。生徒四人に担任一人が突然休んだというのにやけに静かなもんだと高村は思ったが、只、そう思うのは自分が事情を知っているだけだからなのかもしれないと思い至った。

 高村は早めに帰り支度を済ませ、怪訝な顔をする高崎に手早く帰りの挨拶をしてからさっさと教室を出た。そしてそのまま早歩きで校門を出ると、最寄りのバス停からバスに乗った。行き先はいつもとは違う場所だ。自宅でも、四方坂邸でもない。

 バスに揺られて数十分。「初葉台はつばだい」と書かれたバス停で高村はバスを降り、そこから再び歩き出した。

 脇道へ逸れ、坂道を登り、見えてきたのはシックな白い建物である。木々に囲まれたその建物は、撤退したレストランの跡地を利用した全道の隠れ家だった。

「全道さん」

 高村は外のウッドチェアに座っていた全道に声を掛けると、全道は気怠げそうに振り向いた。

「早速だな。昨日の夜もそうだが、そんなに気になるか」

「当たり前です。大丈夫だと言っても、心配なものは心配ですから」

「そうか。それで、気になるのは一人の方か」

「どっちもです」

 高村が言うと、全道は苦笑した。

「お人好しだな。事情は知らんが、三人の方はあんな呪詛を込められる位、相応の業ってやつがあったんだろ」

「もう、罰は受けている」

「罰ねえ。果たしてその罰で本当に犯した業を清算出来たのかね」

 全道のその言葉に高村は何も答えなかった。

「ま、構わんさ。それ以上は俺の関わる事じゃない。一応二階の離れた二つの部屋に寝かせた状態にしてあるが、それで良かったか」

「ああ、助かる」

 余計な言葉が多い男だと思いつつも、色々と気を回してくれる全道に高村は感謝した。中村達の欠席に関する各種の連絡や調整も全て全道がしてくれたのだ。見返りがあるからと全道は言ったが、それでも高村は感謝せざるを得なかった。

「患者の前で騒ぐなよ」

 建物の中に入ろうとした高村に冗談のつもりなのか、全道は言った。


       ○


 中村も、西野も戸渡も波多野も全員眠っていた。規則正しい寝息が聞こえてきたのだから、やはり心配する必要などないのだろう。

 高村は様子を見には来たものの、彼女達が眠っている事に心の底では安堵していた。容態は気になったが、実際、どんな顔をして会えばいいのか分からなかったからだ。

 結局、自分が行ったところでなんにもならないのにな。高村は自嘲する。実際のところ、自分が安心したいから行ったのだ。

 高村が二階から一階のホールに戻ると、白髪の男が窓際の席に座っているのが視界に入った。

 男の方も気付いたのか、高村の方へと視線を注ぐ。

「どうも」

 高村は軽く会釈をする。

「おお、どうも。俺は久我山真之という。坊や、名前は?」

「高村、幸太郎です」

「良い名前だ。それに何処かの彫刻家、だったかな、そいつと同じ名だ」

「生憎ですけど、俺に美術の才能は無いですよ」

 高村が言うと、何が可笑しいのか久我山は、はは、と笑う。

「しかし成程。君がそうか」

「俺を知ってるんですか?」

「まあな。君の知り合いの女の子からぼちぼち」

「北野万智、ですか?」

 その問いかけに、白髪の男、久我山は答えるでもなく言った。

「坊や。賢者の石なんて欲しがってどうする?」

「それは、貴方には関係ない事です」

「は、それもそうだな」

「貴方も賢者の石に関わってるんでしょう。はぐれ魔術師じゃないようですが、何故ですか?」

「病巣だから、かね」

「病巣?」

 高村は首を傾げる。

「ああ、病巣だ。なんせ、賢者の石が原因ではぐれ魔術師共が相争ってるからな。勝手に潰し合ってくれるだけなら勝手にしろと思うが、奴らは関係ない人間まで巻き込みやがった。これ以上被害を広げないためにも、大元の原因である賢者の石の所持者を叩きのめしてこの抗争を終わらせるんだ。へ、全くよ、映画化出来そうな出来事だな。ウケねえだろうけど」

 久我山は吐き捨てるように言った。

「なあ坊や。何も君が苦労する必要なんかないんだ。賢者の石で叶えたい事があるんってんなら俺が取ってきてやるよ」

「どういう事、ですか?」

「そのままの意味だ。君の事は殆ど他人も同然だが、若い誠実そうな人間にむざむざ死なれるのも俺の寝覚めが悪い。だから、この全道のアジトでじっとしてくれたりは……はあ、しねえよな」

 久我山は高村の目を見て、諦めたように溜息をついた。

「賢者は生きているって千葉から聞きました。多分、そいつが元凶でしょう」

「さてな。確定した事は言えない」

「俺はこれを仕組んだ奴に借りがある。絶対に降りるつもりはない。元凶であるそいつに、今までの清算をしてもらう」

「やれやれ」

 髪をくしゃくしゃと掻く久我山。やがて、テーブルの脇に置いていたバッグから、鞘の付いた小さな短剣を取り出すと、それを高村の方に投げた。

「ちょっと、おい」

 唐突の事に高村は一瞬体を硬直させながらも、なんとかそれを受け止める。鞘から短剣を取り出すと、ほのかに青みを帯びた刀身が姿を表した。

「貸してやる。毒入りの短剣だ。普通の人間には只の凶器だが、魔術師にとっては大きな脅威だ。死にはしないが、斬られて数分で歩くのが困難な位にまで追い込める。ま、効果の切れも数分と速いがな」

「なんで俺に」

「ないよりあった方が生存率が高くなるだろ。おじさんからのちょっとした親切だ。素直に受け取れ」

「ありがとう、ございます」

 高村は頭を下げ、短剣をショルダーバッグの中に仕舞い込んだ。

「帰るのか?」

 玄関へと向かう高村に久我山は語りかける。

「はい。友人の見舞いも済みましたし」

「そうか」

 玄関を出た高村はテラスの方を見やる。全道はノートパソコンを使ってキーボードを打ち込んでいた。

「全道さ――」

 声を掛けようとした時、視界の端に大きな物を捉えた。

「な――」

 それが久我山だと気付いた時には、既に手遅れだと高村は悟らざるおえなかった。


 気が付くと、高村の前には杜ノ宮が立ちはだかっており、久我山の右手首を掴んでいた。

「なんのつもりですか?」

「ちっ」

 久我山は顔を歪めていた。やがて、彼は諦めたように左手を上げた。

「降参だ降参」

 久我山は訴えるが、杜ノ宮の手首を掴む力は一向に緩まなかった。

「ああもう、そんなに警戒するなら手錠でも縄でもすればいいだろ。ほれ」

 そう言って久我山は左手の方を差し出す。

「杜ノ宮さん。勘弁してやってくれ」

「ですけど」

「いいんだ」

「分かり、ました」

 杜ノ宮はこくりと頷き、久我山を突き飛ばした。

「おっとっと。ふう、参ったねこりゃ。娘さんの握力じゃねえぞこれは」

「もう一回聞きます。なんのつもりですか?」

「別に。暫くここで思春期真っ盛りの女子生徒と仲良くおねんねしてもらおうかなと思っただけだ」

「なんでさ。さっきあんたは俺に短剣くれたのに、行動があべこべだぞ」

「ああやったね。ちなみに毒ってのも嘘ついてねえぞ。本物だ」

「じゃあなんで」

「簡単な事だよ坊や。そうして俺に対する警戒心を緩めさせようって魂胆だったのさ。警戒されてりゃ、気絶させるのも簡単じゃないからな。な、迫真の演技だったろ?」

「結局あんたも賢者の石が欲しいのかよ」

「面倒だからそういう事にしといてくれ、って言いたいが、そっちの娘さんが怖いからな。なあ坊や、若い奴がむざむざ死んでしまうってのは寝覚めが悪いんだよ」

「だから俺を気絶させて、その内にこの件を片付けてしまおうって考えたのか」

「あんま自分から言いたくないんだけどな。そういう事だ。何も、こんな事に命を懸けんでもいいだろ。坊やの事情は聞いている、が、ここで君が命を懸ける必要はないと俺は思うがね」

「心配してくれるのは嬉しい。でも、決めた事なんだ。それでも止めるってんなら、あんたの方こそここで眠っててもらう」

「言ってくれるな」

 久我山は杜ノ宮を一瞥し、溜息をついて髪の毛を掻く。

「ま、本当にこっちがおねんねされたらたまらんわな。じゃあな。生きてたらまた会おう」

 そう言って久我山は出口の方へと歩いていった。

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