五章 自動人形

五章 自動人形①

 中村との一件があった翌日、高村はいつものように学校に通っていた。本当のところは彼はそんな気分では無かったが、四方坂や杜ノ宮にまで促されてしまったからだ。

 それは高村を思っての事だとは彼も分かっていた。今休んでしまえば、彼が中村と他の三人との関係性を疑われてしまい、今後の学生生活への影響が出てしまうからだ。それはゆくゆくは彼の将来、人生への足枷あしかせとなってしまう。故に、二人はそれを危惧して彼を学校に通わせようとしてくれているのだろう。

 それは高村も分かってはいた。しかし、そうだとしても彼は平然と登校して授業を受ける事にどうしてもやるせない気持ちを抱えざる負えなかった。

 朝のホームルーム前の教室、今は何の変哲も無い教室。いつものようにクラスメイトが座り、各々仲良しとの談笑に耽ったり、一匹狼を気取って本を呼んだりする。傍から見ると、その空間には何事も無かったかのようであった。

 無論、何事も無かったわけなどない。

 そこに何の痕跡もないのは、高村が必死の思いで痕跡を消したからであった。机も杜ノ宮に手伝ってもらいながらだったが、あたかも何事も無かったかのように元に戻した。これ以上、中村を苦しめるような事はあってはならない。向こう数年間、彼女に全く嫌な事が無くても十分だろう。それくらい、彼女は傷付いたのだから。

 それでも、消せないものはある。もうそろそろ、クラスメイト達は四人の不在を不審がる頃だろう。多分、勘付く者は勘付くだろう。中村と三人との間に何かがあったのだと。

 虐めへの報復。これが今考えられる限りでの最善の方法だと千葉は言った。

 これが? 禍根は残る。事情を知っている者が他愛も無い話のついでに有る事無い事吹聴ふいちょうするかもしれない。そうなればどうする? 中村は本当にこのまま平穏に卒業の日まで迎える事が出来るのか?

「高村」

 ふいに、高村は脇腹を突かれる。前の席の高崎であった。

「やめろって」

 高村はなんでもないように振る舞ったつもりだったが、イライラしているように見えたのか、高崎は一瞬たじろいた。

「す、すまん」

 高村はばつが悪そうに謝ると、高崎も申し訳なさそうに言った。

「いや、こっちこそ済まん」

 高崎と目が合った。一瞬硬直した高村は、しかし静かに言った。

「なあ、高崎」

「ん、なんだ?」

「いや、なんでもない」

 首を傾げる高崎。しかし、彼はそれ以上は何も言わなかった。

 やがてホームルームの時間が訪れる。高村は心臓の鼓動が高なっていくのを感じた。

 昨日の事を無かったかのように演出してみせなければならない。千葉の方も、高村に何かするつもりも毛頭ないであろうし、いつも通りに接してくる筈だ。

 ホームルームを知らせるチャイムが鳴る。高村はじっと教室のドアを見つめる。とくんとくん、と自らの心理状態を知らせるやかましい効果音が己の内から絶え間無く鳴り響く。

 長い、来るならさっさと来てくれ。高村は目眩がするような気分の中、速くこの状態から開放される事を願った。

 だが、いつまで経っても千葉は来なかった。

 ホームルームの時間になって五分程経過した辺りで教室がざわつき始めた。千葉はこれまでホームルームに遅刻した事などなかったからだ。

 クラスメイトの一人が職員室に行こうかと席を立とうとしたところで教室の扉がガラガラと開いた。

 しかし、入ってきたのは副担任の立花であった。六十も間近の女老教諭はしかし、堂々と自信に満ちた歩き方で教壇に立ってこう言った。

「突然な事で驚かれるかもしれませんが、一身上の都合により千葉先生は本日よりしばらくお休みする事となりました」


       ○


 昼休みになり高村は四階の渡り廊下を通り、普通教室の集まっている本館から理科室等の集まっている別館へと渡った。

 昼休みにわざわざ別館に渡る者は少ない。せいぜいが図書室に行く者がまばらにいる位で、後は殆ど人の出入りというものは無かった。高村が渡り廊下を通り抜けると昼の喧騒は殆ど無くなり、しんとした静寂に満たされた空間がそこには広がっていた。

 高村は迷わず突き当りにある視聴覚教室へと赴き、ドアに手をかけた。

 一応鍵は職員室から借りていたが、やはり、鍵はかかっていなかった。それは先客が既に何かしらの方法で開けていたからであろうと高村は考えた。

「来てくれたんだな」

「こんな所に呼び出して、私とは話はしないんじゃなかったっけ?」

 視聴覚教室のドアを閉めるなり、少女、北野万智は高村にそう言って微笑を浮かべた。

「そうだな。確かにそう言った。簡単に言葉を捻じ曲げるやつだと軽蔑してくれても構わない」

「まさか。そんな事で軽蔑なんてしないわよ」

 北野は高村を見据える。

「千葉先生の事ね」

「ああ。知ってると思うけど、一身上の都合で休みだってさ。何か心当たりはないか?」

「千葉先生の事が心配なのね」

 高村は眉根を釣り上げ、そして視線を落とした。

「別に、そんなんじゃない」

「そう、成程ね」

「何か知ってたら教えてくれ」

「……何か、という程でもないけど、知り合いが昨日の夜彼に会ってるわ」

「え」

 高村は顔を上げて北野を見た。北野は、教室の机にもたれかかりながら目を閉じていた。

「至って元気だったみたいよ。その時まではね」

「やっぱり、何かあったんだな」

「確証は無いけどね。さっき言った知り合いが、千葉先生と会った後に人間の雄叫びとも獣の雄叫びともつかぬものを聞いているわ。千葉先生と話していた場所に駆けつけたら、彼の立っていた辺りは血溜まり。でも死体は無かったみたい」

 高村は目を見張ったまま、硬直する。千葉に対するいきどおりの気持ちは消えない。

 だが、だからといって彼に酷い目に遭ってほしいわけでもなかった。決して、そういう憤りではない。

「中村さん達の事は、お気の毒としか言えないわ」

 唐突に中村の名が北野の口から出てきて、高村は顔を強張らせる。

「なん、で」

「昨日は学校にいなかったのだけど、使い魔を放ってたの。ブラックボックス化されていて貴方達の教室を見る事は出来なかったけど、そこで何かあった事だけは理解出来た。そして今日、中村さん他三名が欠席」

 淡々と語る北野。高村の額から汗が流れ落ちていく。

「駄目押しとばかりに嫌な噂も入ってきたわ。中村さんは――いえ、ごめんなさい。余計な事を言い過ぎたわ」

 高村の今にも血の気が抜けそうな表情を一瞥いちべつし、北野は言った。

「私が千葉先生の事について知っているのは以上よ。何か他に聞きたい事はあるかしら」

「いや、ありがとう。悪いな、余計な時間取らせちまって」

「別に構わないわ」

「それじゃあ」

「ねえ、高村君」

 踵を返して視聴覚教室を出ようとする高村を北野は呼び止めた。

「賢者の石は、まだ諦めていないのね」

 北野の言葉に、しかし高村は背を向けたまま答えない。

「危険を晒してまで求めるのは、陸上を辞めた事と関係があるのかしら」

「それを知ってどうする?」

「何を求めているのかは知らないけど、淡い期待を抱いているのなら止めておいた方がいいわ。そもそも、賢者の石が本当にあるかも分からないのに」

「本当にあるかも分からない、ね。でも、お前も賢者の石に興味があるんだろ」

「興味がある? いいえ、私はそんな眉唾物まゆつばものなんかに興味は無いわ。私がこの不毛な争奪戦に関わろうとしたのはね、裏で操っているであろう元凶をさっさと潰してこの争いを終わらせるためよ。人のテリトリーで勝手な事を始めた落とし前をつけさせてもらうの」

「面子ってやつか」

「ええ。馬鹿みたいかと思うかもしれないけど、意外と切実な事なのよ」

 はっきりとした声で北野は言った。

「高村君」

「なんだ?」

「多分、私達が賢者の石に辿り着く迄にそんなに時間はかからない。変に関わって泥沼に陥るより、思い切ってきっぱり諦める事も肝要だと私は思う」

 一瞬の間があった。その後、「そうか」と、それだけ言い残し、高村は部屋を後にした。

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