四章 交差⑦
堅く門を閉ざした校門を越えて、高村は校舎へと歩き出す。
高村は誰かに理不尽な暴力を受けた事も、陰湿な嫌がらせを受けた事もない。だから、そういう人間の気持ちが如何程のものかは分からない。だが、それは首を突っ込んではならないという口実にはならない筈だ。
本当は、他人の身の事なんて構っている暇なんかないのにな。高村は校舎の階段を歩きながら苦笑する。今はむしろ、自分の事を最優先に考えるべきなのだ。なのに何故、自分はこんな事に身を投じているのだろう。自分の心の内を探ってみたが、やはり分からなかった。突き詰めれば理由はあるのだろう。だが、それを上手く言語化出来ない。ただ、凄くもやもやした気持ちがあるのだ。
やがて、高村は教室の前に辿り着いた。物音らしい物音はしない。さっきの発光が無ければ、今も中は無人だと言われても容易に信じたであろう。
だが。
高村はゆっくりと、教室の後方のドアを開いた。そこは窓の締め切られた室内なので風も吹かず、ドアを閉める音以外の音が無かった。前方にはどけられた机と椅子の固まり。後方には室内を張り巡る蔦のような赤い光の筋。
そしてその中心部と思しき魔法陣の上に倒れた、制服を来た数人の女子生徒達と、その傍で立っている女子生徒。
「ああ、高村」
魔法陣の傍で立っていた女の子は振り返った。
それは、高村の予想通り中村であった。
「中村」
「高村。良くドラマや漫画でさ、もう飽きたよってくらい言われる事あるよね。ほらあの陳腐な言葉、復讐は虚しいだけで何も生まないってやつ。やっぱ思うけど、あれは嘘だよね。だって、私今達成感を味わってるもの。これってさ、スポーツとかで優勝した時の感覚と同じじゃないの。多幸感ってやつ? 私今凄い幸せなんだ、だって今まで私を
「中村、もういい」
「高村はここに来たって事は気付いたのかな。ほんと感心するよね。腐っても進学校って感じ、虐めの方法もそりゃあもう洗練されてるんだもの。あからさまにやったら自分達が粛清を受けちゃうから、気付かれないように、気付かれても誤魔化せるように上手くやってさ。まあ人生に傷が付いたら不味いものね」
徐々に中村の声が震えを帯びていく。
「ごめんね、授業中のペンの音とか、耳障りだったでしょ。ほんと、頭おかしいよ。薄ら暗い事している癖に、さもそんな事ありませんでした、みたいな澄ました顔で卒業して、自分達はこれまで通り真っ当な人生を歩んでいくんだ……他人の人生を踏み
「もういい、やめてくれ」
「高村、ありがとね。こんな切り捨てられる屑みたいな私を気にかけてくれて。うん、あんたは私のヒーローだ。千葉先生と同じヒーロー」
苦悶の表情を見せる高村に中村は微笑む。その表情には強がりも何もないと高村は感じ取った。少なくとも、今この時であれば彼女は報われているのだろう。
高村は黙って歩き出した。その歩く先の向かう所は中村ではなく、床で倒れている生徒達。顔が見えない者もいるが、髪型や背丈でそれが誰であるかは分かった。西野、
「待って」
高村が歩く先を把握した中村は突如そう言って高村の足を止めた。
「どいてくれ」
「駄目だよ。あんたが汚れちゃう」
「どうでもいい。安否を確かめないと」
「高村がそんな事する必要ないよ。この人達、あんたの悪口も言ってたの。走れなくなってからあんたが暗くなった、だとか、部活の皆に迷惑かけといてなんでもない顔して何様、とか。人の事情も知らないでそんな陰口叩く奴ら、あんたが助ける義理なんてない。お願い、助けないで」
「ごめん。だとしても俺は、人が傷付くのは嫌だ」
高村は中村の制止する腕を振り払おうとした。しかし、彼は反対に後ろへと突き飛ばされた。体勢をなんとか整え、目の前へと視線を転じる。
「お願いだから、私のヒーローのままでいてよ」
高村は足を止める。
「中村。ヒーローはな、皆を助けなきゃいけないんだ。頼む、もう気が済んだんだろ? じゃあ、協力してくれないかな」
高村は再び中村の横を通り過ぎようとした、その時、確かに高村は彼女の囁き声を聞いた。
高村は最後まで私のヒーローだと思ってたのに。
悪寒。高村はそれがなんなのかを理解するより前に既に横へと大きく飛び退いていた。それが功を奏し、高村はそれの餌食になるのを避ける事が出来た。
中村の手には、石のナイフのようなものが握られていた。
「これね。相手に刺すとその人に毒が回るの。絶対に死ぬ事は無いんだけど、とっても苦しいんだって」
「千葉か」
高村の言葉に中村は頷く。
「千葉先生は凄いよね。剣道も強いし、頭も良いし、人間も出来てる。それだけでも凄い事なのに、あの人、魔法使いだったんだよ」
「そうらしいな」
「あの人に相談して正解だったよ。千葉先生は親身になって私を助けてくれたし、こうして、私に仕返しするための力を与えてくれた」
その結果がこれかよ、口から出かかった言葉を高村は呑み込んだ。手が震える。明確に怒りをぶつけるべき相手が近くにいる。だが、今は。
「高村。お互い人生、無茶苦茶だね」
「どういう事だ」
「私先生から聞いたんだ。高村さ、あんたの片足、義足なんでしょ」
高村は無言で答える。気付いていたのか、千葉は。
「辛いよね。折角国体、だっけ、大会に出れるらしかったのに、変な連中に絡まれちゃったせいでもう出場出来なくなっちゃったんだ」
「そうだな。だがそれがどうした」
「え?」
「俺には過ぎた事を振り返ってる余裕は無いんだ。中村、何もしなくていい。只、通してくれるだけでいいんだ」
高村が中村の傍を通り過ぎようとした時だった。
……てよ。
止めてよ。
お願い。
お願いだから!
押し殺したような悲痛な声が聞こえた。いや、実際に彼女が声に出しているのか分からない。俯く彼女の薄桃色の唇は声を出すために動いているようであったし、動いていないようでもあった。只、表面には現れずとも、彼女が叫びを上げていたのは間違いないであろう。そう、高村は感じた。
気が付けば、中村は突進して石のナイフを前に突き出していた。
怯えや迷いを含んだようなぎこちない動き。そもそも人を傷付けるような真似をした事もないであろう少女の動きは、高村の目には酷く痛々しく映った。彼女からは身の危険を感じない。その証拠に、突き出されるナイフも相手に掠り傷を与えるのがせいぜいのスピード。それ位、その敵意は弱々しかった。
小さな悲鳴が上がる。
崩れ落ちたのは、中村であった。高村は中村の腹に黒い物体を押し付けていた。
それは高村が懐に忍ばせていた小型のスタンガンだった。
「くそっ」
一瞬躊躇した後、呻きを上げる中村の口元に上着のポケットから出したハンカチを押し当てる。四方坂からもらった、催眠効果のある薬の染み付いたハンカチ。元々ははぐれ魔術師を無力化させるために持っていたものだ。
間もなく、中村はぐったりとその場で動かなくなった。
高村は脇を見やる。中村を合わせて四人。高村は徐に携帯電話を取り出して、電話をかけた。
『高村さん、どうしました』
「ごめん杜ノ宮さん。こっちを助けてくれ。人手が、欲しいんだ」
絞り出すように出す声。やや間があって、杜ノ宮から返答が返ってきた。
『分かりました。教室に向かえばいいですね』
「ああ、助かる。後、出来れば病院でなくて」
『はい、全道さんに連絡しておきます。こういうのの処置は、慣れてますから』
「ありがとう」
『いえ、それではまた後程』
そう言って杜ノ宮からの電話は切れた。
「ああ、もう」
なんでこんななんだよ、高村は誰にともなく呟いた。
杜ノ宮と二人で中村を含む四人を校外近くの裏通りに
全道によると、中村は勿論、他の三人も命に別状はないのだという。そして、後始末は全て全道がやってくれるという事であった。
「なんでそこまで親身になってくれるんですか」
いくらなんでも優しすぎると疑問を持った高村に、全道は答えた。
「なんだ、無償の愛は気持ち悪いか」
「そういうわけじゃないです。ただ」
「裏があるんじゃないか、ってか」
高村はそれに答えず、じっと全道を見据える。
「成程。このままさり気無くこの娘達を何かの実験の被検体にでもしようと思えば出来るな」
「おい」
いやに低い声で全道を睨む高村。全道はばつが悪そうにしながら口を開く。
「いや、済まん。今のは無神経に過ぎた。安心しろよ坊主。俺も貰うもんは貰っているんだ。言わば等価交換さ」
「貰うもんはって、円さん、ですか」
「さあね。守秘義務だ、それは答えられん。ああ、この嬢ちゃん達だが、明後日には学校生活に何も支障なく復帰出来るだろう」
まあ肉体的な部分、という面においてはだが。全道はそう付け加えた。
「じゃあな、そろそろ行くよ」
「はい。お願いします」
全道は運転座席に乗り込み、車を発信させて行ってしまった。
「高村さん、先生が」
横に控えていた杜ノ宮が言った。使い魔から送られて来た動画だろう。
「ああ、分かってる」
高村は言った。急に全身から沸き上がった怒りを抑えながら。
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