四章 交差⑤

 高村は四方坂邸へ戻る道中のバスの中で、携帯を使って調べ物をしていた。

 調べ物は二十数年前の事件。H県A市のとある民家で夫婦の死体が発見された。妻の死因は頭部の殴打によるもので、夫の方は市販の包丁による刺殺であった。

 事件には不自然な点がいくつもあったが、心中事件として処理された。強盗の線も考えられたが、結局その線は却下とされた。何故なら、家具類は散乱していたが物色された形跡もなく、また、一見しただけで金目当てで入るような家ではない事が明らかであったからだ。

 夫婦には女の子の子供がいた。しかし、その子供は未だ行方不明である。

 子供の名前は、坂戸さかとりんといった。

 彼女の事件を調べていく内、子供は両親から日常的に虐待を受けていた事が明らかになった。故に彼女による怨恨の線も考えられ、実際に父の死因は鈴によるものだと示す証拠がいくつもあがったが、肝心の娘が行方不明のまま一向に見つからず、操作は遂に打ち切られてしまった。

 無言のまま携帯のディスプレイを見つめる高村。

 同情なんてしない。自分を殺そうとした人間だ。夜、次に会った時に仕留めなければ。

 だがあれは、殺人鬼の笑顔ではなかった。

「いや」

 関係ない。殺らなきゃ殺られるんだ。当の時上鈴も言っていたではないか。変に人に情けをかけたらこちらが終わりだ。やらなければ。そう高村は自分に言い聞かせた。

 バスから降りた高村は四方坂邸へと歩いていく。最寄りのバスから五分余り、目の前に今では見慣れた洋館が見えてきた。

「ん?」

 四方坂邸の門から人が出てきた。それはショートヘアの女だった。四方坂の知り合いか? 高村が訝しんでいると、女は杖を突きながら高村の方へと歩いてきた。端正な顔立ちである。ゆったりとした服を着ていて、貴婦人、という言葉が似合う人だと高村は思った。

 すれ違いざま、女は高村を見て微笑み、小さく会釈した。

「どうも」

 反射的に高村も会釈する。やがて、女は近くの駐車場へと入っていった。そういえば、女の入っていった場所は四方坂邸の駐車場だったなと、高村はぼんやりと考えた。


 高村が四方坂邸に戻り居間に赴くとそこにはいつものように四方坂がソファに腰掛けていた。寝ぼけているのか、彼女はぼんやりとした表情でノートパソコンをじっと見つめたまま微動だにしない。高村が机に目を転じると、机には人間の腕のようなものがいくつか置いてあった。多分、自分に付けてくれたものと同じような義手で、仕事か何かなのだろう。

「只今戻りました」

 高村は言ったが、四方坂は聞こえていないようで、なんの反応も示さなかった。

「円さん?」

 今度は少し大きめに言うと、四方坂ははっとしたようにピクリと体を震わせ、高村の方を向いて「ああ」と小さく声を漏らす。

「ごめんなさい。帰ってきてたのね。お帰りなさい、幸太郎君」

「は、はい。あの、大丈夫ですか?」

「ええ、作業の追い込みで少し疲れてしまっただけだから。でももう終わったし、少し肩の荷が下りたわ」

 四方坂は机の上にあるものをさっさと脇にどけ、ゆっくりと立ち上がる。

「疲れたでしょ? ソファに座ってて。紅茶と何か食べ物を出すわ」

 四方坂は高村の返事を聞く前にキッチンの方へと向かってしまった。そういえばあの給仕用のオートマトンは何処に行ったのかと高村は思ったが、ひょっとするとメンテナンスでもしているからいないのかもしれない。

 仕方がないので高村はゆっくりとソファに体を預け、天井を見上げる。そこには花弁を模したと思しき照明が優しい暖色の光で室内を照らしていた。

 高村はこれからやるべき事を考える。中恩寺類、彼を追い詰めて賢者の石について知っている事を聞き出す。詳しい場所はまだ把握していないが、もしかしたら、杜の宮が何かしらを掴んでいたりするかもしれない。

 ――千葉先生は魔術師よ。

 北野が言った事が高村の頭をよぎる。まさか、だからどうしたというのか。魔術師には人格破綻者が多いという。だが、それは決してイコールではない。千葉はとてもそんな人間には見えない。そう、例えば簡単に生徒を犠牲にするような人間には。

 気が付くと、四方坂が居間に戻ってグラスに注がれたレモンティーとカットされたリンゴをテーブルに配膳していた。

「どうぞ」

「なんか、申し訳ないです」

「私が勝手にやっている事よ。気にしないで」

「すみません。ありがとうございます」

「どういたしまして」

 四方坂は微笑を浮かべる。

「あの、円さん」

「どうしたの?」

「ちょっと聞いてみるんですが、千葉草二郎って名前に聞き覚えありませんか?」

「んー、千葉草二郎?」

 四方坂は首を傾げ、ああ、と声を漏らした。

「千葉君ね。懐かしいわ」

「知ってるんですか?」

「ええ、よく知ってるわ。千葉君はね、私と同じ八意先生の教え子だったのよ」

「千葉先生が」

 高村は思わず声を上げる。四方坂は高村の様子に目を丸くする。

「え、えっと、高村君。千葉先生って?」

「知らないんですか? 俺の高校に千葉草二郎って先生がいるんです」

「そうだったのね。でも、その人が私の知ってる千葉君とは限らないと思うけど。ほら、同姓同名という事もあるし」

「あの、円さん。千葉草二郎の写真とかありませんか」

「あるわよ。ちょっと待っててね」

 あ、冷蔵庫にプリンがあるわよ。そう言い残して四方坂は居間から出ていった。

「千葉先生は魔術師、ね」

 北野の言葉を反芻はんすうする。一体、北野は千葉の事を何処で知ったのであろうか。北野の家はそういう家柄だと彼女は言っていた。だから、そういう伝手を頼って千葉の素性を知ったのであろうか?

「幸太郎君」

 ふと、声をかけられてはっとする。どうやらいつの間にか目を閉じていたらしい。高村は何度か瞬きした。

「魂を取られるって訳じゃないけど、あまり好き好んで写真を撮る人じゃなかったから数は少ないけど」

 四方坂はそう言って白無地のアルバムを差し出した。

「この中の最初の方に何枚か彼の写っている写真が残っているわ。背が高くて爽やかな印象だから多分分かると思うけど」

「ありがとうございます」

 アルバムを開くと、そこには一ページ四枚セットで写真が入れられていた。

 収められている写真の中に女の人が写っている写真もあったが、四方坂らしき人物は写ってはいなかった。いや、今はそんな事はどっちでもいい。高村は写真に写っている男に視線を移していく。そして、集合写真の一角に高村のよく見知っている顔があった。

「どうかしら。幸太郎君のお目当ての人は見つかった?」

「はい、見つかりました」

 高村はそう言って、その人物を指さした。

「この人です」

「ええ、確かにその人が千葉草二郎よ。でも」

「まさか、この期に及んで同姓同名の瓜二つの双子がいるとか言いませんよね」

「あらあら、いくら私でもそんな見え透いた冗談は言わないわよ。そうじゃなくて、彼は魔術師を辞めていたのだと思ってね。そう、先生に」

「どんな人だったんですか?」

 懐かしむように言う四方坂に、高村は尋ねる。

「性格は見たままの人だったわよ。爽やかさが人格を持ったような」

「ああ」

 やはり昔からそうだったのか。高村は昔の千葉をありありと想像出来た。

「彼は優秀だったわよ。アーティファクトって前に説明したけど、幸太郎君、覚えてるかしら」

「はい」

 アーティファクトというのは、要するに魔術、呪術的な方式で作られた道具だと四方坂は言った。魔道具、マジックアイテムなどとも言われるそれは、魔術や呪術を行使する際の補助となるものであったり、魔力の探知機であったりと、様々な用途の物が存在する。四方坂が高村に付けてくれた義足も、アーティファクトの一種だという事であった。

「彼は特に魔術を補助するためのアーティファクトの制作を得意としていたわ。凄いのよ、彼。素人でも熟練の魔術師に劣らないくらいの魔術を行使出来る、そんなアーティファクトを制作した事もあった。あれは彼の最高傑作だったかも」

「そうなんですね」

「でも、今思えば魔術師というのは彼には合わなかったみたいね。彼は内ではなく外を見ていたもの」

「どういう事ですか? 内ではなく外って」

「んー、感覚的な話なのだけど、研究をなんのためにやるのかという話。私の中では、研究をする人間は二つのタイプに分けているの。一つは純粋な好奇心、己を高めたり、この世の仕組みを解き明かしたいという目的のために行うタイプ。私はこれを内に向かうタイプと呼んでるわ。もう一つは研究成果を通して世の中を良くしようってタイプ。これが外に向かうタイプね」

「それで、千葉先生は外に向かうタイプって事ですか?」

「そうよ。魔術師は内に向かうタイプが多いから、彼は珍しかったわね。ああひょっとしたら、科学分野に行っていた方が彼の性に合っていたのかもしれなかったかも。そう、でも教師ね」

「国語教師ですよ」

「ああ、化学や物理教師かと思ったけど、それも彼のイメージに合うわね。んー、それにしても幸太郎君。よく千葉君の事魔術師じゃないかって思ったわね」

「聞いたんです。知り合いから」

「知り合い?」

「はい。北野万智って女の子です」

「成程、北野の娘さんね。会った事はないけど、そういう事だったの」

「ひょっとして、千葉先生も賢者の石に関わってる可能性があるかもしれない」

「んー、関わってない、とは言えないわね。私は彼と五年以上は会ってないから、今の彼の事は分からないし、何か必要があって賢者の石を求めている可能性は否定出来ない。それこそ世の中のために、とか」

 四方坂はその可能性を否定しなかった。

 千葉が賢者の石の件に絡んでいる。もしそうだったとして、なんのために? 高村は考える。何か最近可笑しな事は無かっただろうか? なんでもいい、彼に関して、何か無かったか。

「あっ」

 それはまるでインスピレーションのようなものだった。それに賢者の石が関係しているかは分からない。全く違う方向からの答え。

「中村、それは駄目だ」

 高村は呟いた。

 それはいけない。がお前の考えている事なら、そんなのは間違っているんだ。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る