四章 交差④

「くそっ」

 学校からの帰り道、高村は中村との出来事を忘れるかのように頭を振った。

 自分には余裕なんてものはないのに。高村は自分の余計なお節介を自嘲した。

 中途半端な優しさなんてかけて、自分はいい人ぶりたいだけなんだろう。実際、ああやって中村が拒絶してくれたお陰で自分にるいが及ぶ心配は無くなるだろう、などと心の片隅で安心している自分がいた事を高村は自覚していた。結局、自分は自分の事しか考えていないのだ。

「ヒーロー、ね」

 やめよう。これ以上変な詮索をするのは。助けもしないのに、勝手に相手の境遇を思いやって虚しくなるなんてそれこそ迷惑な話だ。そんな事思われていたら、本人だって不愉快だろう。

 気が付くと、高村は学校近くの公園の前を通りかかっていた。

 なんの気なしに公園を覗いてみる。別に見たからといって、何か特別なものがあるわけではないだろうが。そんな事を思いつつ中を覗くとそこには、

 時上鈴がいた。

 なんでこんな所に。高村は気付かれないようさりげなく物陰に隠れ、周囲に不審な目で見られないように携帯を触りながら公園の様子を観察した。

 時上はいつもの巨人を連れてはいなかった。それどころか、今の彼女からは夜に持っていたような威圧感が微塵も感じられなかった。

 どうやら、時上は小さな少女の相手をしてやっているらしい。会話の内容は聞こえない。しかし、時上が少女をなぐさめてやっている事だけは分かった。やがて少女は時上に別れの挨拶をすると彼女の元を離れ、高村のいる入口とは別の方向へから公園を出ていった。

 高村はゆっくりと公園の中に入っていった。

「あら、昨日ぶりね」

 そう言って少女、時上鈴は静かに立ち上がる。

「時上鈴、ここで何をしていたんだ?」

「別に何も。私だってブレイクタイムくらいするわよ。それとも、化け物だから休みなしだとでも思ってたのかな?」

「別に、そんな事は思ってない」

「そう。ところで、なんで少年は私を奇襲しなかったのかな。実を言うとね、私は貴方の気配に気付かなかったのよ。あの健気なお嬢さんが私に塗布した呪詛のお陰でね。つまり、今ならにっくき私を倒せたかもしれなかったってわけ」

「今は昼間だ。銃でも撃って警察沙汰になったら洒落にならない」

 そう高村は答えたが、実際の所、それは理由の半分であった。

 自分より小さな少女に対して時上鈴が垣間見せた優しさが、さっきから高村の頭をちらついて離れなかった。たかが気紛れかもしれない。だが、高村はそれを好機と後ろから引導を渡そうなどとはとても思えなかった。自分は甘ったれているのかもしれない。しかし。

「それに、今奇襲して倒せるとは思えなかった」

 そう言った高村を時上はくりくりとした、淀みの感じられない瞳で見つめる。

「ねえ少年。少し時間あるかな?」

「あ、ああ」

 高村はつい頷いてしまった。以前であればこんな事はあり得なかったであろう。だが、今の時上鈴からはあの心臓を掴まれているような威圧感も、絶望感も感じなかった。

「ここで会ったのも何かの縁、って奴ね。折角だから、少し昔話をしてあげる」


 昔々、と言っても二十年くらい前の話だけど、ある所に小さなみすぼらしい女の子がいました。女の子はいつも怖くて震えていました。理由はお父さんからの乱暴です。お父さんは何かある度にいつも女の子をぶっていました。女の子にはお母さんもいましたが、お母さんは自分がぶたれないで済むからでしょうか、何もしてくれず、ただ女の子に謝るばかりでしたし、時にはお父さんと一緒になって女の子を虐める時もありました。女の子にとって地獄のような日々が続いていたある時、それは起きました。なんと、お父さんはお母さんを殺めてしまったのです。女の子は今までにない程に震えました。今度は自分の番だ、自分の番だ。女の子は咄嗟に台所にあった包丁を掴みました。しかし、相手は大の男。どうしたものかと考えた女の子でしたが、その時、お父さんは床に倒れていたお母さんにつまずき、その場に転んでしまいました。女の子はそのチャンスを見逃しませんでした。すかさずお父さんに馬乗りになり、首元へ何度も何度も包丁を振り下ろしました。お父さんが動かなくなっても念押しに何度か振り下ろした後、少女はゆっくりと立ち上がり、ここから逃れたいとぼんやりとした頭で玄関から外に出ました。

 女の子は秘かに誰かに助けてもらえないかと期待しましたが、深夜だったためか、誰もいませんでした。やがて女の子は無性にお腹を空かしたままとある公園の前に辿り着きましたが、そこで倒れてしまいました。

 多分、女の子はここで死んでしまうんだろうなと思いました。こんな血だらけの子なんか、気味悪がって誰も助けてくれないだろうからと。

 ふと上を見上げると、誰か黒いコートを着た男の人が通りかかっていました。女の子はどうせ死ぬならと力を振り絞って男の人の足に縋り付きました。

 男の人は女の子に気付き、下を見下ろしました。女の子は必死でしがみ付いています。やがて根負けしたのか、男の人は女の子を抱き抱え、自分のお家へと連れ帰りました。

 女の子にとっては嬉しい事が二つありました。一つは勿論、男の人が女の子を助けてくれた事です。そしてもう一つはなんとその人が魔法使いだった事です。

 女の子は男の人の元で魔法を学びました。それは童話に出てくるようなものとは違っていたものの、女の子にとってはとても魅力的で、夢中にさせるものでした。

 そんな日々を過ごしていたある日、女の子は出来心から男の人の書斎に入ってしまいました。そして机に置かれていた日記からとても悲しい事を知ってしまいました。魔法使いさんが自分を助けたのは決して善意からではなく、いずれ実験に利用するためだったという事を。

 そういえば女の子は魔法使いさんから愛情と呼べるものを受け取った記憶がありませんでした。物を欲しがれば与えてはくれましたが、魔法使いさんが女の子に向ける言葉は何処までも無感情で、まるで喋る機械を相手にでもしているかのような態度でした。女の子は思いました。自分は人間というよりは、その時が来れば屠殺とさつされる運命にある家畜なんだと。

 魔法使いさんは、結局女の子にとってのあしながおじさんではありませんでした。魔法使いさんは、女の子のお父さんと同じだったのです。少なくとも、女の子にとっては。

 ある日、魔法使いさんは女の子を自分の研究室に呼びました。そう、愈々女の子を実験に利用するための時が来たのです。女の子は言われるままに魔法使いの元に赴きました。ですが女の子は魔法使いの思い通りになるつもりなんてありませんでした。

 女の子は、持ち前の技術を使って前もって自分に魔法をかけていました。それは強くなる魔法です。魔法使いさんは女の子に殆ど無関心のようでしたから、女の子がこそこそ何かしていても特に気にはしていませんでした。きっと、こんな小さな女の子に何か出来よう筈も無いと考えていたのでしょう。ですが、それは魔法使いさんにとっては致命的な間違いだったのです。

 女の子は魔法使いさんを返り討ちにしてしまいました。魔法使いさんの自慢の魔法も、強くなった女の子にはてんで歯が立たなかったのです。

 女の子は一人になりました。いいえ、もしかすると女の子は最初からずっと一人だったのかもしれません。結局、誰からもまともな愛情というものを受け取れないまま育ったのですから。一人の人間として見られないまま生きてきたのですから。


「少女がその後どうなったかは分かりません。ここはあれね、読者の創造に任せるってやつ」

 公園のベンチにちょこんと座り、近くのコンビニで買ってきたらしい肉まんを食べながら時上はにこりと無邪気に笑った。

「どうしてそんな話を俺に?」

「さあね、なんとなくかな。ああでも、私は話す相手がいないから誰かに聞いてもらいたかったってのはあるかも」

「俺の命を狙っていたのにか?」

 それを聞くと、時上はばつが悪そうな顔をする。

「結構ずかずかとものを言うのね。貴方とお嬢さんを襲ったのは夜の話。言ったでしょ、昼間はブレイクタイムなの。私は快楽殺人者じゃないわ。私なりに節度を持って動いているつもりなんだけど、まあ、分かってはくれないわよね」

 時上は軽い溜息を漏らす。

「少年はさ、私の事憎い?」

「恨みが、無いわけじゃない」

 時上鈴は高村の日常に深い傷跡を残した。上辺はなんとか取りつくろってはいたものの、中身は惨憺たる有様だ。確かに学生生活は続けられている。だが、淡々と学生生活を送っているだけだ。前に感じていた充実感などといった感触が、このところまるで感じなくなってしまった。只、落ちこぼれてしまうという強い強迫観念、変な目で見られたくないという怯え、学校社会の一員として和を乱さぬようにとの義務感に駆られて登校する毎日。要は心の持ちようでしかないが、多分、今の自分は現象あるいは歯車の一つと言っても差し支えない存在だろう。学校という空間を演出するための小道具。

 そんな惨めな存在になった原因は、この時上鈴。肯定感、全能感を奪ったその相手に恨みが無い訳が無かった。

「出来る事なら引き裂いてやりたいとも思っている」

「それは怖いわね」

「当たり前だ」

「でも、しないんだね」

 高村は眉根を寄せる。時上の事情など知った事ではない。彼女がどんな不幸な生い立ちを経ていたからといって、自分にもたらした理不尽を許せる訳がない。

 だが。何故だかそんな気になれなかった。

「少年は、きっと優しいのね」

「は?」

「君は憎たらしい相手が恥をかいたりするのはほくそ笑む事が出来ても、その人が死んだり本当にどうしようもない事に陥ったりしたら、その人のために泣いてしまうような人間だわ。間違っても人を落とすような真似が出来る人間じゃない」

「俺はそんな出来の良い人間じゃない。子供の癖にませた事ばっか言うな」

「あら。私、これでも三十代よ。多分君の倍は生きてるわ」

「はあ?」

 高村は思わず声が裏返った。この少女が三十代? 全くそうは見えない。

「キメラになった時に成長と老化が止まったのよ。私の中にいる同胞のお陰ね」

「無茶苦茶だな」

「そう言わないの。どう? 少しは説得力が増した?」

「ああ、信じるさ。もう多少の事なら信じられる。だが、時上鈴」

「何?」

「俺の事を分かった気になってるなら大間違いだ」

 そう言った高村に、時上はベンチから立ち上がって微笑を浮かべる。

「気を付けなさいね、少年。変に人に情けなんてかけたら、こっち側まで真っ逆様よ。私が言うのもなんだけど、貴方はこっち側に来るべき人間じゃないわ」

「余計なお世話だ」

「それはごめんなさい。じゃあね、今日は会えて良かったわ」

 まるで汚れを知らぬ、優しさをたたえた笑みだった。それは彼女を正確に言い表すには相応しくない言葉かもしれない。しかし、只その瞬間の彼女の状態を切り取れば、間違いなくこの言葉こそが似つかわしいと、高村は純粋にそう感じた。

 時上は公園から出ていった。去り際、時上は下校途中らしき学生達を見て一瞬立ち止まった。しかし、間もなく時上は興味などないとでも言わんばかりにまた歩き出した。

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