四章 交差③

 時上鈴との件から数日後、高村はいつも通り学校に登校していた。

 昇降口で靴を上履きに履き替え、階段を登っていく。四階にある教室へと向かう途中に何人か知り合いがいたので追い越しつつ挨拶をした。

 この高校は一年生が三階、二年生が四階、三年生が二階に配されている。三年生が二階なのは受験があり、身体にかける負担をあまりかけたくないからだろうか。階段を登りながらそんな事を高村は考えた。反対に二年生は一番エネルギーが有り余っているから、無駄なエネルギーを消費させるために四階に配されているのか。

 四階にたどり着いた高村が廊下に歩を進めると、目の前の方から北野が歩いてくるのが視界に入った。

 一瞬、高村は北野と目が合う。以前会った時と変わらない、意思の強そうな瞳。

 なんとなく気まずいなと思った高村だが、ここで変に引き返すのも却って不自然だと思い、素知らぬ振りをしてそのまま彼女の前を通り過ぎようとした時だった。

「千葉先生は魔術師よ」

 すれ違いざま、北野が確かにそう言ったのを高村は耳にした。

「え?」

 高村は立ち止まって後ろを振り返る。しかし北野は既に数メートル離れた距離を歩いていた。

「魔術師」

 高村は呟いた。千葉先生が? 馬鹿な、そんな事が有り得るのか? 彼はそんなものとは真逆の立ち位置にいるような人間だ。

 だが、北野が酔狂で高村を困らせるような人間にも思えない。以前、高村は北野を突き放すような事を言ったが、それに対する意趣いしゅ返しとも思えない。

 忠告。

 だが何の? まさか、千葉が何か自分に危害を加えるとでもいうのか。


 高村は授業中の話はあまり頭に入って来なかった。先日の出来事や、北野がすれ違いざまに言った事が頭から離れなかったからだ。そして英語の授業中に教師の室見むろみから英文の解釈を求められた時、高村は話の流れを理解出来ておらず、恥をかいてしまった。

「お前、大丈夫か」

 休み時間になると高崎が少し心配そうな顔で尋ねてきた。

「ちょっとぼーっとしてただけだよ。お前にもあるだろ、気が付いたら上の空みたいな事」

「悩み事がある時はそういう事もあるが、顔には出さないよ」

「ん? なんで俺が上の空だって事が表情に出てたなんて分かる」

 高崎は高村の一つ前の席である。つまり、高崎が高村の表情など知れる筈がないのである。

「そんなのは教師の顔を見てれば分かる。室見先生がちらちらとこっちの方を凝視していたからな。俺にやましい事はなかったから、必然的に後ろのお前が呆けているか何かだと勘付くさ」

「ああそう。大した観察眼だな全く」

「それ程でもないさ」

 そう言って皮肉に対して得意になる高崎。多分この男は嫌味ですら好意的に受け取る可能性がある。それがこの高崎という男の美点といえば美点だが、なるべく口喧嘩はしたくない相手だ。つくづく高村は思った。

「んで、何かあったのか?」

「別に、最近ちょっと疲れてるだけだ」

「ゲームか何かか?」

「まあ、そんな所だ」

 高村は小学校以来まともにゲームはやっていないが、本当の事を話すわけにはいかないので、そういう事にした。

「あんまやり過ぎるなよ。ああいうのは時間やお金に余裕がある奴がやるもんだ。これから受験に入ろうかっていう奴がやるもんじゃない」

「ああ、済まんな心配かけて」

 高崎は眉を吊り上げる。

「高村?」

「ん、どうした?」

「いや、なんでもない。あまり思い詰めるなよ」

 そう言って高崎は正面の方へと向き直り、もう高村の方へ向こうとはしなかった。


 飽きる程何事もなく、やがて放課後はやってきた。

 高崎は家の用事があるとかで、すぐに帰ってしまった。そういえば家が神社だとか言っていたのを高村は思い出した。

 高崎に呪術だの魔物だのと話したら信じてくれるだろうか。ふと、そんな事を高村は考えたが、すぐにその考えを振り払った。いくら実家が神社だからといって、そういうのに縁があるとは到底思えない。多分、殆どの宗教的な施設はそういうった薄ら暗い世界とは無関係だ。

 それにしても自分は呑気なのではないだろうか。ふと高村はそう思った。何度も命に関わるような事に出来事に出くわしているというのに、今ここで学生生活を送っている。

 だが、やはり極力休むというわけにもいくまい。賢者の石の件が終わった後の事も考えなければ。無事解決したはいいものの、高校は中退しました、では目も当てられない。自分のような格別強い目的や意思が無い人間は、高卒だの大卒だのといったある意味での保険が無ければ駄目になるだろう。

「あ」

 高村は思わず声を漏らした。デジャヴ? いや違う。これは数日前のあの時の光景だ。夕日が教室を照らしていて、教室には彼女と自分だけがいるのだ。

 高村は中村の方の席を見ると、やはり彼女はそこに座っていた。

「中村」

 高村が呼びかけると、声を掛けられる事が分かっていたかのように中村は静かに振り返った。

「高村、また残ってたんだ」

「まあな。最近思うんだが、放課後の教室ってのも悪くはないな。なんだっけこういうの。青春、ってやつ。そんな感じがする」

「青春か。呑気なもんだよねえ」

「中村」

「え? ああ、ごめん。変な事言っちゃった。なんかさ、漫画とか見てると結構現実的なものを無視してる感じだから、呑気だなーって思ったの」 

 そう言って中村は視線を落とした。

「ああいう呑気な世界の学生って、将来どうしてんだろね」

「さあ。作者はそこまで考えてないんじゃないか」

「ふ、そうだね。そんな事考えても意味が無いものね」

 笑う中村。

「なあ、中村」

「どうしたの。神妙な顔」

「お前、虐めとか受けてないか?」

 一瞬、本当に時が止まったかのような気がした。やがて中村は、表情の読み取れない顔でゆっくりと口を開く。

「どうしてそう思ったの?」

「何回か、それらしい感じがしたから」

「そう。でもね、そうだとしても高村には関係無い事だよ」

「なんでだよ」

「なんででもだよ」

 突き放すような中村の口調。それが却って高村には引っかかった。

「俺じゃ頼りにならないか。そりゃあ虐めを解決出来るか言われたらそんな自信ないけど、話し相手くらいなら――」

「やめて!」

 少女の小さな、悲痛な叫びが高村の耳に響いた。

「もし仮にね、高村。私が虐めに遭ってるとして、あんたが中途半端に関わった事であんたまで虐められるようになったらさ、それって本末転倒じゃん。ミイラ取りがミイラになるとか、それ笑えないから」

「済まん」

「ううん。こっちこそごめん」

「あのな、余計な事かもしれないけど。そう、俺じゃなくてもいいんだ。誰か頼れる人間がいるってのは良い事だと思う。別に虐めとか、そういうの関係無しにさ」

 中村を刺激しないよう、言葉を選びながら語りかける高村。中村は微笑を顔に浮かべる。

「心配してくれてありがと。凄く嬉しい。でも大丈夫だよ。私は一人じゃないから、高村も心配してくれるしね」

「ああ、そうか。良かった」

「それにね、高村」

 中村は歳相応の笑みを浮かべて言った。

「この前私ヒーローって言ってたでしょ」

「言ってたな。覚えてる」

「そのヒーローだけどね、びっくりする事にいたわけよ」

「それは」

 どういう意味なんだ。そう言いかけたが、高村はその言葉を呑み込んだ。

「そいつはいい。無茶苦茶心強いな」

「そうそう。無敵な感じ。ってか、ごめんね」

「ん、なんでそこで謝る?」

「私の事心配してくれたのに、邪険にしてしまったから」

「別に気にすんなよ。好きで首を突っ込んだだけだ。ま、ヒーロー様がいるならなんの心配も無いか。俺なんかじゃ太刀打ち出来そうもないし。じゃあな」

 そう言って高村は教室を出ていこうとした。

 ……もヒーローだよ。高村は振り返るが、中村は窓の外に広がる茜色あかねいろを見上げていた。

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