四章 交差
四章 交差①
幼い頃の話だ。久我山真之はかつて、正義のヒーローに憧れていた。
理由など他愛のないものだ。只単にテレビで見たヒーローがかっこよかったからに過ぎない。
弱気を助け、強気を
今思えばそんなものは只の刷り込みで、世の中はとてもそんな風には出来ておらず、要するに正義のヒーローなどという存在はどうしようもない世の中に対する弱者の願望に過ぎないのだと間もなく久我山は理解したが、それでも彼はヒーローを捨てきれなかった。発端は願望だったとしても、純粋に、その在り方は人間として高潔で気高く、素晴らしいと感じていたからだ。そしてそれは、彼にとっては真実だと感じていた。
たかが願望の結晶であるヒーローにそんな強烈な憧れを抱き始めたのは、彼が小学校低学年の時だった。同級生の男の子が別のクラスメイトに玩具のように遊ばれているのが不愉快で、だが自分ではどうしようも出来なかった事に腹を立てた、そんな出来事があった。だから、そういう理不尽を解決してくれる強いヒーローに憧れた。
久我山は大学卒業後、警察庁に入庁した。彼は運良く自分に才能があった事を喜んだ。自分はテレビに登場するようなヒーローにはなれないが、少なくとも、それに恥じない振る舞いを以て、世の中を少しでも良くしていこうと努めた。小さな一歩でもいい。それが後に続くなら、自分は喜んでその礎の一つになろうと久我山は考えていた。
時が経ったある日、久我山は
警察を辞める際、久我山は再就職先の
そうして久我山は呪術師の男と交流を持つようになり、魔術、呪術の世界へと足を踏み入れていった。男からは様々な事を教えてもらった。元々魔術というのは科学と混じり合っていたが、十七世紀から十八世紀に完全に分離した事、日本には独自に呪術体系なるものが存在し、西洋の魔術体系のそれとは異なる事、日本は明治期に魔術の流入があり、そこで幾らかの呪術師などが魔術へと鞍替えした事など。
久我山は暇な時に呪術師の仕事へ同行するようにもなった。その過程で彼は呪術や魔術から身を守る方法を学んでいった。やがて興信所でもそういった仕事を受けるようになり、久我山もその世界の住人といっても差し支えない位になった頃、呪術師は久我山に身を守るための武器を残し姿を消した。殆ど親友の関係であった久我山は突然の友人の
深い深い深海の世界。警務に当たっていた当初は思いもしなかった世界にまで潜り込んだものだと久我山は思ったが、一方で、この仕事に充実したものを感じてもいた。
ひょっとしたらこれが天職だったのかもしれない、などと思える程に。
久我山は
通常であれば一介の探偵が警察の情報網に太刀打ち出来よう筈もない。しかしこの業界ではその限りではない。むしろ、警察では先ず手に入れる事が出来ない情報網、人脈があり、それを久我山は持っていた。
そうして何十件と回った先に、ようやく次なる一歩への糸口を発見する事に成功した。
賢者の石。八意という賢者が生成したとされるそれは、ともすれば法外な奇跡を呼び起こすと噂されている代物。しかし八意は死に、それが今得体の知れない誰かの手に渡ってしまった。そしてそれを巡ってはぐれ魔術師が市内に集まっているという事であった。
恐らく猟奇殺人事件の犯人の狙いも賢者の石であろう。普通は隠れて様子を窺うだろうにわざわざ目立つような事をするのは理解に苦しむが、はぐれ魔術師は合理的な行動をしない者もしばしばいる。故にそこに筋の通った行動を見出そうとするのは無意味であろう。
久我山は犯人の特定よりも先に、賢者の石の捜索を優先する事にした。表面的な事象の対応は応急処置にしかならない。根本の原因を取り除かない限り、別の誰かが事件を再発させるであろう。故に、賢者の石の捜索を最優先にするべきだ。
「にしても女の子、ね」
さもありなんか。こんな世界では珍しくもない。あどけない少女の姿をしたまま何十年と生き続けている女も以前に見かけたし、今回もその同類だろう。
久我山は高台を歩いていたが、ふと立ち止まり夕焼けに染まる街並みを見下ろす。やわらかな陽に当たる部分と当たらない部分、そのコントラストが眼下にある建物達の存在感を一層浮き彫りにしていた。
少し肌寒い風が流れてくる。柄にもなくノスタルジーに浸ってしまったものだと、久我山は自嘲しながら再び歩き出す。
「久我山真之さん、ですよね」
唐突に名前を呼ばれた。久我山が振り返ると、そこには背の高い黒髪ロングの女の子が立っており、意思の強そうな目を久我山の方に向けていた。
「初めまして、北野万智と言います」
「それはどうもご丁寧に。俺に何か用かな?」
「はい、用があります」
「その用とは?」
「私に貴方の手伝いをさせて下さい」
一瞬の間が生じた。そして、
「お嬢ちゃん、大人をからかうんじゃない。そういう遊びが流行ってんのか? ああひょっとして、親父狩りみたいなあれの親戚か?」
「遊びじゃありませんよ。誰でも良かったわけじゃない、貴方だからこそ私は話しかけました。貴方の事も調べあげてあります」
「ほう? じゃあ聞かせてもらおうか」
「ええ、そうさせてもらいます。久我山真之、学生時代は勉学に優れ、運動にても常にその存在感を示し続けてきた。貴方を知っている当時の人達は皆貴方の事を神童、天才などと呼んでいたようですね。そして大学卒業後、貴方は警察の道へと進んだ。国家一種試験合格の警察官、所謂キャリアと呼ばれるエリートだったけど、とある事件の責任を取って辞職。その後、久我山興信所を開設して今に至る」
淡々と語る北野に、久我山は眉をひそめる。
「よく調べ上げたな、感心したよ。でもな、今は助手は足りてるんだ。なんのつもりかは知らんが、悪いが他をあたってくれ」
「賢者の石、でしたっけ」
少女から放たれた言葉に、歩き去ろうとした久我山は足を止めた。
「石ころを金塊に変える、だったかしら。それは伝説の方だけど、今賢者の石と呼ばれているものがこの街の誰かの手にあるそうですね。それで、貴方は市内で起きた奇妙な猟奇殺人事件を追っていたらそれに行き着いた」
「一体、何が言いたい?」
「先程も言ったのですが、私に貴方の手伝いをさせて下さい」
それを聞いて久我山はやれやれ、と小さく呟いた。
「お嬢さん、北野って言ったか?」
「はい。北野万智です」
「するってえと、ここらに根を張ってる呪術師の家系か」
「ええ、良くお分かりですね」
「まあな、市内に住んでんだ。だからそういう筋は一応調べてある。出来るなら仲良くやっていきたいんだが、いや、そんな事は今はいい。なあお嬢さんよ。君が名家の令嬢だという事は良く分かった。そういえばそこはかとなく品を感じるもんな。だがな、やっぱり駄目だ」
ほんの束の間、沈黙が流れた。やがて、北野の眉間に徐々に
「なんでですか。私は役に立ちますよ」
「あー。一つ、いい事を教えてやるよ」
「なんですか。体よく断るための方便なら聞きませんが」
「この世界には三種類の生き物がいるんだ。一つは、陸上を駆けたり空を飛び回ったりする生き物。こいつらは海の表面を見る事は出来るが、海の中身を見る事は出来ない。ま、せいぜいが海の極々浅い所を垣間見る位が関の山だ。二つ目は海を泳ぐ動物達だ。こいつらは海の世界を知っている。確かに彼らは海の生き物だが、陸の動物達と同じく世界には光が降り注いでいるし、なんだったら陸上に上がれる奴だっている。言わばこの二つは陽の当たる世界の住人だ。そして三つ目が、深海魚だ。こいつらはな、光の降り注がない世界、深い闇の底を生きている。こいつらにとっちゃ陸の生き物も、表層を泳ぐ生き物も同じ世界の住人だよ」
「それってつまり、私は二つ目に出て来た海の表面を泳ぐ生き物って事ですか?」
「察しがいいね。ああそうさ。一般人から見りゃそりゃ海を泳ぐ生き物なんて皆同じ穴の貉だろうが、こっちから見りゃお嬢ちゃんも一般人とやらも大差ないんだよ」
言われて、北野は目を細めて久我山を
「ご両親には言われなかったか? そういう連中には関わらない方がいいって」
「覚えてないです、そんな事」
「ああそう。ま、悪いが光の世界の住人はそこらの悪霊でもなんでも相手によろしくやってくれよ。じゃあな。色々変な事言っちまったが、まだ若いんだから死に急ぐなよ」
久我山は北野に背を向けたまま手をゆらゆらと振り、再び歩き始めた。
……ないでよ。
北野が何か言ったように聞こえたが、特に追ってくる気配はない。諦めたか、久我山はそんな事を考えながら少女から意識を逸らし、今後の算段をつけ始めようとした。
突然、久我山の視界の大部分が青色の炎に包まれた。しかし、久我山は特に慌てた様子もなくゆっくりと立ち止まり、振り返った。
「どうですか? 小間使い位にはなるでしょう。少なくともいないよりはましだと思いますよ」
北野が言うと、久我山は小さく溜息をついてから口を開いた。
「なあ嬢ちゃん。なんでそんなに
「関係あります。最近、市内で奇妙な死体が何体か発見されてるそうですね。いずれも一般人の犯行とは思えないものばかりだと聞いてます。調べた限りだと十中八九、賢者の石の関係者達。市内でそんな物騒な輩が徘徊してるのに手をこまねいて見ているわけにはいかないわ。だって、私は北野家の後を継ぐ人間だから」
「だが、なんとかしなければと思っているのは君だけだろう。事実、あんた達のご両親は何も動いている気配がないじゃないか」
「あの人達は今市内にはいないわ」
「あ? そうだったのか。んじゃあ猶更勝手に動くべきじゃないだろう」
「知り合いが」
「ん?」
「知り合いが巻き込まれてるんです。でも彼は、私が巻き込まれるのを嫌がって何も話そうとしなかった。高村君は私じゃお話にならないって判断したんでしょうね」
「ああ、その判断はーー」
「
「あのなあ、嬢ちゃん」
「久我山さん、私は本気ですよ。言っておきますけど、私は即席呪術ならだいぶ手慣れてますから。なんだったら、今ここで決闘しますか」
即席呪術、ね。久我山は呟いて再び軽い溜息を吐いた。その名の通り、簡単で手軽に行使出来る呪術。殆ど前準備や道具は必要なく、自分の魔力だけで行使するものや、そこら辺の石ころ等を使って行使するようなものが殆どである。
効果は推して知るべし。
「どうしたんですか? 怖いんですか?」
「ああもう、分かったよ。少しの間だけならいいだろう」
それを聞くと、北野はほんの少し口角を上げて、頭を下げた。
「ありがとうございます。足手まといにはなりませんので、よろしくお願いします」
「ああ、よろしく頼むよ」
熱意にほだされたわけではないが、どうして自分はこうも軽々しく返事をしてしまったのだろう、久我山は考えてとある結論に行き着いた。
ひょっとしたら、自分が無様にもこの少女に負けてしまうからではなかろうか、と。
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