三章 キメラの少女

三章 キメラの少女①

 時上とアトラスという巨人の化け物に襲われた翌日の事、高村はいつものように学校に通っていた。いくら賢者の石をめぐる騒動があるとはいえ、それを学校に伝えて「そういうわけなので欠席は大目に見てください」などと言えるわけもない。自分の命がかかっているというのに呑気なものだと思いつつも、現実問題、無断欠席はその後の高校生活において大きな影響を与えてしまうのだから、やはり高村としてはいつも通り登校するより他は無かった。

 昨日の事もあり、高村は校舎にいる時でも周りに何かいないかと神経質になっていた。授業中には生徒の咳払いやシャーペンの芯を出す音がやたらと気になってしまったし、授業中何度かドアに付いた窓の僅かな隙間から廊下を覗いてしまったりもした。

 しかし、やはり学校はいつもの学校で、特に取り立てて何か起きる事もなく放課後を迎えた。

 他の生徒が教室を出ていく中、高村はぼーっと今後の事を考えていた。しかし、書き留めるでもないそれらは頭に浮かんでは消えていき、結局無駄な時間になってしまった。

 気が付くと、教室は高村と中村という女子生徒の二人だけになっていた。

 中村は高村の中学時代からの知り合いである。ボーイッシュな髪型が特徴的なこの女の子は大人しいが芯の強さを持っており、また見た目と違わない勇気も持ち合わせている、というのが高村の印象だった。中学時代はバレー部に所属し、もっと活動的でサバサバした子であったが、いわゆるいじめっ子に対しても強気に出るところがあった。そういう事もあってか、クラスの女子が彼女を頼る場面を高村は時折見かけていた。

「中村」

 鷹村が声をかけると、一瞬体をビクリとさせてから中村が振り向いた。

「高村か、まだいたんだ」

「ああ、驚かせちまったか」

「ううん別に。それで、どうしたの?」

「いや、どうしたってわけじゃないけど。帰らないのか?」

「私、日直だから」

 そう言って中村は笑う。何故だか、よく洗練された愛想笑いだと高村は思った。

「そうか。そんなら、俺が帰らないと戸締り出来ないな。悪い、気付かんかったんだ。許してくれ」

「別にいいよ。丁度本を読んでたし」

「そう言ってくれると助かる。でも帰らない俺が悪いんだし、別に言ってくれて良かったのに」

「言えないよ、そんな事」

「え?」

 中村のぼそりとした声。高村は首を傾げて怪訝な顔をするが、中村は首を振る。

「ううん、なんでもない。それより帰らないの、色男?」

「別にモテてねえよ。告白された事なんてないし」

「じゃあ私がー、いや、なんでもない」

「中村?」

「それよりさっさと帰んなさいよ。戸締まり出来ないから」

「ああ、そうだな」

 そう言って高村は踵を返して教室の入り口へと向かおうとする。

「ねえ、高村」

「ん?」

「ごめん、引き止めて。高村はさ、今何か悩んでたりする?」

「悩み、ね」

 なんでもない風を装ったが、内心核心を突かれた気分だと高村は思った。悪戯に教室に残っていたのも、実際のところこれからの立ち回りを無意味に考えていたからだった。しかし何に悩んでいたのかを彼女に話しても怪訝な目で見られるのがオチであろう。

「なんでそう思う?」

 偶然なのか、確信があって聞いたのか、話を逸らす事も兼ねて高村はそう尋ねた。

「ううん。最近よく残ってるみたいだから、何かあったのかなって思って」

「まあ、部活辞めてしまった事はあったかな」

「そうだったんだ、ごめん」

「別にいいよ。過ぎた事だ。でもそれが教室に残ってる理由じゃない」

 高村は嘘をつけなかった。悪い事をしたわけじゃあるまいに、適当にそれっぽい事を言っておけばよかったものを、嘘をつくという事自体の後ろめたさが彼をそうさせなかったのかもしれない。

「ま、色々あるんだわ」

「そっか」

 静かな沈黙が走る。外から掛け声や吹奏楽の奏でる音が混ざり合いながら環境音として聞こえてくるばかりで、内側にそれらの音をかき消すような音は存在しなかった、いや、そもそも時間が止まってしまったかのように発せられる音が存在しなかった。

 どことなく気不味いと高村は思ったが、教室から出るタイミングを失った彼は教壇近くでぼーっと突っ立っていた。

「高村」

 不意に、中村が高村の名を呼んだ。

「なんだ?」

 半ば安堵あんどしながらも、高村は返事をする。一瞬の躊躇の後、中村は決心したように再び口を開いた。

「ちょっと馬鹿っぽい事聞くけどさ、正義のヒーローっていると思う?」

 高村は中村を見る。一体それはどういう意味で言ったのか。軽い気持ちで、冗談交じりに聞いているのか、それとも。

「さあな、いるかは俺には分からん。でも、いたらいいなって思うよ、ほんとに。弱い奴や困ってる奴らを助けてくれるヒーローがさ」

「そっか、高村は優しいんだね」

「いや、そうでもない。中村、そういうお前はヒーローがいると思うのか?」

「どうかな。でも私も、いたらいいなってそう思う。現実はそうはいかないだろうけどね」

 そう言って中村は笑った。なんとなく、その笑いはさっきの愛想笑いと違って精一杯強気を見せているように高村には思えた。

「ごめん、引き止めて」

「ああ、じゃあな。お前も早く帰れよ」

 高村は教室から出ようとする。

 ふと、高村は黒板の右下の方を見やった。彼は一瞬の動揺の後、そのままなんでもないような風を装って教室を去っていった。

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